2015-10-27 (Tue)✎
路線の思い出 第116回 近鉄志摩線・鳥羽駅 〔三重県〕
ちょっと流れているけど
9歳当時の『一番星』だった写真でっす
《路線データ》
近鉄鳥羽線
営業区間と営業キロ 運行本数(’19)
鳥羽~賢島 24.5km 特急はおおむね毎時2本(難波・名古屋と交互に発着)
京都発の特急も日に数本運転されている
普通は毎時1~2本でラッシュ時は3本
JR東海・鳥羽線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
多気~鳥羽 29.1km 2692 / 687
運行本数(’03)
多気~鳥羽 下り17本【内 8本快速、土曜は快速9本】、上り21本【内12本快速】
多気~伊勢市 下り13本《休日は12本》【内 4本快速】、上り13本【土曜・休日 快速1本運転】
伊勢市~鳥羽 下り6本《土曜・休日は5本》・上り3本
多気~伊勢市 下り13本《休日は12本》【内 4本快速】、上り13本【土曜・休日 快速1本運転】
伊勢市~鳥羽 下り6本《土曜・休日は5本》・上り3本
鳥羽駅(とばえき)は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目にあるJR東海と近鉄の駅である。 JR東海の参宮線と近鉄の鳥羽線・志摩線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている。 いずれの路線も当駅が起終点であるが、近鉄の2路線については鳥羽線列車の約半数がそのまま志摩線に直通する。
JRのホームは頭端式ホーム1面3線で0~2番線が割り振られている。 その内の1番線は、0番線側の切り欠き部にある。 なお、快速〔みえ〕は主に1番線から、普通列車は主に0番線から発車する。
近鉄のホームは島式ホーム2面4線を持つ橋上駅になっていて、3~6番線が割り振られている。
ホーム有効長は10両編成分を確保している。 近鉄の乗り場は、鳥羽線建設前のJR線南側から現在の北側に移動している。 この為、割り振られた番線の番号はJRと続き番号であるが、その順番には並んでいない。
改札口はJRホームに直結しているJR管轄の地上改札と、近鉄管轄の橋上駅舎内の2ヶ所がある。
JRと近鉄の乗換は中間改札なしで可能であるが、どちらの駅舎も管轄担当社の券売機・窓口しかない。
また、津駅・伊勢市駅・松阪駅・桑名駅などとは異なってJRの乗車券で近鉄の自動改札機を通過する事ができず、この場合だと有人改札通路を通る事となり、事実上は近鉄とJRで改札口が分離されている。
JR東海の駅は、東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、伊勢市駅が当駅を管理している。 近鉄の駅は駅長が置かれる直営駅で、朝熊駅~賢島駅間を管理している。
近鉄は全ての定期営業列車が停車し、本数こそ少ないが大阪上本町駅からの快速急行・急行、近鉄名古屋駅からの急行は当駅まで乗り入れており、快速急行・急行の運転区間は当駅が南限となっている。
当駅始発の列車は、伊勢市駅までの各駅に停車する。
なお、下りの到着列車は夜間も設定されているが、上り当駅始発及び折り返し列車は朝8時台までの設定となっている。 繁忙期の日中時間帯を除いて、朝と夕方以降を中心に当駅発着および折り返し列車が多数設定されているが、構内に引上線がない為に折返し列車を長時間ホームに待機させなければならず、上下線とも発着番線は列車および時間帯によって変動する。 特に、当駅発着の急行と普通は発着番線が一定していない。
特急列車は、朝に当駅始発の大阪上本町行きが2本(土休日は3本)、近鉄名古屋行きが3本、15時以降に当駅折り返しの乙特急が毎時2本(大阪方面発着と名古屋方面発着の1本ずつ)設定されている。
なお、繁忙期に宇治山田駅・五十鈴川駅折り返しの乙特急が当駅到着に延長される場合は、朝9時台から折り返し運転を実施している。
急行及び快速急行列車は、平日早朝に当駅始発の大阪上本町行き快速急行が1本、土休日早朝に当駅始発の大阪上本町行き急行が2本、朝に近鉄名古屋行き急行が3本(土休日は2本)、夜間に大阪上本町駅からの快速急行が1本、近鉄名古屋駅からの急行が朝に2本と夜間に1本(土休日は朝と夜間に各2本)設定されている。
普通列車は、朝と夕方以降に伊勢中川駅・賢島駅発着の列車が当駅で折り返す。 なお、平日8時台には当駅始発の明星行き、宇治山田行きが各1本のみ設定されている。 一部の乙特急はこの駅で後部車両解放を行う。 構内に引き上げ線は無いので、解放した車両は五十鈴川駅又は、明星検車区明星車庫へ折り返し回送となる。
乗車券用の自動券売機は数台あるほか、自動改札機および自動精算機が設置されている。
特急券および定期券は窓口にて販売されているが、各ホームへの特急券自動販売機は設置されていない。
駅長室は駅営業所を併設しており、改札外の設置ではあるものの近鉄リテーリングが運営する有人売店設置駅に指定されている。 改札前に鳥羽湾の展望に適した広い待合室と軽食コーナーがある。
2017年の1日の平均乗車人員は2001人との事
鳥羽線には、定期列車では快速〔みえ〕と普通列車のみ乗り入れてくるが、時期によっては修学旅行等の臨時列車が乗り入れる事もある。 日中時間帯は、快速〔みえ〕と普通列車がそれぞれ毎時1本、早朝・夜間は快速〔みえ〕と普通列車のどちらかが1時間に1本の運行となっている。
JRの列車は夜間滞泊を行わず、そのまま多気駅方面へ折り返す。 鉄道創生期には名古屋や大阪・京都への直通急行列車が運行されていたが、現在の優等列車は名古屋発着の快速〔みえ〕のみである。
JRの駅には自動改札機・自動精算機に加えて、自動券売機もない。 切符の販売・確認・精算・回収は全て、改札に面した窓口の中にいる駅員が手作業で行っている。 無人時間帯は、無人駅と同様に車内精算となる。 駅舎2階に土産物店や飲食店の入る『鳥羽駅名店街』がある。 2017年の1日の平均乗車人員は337人との事。
今回は、齢一桁の時に撮った御見苦しい写真で語ろうと思う。 確かこの時は、小3の家族旅行の時の事だった。 でも、その時の家族旅行の様子は、筆者の拠所ない家庭環境の事情(家族構成が今と違うんだよね~)から敢えて割愛したいと思う。
この時はまだ純粋無垢!?なガキであった筆者は、近鉄電車が大好きだったのである。
それはもう、鉄道写真を撮りに行くなら大阪駅と近鉄の鶴橋駅のハシゴは当たり前で、ともすれば国鉄より近鉄にお熱であった。
ビスタ・カー
今も第一線で走ってますね
:
登場年がワテのカメラデビューと
同じ年だったような
なぜ近鉄がこれほどまでに好きだったのか・・と言うと、幼い頃に羽曳野市の古市という所に住んでいたのだが、家の窓から近鉄南大阪線の電車をずっと眺めて育ってきたからだろうと思う。
でも・・、そのまま純粋無垢に成長せずに、近鉄の創世記に繰り出された『黒歴史』の如くのロクでもない奴になっちまったよ。 その後、数年先の『ローカル線』を追い求めた事が、決定的に堕ちていく“ボタンの掛け違え”となったのであるが。
そのガキが、一度延期になった時に泣き喚いて暴れる位に欲した『家族旅行』が、この近鉄特急に乗っての『伊勢志摩の日帰り家族旅行』であったのである。 そして、この時に抱えていたカメラが、今では名機とも持てはやされる東京光学『トプコン』のT-35Lだったのである。
今でもあるよ
動かないけど
※ グーグル画像より拝借
だが、このカメラ・・、今でこそカメラの創世記時代を知る大人を対象としての“名機”であって、齢9歳と一桁の歳のガキが扱えるシロモノではなかったのである。 それは「ピントは元より、露出計ナシ、巻き上げ2回、絞り・シャッター速度などの露出決定は全て撮影者が行う」という『Vスペック』なカメラであったのである。 でも露出計がないのに、何故かASA感度合わせがあったのは今でも謎なのだが。
近鉄の魅力の一つに
多彩な行先方向看板がありますね
それでも、コレを使って大阪駅やら鶴橋駅に繰り出していたのである。 それはガキながら、絞りとシャッター速度の光に対する相関関係の一欠けらを理解していたから・・のようである。 それは「晴れたら絞って、暗くなったら絞りを開けて」という事や、「走る被写体=電車なら1/250のシャッター速度は必要」などのこのカメラを使っての撮影基本操作である。
9歳のガキが『Vスペック』のカメラで
貴重な旧客のグリーン車両という
『Vスペック』な写真を撮ってたよ
その上で9歳ながらこの700g以上という重たいカメラで撮っていたので、「如何にガキの細腕で手ブレしないように撮るか」の基本である脇を締めるなどの動作も本能的にこなしていたようである。
また、ピントもマニュアルで、「レンジファインダー内でピントを合わせる事=写真を撮る第一歩としてピントを合わせる事」も当たり前の事として捉えていたようなのである。
だから・・であろうか。 こんなにロクデナシな奴になったのに、写真撮影のウンチクはかなりあったのである。 ともすれば基本写真撮影のウデは、この頃から中坊の頃が最もピークだったかも・・である。 少なくとも走行鉄道写真に関しては、中坊時代が最も優れていたようである。
ウヒャァ 今より断然上手いよ! 完璧ジャン!
中坊になりたての頃の鉄道写真
でも、この頃はまだ駆け出し・・なので、ロクな写真はアリマセン。 お口直しに、人格的には退化の一辺倒をたどるこのタワケの撮った伊勢志摩の風景写真を「何の脈絡もなく」添える事としますか。
美しい入江がおりなす静かなる夜明け
伊勢志摩・英虞湾にて
波に挑むサーファー達
志摩・市後海岸にて
飛沫立つ波と大王崎灯台
展望台に立つ銅像と伴に
夜明け前の港を見る
南伊勢・五ヶ所湾にて
朝日が指し示す
黄金の筋に船が航跡を刻む
南伊勢・五ヶ所湾にて
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