風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第95回 相生線・北見相生駅

路線の思い出   第95回  相生線・北見相生駅  〔北海道〕


鉄道を撮るウデは
間違いなく四半世紀前の小僧の方が上ですね

《路線データ》
       営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’83)
     美幌~北見相生 36.8km            257   /  2105       
 
       廃止年月日          転換処置         廃止時運行本数
       ’85/ 4/ 1         北見バス・津別町営         6往復


北見相生駅(きたみあいおいえき)は北海道網走郡津別町相生にあった旧国鉄相生線の駅で、同線の終着駅である。 相生線の廃線に伴い1985年(昭和60年)4月1日に廃駅となった。 廃止時まで駅職員が配置された有人駅であった。 1981年(昭和56年)の1日乗降客数は60人との事。 駅周辺は山のふもとに開けた小さな集落である。

廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、終端駅となっていた。 他にに機回し線などの側線を数本有していた。 ホームは線路の東側(北見相生方面に向かって左手側)に存在し、平屋建ての木造駅舎が接していた。 駅舎の南側部分には側線が1本入り、切欠きホームとなっていた。 かつては給水タンクやターンテーブルも存在したが、路線廃止前に撤去されている。

旧駅構内はかつては交通公園として整備されていたが[、現在は「道の駅あいおい」が開設され、その施設に含まれている。 現役当時に忠実に復元された駅舎があり、ビデオホーンなどの備品の保存展示や、プラットホーム、レール、駅名標、車庫、構内除雪車キ703を始めとした鉄道車両などが保存されている。



『道の駅・あいおい』に
静態保存されているキハ22
※ グーグル画像より拝借

相生線の終着駅・北見相生は、今は駅施設やかつて走った気動車などを保存・公開する交通記念館を兼ねた『道の駅・あいおい』となっていて、阿寒湖観光の中継地点にある『道の駅』として重宝されているようだ。

だが、鉄道在りし時は、この駅から阿寒湖へ向かう者は全くと言っていいほどに皆無だった。
そう、初めてこの駅を訪ねた時のタワけた小僧を除いて。


阿寒湖観光の北見相生駅スタンプ
素朴でいいですなぁ

この時は阿寒湖までバスで往復したけど、バス運賃が鬼のように高いと悪評の『鬼の阿寒バス』で散財し、当地・阿寒湖では『アイヌ部落』なる土産物屋街で600円もするキーホルダーを買わされて、戻ってからの鉄の撮影は『若き日の過ち』であるフイルム間違いで全てボツとなるなど、散々な『ファーストコンタクト』であった。


最初の北海道撮り鉄旅は
若き日の失態で戦果はB級写真のみ

まぁ、この失態が強いリベンジ心を呼び起こし、それが貴重な写真を残せた『次』(今回の話のネタとなる撮り鉄の思い出ですね)につながったのであるが。

そして、鉄道が廃止されて『道の駅』となってからは、保存車両の客車の中が無料のライダーハウスとなって解放されていたのである。 道東方面の山に向かう時や山から下りてきた時には必ずこの『道の駅・あいおい』に立ち寄り、足を伸ばして寝れるこのライダーハウス客車を『定宿』としていたのである。


エアコン完備のライダーハウス
放浪旅時代のワテの定宿でっす
※ グーグル画像より拝借

そうなのである。 小僧の時に廃止ローカル線を追いかけ回していたワテは・・、そして車を持つようになって北海道の山々をめぐるようになったワテは、鉄道が在りし時と駅跡が『道の駅』に改装された現在の両方に『駅への思い出』を持っているのだ。


雌阿寒岳とオンネトー
鉄道が廃止されてからは目標はコチラ方面に

でも、最も大きな思い出は、やはり鉄道在りし時の『撮り鉄』にまつわる出来事であろう。
そしてその『思い出』は、筆者の前身であるタワけた小僧の所業によって、ブログに記すのも憚る位の『オチャメ』な内容となってしまったのである。

でも、そのおかげで身体の強ばりがほぐれて、ワテの『ローカル撮り鉄』の写真の中でもかなり『いいデキ』なのが撮れたのである。 予め言っておくが、『いいデキ』とは筆者基準であり、筆者の写真レベルは「写真界の底辺を這いずる『写真床』である」という事を忘れすにネ。
他の撮り鉄さんと比較しちゃぁ、ダメだよ。


北見相生駅入場券と旭通(仮)乗降場
で売っていた津別ゆき乗車硬券

脱線した話を元に戻して、この時の『相生線の撮り鉄の一日』の出来事おば・・。 今は無き、札幌から網走へ向かう夜行急行【大雪】で美幌に降り立つ。 この夜行急行は、金のない小僧がオホーツク沿いのローカル線をめぐるには必須の列車であった。

それは遠軽で名寄本線の始発に接続していて、この名寄本線の始発に乗ると名寄本線は元より、湧網線・渚滑線・興浜南線を攻める事が出来たのである。 それだけではなく、北見からの池北線と美幌から今回取り上げた相生線と、北見エリアのローカル線を総ナメにできたからである。

もちろん、これも今は無き周遊券を使うと急行の自由席は乗り放題で、宿代は浮くわ、移動が適うわ、ローカル線撮影の必須事項である『始発列車へのアプローチ』が適うわ・・と、この列車が無かりせば車を持たず鉄道で道内をめぐっていた小僧(当時の筆者)では、ローカル線の写真を撮る事が叶わなかったであろう。

・・で、美幌から始発で北見相生へ向かう。 この相生線は美幌から津別までは割と街中に路線が敷かれていて、この区間での撮影は今イチであるのは把握していたので、自ずとから撮影場所は終点の北見相生駅周辺と定める事ができたのである。 なぜなら、津別~北見相生の途中駅ならば駅舎もなく店屋一つもないので、途端に干上がってしまうからである。


北見相生駅に停車中の相生線列車
後ろの雪原が後の
『道の駅・あいおい』の駐車場ですね

北見相生駅を降りて、早速線路周辺を歩きまわる。 狙いは、1日運行される6往復の内の2番列車と3番列車である。 それは、この2番列車と3番列車が朝の8時から9時台と、光線状態も最も良いからである。 と言うか・・1日6往復のローカル線では、この列車を逃すと戻る為に乗る15時台まで列車は運行されないしィ。 とどのつまり、これ以外の列車は撮影が不可能なのである。


雪を蹴ってラストスパート

・・で、つつがなく我が持ち写真でも『いいデキ』のコレを撮り終えると、帰る為に乗る4番列車まで、約6時間のヒマとなるのである。


コレ・・何気に『お宝写真』でっす

「さて、何もない片田舎での6時間のヒマをどうやってやり過ごそうか」、「駅で沈殿してやり過ごす以外にないか」などと思考をめぐらしながら駅へ戻るべくトボトボと歩いていると、「ワテが撮り鉄をする所を見ていた」という林業の作業着を来たオッチャンが呼びかけてきた。

ワテが振り向くとオッチャンはコチラに寄ってきて、「オレはいつも若い旅人を応援してんだ、オレのトコさコオ!」と言って、オッチャンの自宅に招き入れられたのである。 招かれて温かい炬燵の中に入り、オッチャンに聞かれるまま旅のダベりに入る。 そして、奥さんが差し出してくれた食事に続いて、話を活発にする想像通りのモノがオッチャンの音頭と共に差し出されたのである。


今回の出来事はこのスタンプにおける
♨マークの如くに印象深いよ

その『想像通り』のモノはビールと日本酒から始まり、ウイスキーの水割りから果ては焼酎やロックなど、急性アル中の危機が想定される程にアルコール度数が迫り上がっていた。 そして、基本形が『ロクデナシ』のこのタワケた小僧は、勧められるまま『チャンポン』の世界に溺れていくのである。

こうして、乗り越えるのが困難視されていた15時までの6時間は、温かい炬燵と身体を温める飲料によって『めぐる宇宙』な時として過ぎ去った。 そして、このオッチャンはすごく『いいひと!?』で、御丁寧に酔い潰れたこのアホガキに、「14時半の北見相生着の列車(この列車の折り返しに乗って帰る予定)が来るぞ、写真撮るんだろ?」と起こしてくれたのである。

オッチャンと奥さんに見送られオッチャンの居宅を出て、酔った千鳥足で相生線を撮るべく線路沿いに向かう。 その時憶えているのは、酔いを覚ますべく雪原にダイビングして顔を冷やした事と、顔を冷やしながらの『匍匐(ほふく)前進』スタイルでコレを撮ったという恥ずべき醜態である。 でも・・、泥酔い状態で、シラフよりもいいのが撮れるのは何故!?


雪原を泳ぎながら撮った一品でっす

雪原にダイビングして顔を冷やした為か幾分酔いが醒めて、「今撮ったこの列車に乗らねば旅計画がメチャクチャになる」と我に返って、千鳥足ながらも必死の速足で駅に戻る。 でも、相生線列車が『終着5分折り返し』でなくて良かったよ。 5分折り返しなら、まず乗り遅れただろうね。

その『重要ミッション』となった帰りの4番列車内では、完全に爆睡して全く車窓の記憶がないし。
・・で、目覚めたのは、終着美幌に着いて車掌に起こされて・・である。 そして酔いが完全に覚めたのは、車掌に起こされて下車を促されて焦って駅ホームに飛び出て、凍ったホームで転んで尻をシコタマ打って、目の中に火花が飛び散った瞬間であった。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『相生線』を御覧下さい。



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No title * by オータ
1982年、初めて北海道を旅した時に 一度だけ乗っています。
やはり キハ22が似合うイメージですね。
後に出た 北海道新聞社の本に出ていましたが、美幌を出て すぐの旭通仮乗降場 ここの切符をお持ちとは…さすが!!

イイおじさん夫婦がいたもので… 親切な人って 田舎にはいるものです。ただ、イイ気持ちになった代償は大きかったですね(笑)

No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
のどかですね。

No title * by 風来梨
オ-タさん、こんばんは。

相生線は廃止ロ-カル線の中では目立たない路線でした。 そして、早い段階で廃止されたので、写真に残せたこのアタックは貴重ですね。

そして、このオチャメな体験も貴重ですね(笑)

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この頃は長閑でおおらかでしたね。

やはり世の中に、今と違って余裕が感じられましたね。

No title * by マジック・ドランゴ
こんにちは、はじめまして。今年夏に初めて北海道旅行した際、ドライブ中トイレ休憩した道の駅が北見相生駅でした。それ以来、相生線について調べていたらこちらのブロクに到達しました。お宝写真はおそらく町道の踏切辺りでとられたのでしょうか。もうその一帯は今は森に覆われているようです。奥の鉄橋はまだ残っているんですかねぇ…

No title * by 風来梨
マジック・ドランゴさん、こんばんは。

道の駅「あいおい」の敷地の所は、当時は雪原でした。 たぶん、木材の集積ヤ-ド跡だったと思います。

お宝写真の所は、その通りです。 相生線の痕跡は、鉄道公園として整備された北見相生駅周辺以外は路盤跡が判る位で、路線の他の駅は全て撤去されているようです。

寂しい事ですが、相生線という路線があった記憶は、北見相生駅の駅舎内だけですね。

コメント






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No title

1982年、初めて北海道を旅した時に 一度だけ乗っています。
やはり キハ22が似合うイメージですね。
後に出た 北海道新聞社の本に出ていましたが、美幌を出て すぐの旭通仮乗降場 ここの切符をお持ちとは…さすが!!

イイおじさん夫婦がいたもので… 親切な人って 田舎にはいるものです。ただ、イイ気持ちになった代償は大きかったですね(笑)
2015-03-24 * オータ [ 編集 ]

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のどかですね。
2015-03-24 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

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オ-タさん、こんばんは。

相生線は廃止ロ-カル線の中では目立たない路線でした。 そして、早い段階で廃止されたので、写真に残せたこのアタックは貴重ですね。

そして、このオチャメな体験も貴重ですね(笑)
2015-03-24 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この頃は長閑でおおらかでしたね。

やはり世の中に、今と違って余裕が感じられましたね。
2015-03-24 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんにちは、はじめまして。今年夏に初めて北海道旅行した際、ドライブ中トイレ休憩した道の駅が北見相生駅でした。それ以来、相生線について調べていたらこちらのブロクに到達しました。お宝写真はおそらく町道の踏切辺りでとられたのでしょうか。もうその一帯は今は森に覆われているようです。奥の鉄橋はまだ残っているんですかねぇ…
2015-12-16 * マジック・ドランゴ [ 編集 ]

No title

マジック・ドランゴさん、こんばんは。

道の駅「あいおい」の敷地の所は、当時は雪原でした。 たぶん、木材の集積ヤ-ド跡だったと思います。

お宝写真の所は、その通りです。 相生線の痕跡は、鉄道公園として整備された北見相生駅周辺以外は路盤跡が判る位で、路線の他の駅は全て撤去されているようです。

寂しい事ですが、相生線という路線があった記憶は、北見相生駅の駅舎内だけですね。
2015-12-17 * 風来梨 [ 編集 ]