風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 51~100 >  路線の思い出   第97回  岩日線・南桑駅

路線の思い出   第97回  岩日線・南桑駅

路線の思い出   第97回  岩日線・南桑駅  〔山口県〕


清流を傍にして清流が殆んど入ってない
中坊ならではの『残念』な写真

《路線データ》
       営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)    
      西岩国~錦町 32.7km            1235  /   534        
         移管年月日                転換処置 
          ’87/ 7/25                    錦川鉄道

移管時運行本数
                            岩国~錦町  7往復《休日6往復》
                            岩国~河山  下り1本



南桑駅出入口
※ ウィキペディア画像を拝借

南桑駅(なぐわえき)は、山口県岩国市美川町南桑に所在する錦川鉄道錦川清流線の駅。
かつては国鉄岩日線の駅であったが、1987年7月に岩日線から現在の第三セクターの錦川鉄道に転換されて現在に至っている。

単式ホーム1面1線のみの停留所規格の駅で、ホームは錦町方に向かって左手(山側)に設置されている。  無人駅で駅舎は無く、ホーム上に屋根付きの待合所を備える。 単式ホームの錦町方先端部に駅出入口がある。


南桑駅と集落と駅を結ぶ南桑橋
※ ウィキペディア画像を拝借

駅出入口より階段を下りて線路のガードをくぐると、線路のすぐ前を流れる錦川に架かる橋(南桑橋)があり、対岸の集落地や国道187号線に通じている。 トイレ・売店(自動販売機含む)の類は備わっていない。



今回は、昔々の中坊の頃に訪ねたローカル線の思い出おば・・。 
でも、この路線、この時に訪ねて以来、再訪してないのよね~。



30年ちょっと前の錦町駅名標

その「この路線を訪ねた」のは、初めての『本格的(じゃねえよ!)な旅』だった『四国の鉄道路線完乗の旅』のついでに立ち寄ったのである。 この『四国の鉄道路線完乗の旅』は、コレを撮った旅行ですね。 この旅の『あらまし』としては、旅行期間の全て・・じゃなかった「初日を除いた残り全て」が夜行列車の車中泊という事、旅行9日間で一切風呂に入ってないという、中坊ならではのコケティシュ(笑)な内容の旅である。 でもね30数年前のこの頃は、四国に2本の夜行列車が走っていたのよ。

いゃぁ・・、鉄道旅をするにはいい時代でしたね。 それと、『幻の国鉄航路』と云われる仁掘航路で四国に渡ってたりして。 でも、惜しい事に中坊にはこの航路の稀少さが解らずに、切符かう金惜しさから乗船券などの『現物』は買わずに周遊券で乗ってしまったし、『四国の鉄道』に頭が逝ってしまって船を撮らず終い・・、結局乗船した足跡は皆無となっちまったよ。 もし撮ってたら、コレに匹敵するブログネタになったろうに。


この時は四国のコレに頭が逝っておりました
でも掛け値なしにカッケェ~

話は随分と『四国旅』に反れてしまったが、この旅の初日にこの路線『岩日線』の始発に乗るべく、岩国駅ホームのベンチで一夜を明かしてしまったよ。 でも、よく補導されずに済んだね、小僧のワテ。
まぁ、旅での初めての駅での夜明かしがコレという、小僧の頃からロクデナシぶりを全開にしていたタワケが筆者の『人となり』なのである。 ちなみに、初めての駅での夜更かしはコレ。←このエピソートも相当ロクでもないねぇ、この小僧。

さて、最終列車で岩国駅に着いてそのまま改札を出ずに、岩日線の始発列車を待つべく岩国駅の1番ホーム隅のベンチで夜を明かす。 記憶は曖昧なのだが、岩国駅が起点駅となる岩日線と岩徳線の非電化路線は、何故か最も駅母屋寄りの1番線から発着していたようである。 たぶん、路線の延びる方向に従っているのだろう。

で・・、まだ夜が明けやらぬ4:40頃、岩日線の始発列車が予想に反して6両の長大編成で入線した。
この列車は5:04発とかなりの早発で、駅で夜を明かすタワケた小僧にとっては救世主のような存在だった。 これが今の第三セクターのように、始発が朝の7時前(6:55)までなかったら、それはもう地獄だったよ。


始発に乗った列車は
ロマンスカー2両の優等列車編成だよ

そしてこの列車の車両には、準急用のロマンスカーだったキハ26系が充てがわれていた。
この車両は座席が回転式のロマンスシート(要するにグリーン車に匹敵する座席装備)で、駅夜明かし小僧にとっては、これまた初めてにして貴重な乗車体験となったよ。

まぁ、岩日線はその路線の全般的に錦川の対岸を行くので、対岸の国道が撮影場所の候補となる。
なので川に沿う車両の右側の席に座り、小僧の視点から「撮りやすそうな所」を探す。
予想通り、南桑~根笠の辺りがベストのようで、駅の雰囲気から南桑を撮影地と決める。

後はこの路線を完乗すべく、終点の錦町まで通しで乗る。  なお、この6両編成の始発列車は、かつての線内最大の途中駅・河山でロマンスカーを含む4両が切り離されて、河山発の上り始発列車となる車両運用のようだ。 この河山は大合併で岩国市となる前は美川町と名乗っていた町の中心で、かつてはタングステン鉱山で栄えた町との事で、駅も鉱山貨物ヤード跡が残る広い構内であった。 切り離されるロマンスカーより移動した際に駅構内を目にして、なぜか印象に残っている。


かつては硫化鉄鉱石搬出のヤードだった河山駅
※ グーグル画像より拝借

そして終点の錦町で1本撮影して、行きに撮影地に決めた南桑に向かう。 降りた南桑駅だが、小僧ながらにその風光明媚な駅周辺の情景に絆されたよ。 1日7往復の路線で錦町で1本撮る為に無駄に居残ったので、南桑駅に着いたはいいものの、13時の列車まで4時間以上の空き時間ができてしまった。
この後先何も考えないのも、小僧の頃から受け継がれた筆者(タワケ)の資質である。


昼寝をした清流を望む
春うららかな駅のベンチも写ってるよ

この空き時間を使って、穏やかな流れの清流を望む春うららかな無人駅のベンチで昼寝垂れたよ。
まぁ、岩国駅ホーム隅のベンチでの夜明かしで寝不足だった事もあって、良く寝れたよ。
そして目覚めたのは、幸運にも13時半の列車の来る40分程前の理想的な時間だったよ。

さて、その南桑駅での撮影だが、「小僧の稚拙さ満開」であった。 まぁ、中坊のレベルなので当然と言えば当然なのだが。 それは、こんな清流が流れているのに、それをアングルに入れずに撮影するトンマぶりであった。


清流を前にしながら
萌える緑とはコレ如何に

それと、生涯で未だ2枚だけという撮影技法をこの場所で駆使しているよ。 それは、『流し撮り』である。 ワテは車両本位の撮り方で、しかも風景を流し『潰す』流し撮りは好まないので、こういう『偶然』でもないと使わないなぁ。


生涯で2枚のみという貴重な写真
それに車両も元準急用ロマンスカーと
これまた貴重

結局、清流に最も近い好撮影地・南桑での撮影は、駅で撮った乗車間際の写真のみ川が写っている体たらくだったよ。 この日はメインの13時台の列車を『流し撮り』して、14時半の列車に乗って『幻の航路』仁掘航路に乗って四国へ上陸する。 これより初めての『本格的(じゃねえよ!)な旅』である『四国の鉄道路線完乗の旅』に続くのである。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『岩日線』を御覧下さい。




関連記事
スポンサーサイト



No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
電車の錆が年代を感じさせますね。

No title * by 風来茄子
実はここと可部線は乗ったことがありません。可部線はそのまま廃線に。広島は頻繁に訪れる機会があったのに「そのうち」と思ってるうちに逃してしまいました。その辺のええかげんさが鉄ヲタに成りきれない○鉄たる所以なんですねぇ。。

キハ26ってブタ鼻になってたんですね。引退まで単照式のままだと思ってました。ついでに65とキロを挟んだ「あしずり」が何気に貴重ですな(と、鉄ネタでフォロー)。

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この頃は、鉄道旅をするのにいい時代でした。

列車の錆も、周囲の景色にとけ込む車両のデザインも味がありましたね。

No title * by 風来梨
殿下の御成り、嬉しゅうございまする。

ワテは可部線では、「世界広しと言っても、コレをした奴はいないだろう!」と言う「大オチャメ」をしでかして、殿下が統一される前の「写真床下」を乱世にしてございまする。 詳しくは、「路線の思い出 第90回の可部線の項目おば、御参照下さいませ。

それと、殿下とおわします高貴なお方が、最凶メタボスーツ「ニクジュ・ヴァン」を連想させる「ブタ鼻」は頂けませぬぞ。 あれは、「しぃーるどびぃーむ」でございまする。

No title * by かず♂
コメントありがとうございます

トラックバックします

No title * by 風来梨
かず♂さん、こんばんは。 こちらこそ、お返事頂き有難うございます。

トラックバックも有難うございます。

ですが、トラックバックして頂いた記事は鉄オタ(鉄道オタク)ネタですので、出来ましたらトラックバック記事内容に当てはまる当ブログの日記書庫14/12/20 10:46の過去記事「アホが故に負けた次世代の党の今後取るべき道は・・」の方に変更をお願いします。

No title * by NO LIMIT
はじめまして。
貴重な体験、画像の数々、たいへん楽しく読ませていただきました。錦川鉄道(岩日線時代)の歴史に興味があり、始発列車が5時過ぎの6両編成とかほんと驚きです。
河山鉱山や美川鉱山への通勤用でしょうかね。

No title * by 風来梨
NO LIMITさん、こんばんは。

この6両編成の早朝始発列車の運行目的は、車両の回送のようです。
この始発列車の乗客は私一人だったような・・

河山で4両を切り離して、河山発の始発列車にするのと、終点の錦町に行く2両も、錦町発の始発列車となります。

朝は岩国への通勤客が、それなりに多かったみたいです。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

電車の錆が年代を感じさせますね。
2015-04-13 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

No title

実はここと可部線は乗ったことがありません。可部線はそのまま廃線に。広島は頻繁に訪れる機会があったのに「そのうち」と思ってるうちに逃してしまいました。その辺のええかげんさが鉄ヲタに成りきれない○鉄たる所以なんですねぇ。。

キハ26ってブタ鼻になってたんですね。引退まで単照式のままだと思ってました。ついでに65とキロを挟んだ「あしずり」が何気に貴重ですな(と、鉄ネタでフォロー)。
2015-04-13 * 風来茄子 [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この頃は、鉄道旅をするのにいい時代でした。

列車の錆も、周囲の景色にとけ込む車両のデザインも味がありましたね。
2015-04-13 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

殿下の御成り、嬉しゅうございまする。

ワテは可部線では、「世界広しと言っても、コレをした奴はいないだろう!」と言う「大オチャメ」をしでかして、殿下が統一される前の「写真床下」を乱世にしてございまする。 詳しくは、「路線の思い出 第90回の可部線の項目おば、御参照下さいませ。

それと、殿下とおわします高貴なお方が、最凶メタボスーツ「ニクジュ・ヴァン」を連想させる「ブタ鼻」は頂けませぬぞ。 あれは、「しぃーるどびぃーむ」でございまする。
2015-04-13 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

コメントありがとうございます

トラックバックします
2015-04-14 * かず♂ [ 編集 ]

No title

かず♂さん、こんばんは。 こちらこそ、お返事頂き有難うございます。

トラックバックも有難うございます。

ですが、トラックバックして頂いた記事は鉄オタ(鉄道オタク)ネタですので、出来ましたらトラックバック記事内容に当てはまる当ブログの日記書庫14/12/20 10:46の過去記事「アホが故に負けた次世代の党の今後取るべき道は・・」の方に変更をお願いします。
2015-04-14 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

はじめまして。
貴重な体験、画像の数々、たいへん楽しく読ませていただきました。錦川鉄道(岩日線時代)の歴史に興味があり、始発列車が5時過ぎの6両編成とかほんと驚きです。
河山鉱山や美川鉱山への通勤用でしょうかね。
2015-04-23 * NO LIMIT [ 編集 ]

No title

NO LIMITさん、こんばんは。

この6両編成の早朝始発列車の運行目的は、車両の回送のようです。
この始発列車の乗客は私一人だったような・・

河山で4両を切り離して、河山発の始発列車にするのと、終点の錦町に行く2両も、錦町発の始発列車となります。

朝は岩国への通勤客が、それなりに多かったみたいです。
2015-04-23 * 風来梨 [ 編集 ]