2015-05-11 (Mon)✎
路線の思い出 第100回 足尾線(現 わたらせ渓谷鉄道)・沢入駅 〔群馬県〕
JRに経営移管された直後の足尾線
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
桐生~間藤 44.1km 861 / 692
移管年月日 転換処置
’89/ 3/29 わたらせ渓谷鉄道
転換時運行本数
桐生~間藤 6往復
桐生~足尾 2往復〔内 1往復は期間運行〕
足尾~間藤 2往復
桐生~大間々 1往復〔内 上り列車は期間運行〕
沢入駅(そうりえき)は、群馬県みどり市東町沢入にあるわたらせ渓谷鐵道・わたらせ渓谷線の駅である。 相対式2面2線の駅で、駅舎はログハウス調に建て替えられている。 駅舎内に簡易郵便局を併設した珍しい駅だが、無人駅扱いなので郵便局で乗車券を購入する事はできない。 列車交換は、最終列車を除いて当駅または神戸駅で行われている。 一方の足尾駅も列車交換設備を持つが、トロッコやイベント列車を除いて普通列車同士の交換は行われない。
国道が未整備だった頃は、渡良瀬川の御影石の運搬に足尾線の貨物が利用されていて、当駅が御影石の積載所だった。 その遺構として、現ホームの足尾側にもう1本のホーム跡と思われる石積みがある。
2015年の1日平均の乗降人員は39人との事。
下りホーム側には、東屋や遊歩道などが整備されている。 また、駅舎の桐生寄りには第3種踏切があり、跨線橋を渡らなくても下りホームや川のほうに行く事ができる。 駅構内には地元住民により2200株の紫陽花が植えられており、開花時期には観光客の目を楽しませている。
朝夕の通学(地元中学生も利用する)の他は、地元の住民が数名利用。袈裟丸山へのアクセス駅だが、登山口まで遠い為に登山目的で利用する人は少ない。 列車同士の交換をする際、下り列車が5分間停車する事があり、その際には下りホームにある紫陽花などの花を見る事ができ、途中の旅の駅として楽しめる。
沢入駅から原向駅までの区間は、同鉄道の中でも急勾配区間に当たる。落石に注意する場所が数か所あり、国鉄時代にも台風や大雨による落石で運転を見合わせる事があった。 そのひとつに坂東カーブがある。
この区間は、かつては蒸気機関車C12形による重連運転が行われていた。 自力加速が可能なディーゼルカーでさえも、全力力走にしても足尾方面の場合40km/hが限界である。 逆に桐生行きは勾配を下るため惰性走行でもかなりの速度が出るために、坂東カーブ入口手前に速度照査式のATSが設置されている。
夏はあまり撮り鉄にいってないんだよね~。 だから、『100回目』というプレミアム回でありながら、記事内容や掲載写真はトコトンショボいモノとなってしまいそうである。
阪急の700系旧型電車
わたらせ渓谷鉄道の気動車
似てるでソ
※2枚いずれもグーグル画像より拝借
この足尾線を撮り鉄目的に訪れたのは、国鉄からJRに変った直後だったかな? その後は皇海山の登山で利用する事はあれど、阪急の700系旧型のような気動車は撮る気がせず、無視状態だったし。
とはいっても士幌線の糠平湖畔は
若き日の過ち(タングステン災禍)でボツって
この切符の写真だけなんだよね~
若き日に撮り鉄目的でこの線を訪ねる時に頭に思い描いた構図は、「草木ダム湖と一緒に」である。
これは、北海道の士幌線の「糠平湖を渡る気動車」を重ね合わしていたのである。 その目論見を持って、下車駅はお題に挙げた『沢入駅』となったのである。
だが、実際に乗ってみて、当時のこのタワケ小僧(筆者)が何の下調べもせずにやってきていた事が明るみとなる。 ダム湖の草木湖の区間は「真っ暗け」、つまり湖の区間は完全にトンネルの中で、湖と撮るのは15年前の’73年のダム完成により路線付替えがなされて、ダム湖に水没した旧路線時代まで遡らねばダメだったのである。 それに距離も7kmも離れているしィ。
・・トンネルに入った事で撮り鉄の目論見が完全にホシャったタワケ小僧は、次善策として「足尾銅山の鉱毒に汚染された渡良瀬川」を思い浮かべる。 これはただ川を入れて撮るだけでなく、「鉱毒で汚染されて濁った川」を入れた写真である。 このように、筆者の前身であるこのタワケ小僧は、それなりに考えていたようである。
濁った川をアップで入れると
モノ(鉄道)が不明瞭だったり
モノ(鉄道)を見れるようにすると
川が入らなくなったり
だが、思い通りにいかないのが、ナンチャッテな『○鉄』であるが所以である。
川の俯瞰できる所は雑木林が邪魔をしてボツ、川と並行する所は「川が毒々しくなく」て今イチ。
濁った川は入るが
邪魔な雑木の枝も入るしィ
スタンダートに撮ると
川が毒々しくなくなるし
最後に見つけた鉄橋はアングル的には良かったものの、夕暮れとなって「毒々しい川」が夕日に照らされて叙情的な雰囲気となって、この撮り鉄は全てにおいて目論見を外してしまったのである。
最後は夕日が川床を照らして
「毒々しい川」が叙情的な眺めに
このように「ダメ出し」たる散々な結果となって、その口惜しさをバネにリベンジも目論んだが、同時にこの頃は山へシフトし始めた「山への変革期」で、残念ながらこの路線はリベンジをする事なく終わってしまったのである。
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No title * by 風来梨
殿下、御成り嬉しゅうございまする。 ウンコパージが来てからと云うもの、他の閲覧者に見捨てられてましたので。
それと殿下、口惜しくも阪急の700系はワテが撮ったモノでなく、グーグル画像の拝借にございまする。
ワテも山にシフトを変えてからは、皇海山の登山の御用達でしかないですな。 駅寝はあるけど。
それと殿下、口惜しくも阪急の700系はワテが撮ったモノでなく、グーグル画像の拝借にございまする。
ワテも山にシフトを変えてからは、皇海山の登山の御用達でしかないですな。 駅寝はあるけど。
あ、阪急はオマケか(失礼)
ここの気動車はネオレトロの走りでお仲間に北近畿タンゴ鉄道のがいますね。最近では銀座線の黄色い電車が兄弟でしょうか。
私もJR末期に一度往復で乗ったきりだなあココ。