風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第206回  『北に進む夢』路線の最後の秋

『日本百景』 秋  第206回  『北に進む夢』路線の最後の秋 〔北海道〕


『北へ進む夢』が断たれたのは
’83年10月の事だった

50年ほどのちょっと昔・・、道東地域随一の炭鉱がこの地にあった。 その炭鉱の支坑であったのが、かつて白糠線が存在した上茶路である。 最盛期は炭鉱住宅が並び、映画館やパチンコ屋・銭湯、挙句の果てには遊郭まであったというこの地は、今や事が起きる前の姿・・、自然のそのままの姿に還っている。

この白糠線は、この炭鉱より出炭した石炭を運ぶべく敷設された路線である。 だが、路線開業して数年で産業の斜陽化により炭鉱は閉山し、この白糠線が『北へ進む夢』への駅まで延伸した時は既に炭鉱は閉山し、自然の力によって原野への回帰が始まっていたのである。


在りし日の上茶路駅
それが今


駅に連なる道道も
自然回帰の洗礼を受けていた
※ グーグル画像より拝借

その自然に還る力は、「凄ましい」の一言に尽きる。 その力は、鉄道が廃されて僅か30年余りという短い時間で、人工物の鉄道コンクリート橋をも取り込んで自然風景として調和しているのである。


人工物であるレールをも取り込んで
調和した自然風景に回帰しているようだ
※ グーグル画像より拝借

それはもう、「かつてこの地に鉄道が通っていた事」が夢幻の如くに思えるまでに自然回帰しているのである。


だが確かに鉄道はあったのだ
今や全てが自然に回帰しているけれど

だが、ワテの憧れた鉄道路線は確かにあったのだ。 ワテはその短い生涯の路線の最後の秋を、その時に学生だった本分を逸脱しても、それに伴う評価をかなぐり捨てても、同世代の皆が当然の如くしていた『将来への足固め』を放ったらかしててでも、「見届けよう」と欲したのである。


「見届けたかった」モノ
それはかつてここに
路線があったという証

それは、この時に評価を気にかけて学生たる本分を堅持する事=この路線の『最後の秋』を見届けるのを諦める事が、後に激しく後悔する事になるだろう・・と感じ取ったからである。

それらは年端もいかぬ小僧が撮った拙い写真であるが、この写真を目にする度に「あの時の選択は間違ってなかった」としみじみ思うのである。 それでは、この小僧が強く欲した『北に進む夢』路線の最後の秋を現在と対比しつつ、ごろうじろ。


廃止線問題でも真っ先に淘汰された
1日僅か3本の旧運炭路線


原野に1日3本のみであったが
確かに鉄路は脈打っていたのだ


冬に訪れた同じ地点
あまりの寂しい情景に呆然となった


『北に進む夢』の駅・北進
原野にポツンと待合室があるだけの
無人荒野にあった


だが列車は定刻にやってきて
どこからともなくやってくる
数人の乗客を吸い込んで発車していった


だが今はその面影もなく


『北へ進む夢』が塞き止められた
『車止メ』のあった位置も


鉄道が廃されて僅か四半世紀で
元の自然に還っていた


爽やかな秋空をゆく
これが撮りたくて「真面目な学生」という
将来につながる評価を蹴飛ばしたワテ

開業して僅か6年で建設目的の炭鉱が閉山、『北へ進む夢』の駅までの延伸時には既に炭鉱はなく1日3往復、数人の通学生の乗客があるだけの超閑散線区。 全通後僅か11年で廃止という短い生涯の路線だったけど、ワテに素晴らしい情景を魅せてくれた最後の秋の白糠線。


1日3往復の走行写真
余りにも時間が余るので
縫別と上茶路の7kmを歩いたよ

年端もいかぬ小僧が何の工夫もなく撮ったが故に、「全てをかなぐり捨てた」と豪語するにはあまりにも稚拙なデキの写真だけれど、ワテにとってはかけがえのない『秋の鉄道情景』なのである。

    ※ 白糠線の路線データは『魅惑の鉄道写真集』の『白糠線』を御覧下さい。






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No title * by gre*n*hub*32
掲載されている写真も素晴らしいものですが、其れ以上に解説が切れ味がよい上に、自然回帰が人間の造った鉄路をいとも簡単に取り込ん仕舞うさまには、驚くとともに畏敬の念さえを抱いて仕舞います。

☆ナイス!〜

No title * by 風来梨
gre*n*hub*32さん、こんばんは。

ホント、凄い力ですよね、自然の回帰力。 この回復力があるから、人間は茶々できるんだと思います。

それと、この白糠線は、我が青春のローカル線でした。 廃止されてから四半世紀以上経って、中年となって訪れ見た廃線跡の自然回帰の様にはジ~ンと来ましたね。

No title * by 風旅記
こんばんは。
白糠線、お写真と共に文章も楽しませて頂きました。廃止されてしまえば、もう訪れる人もなく、自然の回復力のままに痕跡さえ失われていくのだと実感しました。
私にとっても白糠線は思い出の路線です。
現地に行ったことは全くないのですが、幼い頃に見た写真集『ぼくのローカル線』に、この路線の写真、廃止直後の写真が数点入っていました。嵐山光三郎さんの文章とあいまって、広田尚敬さんの写真が強く印象に残り、そこから自分の北海道への憧れのようなものができあがりました。
その後に数多くのローカル線が廃止され、北海道を訪ねる機会を得た頃には、路線図はスカスカになってしまっていました。
時間を遡ることができるなら、迷わず白糠線を訪ねたい、今でもそう思うほどに、写真が心に刻み込まれています。
他の記事も楽しませて頂いています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

No title * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。

廃止されて27年後に訪ねた時は、胸に込み上げるモノがありました。

北進駅跡の何もない跡地に、「何か鉄路の痕跡はないか?」かと、雪原の中を歩き周ったのを覚えています。 300m先に雪に埋もれた橋梁の頼りない欄干を見つけた時は、思わず「やった!」と叫びましたね。

この白糠線は、私にとっても「我が青春のローカル線」です。

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No title

掲載されている写真も素晴らしいものですが、其れ以上に解説が切れ味がよい上に、自然回帰が人間の造った鉄路をいとも簡単に取り込ん仕舞うさまには、驚くとともに畏敬の念さえを抱いて仕舞います。

☆ナイス!〜
2015-10-31 * gre*n*hub*32 [ 編集 ]

No title

gre*n*hub*32さん、こんばんは。

ホント、凄い力ですよね、自然の回帰力。 この回復力があるから、人間は茶々できるんだと思います。

それと、この白糠線は、我が青春のローカル線でした。 廃止されてから四半世紀以上経って、中年となって訪れ見た廃線跡の自然回帰の様にはジ~ンと来ましたね。
2015-10-31 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
白糠線、お写真と共に文章も楽しませて頂きました。廃止されてしまえば、もう訪れる人もなく、自然の回復力のままに痕跡さえ失われていくのだと実感しました。
私にとっても白糠線は思い出の路線です。
現地に行ったことは全くないのですが、幼い頃に見た写真集『ぼくのローカル線』に、この路線の写真、廃止直後の写真が数点入っていました。嵐山光三郎さんの文章とあいまって、広田尚敬さんの写真が強く印象に残り、そこから自分の北海道への憧れのようなものができあがりました。
その後に数多くのローカル線が廃止され、北海道を訪ねる機会を得た頃には、路線図はスカスカになってしまっていました。
時間を遡ることができるなら、迷わず白糠線を訪ねたい、今でもそう思うほどに、写真が心に刻み込まれています。
他の記事も楽しませて頂いています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
2015-11-29 * 風旅記 [ 編集 ]

No title

風旅記さん、こんばんは。

廃止されて27年後に訪ねた時は、胸に込み上げるモノがありました。

北進駅跡の何もない跡地に、「何か鉄路の痕跡はないか?」かと、雪原の中を歩き周ったのを覚えています。 300m先に雪に埋もれた橋梁の頼りない欄干を見つけた時は、思わず「やった!」と叫びましたね。

この白糠線は、私にとっても「我が青春のローカル線」です。
2015-11-30 * 風来梨 [ 編集 ]