風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰次選の山々 第116回  池口岳 その2

名峰次選の山々 第116回 『183 池口岳』 その2 〔長野県・静岡県〕 赤石南嶺 2392m 
(南アルプス国立公園) コース難度 ★★★  体力度 ★★★★


黒薙の大崩壊地から望む
双耳峰・池口岳

「道を2回も間違える」やら「廃道然の道をルートに選ぶ」という『死亡フラグ』につながりかねないオチャメをかましながらも、『二峰踏破』というまずまずの結果に慢心となった筆者は、残る峰で北海道のペテガリに次ぐ難関峰にリトライを目論む。 それは山中に小屋はなくテント必須で、しかも水場がなくて生活水を持参せねばならない南ア・赤石南嶺の池口岳の踏破である。




池口岳登山ルート 行程図

    行程記録              駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 『道の駅・遠山郷』より車(0:35)→池口岳登山口(2:40)→黒薙
     (1:30)→ザラ薙の頭(0:10)→ザラ薙平〔露営地〕
《2日目》 ザラ薙平〔露営地〕(1:30)→加加森山ジャンクション(0:40)→池口岳(北峰)
     (2:00)→ザラ薙平〔露営地〕(1:20)→黒薙(2:00)→池口岳登山口より車
     (0:35)→『道の駅・遠山郷』


南アルプスの更に奥深く
豊かな緑に囲まれた秘峰へ

  《1日目》 チロルの里よりザラ薙平露営地へ
前日は、登山口の最寄りの道の駅である『遠山郷』で仮眠する事にしよう。 この『道の駅』は、温泉クアハウスのある「使える」道の駅だ。 ここで行動水の補給など、登山の下準備をして出発。
『道の駅』から《フォッサマグナ縦貫酷道》のR152を行くが、かつて『日本のチロル村』と云われた旧上村(現在は飯田市に編入)地域を行くので、『道の駅』を出てからほんの1km足らずで離合困難の狭隘道路となる。

この地域にとっては《フォッサマグナ酷道》のR152よりも、阿南町方面から延びてR152と交差する《日本三大酷道》のR418の方がメイン道路のようである。 まぁ、R418とて、「落ちたら死ぬ!!」の看板で名を馳せるが如く胡散臭さは同等なれど。

そのR152で遠山郷の集落を見下ろすまでに坂を上り、その上りきった所にある1日2本ほどのバス停の前に60°の鋭角の細い曲がり角(遠山郷からだと切り返しをせねば曲がれない)がある。 
これが池集落から池口林道への入る道のようである。 後は、かなり状態の悪い林道を20分ほど詰めると『登山口モドキ』な所に出る。
 
さて、先程に『登山道モドキ』と記したが、周囲を見渡すとこれ以外に登山口はなさそうな位の登山口だった。 頼りないハシゴ階段で土手を登ると、その上に『池口岳登山口』と記された丸太ポールが立っていたし。 まぁ、車の運転席目線だと樹に隠れて見えなかったけど。

車を3台ほど駐車できる小荒地(地面はボコボコに穴が開き、駐車適地とはお世辞にも言えない)の端に車を止め、放置されたトイレで小用を足してから登山開始。 道は予想に反して明快な一本道で続いていて、登りの傾斜度もそれ程にキツくなかった。 まぁ、傾斜が緩い分、頂上までの距離が長いのだろう。

登りが思ったよりキツくないとはいえ、水の入手が難しいので1泊2日の山行を凌ぐ分の水を担ぎ上げねばならないのである。 その水の量は3.5リットル=3.5kgで、水をを含めた荷の重さは23.5kgに達しているのである。 ワテの限界点は25kg(この重量を超えると、身体が拒絶反応を起こす)なので、これを超えないように山行前のパッキングに腐心したのである。

それはもう衣服をカットしたり、食料も軽いパンを選択したり・・と、足掻きまくるのである。
それでも、写真『床』(写真界を席巻するのが写真『家』、その底辺をナメクジのように這いずり回る『床』がワテ)を自負する『カメラ野郎』なので、望遠レンズは持っていったよ。

道は判り易く明快な一本道で、道標のリボンも完備していた。 こんなマイナーな山で道標リボンが『花ざかり』とは、この様子では結構ワテのような『ナンチャッテ』な山ノボラーも多く来るのだろうな。
この山でトラブルに巻き込まれたら、初心者ならヤバいよ。 まぁワテは、数々のオチャメ体験があるのでシブトい(このシブとさを称して『ゴキブリ並の生命力』と云われている)けれど。


森の中の一本道を抜けると
歓声を上げたくなるような
明るい草原地帯に出る

森の中の一本道を伝っていくと、徐々に傾斜が増していく。 やがて森林帯を抜け出たのか、周囲は明るい草原地帯になっていく。 黒薙の頂上付近まで登りつめたようだ。 思えば、この山行で最も恵まれた環境の中を過ごした時間帯なのかも。 その通り、これより徐々に雲が漂い始めて、最後は『オチャメ』となる事をこのタワケ(筆者)は知る由もない・・のである。


遥かなる双耳峰・池口岳とスカイライン
これが今回の一番星かも

この日差しに輝いて眩いばかりのライトグリーンの草原帯を詰めると、稜線上に出る。 稜線上から望むと見事なまでの非対称な山で、尾根筋の東側は完全無欠に大崩れを起こした薙となっていた。 もちろん、草一つ生えない不毛の薙で、転げ落ちたら底まで行ってしまうだろうな。


標高1837mの黒薙の源頭から
1000m以上の薙を魅せる
黒薙の大崩落

そしてその薙の向う側に、逆光に黒光りした池口岳の主峰がそびえたっている。 「まだまだ遠いなぁ」と、汗を拭きつつカメラを取り出してひと休み。 この山行で最も充実したひとときであった。
明日にここで『オチャメ』な目に遭う事は、素晴らしい山岳風景に酔っているタワケには知る由もなかった。


視界に入る山の名が
指摘できぬ程に深い山域なのだ
この赤石南嶺は・・

この東側が薙落ちた尾根上を200mほど伝うと、少し草地側に入って黒薙 1837メートル の頂上サークルにたどり着く。 頂上サークル上は樹木に覆われていて、展望は先程の薙となって切れ落ちた尾根上の方が断然良い。 薙った尾根上で思う存分に身体を伸ばしたので、ここはほとんど休憩も取らずに先に進む。


左側は鬱蒼とした森
右側は1000mを越える
大薙の崩壊地形を魅せる黒薙頂上

ここまで信じられない事に、コースタイムの3時間を20分もアンダーでやってきている。 「余裕があるので、少しゆっくりと行こうか」と余裕をかますと、途端に足が遅くなったりして。 ある珍しい植物を撮る為に幾度となく立ち止まったとはいえ、次の《ザラ薙平ノ頭》までの1:10のコースタイムを30分もオーバーしちまったよ。

その『ある珍しい植物』とは、ギョリンソウである。 茎から花弁からの全てが透き通った白を魅せていて、怪しい雰囲気満点の植物だ。 まぁ、厳密にいえば菌根を形成する腐生植物で、花というより茸に近いかもしれない。 これを撮るのに、これまた熱中したのである。

それは樹木の隙間よりの木漏れ日に当たって銀色に輝く、この怪しい植物に魅せられたからだ。
背丈が10cm程で、しかもジメっぽい土床からムーミンに出てくる『ニョロニョロ』のように生えているので、荷物を下ろして胡坐をかいて・・でないと撮りきれないのである。 もちろん、マクロレンズ装着で撮る瞬間は『息を止めて』である。 その戦果は以下の掲載写真をごろうじろ。


単体だと「不気味なコマクサ」
と言った所か


群れるとムーミン谷の
ニョロニョロを連想させるね


もはや植物ではなく生物なのかも
不可思議な物体
ギョリンソウ

・・で、黒薙よりザラ薙平までのスパンを乗り越え、ほとんど森の中に真新しい看板の立つ《ザラ薙平ノ頭》に着く。 時間は12:40。 23.5kgを担いで登山口から4時間チョイは、今のヘタレには奇跡である。

《ザラ薙平ノ頭》の頂上より少し先に進むと樹林帯を抜け出して、西側が草付で東側がこれまた大きく切れ落ちた薙の尾根上を歩く。 でも、登山道=歩行トレースが薙の縁にピッタリと着くなど、登山者の多い人気の山岳コースでは有得ないデンジャラスさがあるね。 やはり、マイナーな山だからなのだろうね。


味わい深い
ザラ薙平からの眺め

これよりは尾根の西側に広がる草原帯を見渡して、幕営適地を選定する『仕事』をせねばならない。
出発前に見たガイド本では「《ザラ薙平》は草原地帯で幕営適地である」と記されてあったが、見た感じそんなに草原ぽくなかったのである。 ただの草付。 ガイド本を見て「山上大草原での夢の一夜」を想像していたので、少し期待外れであった。


テント場となるザラ薙平の草原

10分程降りてトレースが薙の縁から少し内側に入ると、ちょっと雰囲気のよさそうな木々に囲まれた草原帯があり、そこを今夜の宿地と決める。 時間は12:56。 23kgを担いだにしては、好タイムでないかい!? でも、こんな完全無欠に何もない所にテントを張るのは久しぶりだねぇ。
 
記憶を辿ると、南アの蝙蝠岳を攻めた時に《北俣岳分岐》で幕営して以来か。 いや、あの時は他に一張りあったので、完全無欠は日高の《七ッ沼カール》以来12年ぶりだね。 12年ぶり・・という事は、最盛期に近かった頃だね。 「・・ってぇと、今回の水運びのワザは最盛期のワテに通ずる大ワザだったのね」と、無意味に気が大きくなって誇らしげな気分になる頭が花札の『ボタンと蝶々』状態のワテであった。

昼飯に菓子パンを食って、テントの中でひと眠り。 あぁ・・、早く着くと、こんなキツイ山域でも、こんな余裕を持つ事ができるんだね。 先程も記した通り、周囲は『草原』というには物足りないし、薙となっている南方は完璧な崩壊地形だし、山は隠れて眺望は今イチで寝る以外にする事ないのだが。
明日は、いよいよ難関峰の池口岳を踏破する。




山の南面全体が
薙となって崩落している
池口岳・南峰

  《2日目》 池口岳往復と下山
翌朝、4時に目覚める。 昼寝したのに、良く寝れた。 朝飯は持ってきたコンビニおにぎりで済ませて、5時過ぎには出発。 今日の行程は、頂上まで上りの所要2時間半の池口岳往復に加えてそのままイッキに下山と、『目標達成の為の鍛錬や努力は一切ナシ』のタワケ野郎にはかなりハードルの高い内容である。 そして、その『高いハードル』に追い打ちをかけるように、お天気もグズつき気味だ。

さて、ルートは明瞭な一本道なれど、所々に倒木が転がる微妙な内容だ。 
これまでに幾度となく、最近ではほんの2ヶ月程前に道迷いで連続『遭難フラグ』をおっ立てたワテとしては、多少通り難くても間違い様のない『一本道』の方が好ましいのである。 総じて言えば、山小屋皆無で水場もないマイナーな山域にしては登山道の状況は優良である。

岩が割と敷き詰められて歩き易い樹林帯を抜けると、いよいよ池口岳のある南アの深南領域の稜線から派生する尾根の上に出る。 この尾根は両側がすっぱりと切れ落ちた痩せ尾根で、深南嶺の稜線までボコッボコッとコブ峰を2つ持ち上げて連なっている。 もちろん、痩せ尾根なので巻き道などはなく、このコブの頭を忠実に踏み越えていかねばならない。 右手はザラ薙ぎの崩壊地形、左手は深い針葉樹林の崖と、結構高度感のあるこのコブ尾根を伝い登っていく。


痩せ尾根のコブから
薙の崩壊側を見る

尾根上の登山道は右手の「落ちたらヤバい」ザラ薙の崩壊地形をできるだけ避けるように付けられていて、いよいよ通過が難しくなっていくと左手に張り出した針葉樹林の幹に巻きつけられたゼブラロープを手繰って、コブ尾根の岩塊を左から巻くように越えているようだ。 森林のある左手は、木の幹や枝など手足の『取っ掛かり』が多数あるので当然だろう。 でも、尾根コブの岩塊を左巻きに巻くと、ゼブラロープ片手の懸垂下降となるのは、どう見ても一般の山の登山道ではないわなぁ。


ゼブラロープ片手の懸垂下降
一般登山道でない証

・・で、尾根上に見える2つのコブ尾根を「左に巻き付いてゼブラロープで懸垂下降」で越えると、程なくコミカルな文字で『J・P ジャンクションピーク』と書かれた木の道標が巻きつけられた大木が現れる。 どうやら、ここが《加賀森山ジャンクションピーク》のようである。


稜線上への入口
加賀森ジャンクションピーク

《ジャンクションピーク》と言うからには稜線上に出た事を意味するのであろうが、周囲は視界の全くない針葉樹林の森の中で、この山が森林限界より標高の低い山である事を周囲の情景が証明しているようだ。 《ジャンクションピーク》から稜線に上がると、痩せ尾根では右手に見えていたザラ薙の崩壊地形の源頭部を巻くように伝っていく。 一方、稜線の静岡県側は緩やかな草原地形が広がり、浸食によって露骨な非対称地形となっているようだ。


エーデルワイスの別名がある
タカネウスユキソウ

この辺りから、チラホラと花も現れ出してくる。 エーデルワイスのウスユキソウ、ハクサンフウロ、ゴゼンタチバナなどが、崩壊地の源頭部にひっそりと隠れ咲きしている。 これは身を乗り出し気味にせねば撮りづらいが、あまり乗り出し過ぎると薙ぎの崩壊地に転がり落ちて標高差1000m真っ逆さま・・となるので注意しよう。


でも咲いている所は
こんな風にデンジャラス

冗談めかしに記したが、麓まで落ち込む大崩壊地はけっこうそそるモノがあるし、花も崖の岩に隠れ気味に咲いているので、撮影には危険が伴う事は留意頂きたい。

ザラ薙の源頭部の上にあるキレット状の痩せた鞍部を越えると、一転して広い草付きの中に出る。
その草付きの中を斜めに緩やかに登りつめていくと、4等三角点のある池口岳の頂上に着く。
頂上には南アの中央盟主の峰々の頂上にある『頂上標柱』がなく、木に『池口岳』と書かれた板切れかず巻きつけられただけの寂しい頂上風景である。


池口岳の頂上標
貧祖な頂上標が
この山域のマイナーさを物語る

もちろん、ワテ以外に誰一人としていない無人の山頂である。 これを目にして、この山域が『南ア』を名乗りながらも、あまり人の寄り付かないマイナーな山域である事を実感したよ。

頂上からの眺望であるが、頂上は適度にスペースがあるものの、周囲は木々が遮って眺望はあまり宜しくない。 だが、双耳峰である池口岳の南峰方向へ50m程出ると、池口岳の南峰がデンと立ちはばかっていて壮観だ。 また、池口岳名物の薙の大崩壊も見事に均一された傾斜で、イッキに頂上から麓まで1300mを落としている。


南峰への1時間半は
今のメタボッティでは無理だな

遠くの静岡側にそびえる山々は、登頂が困難極まる存在なのをひた隠すべく、穏やかな山容を魅せていた。 このまま進んで南峰も踏みたい所だが、タイムオーバーになる恐れに加えて、そもそもに今置かれた立場が現役から退化したメタボーマンである事実は如何ともし難く断念と相成った。 あぁ・・、奇跡の体力があった時は行けたんだろうなぁ、南峰までの往復1時間半。

さて、下りであるが、あの厄介な痩せ尾根の岩峰からの懸垂下降は、下山時には逆に上りとなるので通過は格段に楽となる。 難関峰の頂上を極めた達成感も加わって、上機嫌でザラ薙の源頭部に咲くエーデルワイスを撮りつつ下っていく。

まぁ、和名倉山の道ロストから始まって、徳本峠の雪山(ぢ・つ・わ・・、雪が深くて霞沢岳に行けなかったの)、和名倉山リベンジ、女峰山と連発で山行をこなしてきたので、ちょっとは身体があの時の『奇跡』に近づいたのかもしれない。 下りもそんなにキツくなく、テント場の《ザラ薙平》に戻り着く。

テントを撤収して下山に取りかかるが、当初の想定では「バテにバテて、この地で連泊」も最悪のパターンとしていたので、午前10時過ぎに下山準備にかかれるのはすごぶる上出来である。 
だが、空が『上出来』ではなくなってきた。 雨が落ちてきたのである。 急いで合羽を着て、テント場を出発。
これより黒薙までは森の中を通るので、あまり雨に打たれる事がなかった。 それ故に雨が降っている感覚がつかみ辛かったのである。

・・が、黒薙に出た途端、状況は一変した。 薙ぎ落ちた黒薙の東面に向かって、暴風雨が吹き荒れていたのである。 そして、この東面が薙ぎ落ちた黒薙を、暴風雨をモロに受けながら通過しなければならなくなったのである。 状況は、薙に下ろす暴風雨に煽られたなら、薙に転がり落ちてしまう・・って寸法だ。

さすがに「これはマズい」と思ったよ。 そして、この暴風雨に幅50cmしかない黒薙のヘツリを越えるのは、5分以上の確率で「薙に吹き飛ばされて転がり落ちる」気がしたのである。 
能天気極まるタワケがこう思うのだから、結構「クル」最悪の状況だったのだ。

そこで、困難な目に遭遇すると『ゴキブリなみの足掻き力』を発揮するこの筆者(タワケ)は、妙に落ち着いて考えられる最良の通過方法を思いつく。 それは、暴風吹きすさぶ薙の通過を回避して、森の中のブッシュを草をつかみながら移動するのである。 この黒薙の西面も急斜面ではあるのだが密林の草付で、草を穿り、木の根や幹を手繰りながら行けば暴風雨に晒される事が回避できるのである。

・・で、実際にやってみると、思ったほどに急斜面でもなく、思ったほどにブッシュに阻まれる事もなく、暴風雨に当てられる事なく危険地帯を回避できたのである。 でも、通過して安全な草原地帯までくると、さすがにヘタリ込んだよ。

安全な草原地帯に出て、身の安全を確認できるとホッとして、タダ雨に打たれる中で荷物を下ろして胡坐をかき座り休憩・・。 ひと息着いてから再び下り出すが、下っていく毎に雨は弱くなっていき、どうやら暴風雨は黒薙より上だけのようだ。 要するに、山の頂稜部のみに黒雲がドッカリ被って、麓はセミがミンミンと鳴く蒸し暑い夏空ってパターンのようだ。

下りきって面平の平坦部まで降りると、案の定に樹が覆わない所から強烈な夏の日差しが照りつけてきた。 着ていた合羽が見る見るうちに乾いてパリパリのゴアゴアと着心地がすごぶる悪くなったので、溜まらず脱いで丸めてザックの天袋に仕舞う。

でも、ザックの天袋部は黒薙の大雨の水を含んでダボダボなので、パリパリのゴアゴアなのに濡れいて、なおかつ合羽の機能である水を弾く機能皆無の「使えない化学繊維」と化していたよ。 これが2万円だからねぇ。 人の造りだしモノは、到底自然のパワーの前には無力のようだねぇ。


信濃俣や大無間山など
里では拝めぬ山なみを望む
奥深き山旅だった 

・・で、昼の2時前に、夏の日差しで乾燥して地割れを起こしている車置きスペースの荒地に戻り着く。 車の中はキンキンに熱せられて、ハンドルが握れなくなるほどに熱くなってたよ。 なので、エアコンが利きだすまで、雨の山行の後片付け。 誰もいないのでパンツ一丁になってTシャツなどを着替えて、麓にある『道の駅・遠山郷』へ。 ここで温泉に入り(この道の駅はクアハウス併設である)、この難関峰への山行を終える。

  ※ 詳しくは、元ネタの旅行記『アルプス八千尺 制圧作戦』を見てネ!








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