風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線 第11回  能登線(のと鉄道・珠洲線) その1

『私の訪ねた路線』 第11回  能登線(のと鉄道・珠洲線) 〔石川県〕 その1
 

海岸沿いの小集落を縫って
走っていた能登線

《能登線・路線データ》
  営業区間と営業キロ   輸送密度 / 営業係数 (’83)   移管年月日   転換処置 
  穴水~蛸島 61.1km   1586  /  455         ’88/3/25    のと鉄道
移管時運行本数
             穴水~蛸島  7往復
             穴水~牛出津 1往復
             穴水~珠洲  下り6本上り5本〔内 下り3本上り1本快速〕


終着・蛸島駅に
列車が入ってきた
 
                《のと鉄道・路線データ》
     営業区間と営業キロ       廃止年月日          廃止転換処置
     穴水~蛸島 61.1km      ’05・ 4・ 1         能登観光開発バス
    ※JR能登線からの移管路線
廃止時運行本数
           穴水~蛸島 下り6本上り5本、穴水~牛出津 上り1本
           穴水~珠洲 下り2本上り3本、牛出津~蛸島 上り1本
           珠洲~蛸島 下り2本上り4本
 


蛸島駅駅舎と
能登線新旧の入場券
 
   《路線史》
路線建設は比較的新しく、1959~64年にかけて既存区間が全通した路線である。 かつては金沢より急行【能登路】が運行されていたが、都市から離れた末端線区で輸送絶対量は元から少なく、また沿線の過疎化と並走道路の整備で利用客が減少し続け、国鉄再建法により第三次の廃止対象路線に指定される。
それに伴って県出資型の第三セクター・『のと鉄道』が設立され、1988年3月に経営移管される。
 

ブレてるけど
急行【能登路】
 
また、1990年より七尾線の和倉温泉までの電化工事が進められ、JR西日本より電化工事完成後は和倉温泉より先の七尾線は運営放棄の意向である事が伝えられる。 1991年9月に電化工事が完成し、和倉温泉~輪島の七尾線も『のと鉄道』に経営移管され、これによって『のと鉄道』は営業キロが100kmを越える大型『第三セクター』鉄道となる。

だが、JRより切り離された事で直通利用客のほとんどがバスに移行した事が響き、経営状態は更に悪化する。それを受けて輪島への輸送量が激しく落ち込み、穴水~輪島の路線が2001年4月に廃止されてしまう。 『のと鉄道』の保有線区の中では“幹線系”と見られていた穴水~輪島が廃止された事で、同じく輸送量が更に減少傾向にある穴水~蛸島の旧能登線区間も存続が危惧されるようになる。
 
その危惧は的中し、金沢からの直通急行やリゾート向けの線内急行便が2002年までに全て廃止され、2004年3月には取締役会で穴水~蛸島の廃止も決定される。 その後、1年の撤退準備期間を経て、2005年3月末をもって旧能登線区間も路線廃止となった。
 

廃止前は乗降客ゼロの小駅でも
御名残り乗車がチラホラ
 
廃止前は往年の名車・キハ58を旧国鉄急行色に“お色直し”してのリバイバル列車が度々運行され、鉄道ファンが多数押し寄せて混乱が発生する場面が見られたという。

廃止後は廃止反対を唱えた市民団体により、公的手続きを事業継続の困難な『廃止』ではなく『休止』にしようという動きがみられるとの事である。 その上で受け皿会社を設立し、将来の復活に向かって模索する動きも見られるが、2006年11月より駅や鉄道施設の撤去工事が始まってからは路線復活はかなり困難な状況になりつつあると見られている。
 

小さな波止場が数多く見られる
風光明媚な路線風景であった
 
最後に「なぜ、和倉温泉~穴水も含めて全廃とならなかったか」であるが、一説では「将来の北陸新幹線の開通を見越しての判断だ」という事であるという。 それは、新幹線の開業と同時に七尾線や北陸本線などの在来線がJR西日本より移管される可能性があり、その際に県に鉄道運営技術のノウハウの蓄積が必要だという事、そして鉄道職員の再就職先確保の問題も出たからだ・・という“本音”もあるという。
 

 

最突端の想いを伝えるもの
 
  《撮影記と奥能登めぐり・前編》
いつもは《乗車記》としているが、実を言うとあまり覚えていない・・というか、蛸島までほとんど寝ていたような気がする。 なので、撮影目的でレンタカーで追っかけた時、道路を走る車とか撮影地から見た路線の姿しか記憶にない。 従って、のと鉄道が廃止になる直前に、能登半島を周遊した時の旅行記という形で紹介しようと思う。 それでは、春一歩手前の荒れる能登の旅をごろうじろ。
 

岬展望台にあった枯木越しに
日本海の荒波を望む
 
   行程表                駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR和倉温泉駅より車(2:30)→珠洲市街・見附島〔軍艦島〕など散策(1:10)→禄剛崎
     (0:15)→木ノ浦海岸
《2日目》 木ノ浦海岸(0:35)→曽々木海岸(0:20)→白米の千枚田(0:35)→輪島市街
     (1:10)→JR和倉温泉駅

  《1日目》 “のと鉄道”を追憶した後、奥能登へ
’05年の3月31日で、旧国鉄・能登線であった第三セクター“のと鉄道”が営業廃止となる。 
今回はその惜別も兼ねて、奥能登を一周するプランを立ててみた。 だが、このプランを実行するにあたっては、車は必要不可欠となる。 廃止を間近に控えたローカル線を訪ねるのならば、“鉄道に乗って”というのが定石なのであろうが、鉄道を使ってしまうと終点の蛸島より先にある『奥能登』の名勝を訪ねる事がかなり困難となるのだ。 

鉄道に重点を置きすぎて『奥能登』をおざなりにしてしまうと、せっかくの旅がもったいない。
だから、奥能登の旅のひとつの風景として、消えゆく鉄道を追ってみようと思う。 時折出てくる能登線の車窓風景は随分昔に乗車した時の回想であるので、その点は差し引いて見て頂ければ・・と思う。
それでは、『奥能登』めぐりの旅に出かけよう。
 

季節の変わり目には
荒々しい波涛が打ち寄せて
 
前述でも延べた通り、“のと鉄道”の終点・蛸島駅よりは1日数本のバスしかない。 そして、『奥能登』の岬海岸線をバスを乗り継いでめぐるのは、かなりの労力と費用を伴う事となる。 従って、マイカー又はレンタカーの利用がベターの選択となろう。 JRの終点・和倉温泉駅は、最近JRがかなりテコ入れしている温泉地である。 レンタカーもこの駅前にあるので、今回のように雪のある情景を追い求めるならば、レンタカーが圧倒的に有利である。
 

押し寄せる波は
次々に波の花を置いていく
 
JR和倉温泉より、国道249号線を北上しよう。 途中の中島町には“道の駅”もあり、最近の道路は利用者の便がかなり考慮されていて良い。 ちなみに、穴水手前の能登鹿島駅は“桜の駅”として知られており、その季節になればカメラ片手に訪ねるのもいいだろう。 なお、和倉温泉から穴水の間は’05年4月以降も運行されるので、“桜の駅”の名所は狙う事が可能だ。

和倉温泉から約35分で穴水町に着く。 このまま国道へ進路を取るのだが、道路標識は輪島へ行く主要県道の方には「輪島・珠洲」と、国道249号は「能都」と記されているので少々紛らわしい。
国道249号は穴水町で右手に進路を取るので、道路標識につられて間違わぬようにしたい。
国道を進み半島中央部の峠を越えると、穏やかな能登の内海と“のと鉄道”のレールが並走してくるようになる。
 

カモメが粋な演出を
買ってでてくれた
波並駅付近
 
“鉄道のある風景”を追い求めるならば、七味駅より波並駅までの間が狙い目だろう。 穏やかな内海を望む風景と、小さな待合室だけの駅舎・・。 それに時折やってくる列車をマッチさせると、のどかな雰囲気の情景が出来上がる事と思う。 また、波並駅近くの小さな船着場を前景に借りるのもいいだろう。
船着場につながれた小型漁船の舳先やイカ釣り用のタングステンライトが、海沿いの風景の良さを引き立ててくれるだろう。
 

波戸場につながれた
漁船を借景に
波並駅付近
 
海沿いの風景は能都町の中心の《宇出津》まで続く。 ここから国道は、再び半島内陸部を直線的に突っ切って内浦町へ抜けていく。 鉄道は幾分海寄りを伝うが、海より少し離れた所を行くのであまり車窓の期待はできない。 縄文遺跡のある《真脇》や、リアス式海岸の《九十九湾》は車窓からはあまり見えず、訪れるなら車か時間を作っての途中下車が必要となろう。

やがて、内浦町の中心の《松波》で合流するが、国道はまたもバイパスで直線的に珠洲市街へ抜けていくので、この付近の名勝“恋路海岸”を散策するなら、鉄道での途中下車か旧国道への寄り道が必要となる。
だが、この“恋路海岸”はかなり俗化している感じ(『ラブロ恋路』とまるでモーテルのような名称がつけられていて、少々引いてしまった)で、ワテ的にはあまり立ち寄ろうという気は起きなかったのだが。
 

初めて乗った時は
何にもなかったが
今は俗化されているみたいだ
 
しばらく行くと、“軍艦島”として有名な《見附島》が見えてくるだろう。 正面からこの島を見るとイカツい軍艦の舳先のように尖っていて、撮りようによってはかなり迫力ある画像をゲットできることと思う。 だが、残念ながら私が通った時は、強い雹が飛ぶ荒れた天候であったので断念せざるを得なかった。
またの機会があれは、是非にも狙ってみたいと思う。

《見附島》を見送ると珠洲市街に突入する。 だが、珠洲市自体が能登半島の最奥の小さな街でしかなく、エトランゼである旅人にとっては昼食や買い物にも不便を感じる街である(ラーメン屋とコンビニを、それぞれ1件づつ発見したのみ)。 本日はおそらく車中泊を強行することになるだろうから、必ずここらで補給をしておく事が必要だろう。 
 
そして、ガソリンも“要チェック”となろう。 なぜなら、これより半島をひと周りして輪島市街に抜けるまで、ガソリンスタンドは期待できないのである。 珠洲市内で前述の“ひと通りの用事”を済ませたなら、街外れにある鉄道の終着駅・蛸島へ行ってみよう。
 

駅名標は国鉄時代の方が
旅情を誘いますね
 
普段は到着列車が10本、そして1列車あたりの乗降客が数名という田舎の終着駅なのだが、廃止が近づくにつれてどの列車も満員であった。 しかも“さよなら能登線”と銘打った旅行ツアーも企画されて、列車に乗ってやってくるツアー客を拾うべく狭い片田舎の駅前に観光バスが待機する。 

列車が着くと、狭い駅舎はツアー客と鉄道マニアでごった返した状態になり、駅ではかなりボッタクリの臭いがする記念切符セット(\2500~5000)が販売されていた。 この光景を見ると、“車で来て良かった”と強く感じるのである。 
駅舎の至る所に“マナーを守ってください”の啓蒙があった。 一部の者が不埒な事をすると、そのカテゴリー全てが非難を浴びるのは世の常だ。 だからであろうか、鉄道マニアはネットワーカーと同じくすごぶる評判が悪い。

駅でのごった返しの光景も、列車が発車してしまえばいつもの様に静かになる。 
列車を見送ったなら、鉄道と別れて『奥能登』を訪ねてみよう。 蛸島の駅より先は道はか細くなって、岬の先端に向かっている事が実感できる。 そして、岬に近づくにつれ内海の域を出て、波が荒れ狂う外海の情景が広がってくるだろう。 これが、今回の旅の魅力である。
 

狼煙海岸にある紅白の灯台の間で
波が逆巻き立っていた

《狼煙海岸》の沖合いに立つ赤と白の灯台と日本海の荒波が、まず旅人の目を奪うことだろう。 
そして、断崖絶壁で仕切られた港風景・・と、岬ならではの情景が旅情を引き立てる。 
やがて、日本海の荒波へ向けて光跡を照らす灯台の立つ『奥能登』の突端・禄剛崎へ。
 

小さな波戸場など
一瞬の内に飲み込んで
 
  ※ 続きは、『私の訪ねた路線』 第12回  能登線(のと鉄道・珠洲線)その2 でどうぞ。
 
  ※ 詳しくはメインサイトより、『魅惑の鉄道写真集』の『能登線』と『57 奥能登』を御覧下さい。
 


 
 
 
 
    
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