風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰次選の山々 第117回  霞沢岳 その2

名峰次選の山々 第117回  『168 霞沢岳』 その2  〔長野県〕
常念山系(中部山岳国立公園) 2646m  コース難度 ★★★  体力度 ★★★


この山行は雨にたたられて
目的の山が左端に
僅かに写ったモノしか撮れなんだ

この峰に最初に挑んだのは、この年のゴールデンウイークだった。 そのゴールデンウイークでは〔名峰次選〕の未踏峰を3つ片付けるという、脳ミソ薔薇色の空想を抱いていた。 
・・が、その結果は、和名倉山は2度に及ぶ道の間違いで沈没、南アの広河内岳はそのあおりを受けて登る機会を逸して先送りとなった。

そして、この北アの霞沢岳も雪が深く《徳本峠》までしか行けず、しかもその《徳本峠》の山荘への道も間違えて(しかし・・、いくつ間違うんだ? このタワケ)直登してしまって、ジャンクションピークの肩に登ってしまう『オチャメ』をかましてしまったよ。 まぁ、和名倉山を始めとするハード『オチャメ』よりかなりウェィトが軽い(何が軽いの?)ので、ワテ的には『オチャメ』シリーズには挙げなかったけど。

霞沢岳も遠かった
この年のゴールデンウイークは総崩れだったよ

明神岳の鉾を従える
穂高随一の鋭鋒・前穂高岳


奥穂高やジャンダルムは
完全に白銀に覆われていた


前穂から奥穂、ジャンダルム、天狗ノコル、西穂、独標・・
全てが朝日を浴びて白銀に輝いて




霞沢岳登山ルート 行程図

   行程記録              駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 沢渡駐車場よりバス(0:35)→上高地バスターミナル(0:50)→明神
     (2:20)→徳本峠小屋
      ※ ちなみに、積雪期は道を間違ったとはいえ、徳本峠小屋まで5時間かかってたりして・・
《2日目》 徳本峠小屋(1:00)→ジャンクションピーク(0:40)→小湿地(2:30)→K1ピーク
     (0:20)→K2ピーク(0:20)→霞沢岳(0:40)→K1ピーク(2:10)→ジャンクションピーク 
     (0:45)→徳本峠小屋(1:40)→明神(0:50)→上高地
     上高地バスターミナルより※バス(0:35)→沢渡駐車場
    ※ 恐らく上高地到着は最終バスが発車した後なので、
     上高地で宿泊して翌朝の始発のバス便に乗る


背後にずっと穂高連峰がそびえる
徳本峠への登り

  《1日目》 上高地より徳本峠へ
「念願成就への試練」といいますか、残り一桁となってからの〔名峰次選〕踏破山行も、毎回の如く『大バテ』or『遭難フラグ』な目に遭ってるね。 もはや、『無訓練山行』が通用しないまでに過去の『貯金』を使い果たしてしまったか。 でも、そうこういってる割には順調に減ってきてはいるね。
偏に、『踏まれて腸が飛び出ても這いずるゴキブリ』のような悪足掻きと、生まれ持った『悪運』がモノを言ってるのだろうか・・。 それでは、北アルプス最後の〔名峰次選〕に登ってみましょうか。

霞沢岳は「北アにしてはギビしい峰」と云われるが、やはり我が国で最も岳人に人気のある《北アルプス》の山である。 アプローチと山中の宿泊施設は、まず問題なくクリアーできる。 ともすれば、初日のアプローチ日は時間が余って仕方がない位である。

上高地までの道が混むので、夜半に上高地の沢渡に着いて仮眠して、翌朝7時半の便で8時に上高地に着く。 このタイムスケジュールは、到底山に登るタイムスケジュールではないよな。
こんなにノタクタしても、昼前後には徳本峠に着く。


上高地も黒点(観光客)さえ入れなきゃ
写真として見れますね

明神までの散策路は退屈以外の何物でもないし、明神からも雪が消えて夏の正規の登山道が現れており、それを通る。 それは完璧に整備された道で、積雪期に直登していった沢は全く通らない。
そして、積雪期には雪渓を直登して稼いでいた標高差は、キチンとジグザグが切られていて苦も無く登っていける。

たぶん、『無訓練山行』というナメたマネに終始するこのタワケが装備一式担いでいても、《徳本峠》まで2時間を切った(1分だけだが、確かに切ったよ)位だ。 そうこうして、正午前には徳本峠小屋前のテント場に着く。


徳本峠道標と
素朴な造りの徳本峠小屋

でも、久しぶりだなぁ。 テント場一番乗りの『設営場所選び放題』の特典付は・・。 最近はいつもヘバってしまって遅く着いて、埋まった石が突出する「あな悪し」な場所しか空いてないケースが殆んどだったし。 後は暑いので設営したテントの外で涼みつつ、徳本峠から眺める槍・穂高の峰々を撮って一日を終える。 明日は、霞沢岳往復と上高地下山のロングランだ。


暮れゆく空と穂高連峰
「この天気なら明日も安心でしょう」と思うよね


 駄菓子菓子! 夕暮れが暮れゆく毎に


モアモアと湧き立つ雨雲が・・




・・で、翌日は朝からこんな・・でした

  《2日目》 雨の霞沢岳へ
翌朝目覚めると、あれだけ晴れていた昨日と打って変わって、重苦しい曇天だった。 
当然、槍・穂高の朝景もナシだ。 小屋の建つ鞍部より小高い丘を越えてジャンクションピークへ取り付く。 雪渓を直登してしまったゴールデンウイークの時は、この辺りに登り着いたのである。 ここよりジャンクションピークまで、標高差300mの急登だ。

でも夏道は適度につづら折りが設けられて、「這い上がる」ような苦労は皆無だ。 まだ出発して間もなくで余裕があるのか、それとも荷物をテントにデポっての空身だからなのか、この登りを1時間を切るペースで乗り切る。

このジャンクションピークの標高は2428m。 「池口岳より高いのね」などと調子漕いでいたのもここまでで、これよりは『時の涙を見るモード』にモード変換されていく。

まずは、地図に《小湿地》とあった所の通過であるが、これが思ったより歩き難く、そしてヤケに長く感じた。 なぜなら、曇天から小雨模様へと天気が悪化して、《小湿地》のぬかるみが余計にヌタヌタとなってきたのと、更に湿気が高まって蒸し暑く不快な状況となったからである。


迷彩となったゼブラロープなんか撮ってないし
ヨシ! 花で取り繕るとするか

湿気による汗で不快感を増してこの《小湿地》を抜けるが、今度は更に不快感を増す状況に出くわす事になる。 
進路が突然不明瞭となったのである。 それは進路は一つしかないのに、ゼブラロープでその進路が塞がれていたのである。

その先は土砂崩れを起こした崖間際のブッシュとなっていてブッシュをつかんでヘツる事は可能そうだが、そのゼブラロープはその土砂崩れへの進入を制止しているようにも取る事ができたのである。
だが、進路と思しきモノは、このゼブラロープを掻い潜った先しか見当たらなかったのである。
つまり、このゼブラロープは、進路を惑わせる『迷彩』となっていたのである。

進路が判らずウロウロするワテに続いて遅れて来た3名がやってきて、4人揃って『進路の相談』となる。 一人は「ここまで進んで来た『道』自体が間違いだ」と「引き返して道を探す」事を主張し、もう一人は「ゼブラロープを掻い潜ってブッシュをつかんで崖崩れをヘツる」を主張し、残る一人は「周囲のブッシュに道が隠されている」と考えて「周囲のブッシュの強行突破」を提案したのだった。


白い花と黄色の花で
『ゼブラロープ』を暗示しております

取り敢えず、全ての案を一つづつ潰す事にする。 まずは「引き返し」案であるが、10分位戻っても分岐らしきモノは全く見当たらない『一本道』だったのである。 これで「引き返し」案は却下。
2つめの「周囲のブッシュに道が隠されている」だが、今日とて霞沢岳を目指す多くの人が通過している現状から「道が隠されている」ってのはどうも考え難いので却下。

となると「ロープを掻い潜る」以外にはなく、試しにワテがブッシュを手繰って土砂崩れ崖をヘツってみる。 だが、土砂崩れ帯を越えたその先もブッシュで行き詰っていたのである。 これを待つ3人に報告する。

これで本当に行き詰ったのである。 そのまま30分程過ぎた時、夜明け前から出発した先行トップの登山者が先程行き詰った土砂崩れ帯の先のブッシュの上に現れたのである。 
これで答えは解った。
このゼブラロープを掻い潜り、ブッシュをつかみながら土砂崩れ帯をヘツって、ぶち当たったブッシュを強行突破すると再び道が現れる・・というのが進路のようである。

しかし、北アの上高地界隈の山で、こんなに迷彩のかかった登山道が存在するとは思わなんだよ。
結局これで、約1時間チョイの時間が無駄となってしまったのである。 
この道の不明瞭で1時間以上ロスしたお陰で、帰りにオチャメな目をせねばならぬようになっちまったよ。 まぁ、その内容は話が進む上で語るとしよう。


ゼブラローブによる迷彩の後は
蒸し暑い草付きの急登だった

この思いっきりの時間ロスを経ると、道はかなりキツい上り坂となっていく。 ワテを含めた『道に迷った4人』は運命共同体となったのか暗黙の了解で一緒に登っていくようになったのだが、ワテより武装強化した『ニクジュ・バァンneo』な御仁にはこの急坂はかなりコタえていたようである。 で、この方を待つべく、更に時間をロスする。 この草付の急坂を越えると、今度はガレたルンゼ状の急坂となる。

このルンゼのガレ坂は浮石が多く、そして折からの小雨で足場がヌチャヌチャになった上に泥が石に乗って滑りやすくなっていて厄介だ。 それに加えて道迷いで1時間ロスッた為か、霞沢岳から戻って下山に取り掛かる先行の一団とすれ違う事となる。 狭いルンゼの滑りやすい悪場でのすれ違いは、更に時間を食うのである。 すれ違い待ちや下りてくる者が落とす落石でかなり時間をロスしてしまって、先程遅れ始めた『ニクジュ・バァンneo』な方はいつの間にか追いついていたようである。


転がる巨石にペンキで
『K1』とぞんざいに書かれたK1ピーク

下山の一団をやり過ごした頃に漸くこの急坂を登りつめ、稜線上のピークの《K1ピーク》に登り着く。
ここからは稜線を伝っての岩場の登降となるが、この岩場は「鎖は要らないレペルだが、トラバースの技術は多少必要」なレベルで、キツいルンゼを登りつめてヘバってきた身体にはなかなかコタえる登降だ。
地図ではコースタイムで『頂上まで25分』とあるが、絶対に30分以上かかるよ・・コレ。
そう、今のワテが、かつて『奇跡の体力』では無い事を割り引いたとしても・・である。

頂上直下のお花畑より

ハクサンイチゲ

しかも、稜線上のもう一つのピーク《K2ピーク》を越えたあたりから、空が急に『大泣き』をし始めた。 バケツをひっくり返したような猛烈な豪雨に襲われたのである。 もう、呼吸をするべく口を開ければ、雨水が飲み水の如く入ってくる。 でも、鼻呼吸をするものなら、雨水が鼻から入り込んで咽てしまう。 そう、溺れた時と同じ状況となるのだ。


キバナシャクナゲ

これがずっと続くと流石にヤバかったが、この『バケツ豪雨』は10分程で通常な雨に収まり、最後は頂上直下のお花畑を愛でる余裕さえできた。 でも、通常より2時間近く遅れていて、事実上は「頂上直下のお花畑を愛でる余裕」ではなく「もうヤケクソになってる」と言う方が正解だろう。

この「通常より2時間遅れている」というのは元からノーテンキな筆者は別として、真面目な方にとってはかなりのストレスとなるのだ。 なぜなら、土日の休日を使って登りに来ている登山者は、『ごく一部の拠所ない事情』に陥った者(若き日のタワケな筆者は、夏のシーズンがやってくると自ら進んでこの状態になってたりして)を除いて明日は出勤日なので、最終バスの発車時刻までに上高地のバスターミナルに戻り着いていなければならないからだ。


アオノツガザクラ

そこに、上高地発の最終バスに乗る事が絶望的な「2時間の遅れ」は、真面目な人にとっては心を掻きむしられるようなストレスとなるからである。 駄菓子菓子 だがしかし! 筆者は同じく明日は出勤の身でありながら、「最終バスに乗れなければ、貧民労働者の権利『有給』を使えばいいんじゃネ!?」という無責任体質の持ち主であったのである。


ウサギギクかな?

現にこの時は「夜行列車があるさ」と余裕を決め込んでダラダラと下り、下山した駅で災害によって戻る事が可能な列車の運休を知らされて『詰み』=『サボリ確定』となったロクデナシな奴なのである。
その『ロクデナシ』体質を満開にしてにして、雨の中脇目も振らずにお花畑の撮影に入れ込むタワケであった。 ハクサンイチゲ・シナノキンバイ・アオノツガザクラ・キバナシャクナゲと、北アの山にしては豊富な花の園であった。


頂上直下は北アの山には稀な
同種の花の群落を成すお花畑となっていた

道に迷って時間をロスって『運命共同体』となった皆さん・・ ん!? 御三方ともむいなくなってるよ。
どうやらこの御三方、ワテがノーテンキに花の撮影に勤しんでいた間に頂上にタッチして、上高地の最終バスを追っかけるべく急いで下山したようだ。 残されたワテは、この御三方より遅れる事10分位でお花畑の丘を周り込むような判り難い位置にある霞沢岳 2646メートル の頂上にたどり着く。


北アの山では特異なほどに粗末な
霞沢岳頂上標

霞沢岳の頂上はお花畑の草付の丘の上にある小さなサークルで、頂上を示す頂上標はプラカードが差してあるだけの北アの山では『特異』な部類の貧祖な頂上風景だ。 そして、先程の「バケツをひっくり返した」ではないものの、シトシトと降り続く侘しい情景であった。


霞沢岳の頂上では
こういうのを期待したのだが
雨とドス雲の世界だった

まぁ、この山の『ウリ』は対峙してそびえる穂高連峰の雄姿を望む事だから、雨でそれがなければ侘しさだけが漂うのである。 その侘しき風情のたたずむ頂上で足を投げ出して「雨の中のひととき」をたたずんだなら、「最終バスに乗る」という無駄な足掻きはやめて、いつもの如くダラダラと下っていく事にしよう。

ゆっくりダラダラと降りていくが、帰りの道中で「駄菓子菓子!」な事が起ったよ。
それは、上高地の最終バスに乗るべく先行した御三方に例の迷彩のかかった『謎のゼブラローブ』の辺りで追いつき、ジャンクションピークの登り返しでは、何とこの御三方を「ブッちぎって」しまったよ。 


『奇跡の体力』限定復活か?
御三方ごぼう抜きで登り着いたよ

まぁ、この2ヶ月で和名倉山、女峰山、南アの池口岳とこなしているから、多少体力が着いていたのかもしれない。 でも、あの黄金の『奇跡の体力』には遠く及ばないのだが。 その上機嫌な気分を取り成すかのように、ジャンクションピークの辺りでは晴れてきて松本側の展望が開けて来たよ。


さっきからの雨雲が
さっと去ってゆき

そして、ジャンクションピークの下りを終えて徳本峠上の展望台に戻り着くと、視界には「今頃遅いわ(怒)!」の雨上がりの晴天となった空の下で槍穂高の山屏風が展開していたのであった。
『奇跡の体力』がメタボッティに変わって愚痴が多くなったタワケは、この状況を喜びながらもブツブツと『ブツブツ念じ』を唱えながらカメラ片手にシャッターを切りまくる。


一言喚かせて下さい
オイ! 今頃良くなるなよ!

そう・・この時に例の御三方は、カメラのシャッターを切りながら『ブツブツ念じる』タワケの脇をすり抜けていたのである。 そうなのだ・・、ワテもこの御三方のように真面目に脇目も振れずに上高地の最終バスにターゲットを絞っていたなら、きっと乗れたのだろうね。


『ブツブツ念じ』を唱えるその甘い脇を
御三方に差し返されたよ

・・で、満足がいく程にシャッターを切って『ブツブツ念じ』を唱え終わったなら、徳本峠のテント場に戻る。 あぁ・・、これからテント撤収せなアカンしィ。 先程の『ブツブツ念じ』とこのテント撤収で、上高地最終バスは完全に『詰み』となったようである。

「しかし・・ 何故にこのタワケはここまで余裕ブッ漕いでいるのだろうか?」と訝るだろうが、この時のタワケには、ノーテンキな錯誤があったのである。 それは、「もうシーズンに入ったのだから、乗り遅れ対策で夜の8時位までバスはあるかも」という、御都合主義満開の薔薇色に膿んだ脳ミソが抱く思い込みである。

結局、テントを撤収して徳本峠を発ったのが16:30頃、道は整備されて歩き良く、筆者特有の『下り時の(大いなる)掛かり気味』も症状が現れずにスムーズに下っていったものの、明神に着いたのは18時の少し前であった。 いつもはハイカーがタカッている明神の山荘前のテラスは、今は全くもって誰もいない。 この状況を目にしてはさすがにノーテンキなタワケでも、先程の「夜の8時位までバスはあるかも」というのが薔薇色に膿んだ妄想である事を悟ったのであった。

「もう、完全に詰みだ」と観念して、腹も空いたので明神の山荘でうどんを食って、更に遅れる。
でも、『遭難フラグ』を立ててしまった時と同じく、『詰んだ』状況に陥ると何故か落ち着くんだよねぇ~、このタワケは。 『詰まない』ように足掻くのが普通の人の思考なのであるが、このタワケは全く逆なのである。 うどんを食ってから再び上高地の遊歩道を歩き始めたのが日没直前。 上高地に入る頃にはカンテラを出さねばならなくなったりして。


日没直前はここで迎えればよかったかな?

・・で、着いた上高地は当然にバスは18時が最終で、あれ程ウザい位に人が群れてるこの地帯が閉鎖されたテーマパークの如く人っ子一人いない。 こうして、上高地での夜明かしが確定したのであった。
これが、迷彩ゼブラロープに遭遇した時に「話が進む上で語るとしよう」と述べた『オチャメ』である。

上高地での『オチャメ』が確定したのであるが、この手の『オチャメ』は金を出して周囲の旅館に飛び込めば解決するのだが、この時のタワケは帰りのガソリン代と高速代でカツカツの持ち合わせしかなかったのである(バスは往復券購入)。

で、テント場を見ても、もう受付は終了していたようであった。 もう仕方ないので、上高地のビジターセンターの休憩コーナーの床の上にシュラフ敷いてゴロ寝する事にした。 でもコレって、上高地の巡視員に見つかったら『詰所送り』モノだろうね。 だから、心なしかベンチ椅子に隠れる位置にマットを敷いて身を縮め気味にしてたよ、反射的に。

で、グッスリと寝て、朝の5時に旅館に泊まった登山客を装いつつ、朝の始発バスに乗る。
でもバスの始発は7時とかなり遅いね。 上高地の時計は、周囲の旅館に合わせているみたいだね。 

   ※ 詳細は、メインサイトの『撮影旅行記』より、
      『名峰次選 アルプス八千尺制圧作戦!?』の『霞沢岳』を御覧下さい。


































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