2015-10-27 (Tue)✎
『日本百景』 秋 第206回 『北に進む夢』路線の最後の秋 〔北海道〕
『北へ進む夢』が断たれたのは
’83年10月の事だった
50年ほどのちょっと昔・・、道東地域随一の炭鉱がこの地にあった。 その炭鉱の支坑であったのが、かつて白糠線が存在した上茶路である。 最盛期は炭鉱住宅が並び、映画館やパチンコ屋・銭湯、挙句の果てには遊郭まであったというこの地は、今や事が起きる前の姿・・、自然のそのままの姿に還っている。
この白糠線は、この炭鉱より出炭した石炭を運ぶべく敷設された路線である。 だが、路線開業して数年で産業の斜陽化により炭鉱は閉山し、この白糠線が『北へ進む夢』への駅まで延伸した時は既に炭鉱は閉山し、自然の力によって原野への回帰が始まっていたのである。
在りし日の上茶路駅
それが今
駅に連なる道道も
自然回帰の洗礼を受けていた
※ グーグル画像より拝借
その自然に還る力は、「凄ましい」の一言に尽きる。 その力は、鉄道が廃されて僅か30年余りという短い時間で、人工物の鉄道コンクリート橋をも取り込んで自然風景として調和しているのである。
人工物であるレールをも取り込んで
調和した自然風景に回帰しているようだ
※ グーグル画像より拝借
それはもう、「かつてこの地に鉄道が通っていた事」が夢幻の如くに思えるまでに自然回帰しているのである。
だが確かに鉄道はあったのだ
今や全てが自然に回帰しているけれど
だが、ワテの憧れた鉄道路線は確かにあったのだ。 ワテはその短い生涯の路線の最後の秋を、その時に学生だった本分を逸脱しても、それに伴う評価をかなぐり捨てても、同世代の皆が当然の如くしていた『将来への足固め』を放ったらかしててでも、「見届けよう」と欲したのである。
「見届けたかった」モノ
:
それはかつてここに
路線があったという証
それらは年端もいかぬ小僧が撮った拙い写真であるが、この写真を目にする度に「あの時の選択は間違ってなかった」としみじみ思うのである。 それでは、この小僧が強く欲した『北に進む夢』路線の最後の秋を現在と対比しつつ、ごろうじろ。
廃止線問題でも真っ先に淘汰された
1日僅か3本の旧運炭路線
原野に1日3本のみであったが
確かに鉄路は脈打っていたのだ
冬に訪れた同じ地点
あまりの寂しい情景に呆然となった
『北に進む夢』の駅・北進
:
原野にポツンと待合室があるだけの
無人荒野にあった
だが列車は定刻にやってきて
どこからともなくやってくる
数人の乗客を吸い込んで発車していった
だが今はその面影もなく
『北へ進む夢』が塞き止められた
『車止メ』のあった位置も
鉄道が廃されて僅か四半世紀で
元の自然に還っていた
爽やかな秋空をゆく
:
これが撮りたくて「真面目な学生」という
将来につながる評価を蹴飛ばしたワテ
開業して僅か6年で建設目的の炭鉱が閉山、『北へ進む夢』の駅までの延伸時には既に炭鉱はなく1日3往復、数人の通学生の乗客があるだけの超閑散線区。 全通後僅か11年で廃止という短い生涯の路線だったけど、ワテに素晴らしい情景を魅せてくれた最後の秋の白糠線。
1日3往復の走行写真
余りにも時間が余るので
縫別と上茶路の7kmを歩いたよ
年端もいかぬ小僧が何の工夫もなく撮ったが故に、「全てをかなぐり捨てた」と豪語するにはあまりにも稚拙なデキの写真だけれど、ワテにとってはかけがえのない『秋の鉄道情景』なのである。
- 関連記事
-
- 第211回 初冠雪の巻機山
- 第210回 夕暮れと釣り人(室戸)
- 第209回 佐多岬
- 第208回 法体ノ滝
- 第207回 雲取山
- 第206回 『北に進む夢』路線の最後の秋
- 第205回 御来光ノ滝・秋景
- 第204回 八甲田山
- 第203回 仙人池
- 第202回 剱岳
- 第201回 守門岳
スポンサーサイト
No title * by 風来梨
gre*n*hub*32さん、こんばんは。
ホント、凄い力ですよね、自然の回帰力。 この回復力があるから、人間は茶々できるんだと思います。
それと、この白糠線は、我が青春のローカル線でした。 廃止されてから四半世紀以上経って、中年となって訪れ見た廃線跡の自然回帰の様にはジ~ンと来ましたね。
ホント、凄い力ですよね、自然の回帰力。 この回復力があるから、人間は茶々できるんだと思います。
それと、この白糠線は、我が青春のローカル線でした。 廃止されてから四半世紀以上経って、中年となって訪れ見た廃線跡の自然回帰の様にはジ~ンと来ましたね。
No title * by 風旅記
こんばんは。
白糠線、お写真と共に文章も楽しませて頂きました。廃止されてしまえば、もう訪れる人もなく、自然の回復力のままに痕跡さえ失われていくのだと実感しました。
私にとっても白糠線は思い出の路線です。
現地に行ったことは全くないのですが、幼い頃に見た写真集『ぼくのローカル線』に、この路線の写真、廃止直後の写真が数点入っていました。嵐山光三郎さんの文章とあいまって、広田尚敬さんの写真が強く印象に残り、そこから自分の北海道への憧れのようなものができあがりました。
その後に数多くのローカル線が廃止され、北海道を訪ねる機会を得た頃には、路線図はスカスカになってしまっていました。
時間を遡ることができるなら、迷わず白糠線を訪ねたい、今でもそう思うほどに、写真が心に刻み込まれています。
他の記事も楽しませて頂いています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
白糠線、お写真と共に文章も楽しませて頂きました。廃止されてしまえば、もう訪れる人もなく、自然の回復力のままに痕跡さえ失われていくのだと実感しました。
私にとっても白糠線は思い出の路線です。
現地に行ったことは全くないのですが、幼い頃に見た写真集『ぼくのローカル線』に、この路線の写真、廃止直後の写真が数点入っていました。嵐山光三郎さんの文章とあいまって、広田尚敬さんの写真が強く印象に残り、そこから自分の北海道への憧れのようなものができあがりました。
その後に数多くのローカル線が廃止され、北海道を訪ねる機会を得た頃には、路線図はスカスカになってしまっていました。
時間を遡ることができるなら、迷わず白糠線を訪ねたい、今でもそう思うほどに、写真が心に刻み込まれています。
他の記事も楽しませて頂いています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
No title * by 風来梨
風旅記さん、こんばんは。
廃止されて27年後に訪ねた時は、胸に込み上げるモノがありました。
北進駅跡の何もない跡地に、「何か鉄路の痕跡はないか?」かと、雪原の中を歩き周ったのを覚えています。 300m先に雪に埋もれた橋梁の頼りない欄干を見つけた時は、思わず「やった!」と叫びましたね。
この白糠線は、私にとっても「我が青春のローカル線」です。
廃止されて27年後に訪ねた時は、胸に込み上げるモノがありました。
北進駅跡の何もない跡地に、「何か鉄路の痕跡はないか?」かと、雪原の中を歩き周ったのを覚えています。 300m先に雪に埋もれた橋梁の頼りない欄干を見つけた時は、思わず「やった!」と叫びましたね。
この白糠線は、私にとっても「我が青春のローカル線」です。
☆ナイス!〜