風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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日本の滝を訪ねて 第121回  苗名滝

日本の滝を訪ねて  第121回  苗名滝  〔新潟県〕


落水の狼煙で
釜を覆い隠して

  苗名滝  なえなたき   落差 55m  新潟県・妙高市
 
滝へのアプローチ  杉野沢温泉の奥3km
          『道の駅・しなの』より車利用(0:40)→苗名滝駐車場
            ※やや道は判り辛い

   行程表    駐車場より徒歩10分で滝

朝5時に起きて、出発準備に40分程費やし、出発は5:40。 天気は旅に出る前の予測とは違い、快晴だった。 レンタカーで借りた軽乗用車はニッサンのオッティ。 でも、OEM車なので、形は三菱のEKワゴンそのまま。 だから、ナビも三菱製。 自分のマイカーに着いているパナ製に慣れた目からは、何か扱い辛い。 まっ、どうでもいい事なのだか。

最初の訪問地は、地図上で最も近い『百名滝』の《苗名滝》だ。 感覚上は『道の駅・しなの』より数キロだと思っていたが、以外に19kmもあるらしい。 まぁ、三菱のナビの特徴として、“よろこんで”国道や主要県道以外の裏道を使いたがる傾向にあるので、全く訳の解らないルートを通ったみたいだ。
まず、「ナビなしで行ってみろ!」と言われても無理だろう。

さて、この為に全く方向感覚が解らぬままに、いつのまにか時間が経過して、《苗名滝》遊歩道前の茶屋の駐車場に着く。 《苗名滝》は『百名滝』の中でも有名な滝で、遊歩道はキチンと整備されているようだ。


水の狼煙を上げる
関川の堰堤

まずは、滝が掛る関川の流れを全てを制御する堰堤が見えてくる。 雪解け時で最も水量豊かなこの時期は、「タダが河川堰」と言えども、ものすごい水流の迫力を魅せてくれる。 遊歩道上で河川堰の飛沫を浴びたのって、記憶には恐らく残ってはいない。 それ程にもの凄い。

この巨大堰堤を木製の櫓形の造形を施した螺旋階段で、ビルで言うと4階位昇る。 すると堰の上に出て、整備はされているものの、残り雪でややぬかるむ遊歩道が続いている。 これを約250m程進めばいい。 やがて、川巾全ての水を“ドッサリ”と落とす水煙と、その前にある吊橋が見えてくる。


水の狼煙を上げる
関川の堰堤

さて吊橋と、“ドッサリ”と重そうに水を落とす水煙。 後は、カメラと7本のレンズでどう“食う”か・・である。 吊橋と虹を入れて撮るのも一興。 飛沫のドアップもいい。 周囲の岩盤と青空を入れて撮るのも楽しいか。 そして、水の爆弾と化した水煙をクローズアップするのが特に熱中できそうだ。
レンズ換え、シャッター速度を変え、アングルを変え・・と、約40枚のバカ撮りを敢行。


水狼煙の形も
次々に変化していく

でも、決して無駄ではない。 一枚一枚が楽しく、そして自らで考えたモノだから。 
また、その1枚1枚が全て違う表情を魅せてくれて、全てのコマがこの世に2つとない自らが創造した大切な宝物であるからだ。 同じものしか得れない画像製造装置で無機質に撮ったそれとは全く違うのだ。


一枚一枚、一瞬毎に
表情が違うのだ

だから、その一枚一枚を「気に入らないから」と消すなんて事は、もったいなくて出来はしない。
写真撮りが抱く魂が、「こんな下衆な事はしたくない」と叫ぶのだ。 でも、「最低の行為ではないのか?」と常々思う。 自分で創り出したモノを「無駄だった」として、自ら率先して何も残さず消すなんて・・。


水の狼煙が織り成す舞いに
滝の生命の鼓動を感じた

自分で自分を否定し、自らの創り出したモノを『無駄』と捨てるハートの無さを植えつけたデジタルは、やはり写真撮りにとっては害でしかないと思う。 写真を撮る自分が楽しければ楽しいほど、この思いは強くなるのだ。


地を揺るがす大瀑布よ
名残り惜しいがひと度お別れ

まぁ、この事はデジタルを使う人間には永久に受け入れられる事は無いと思うが、真理でもあると思う。 それは、3年前の民主党政権を顧みれば解るだろう。 この政権は、「大多数が深く考える事なしに成立を支持した為に発生した、史上最悪の癌細胞である」というのが紛れもない事実である。

民主党政権さえ発生しなければ、宮崎の10万頭以上の牛や豚は死なずに済んだのだから。
震災のあの時に姦チョクトが首相でなければ・・、ベント妨害による原発爆発事故は無かったのだから。 更には、コレだけの事を引き起こしながらも自らの非は全く認めようとせず、他人に責任をなすりつける事や自身の立身(選挙)にのみ熱心な輩どもの醜態を見せつけてくれるのである。

そして、それを見抜けないのか恣意的にそうしているのか解らないが、未だにブログや掲示板などで民主党支持を口にする輩を目にするにつけ、『当たり前の心』を欠落させる機構・・『デジタル』を必要以上に多用した事の弊害が現れているのだと思う。 その初歩的な行為が、『ある』『なし』という自らのその時の思考だけで、大切なモノさえ何の感情も何の考えもナシに機械的に捨てる自傷行為なのである。
それを「無駄を省き節約した」と言うのだから本末転倒である。


別れ際に狼煙が
虹を描いてくれた

あらら・・、話が脱線して『思いのまま日記』の内容になっちまった。
まぁ、愚痴はこれ位にして、次の滝に向うとするか。

  ※ 詳細と続きは、『撮影旅行記集』の『春の妙高めぐり』の《3日目》を御覧下さい。






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