風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第114回  妻線・杉安駅

路線の思い出   第114回  妻線・杉安駅  〔宮崎県〕


木造で古き良き時代を偲ばせる杉安駅

《路線データ》
         営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)
         佐土原~杉安 19.3km             869  /   684  

         廃止年月日       転換処置       廃止時運行本数
         ’84/12/ 1        宮崎交通バス         6往復

杉安駅(すぎやすえき)は、かつて宮崎県西都市大字南方に設置されていた国鉄・妻線の駅で、同線の終着駅であった。 妻線の廃止に伴い、1984年12月1日に廃駅となった。 廃止時点で単式ホーム1面1線を有する無人駅で、本線の他に機回し線が敷設されていた。



数ある・・といっても、かなり淘汰されたので残り少なくなった木造駅舎。 この杉安駅も路線廃止により淘汰された木造駅舎の一つだが、「数ある木造駅舎の中で最も美しい駅舎だ」と感じたのが、この杉安駅である。

・・といっても、訪れた時はローカル線には興味あれど駅舎にはさして興味がなく、この思いに至ったのも「後々に自分の撮った写真を見て」という事である。 それ故にこの気持ちに至った時は、「何でもっと撮らなかったのだろう」と心底悔やんだのを憶えている。


妻線関連は4枚しか撮らず
うち一枚はこの逆光ドアンダーの黒潰れ

その美しい駅舎が建っていた周囲の情景も木造駅舎の情景に相応しい、木の香りが漂う山村なのである。 尤も、現在の「鉄道経営が利益を追い求める立場にある」というスタンスならば、背後に小高い山があるだけの駅前に住宅・・、いや列車が止まっているのに乗客らしき人影を全く見ない情景は「あってはならない」モノなのだろうし、この線もその事を問われて路線廃止となったのである。


背後に森林豊かな小高い山
製材所と思しきトタン屋根
かつては貨車が往来したであろう側線痕
全てが疲れた心が癒される懐かしい情景だった

でも、ネットやテレビといったモノによる情報の氾濫で、ヘンな思考に毒された現代人の心を癒す情景は「こんな限りなく長閑な情景なんだ・・」と思うし、それは何においても必要だったモノ(情景)だとも思う。 だが、その大切なモノは、「採算が合わない不要物」として廃されたのである。

そして、それが廃されて時が経ち、情報の氾濫や便利という名の怠惰に毒された変な思考が蔓延るに至って、漸く「あの情景は、何においても必要なモノだった」と悔やむのであろう。
・・と、悔悟の思いや愚痴はここら辺でヤメにして、あの時の小僧だったワテの『情操教育』となった風景おば・・。


廃止直前の妻線時刻表
※ グーグル画像より拝借

当時の妻線の運行は僅か6往復・・。 始発の列車で杉安駅で降りたなら、撮影可能の列車は杉安駅5分折り返しと、9時半頃の利用客の動向を無視したような設定の列車の2本のみ。 そして、この9時半頃に杉安到着の列車は、昼の1時過ぎまで杉安駅で日向ぼっこをしているという運行ダイヤだった。


かつては当たり前だった
長閑な山村風景と
こういった大切な情景が
いくつ消え去ったのだろう

この運行ダイヤの状況に、堪らず店屋のありそうな線内の中心駅・妻駅まで歩く事にしたのである。
この駅間徒歩に9時半頃に杉安に着く列車の撮影を絡めたのであるが、この長閑な山村を歩いた体験が、歳を取った今に「心を癒すあの情景は、現代人にとって何においても必要だったモノだったのだ」と理解できるようになったと思う。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『妻線』を御覧下さい。











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