2015-09-09 (Wed)✎
名峰次選の山々 第118回 『118 ペテガリ岳』 その2 act 1 北海道
日高山系(日高山脈襟裳国定公園) 1736m コース難度 ★★★★ 体力度 ★★★★★
今回はオチャメったので
これがペテガリ岳の唯一まともな写真だったりする
これがペテガリ岳の唯一まともな写真だったりする
行程表 ※ 実際にかかった時間ですが何か? 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 浦河町・荻伏より車(1:00)→シュオマナイ沢渡渉点〔登山ルート始点〕
《1日目》 浦河町・荻伏より車(1:00)→シュオマナイ沢渡渉点〔登山ルート始点〕
(2:00)→標高680mの分水嶺となる峠(0:50)→ベッピリガイ沢出合
(0:50)→ペテガリ山荘
《2日目》 ペテガリ山荘(2:50)→1293m展望所(2:30)→1230mコル(2:10)→ペテガリ岳
(1:30)→1230mコル(2:30)→1293m展望所(2:30)→ペテガリ山荘
《3日目》 ペテガリ山荘(1:00)→ベッピリガイ沢出合(1:30)→標高680mの分水嶺となる峠
《2日目》 ペテガリ山荘(2:50)→1293m展望所(2:30)→1230mコル(2:10)→ペテガリ岳
(1:30)→1230mコル(2:30)→1293m展望所(2:30)→ペテガリ山荘
《3日目》 ペテガリ山荘(1:00)→ベッピリガイ沢出合(1:30)→標高680mの分水嶺となる峠
(2:00)→シュオマナイ沢渡渉点より元浦川林道を車(1:00)→浦河町・荻伏
《1日目》 シュオマナイ沢を遡ってペテガリ山荘へ
今回アタックする南日高・ペテガリ岳は、「遥かなる山」という別称を抱いている山だ。
それは、登頂する事が困難を極める事から・・、そしてそれが起因となって日高の山域を志す岳人にとっての「憧れの山」であるからだ。 そして、その「遥かなる山」は、道行政の無駄と怠慢によって更に登頂が困難な山となってしまったのだ。
それは、このペテガリ岳の登山起点となるペテガリ山荘に連なる『道道101号静内中札内線』・・いわゆる《中部日高横断道路》が政争の具となって工事中断凍結となってしまうという壮大なるムダを引き起こしたからである。
今回アタックする南日高・ペテガリ岳は、「遥かなる山」という別称を抱いている山だ。
それは、登頂する事が困難を極める事から・・、そしてそれが起因となって日高の山域を志す岳人にとっての「憧れの山」であるからだ。 そして、その「遥かなる山」は、道行政の無駄と怠慢によって更に登頂が困難な山となってしまったのだ。
それは、このペテガリ岳の登山起点となるペテガリ山荘に連なる『道道101号静内中札内線』・・いわゆる《中部日高横断道路》が政争の具となって工事中断凍結となってしまうという壮大なるムダを引き起こしたからである。
建設放棄された『日高横断道路』
左翼指向の歴代知事によって
無駄と国益毀損が繰り返されたのだ
左翼指向の歴代知事によって
無駄と国益毀損が繰り返されたのだ
多額の建設費を投じたこの道路の建設工事中断から工事凍結、そして道路そのものを放棄した事を一般道民に知られて批判を浴びる事を恐れた道行政は、「通行の危険がある」という理由付けでこの道路そのものを封鎖する処置を取ったのである。 要するに、一般利用者を締め出す事で政争の具となった失態を隠蔽したのである。
この事によってペテガリ山荘へ向かう道路が閉ざされ、代替手段として山向うの別系統の沢から分水嶺を越えてこの封鎖された林道に到達する方法が取られたのである。 そう・・、この事によって、沢遡行と泥炭層で構成された滑り易い分水嶺越えが必須となってしまったのである。
即ち、延々たる沢遡行と不明瞭で滑り易い泥炭層の急傾斜である分水嶺越え、そして林道歩きと、登山起点であるペテガリ山荘にたどり着くまでさえ一つの山を登る以上の苦難が待ち受けているのである。
シュオマナイ沢は最初に水流の多い本流沢を渡る
※ グーグル画像より拝借
※ グーグル画像より拝借
もちろんこの沢道中は、山荘で数日(最低2日間は必要)分の食糧と寝袋や雨具、そして登山靴と渡渉靴の2種類の靴を担ぎ運ばねばならないのである。 その上で、早朝日の出と共にに出発しても山荘に戻り着くのは日没前後という、「遥かなる山」の呼称通りのハード山行が待ち受けているのである。
だが、恐れ戦いているだけでは、永遠に「憧れの山」でしかないのである。 そう・・、『憧れ』は『夢』と違って、困難ではあるものの実現が可能な事なのだ。 今回は、実現に困難が伴う『憧れ』を己の力の限りで突破して、みなぎる『自信』と貴重な『体験』、そして『憧れ』を実現した高揚感を味わおうではないか。 それでは困難を克服する力強い意志を抱いて、この難関峰・ペテガリ岳に登ってみよう。
だが、恐れ戦いているだけでは、永遠に「憧れの山」でしかないのである。 そう・・、『憧れ』は『夢』と違って、困難ではあるものの実現が可能な事なのだ。 今回は、実現に困難が伴う『憧れ』を己の力の限りで突破して、みなぎる『自信』と貴重な『体験』、そして『憧れ』を実現した高揚感を味わおうではないか。 それでは困難を克服する力強い意志を抱いて、この難関峰・ペテガリ岳に登ってみよう。
さて、この登山ルートの起点となる《シュオマナイ沢渡渉点》は、海岸沿いにある国道や集落より約40kmも山奥に入った所にある。 従って、車は必須である。 要するに、海沿いの集落街から酪農の牧草地帯を越えて、道路が林道となってその行き止まりとなる所までの山奥に入っていかねばならないのである。
そして、この元浦川林道はかなりの悪路なのであるが、日高の『いぶし銀』たる峰に例えられる神威岳の登山やその登山基点として利用可能な神威山荘があり、またこのペテガリ岳の《シュオマナイ沢》へのアプローチ路である事から、登山目的の車が結構通行するのである。 だから、ダートの砂利がかなり掘られてより一層の悪路となる状況だ。
道床が掘られて窪み落ちて通常では通行不能に陥る所だが、どうやら日高支庁の観光課がブルトーザーでマメに道床を圧延しているようで、キャタピラの痕跡が長々と連なってるのが見られる。 また、片側が川に沿った崖上なので、この道の通行には細心の注意が必要だろう。 特に作業中のブルトーザーと遭遇したなら、離合はかなり困難となろう。
ペテガリ山荘へのルート・シュオマナイ沢への分岐
ちなみに右は神威山荘への道
ちなみに右は神威山荘への道
※ グーグル画像より拝借
さて、この林道を終点間際まで進んでいくと、神威岳登山の起点となる神威山荘への道と『行き止まり』に至る沢へ突っ込む道との分岐に差し当たる。 最も、「《シュオマナイ沢渡渉点》に至る沢へ突っ込む道」は文字通り沢で道が途切れる『行き止まり』である。 要するに、この約200m程の『行き止まり』区間が登山者の車の『駐車スペース』である。 切り返しのスペースと考慮すると、駐車可能台数は約10台位って所だろう。
ニシュオマイ沢~ペッピリガイ沢
分水嶺越えルート行程図
分水嶺越えルート行程図
車を止めて、渡渉靴に履き替えて出発する。 道が沢に阻まれて『行き止まり』になっているのだから、いきなり渡渉開始となる。 そして明日はペテガリ岳に登るのだから、登山靴はリュックの上に『積む』ようにパッキングせねばならない。 『荷』として歪な形の登山靴は荷の重心を高く不安定に仕向け、担ぎ心地を著しく悪くするのである。 そういう条件で沢の流れを遡わねばならないのだ。
林道は沢によって途切れている
こうして見るとかなりワイルドな光景ですね
※ グーグル画像より拝借
こうして見るとかなりワイルドな光景ですね
※ グーグル画像より拝借
その沢であるが、道を『行き止まり』にせしめた本沢を最初に渡る。 深さは膝の少し上くらいで、先程の「登山靴を積み上げた」ザックを担いだ身では結構流れに足を取られる。 沢を渡るのに気を取られて沢の写真を撮るの忘れたよ。 でも、帰りにJR北海道の特急車両キハ183系と同じハメとなる『オチャメ』をかましてしまったので、帰りも撮れなかったりしたのは藪の中に。
沢を渡ると再び砂利道が・・
もしかして林道延長計画でもあった!?
もしかして林道延長計画でもあった!?
※ グーグル画像より拝借
本沢を渡ると、本流に阻まれた林道のような砂利道が奥に延びているが、これはすぐに沢の伏流水が流れ込んで河床となる。 でも、この道床が河床となる光景は、「道を造る意志があった」事を端的に示している。 伏流水が流れ込んだこの道床を2~300m伝うと再び本沢の前に出て、これを渡って対岸の土手上に登る。
ここは「林道建設の飯場ではないか?」と思われる平坦な丘状の台地で、今は野草が群れる荒地だ。
まぁ、テント場としては使えるかも。 でも、スタート地点から近すぎてテント場としての価値はなさそうだが・・。
この飯場のような丘状の台地を縦断して、再び沢筋に戻る。 戻った沢筋は流木が多く、流れは流木が積み重なってでできた堰で分断されている。 この流木にルートを示す『ピンクリボン』が付けられて、ルートはこの流木を乗り越えていくようだ。 この流木の積み重なりを難儀しながら越えていくと、水量が程よく減じた本流沢に出る。 どうやら、沢の源頭が近づいてきたみたいだ。
なお、途中に高巻きの土手よじ登りを示すリボンがあり、その前にセブラロープで進入を阻んでいる所があるがこれは沢増水時の高巻き道であり、やや右に反れる沢筋を忠実に遡っていくのが正しいルートである。 この沢筋は岩溝状となって水流もこれを滑り落ちてくるので激しくなるが、よく見るとリボンがこの岩溝に沿ってつけられているので見落とさぬようにしよう。
この飯場のような丘状の台地を縦断して、再び沢筋に戻る。 戻った沢筋は流木が多く、流れは流木が積み重なってでできた堰で分断されている。 この流木にルートを示す『ピンクリボン』が付けられて、ルートはこの流木を乗り越えていくようだ。 この流木の積み重なりを難儀しながら越えていくと、水量が程よく減じた本流沢に出る。 どうやら、沢の源頭が近づいてきたみたいだ。
なお、途中に高巻きの土手よじ登りを示すリボンがあり、その前にセブラロープで進入を阻んでいる所があるがこれは沢増水時の高巻き道であり、やや右に反れる沢筋を忠実に遡っていくのが正しいルートである。 この沢筋は岩溝状となって水流もこれを滑り落ちてくるので激しくなるが、よく見るとリボンがこの岩溝に沿ってつけられているので見落とさぬようにしよう。
リボンが示すようにこの鉄砲水が流れ落ちるような岩溝を直接登っていく。 もう、胸の辺りにぶち当たる流水を撥ね退けて、突進するような感じて登っていく。 まぁ、幸いな事に、この岩溝の傾斜が階段状となっていて突進し易かったのであるが。
この岩溝をつめると、沢の流れはいくつもに分かれていって細くなってくる。 先程の岩溝での水との格闘が嘘のように水流が細くなって、渡渉靴がなくても濡れずにすむ位ととなっていく。
やがて、左にそれる本流沢から離れて枯れたヌタ沢となった支沢に入っていく。 ヌタ沢はそのまま分水嶺となる峠の高みにぶち当たるように続いていて、やがてこの土手のような峠をよじ登る段階になると水流は完全に枯れてしまう。
ここからは、ヌタヌタの粘土層の土手をノメリ上がっていく。 ゼブラロープの介助はあるが、重い荷を持っている現状ではそれだけでは足りない。 泥床に手をかけ足で蹴り込んで、文字通り「ノメリ」上っていく。 始めの予想では、これほど凄ましい・・とは思わなかったよ。 帰りの『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメ』を負った身では、真しやかに厳しかったよ。
分水嶺の上は樹林帯の草付きだ
ここまではピンクリボンが多い
ここまではピンクリボンが多い
この土手をノメリ上がると、樹林帯の草付の上に出る。 これが行程表で記した『標高680mの分水嶺となる峠』である。 峠の上は樹林が密集しており、ルートをこの樹林を縫うようにつけられているが、木々に道迷いを防止すべく数多くのビニールテープが巻かれてあるので、これを見落とさずに伝っていく。
木々に巻かれたビニールテープの示す通りに伝っていくと、峠の北西側の端に出る。 これより、峠を隔てて全く別の方向に流れるペッピリガイ沢支流の源頭に向かって下っていくのだが、こちらも粘土質のヌタヌタの土手崖下りである。 比べると、先程登った《シュオマナイ沢》側よりも急傾斜のようだ。 ゼブラロープも途中までしかなく、帰りの『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメを負った身』には地獄の仕打ちだったよ。
この急傾斜を滑り落ちぬように四つん這い(筆者で言う『伝家の宝刀』・《クマ下り》)で下っていくと、やがて流水が流れ込んできて沢下りとなる。 そのまま沢を30分程下っていくと、突然人の手の入った伐採地の草原が見えてくる。 沢より歩き良いこの伐採地の草原に上がって、沢を見ながら歩いていく。 草原には『神威山荘⇔ペテガリ山荘』と書かれた道標看板が、沢遡行の苦難を嘲笑うが如く「シレッ」と掲げられてあった。
ペッピリガイ沢を下ると
伐採地の草原に出る
この伐採地の草原はペッピリガイ沢の本流の広い河原の前で途切れて、ルートはこのペッピリガイ沢の本流を渡る。 まぁ、本流といっても広い河原で流れのほとんどが伏流水となっているので、河原の石を伝って難なく渡渉する事ができる。 この本流沢を渡ると、政争の具となって工事中断・放棄された《中部日高横断道路》の支道だ。
最後は建設放棄された高規格林道を4km伝う
もう十数年放置され荒れてきてはいるものの、十分車の通れる規格の砂利道だ。
これを4kmほど歩いていくと、鄙には稀な別荘と見まがうほどに立派なペテガリ山荘に着く。
山荘前の草原はキャンプ場を思わせるような自炊場があり、ペテガリ沢から導水した豊富な水場もある。 まぁ、来たルートと、これ程にミスマッチな立派な山荘は滅多にないだろうね。
この困難なアプローチに対して
ミスマッチも甚だしいペテガリ山荘
ミスマッチも甚だしいペテガリ山荘
明日は、「頂上まで登り6時間とも7時間・・」とも言われる西尾根ルートを伝ってのペテガリ岳アタックだ。 早朝できるだけ早く出発するべく、早めに就寝しよう。 そ・し・て・・、明日に『JR北海道のキハ183系と同じハメとなるオチャメ』が明らかとなる。
続きは、次回の『第119回 ペテガリ岳 その2 act 2』にて・・
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