風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰次選の山々 第119回  ペテガリ岳 その2 act 2

名峰次選の山々 第119回  『118 ペテガリ岳』 その2 act 2  北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1736m  コース難度 ★★★★  体力度 ★★★★★


ペテガリ岳西尾根ルート 行程図

    行程表  ※ 実際にかかった時間ですが何か? 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 浦河町・荻伏より車(1:00)→シュオマナイ沢渡渉点〔登山ルート始点〕
     (2:00)→標高680mの分水嶺となる峠(0:50)→ベッピリガイ沢出合
     (0:50)→ペテガリ山荘
《2日目》 ペテガリ山荘(2:50)→1293m展望所(2:30)→1230mコル(2:10)→ペテガリ岳
     (1:30)→1230mコル(2:30)→1293m展望所(2:30)→ペテガリ山荘
《3日目》 ペテガリ山荘(1:00)→ベッピリガイ沢出合(1:30)→標高680mの分水嶺となる峠
     (2:00)→シュオマナイ沢渡渉点より元浦川林道を車(1:00)→浦河町・荻伏
  ※ 前回『名峰次選の山々 第118回  ペテガリ岳 その2 act 1』からの続きです。

  《2日目》 ペテガリへ・・ そして『オチャメ』に・・
さて、ペテガリ岳の西尾根ルートは往復に長時間かかるのはこの山に登りにきた者なら周知の事で、皆夜が明けやらぬ3時前よりゴソゴソと出発準備を始めていた。 この早出の流れに乗りそびれて、出発したのは5時半前。 この遅れが、結果として14時間後に『本年度最大のオチャメ』となってしまったのだが。
 
山荘を出ると少しの間沢沿い(この沢が『ベートベン(運命)の沢』だったりして)に辿るが、すぐに沢から離れて樹林帯の中に分け入っていく。 この樹林帯に入ってからは散乱した倒木によって道が判り辛く、道に迷ってここでも30分位の時間ロスをする。

この道が何故に迷いやすいのかというと、『ショートカット』と称して、無理矢理に樹林帯を縦に突き進む為である。 正式のルートは沢をもう少し上まで進んで、明確な登山道に合流しているのである。
そして、この『ショートカット』ルートで短縮できる時間は10分程であり、冷静に考えると正規ルートを行った方が良いのかもしれない。 でも、「頂上まで6時間も7時間もかかる」との触れ込みがあると、「10分でも短縮したい」と思うようになるのである。

この樹林帯を縦に突っ込むようにショートカットすると、沢沿いを迂回していた正規の登山道の上に出る。 でも、暗くなる帰りは、この『ショートカットルート』との分岐点を見つける事は困難であろう。
正規の登山道に入ると途端に歩き良くなるが、ジグザグを切っているとはいえ標高1050mの尾根上にあるコブまで高低差600mの登りとなる。 僅か1000mの標高に着くまで、2時間近く登っていかねばならない。


あの尖峰はもしかして目指すペテガリ岳!?
割と近いじゃない・・」とナメタた心が
蔓延っておりました ハイ
この時はまだ絶好調でした

この樹林帯の登りは、《標高1050mのコブ》が斜め上に見え始めると樹林帯を抜けて終わりとなる。 
ここからこのコブの頂を越えて、続く1293mのコブまで大きくたわんだ尾根の上を伝っていく。
この辺りから、秘峰1839峰やヤオロマッフ岳が見え始める。

疲れ加減といい、朝の爽快さといい、この辺りがこの山行ルートにおける『スイートスポット』みたいである。 そして、バテにバテて帰りにロスタイム際の『オチャメ』をやらかした筆者は、『見れるレベルの写真』はこの辺りでしか撮れてなかったりするのは藪の中に。



ヤオロマッフ岳方向を望む
でも雲は怪しげな筋雲がたなびき始め

1050mのコブから1293mのコブに連なる草原状の尾根は優しい情景を魅せるが、実際はペテガリ沢とサッピチャリ沢を隔てた屏風状の両側が切り立った痩せ尾根だ。 この情景は1293mのコブに近づくにつれて、草原状の緑の尾根がイッキに800m下へ落ちているのが確認できるだろう。

この1293mのコブに上がると、目指すペテガリ岳が姿を魅せ始める。 ここまでは、所要3時間で体力的な余裕もまだ残っている。 だが、ここからが『消耗戦』となるのだ。 なぜなら、実際はまだ半分もいってないからである。 そして、まだ通算すると標高差にして800mの登りが残っているからだ。


1293mのコブより
1050mのコブ越しに神威岳方向を望む

ここからは、クマザサの落葉に埋もれる広めの尾根道を2度ほどアップダウンを繰り返す。
どのアップダウンも高低差は100mそこそこあり、距離の割には時間を食う道だ。 この広い尾根道は、《1301m展望所》と呼ばれるコブまで続いており、このコブからはガレたルンゼ状の急坂を一気に150m近く急下降する。

なお、この展望所からは、ペテガリ岳の『最後の雄姿』が望めるらしいが、ワテの時は曇って何も見えなかった。 そして、何故に『最後の雄姿』なのかは、これからの登り道の状況が端的な説明となろう。

展望所から標高1200mを切る辺りまで急激に下降して、名の無いコルの上に立つ。 
このコルから、ササ藪に埋もれたルンゼ状の急坂を500m以上登っていかねばならないのだ。 クマザサはブッシュとなって前進を妨害し、その落ち葉は泥濘んで滑り易くなり、視界はクマザサに覆われて皆無だし、そして蒸し暑い・・の4重苦だ。
 
なぜなら、最後の詰めで500m以上のイッキ登りが待ち受けているのである。 先程に『最後の雄姿』と述べたのは、今のメタボッティな状況ではこの登りでヘバってしまって『山の雄姿』どころではなくなるからだ。


最低のコルより
これより登る山肌を見上げて

ドス黒く曇った空が
今のヘタレ(筆者)の心境ですね

この登りは、空身でもヘバってしまう位にキツイ。 ハイマツの丘となるペテガリ岳の頂上丘に出るまでに標高差400mあるが、これを喘ぎ登りきった瞬間に、周囲の情景も相俟って「意識が飛んだか」と思ったよ。 それは、ガスに巻かれて上方が全く見えず、なおかつハイマツの急坂がまだ延々と続いているからだ。
 
要するに、「意識が飛んでしまったか!?」と錯覚する程に白霧の世界が視界を覆っていたのである。
この情景には音を上げそうになったよ。


苦難の上に登り着いた頂上丘は
ハイマツと白霧で
『クタびれ儲け』な情景だった

暫くすると、先行登山者の折り返しとすれ違うが、皆揃ってクタびれ果てている様子だった。
恐らくこの人たちも頂上での展望は白霧で、『クタびれ儲け』だけだったのだろう。 このハイマツの丘の急坂を30分ほど(感覚でこれ位かかったと思う)登りつめると、横に長い板にコミカルに『ペテガリ岳』と書かれた頂上標のあるペテガリ岳 1736メートル の頂上に着く。

只今12:30過ぎ。 山荘から7時間10分という時間をかけて、ようやく「遥かなる山」の頂に立つ。
でも、この山の標高は、中央高地の山々の登山口程度の標高なのだね。 だが沢を渡り、分水嶺の峠を越え、建設放棄された林道を伝い、繰り返しのアップダウンで獲得標高差がこの山の標高に達する程に登らねばならないこの山は、真に「遥かなる山」なのだ。


標高は中央高地の登山口なみなのに
あまりにも「遥かなる山」だった
ペテガリ岳頂上にて

辿り着いたペテガリ岳の頂からは、先程すれ違った先行の登山者と同じく『白霧の世界』で展望は皆無だったし、時間もかかり過ぎてすぐに折り返して下り始めねばマズいのは解っていたが、それでも頂上で何をするでもなく呆然とたたずむ。 なぜなら、こんなシンドい山をすぐに引き返しては、「シンドかった元が取れない!」という下心に支配されたからである。 そして、帰りに「JR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』」に遭う・・という流れに陥るのであるが。

約45分近く呆然と佇み、13:15に下山を開始する。 でも、この下り始めの時間は、「登りで7時間かかったし、下りが特別遅い筆者 じぶん ならば、確実に日没に間に合わないようになるな」と直感したよ。 要するに、「JR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』に遭う」という『フラグ』がはためいたのである。 ハイマツの頂上丘を下り、あのクマザサに覆われた400mのルンゼの急坂下りを下っていくが、ここで殿で登ってきた登山者2名とすれ違う。


下方が全く見渡せぬ程に
霧が立ち込めて

それはこれよりの道程の
『五里霧中』を端的に表していた

この方たちは水持参で、頂上丘でテントを張って泊まるらしい。 正直言うと、ヘタったワテならば無理に日帰りなどせずに、この方式を取れば良かったよ。 テント担ぎならば、これより3時間遅れて頂上に着いてもまだ日没前なのだし。 でも、水3.5リットル=3.5kgと幕営用具一式担がねばならないね。
しかし、頂上から2時間半も先の水のある《ペテガリCカール》までは無理かな。

頂上からの500m以上の急下降を『ヘバった後の惰性』で乗り切り、最低点のコルに着く。
ここもテント場としては使えそうだが、生憎空身でビバークグッズを持ち合わせていない。
なので、これより2度のアップダウンを含めた上り300m、下り1100mの試練が待ち受けている。

取り敢えず、最後のジグザクの下りまでの稜線上は日のある内に越しておきたい。 できれば、薄暗い中でもほんのりと残照のある内に山荘に戻り着きたい。 その時刻は、恐らく19時前だろう。
「頂上から6時間足らず・・か」、「下りが特別遅いワテでは、頂上での45分はチト無謀だったか」とブッブツ念じながら歩いていく。


最後の1ショットで
1839峰を撮る事ができたよ

・・で、1293mのコブまで休憩も取らずにゆくが、時間も『休憩』を取ってくれずに刻々と過ぎて、このコブに着いたのは17時前。 頂上から4時間近く歩きづめでさすがにクタびれて、水筒の水を口にする。 水は2リットル持ってきたが、まだ500cc余ってる。 こんなキツい行程だったが、不思議に水の消費は少なかったようだ。

ここからたわんだ尾根を伝って1050mのコブを越えて、許容限度である「日没までに尾根を越す」というリミットはクリアできた。 でも、これは最低限度であり、これからの650mの下りで確実に日没時間を越えてしまうだろう。

案の定、この下りの2/3を下った辺りで日は落ちて、薄暗くなってきた。 
そして、行きに『ショートカット』で樹林帯の土手を直登した所は暗くなってその分岐点が発見できずに、正規の登山道を直進する事になる。 でも、この『行き』でも迷った『ショートカット』に入り込む方が危なかっただろう。
それは、「真っ暗闇での不明瞭な急傾斜の森の中」を行くなんて、思いっきり自殺行為だからである。

・・で、この正規の登山道を伝って、運命の山荘に向かって流れる沢沿いに出る。 カンテラを着けて浅瀬の小川のような沢を登山靴のままで4~5回渡っていくが、運命の4回目の渡渉で同じく遅れた登山者の照らすカンテラの光が目に入った瞬間、その光に「山荘はもうすぐだ!」と喜びいきり立った瞬間・・、柔道の『出足払い』を受けた様に身体が真横に飛んだよ。


下品スマソ・・
でも、置かれた状況は真にコレでした ハイ・・

その『出足払い』を仕掛けたモノはまろやかにツルツルに磨かれた沢の一枚岩であったが、この『出足払い』で真横に浮いた身体は約1mの高さから、このまろやかな一枚岩にモロに叩きつけられたのであった。 『出足払い』が決まった瞬間、息が止まったのを実感したよ。

かなり痛かったがすぐに起き上がり、先程の先行者のカンテラの光を追って歩き始める。
追い始めると、程なくカンテラの光が動かなくなった。 なぜなら、この現場から山荘までは、僅か2~300mほどしかなかったからである。 ・・19:20。 真っ暗闇の森に、煌々と灯かりを灯すペテガリ山荘に何とか辿り着く。




これよりオチャメな内容となるので
最初くらいは山の余韻を

  《3日目~帰路》 『オチャメ』を負いながらの沢下りと輪をかけて『オチャメ』な帰路
山荘に着いてからだが、始めはさほど痛くはなかった。 明日登る予定の宿泊者が暗闇となってから戻り着いたワテに、「そんなにかかるのですか?」などとコース概要の質問をしてきたが、それに答える余裕もあった。 だが、時間が過ぎて就寝時間となって寝転がる段階となると、脇腹を絞られるような痛みが始まった。

その痛みは、数学でいうX軸を経過時間とした『放物線』のように増していって寝転がる事ができなかったのである。 もう、山荘の居間の壁にもたれ掛かるのが精一杯だった。 そして、冷たい汗が大量に噴き出て来た。 どうやら、「折れてるみたい」である。


第9と第11の2本ヤッちゃったみたい
※ グーグル画像より拝借

もう、暑くて寝れないので外に出て、山荘のテラスにゴザを敷いて転がる。 シュラフを下に敷くと、何とか寝転がれたのである。 でも寝れない。 当然か。 今、真に今年の春に起ったJR北海道の特急車両キハ183系のエンジンと同じく、『腹から火を噴いている』のであるから。


それは腹から出火したJR北海道の
キハ183のコレに例える事ができるでしょう
※ グーグル画像より拝借

・・で、今日登る為に出発準備する者のガサゴソ音がコダマする時間帯となるが、一睡もできなかった。 でも、昨日に頂上を極めたのだから、このヒト達に付き合う必要はない。 このヒト達が薄暗い内に発ってから、7時位までウトウトする。 3時間ほど寝れたみたいだ。 そして、7時過ぎ。 これより重大な決断を迫られる。

それは確実に折れて火を噴いている状況での今後の方策である。 一つは、今から沢を下っていく登山者に「ケガ人一丁!」の言づけをして、山荘で沈殿して救護ヘリを待つという『泣き』を入れるか、それとも頑張って腹から火を噴いたまま、沢を下って自力生還するか・・である。

ここで考える。 もし、「ヘリを呼んだ」なら、北海道なのでヘリの費用はタダだ。 
これは一度経験しているので知ってるし。 だが、シュオマナイ沢の前に置いてきたレンタカーは返却不能=自走不能の事故扱いで免責5万円、へりで病院直行で入院しようものなら、医療費はウン万円。 そして、入院沙汰になったら、盆休み明けの仕事は長期休暇を余儀なくされて肩身が狭くなるし。 下手すりゃクビだね。
また、笑いモノになるのは必定。

一方、「沢を下って自力生還」であるが、辛く苦しいだろうねぇ、骨折れたまま沢下るってのは・・。
あの分水嶺の土手を越えれるかねぇ。 ロープ持って、身体を引きずりあげなけりゃならんしィ。
でも、レンタカーの違約金と医療費は払わないで済むし、仕事もこの事を隠し覆せば笑われずに済むし、最悪の『クビ』もない・・などと、真剣に状況比較するこのタワケ(筆者)であった。

そうこうしている内に、出発と設定した時刻の8時が近づいてきた。 そして、『言づけを頼むべくの下山者』も早々に山荘を発っていったので、なし崩し的に「ヘリを呼んで」案は却下となり、「根性の自力生還」案の採用となる。

でも、3時間近くウトウトしたのが良かったみたい。 ペッピリガイ沢までの4.5kmの砂利道は、何とか普通に歩けた。 う~ん、池口岳とかキツい所をこなしてきたから、体力ついたのかも。 でも、あの『奇跡の体力』には遠く及ばないが。


こんな垂直に近い傾斜土手を

・・で、これより、『勝負』の分水嶺越えである。 心配は先述のように、分水嶺の上に這い上がる際にロープをつかんで身体を持ち上げる事だ。 ズリ落ちたらかなりのダメージをもらうし、ロープを手繰った時に腹から火を噴いたら確実にズリ落ちるのである。 要するに、失敗は許されないのである。


こんな風に火を噴いた腹で登らねばならないのデス
※ グーグル画像より拝借

そんなしょうもない事を妄想していると、分水嶺へ向かうの沢筋自体を間違えて、ズリ落ちる以前に流木のブッシュが激しくなって前に進めなくなったよ。 これで、腹から火を噴いた状態には更に「痛い」約45分のロスとなる。

先程に「痛い」と言った如く、このロスはかなり具合が悪い事なのだが、この筆者はドツボにハマればハマる程に冷静になれる特典があった。 ・・というより、普段は何の問題のない所でも慌てふためいて必ず『オチャメ』るのに、一度『オチャメ』ると冷静さを取り戻すのである。

まぁ、あれ程・・、中には『死亡フラグ』モノの『オチャメ』を数多くカマしながら、のほほんと反省もなく過ごしている点から鑑みてもそうだと思う。 でも、反省がないから、前回の記憶が抜けきらぬ内に再び同じ『オチャメ』をカマシて、『遭難フラグ』や『死亡フラグ』を乱立させてるけど。

この入り込む沢筋の間違いで最もキビしかったのは、引き戻す際に跨ぐ流木のブッシュだったよ。 
なぜなら、流木の枝を掻い潜る時に『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』を捩らねばならないからだ。 この時解ったよ。 ブッシュの通過は、上り時より下り時の方が身体を屈めなけりゃならん・・という事を。 真に、「体験は知識の源」ですな、アッハッハ・・(悶)

退き戻って、正規のルートを分水嶺の土手まで登りつめていく。 この分水嶺の土手の登りは正直言うと知床岬の観音岩の崖より厄介(垂らされたロープが短いし、足場がネトネトの粘土質)なのだが、今回主役の『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』は先程のブッシュ潜りで体験した痛みで学習したのか、このロープを手繰り登っていく崖ではさほど「太鼓を打ち鳴らさなかった」のである。

先程のブッシュの掻い潜りに比べたら、かなりマシだったのである。 この事で、この沢筋の入り間違いも「痛みを理解する」という役に立ったのだから「ヨシ!」とする自分のミスにトコトンまで寛容なワテであった。

この分水嶺を越えると、そろそろにこれからペテガリ山荘に向かう登山者のトップ集団とすれ違う。 
これよりペテガリ山荘に向かう方達は『上り』で、ワテは下りである。 そして、ワテは下りの技術がヘタ極まるのに加えて、脇腹が「熱く燃え盛っている」状況である。 ここで考えたのは、滑り落ちたりしてこの人達と接触してしまうと、腹が捩れて「盛大な大太鼓が響き渡る」って事だ。

そうなると当然に『ノタ打ちまわる』事となって、その『ノタ打ちまわる』醜態を晒したならば、接触した当事者は元よりすれ違う他の登山者も騒ぎ出して、「レンタカー代や入院費をケチるべく、ヘリを呼ぶのを回避した努力が水泡に帰してしまう」という事だ。 筆者(タワケ)のクオリティ(性質)として、こういう事はかなり色濃く『妄想』するのである。 だから、この分水嶺の下りは、違う意味で「テンパった」よ。

分水嶺の土手を乗り越えて沢筋に降り着くと、道標リボンも段違いに増えてきて道に迷う心配は小さくなる。 それでも、行きに歩いた「林道建設の飯場ではないか?」と記した平坦な丘状の台地でも進路を見失いかけて迷って彷徨うのが、この筆者(タワケ)のクオリティの『主たる部分』である。
・で、最後の本沢を渡って、車を置く林道に戻り着く。 時間は12:30。 「JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹」での沢下りの所要時間は4時間半と、登る沢筋を間違えた時間ロスを差し引けば下手すりゃ行きの健常時より早かったりして。 まぁ、標準コースタイムは3時間半らしいけど。


何はともあれ・・ 何とか
〔名峰次選〕の最大の難関峰を踏破できました
ものスゲー代償に見舞われたケド・・

車に戻って、沢装備から「一応」列車に乗れる姿に着替えた後に、レンタカーを返すべく苫小牧に向かう。 途中で「背負う荷物を郵送で送って空身で帰ろう」と思いついて静内の郵便局に入るが、ここでも墓穴を掘ったよ。

シュラフやザック、着替え、雨具、食器と渡渉靴は受け入れてもらえたが、カメラ一式・ガスコンロ・燃料ボンベ、鍋と「本当に送りたかった重量物」は『危険物&壊れモノ』として郵送物受入れを拒絶されたのである。 これで、手提げ袋に入れたカメラ一式など重さ約10kgを提げて帰らねばならなくなったのである。 こんな事なら、背負えるザックの方が良かったかも・・である。

何とか車を16時前の予約終了時間ギリギリで返却し、『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』を見てもらうべく苫小牧市内の総合病院を当たる。 でも、15時でお終いだって。 
まぁ、世の中が総休暇の『盆休み』だから仕方ないか。 これで『判決確定』は、自宅に帰ってからの持ち越しとなった。

後は札幌で22時発の急行【はまなす】に乗って帰るだけだが、健常な身体なら札幌で打ち上げでもするのだが、この『JR北海道183系の如く火を噴いた脇腹』ではそれも叶わず、苫小牧近くのスーパー銭湯でフロに入り(浮力がついて気持ちよかった)、急行【はまなす】発車の30分前に札幌へ。

でも、「自由席は寝苦しくてイヤ」というヘタレ思考に慄いて、行きの時点で指定席買っといて良かったよ。 自由席なら立ち席で死ぬか、それを防ぐ為に2時間以上前から札幌に向かって『火の噴いた腹』で列車待ちで並ばねばならなかっただろうし。


傷ついた回送列車・・
帰路に向かうワテは真にこの状況だね
※ グーグル画像より拝借

さぁ、これより魚雷が炸裂して火を噴く脇腹で、先程に述べた重さ約10kgの手提げ袋を提げて列車を乗り継ぐ『荒行』が開始されるのである。 この荒行を実行した理由は、もちろん現在手に持つ『普通列車専用切符』を放棄してシンカンセンに乗る金を惜しんで・・である。 そして、この『荒行』のミッション最大の難関は、翌朝に通過する盛岡駅である。 この駅はシンカンセンのお陰で、見事に在来線が第三セクターの別会社として分断されているのだ。

それは、新幹線の開業以来別会社となって完全に改札口が隔離された『いわて銀河鉄道』の乗場より、階段を昇ってJRのコンコースに上がり、JRの改札を通って東北本線の在来線ホームに降りて接続する北上方面の普通列車に乗り継ぐのだが、この乗り継ぎは先着100名様位までが座席をゲットできるのである。
乗客は約120名位か。 従って、20数名が『残念』となるのである。

最初から戦意のない爺やん婆やんは別として・・というより、大抵の爺やん婆やんは『試合放棄』して新幹線に乗り込むので、「ほぼいない」といっていいだろう。 そして乗り継ぎ者の大半は、『普通列車線専用切符』使いの『鉄』なのである。 ワテのように、山登りに『普通列車専用切符』を使う奇特なのはいないだろうね。  

ここは、腹から火を噴いている関係上、何とか上位100位までには入りたいと目論む。
まぁ、敗者の20人の内のほとんどが2~3駅間の利用者なので、長距離乗車の『普通列車専用切符』使いでの敗者は、言葉を言い換えれば『Lost of Lost』、即ち『敗者の中の特別な敗者』と同様なのである。 例えれば、年賀状の『お年玉くじ』で3等・切手シートの当り、はたまた高校入試に落ちて高校浪人する位のアホと同等の敗者に相当するのである。←こういう事には必死となるタワケ(筆者)

そして、その乗り換え列車でのワテの対面には、重メタボスーツ・機種名『ニクジュ・ヴァン MarkⅡ』で身を完全武装した明らかに鉄オタな奴がいた。 もう首は特殊装甲でガードされて肩とつながり、首の攻撃耐性が著しく強化された新型『ニクジュ・ヴァン』の装着主であった。

また、背中には三脚を括りつけたザック型カメラバックを担ぎ、その肩バンドからはち切れんばかりの肉がはみ出していたのである。 これを目にして、ワテは思ったよ。 「この状態(脇腹ズンドコ状態)でも、コイツには勝てる!」と。

だが、いざ試合開始となると、この『ニクジュ・ヴァン』に追いつけない。 階段を昇る一歩一歩で、腹の太鼓が盛大に音頭を取ってくる。 昨日はこの状態で沢を下ってもさほど痛くなかったのに、今は許されるならのたうち回りたいほど痛い。 でも、駅コンコースでのたうち回ると『救急車沙汰→現地病院搬送→入院沙汰となると長期欠勤→ヤバイ』となるので精一杯堪える。 
骨折れたまま沢下ったのも、この一連のルーチンを回避する為だったのだから。

だが、諦める訳にはいかない。 いい展開に差し掛かるまで、この『ニクジュ・バァン』に着いていく。 そして予想通りに、この『ニクジュ・ヴァン』も後方好位置(即ち、ケツから数えて何番目・・って位置)につけていて、展開では最後の階段下りで一気に差し切るつもりだったが、階段下りは下から上に突き上げる『稲妻バージョン』に太鼓の音頭が変わって、さらに痛みが増して失速してしまったよ。

・・で、ついに、敗北。 座席を勝ち取った『ニクジュ・バァン』は、肩で勝利の祝いを奏でる息をしていた。 それはもう、マゾヒスティック的な息遣いであった。 その横で敗者は、同じくズンドコ鳴り響く腹の太鼓を沈める事(椅子に座って安静にする事)もできずに、苦悶のまま2時間半つり革・手すりのお世話となる。 長かったよ、骨折れたまま立つ列車の中での2時間半。 
この時に僅かながらあった体力的な自信は、木っ端微塵に打ち砕かれたのである。


拝啓 183系気動車様・・
笑いを取る為とはいえ、度重なる無礼をお赦し下さい

・・で、この後は、更に輪をかけて『オチャメ』を上塗りする「時刻表の読み間違い」も判明し、仙台から郡山まで禁断の果実・シンカンセンにも乗るハメとなって、根性出したのに・・、ヘタレが渾身の根性を出したのに・・、『オチャメ』の笑いを磨く結果に終わってしまったよ。 結局、山行前に立てた予定通りに行ったのは、東京・八重洲口からの高速バスの乗車のみだったし。

     ※ 詳細は、メインサイトより『日高山脈<5>』を御覧下さい。




























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