風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第94回 山陰本線・保津峡駅

路線の思い出   第94回  山陰本線・保津峡駅  〔京都府〕


この項目を鉄関係に知らしめれば
濃い『過去鉄』が押し寄せる・・かもね

《路線データ》
       営業区間と営業キロ                  輸送密度 / 営業係数(’15)    
  京都~幡生・長門市~仙崎 677.6km           4785  /   309
運行本数
時刻表を見てください


中途半端に土地柄に合わせて
更にハズした感じの保津峡”新”駅
※ ウィキペディア画像を拝借

保津峡駅(ほづきょうえき)は、京都府京都市西京区と亀岡市にまたがるJR西日本・山陰本線の駅である。 保津峡の山間部に位置し、両側をトンネルに挟まれた駅である。 相対式ホーム2面2線を有する橋梁上の高架駅で、分岐器や絶対信号機を持たない為に停留所に分類される。 2016年(平成28年)度の1日平均乗車人員は438人である。

旧保津峡駅の所在地は京都市西京区であったが、現在の駅はホーム中央部の直下を市境界の保津川(桂川)が流れている為、ホームの一部と駅舎が亀岡市側にあり、所在地表記は亀岡市保津町保津山となる。

国鉄時代の管理局境界は保津峡~馬堀間に位置していた為、旧駅は綾部側が福知山鉄道管理局、京都側が大阪鉄道管理局が管轄する境界駅であった。 だが、駅開設および移転の経緯から、長距離運賃の特定都区市内発着による特例運賃計算の対象であり、亀岡市内に所在する当駅は営業上は「京都市内」の駅に属する。

亀岡駅管理の無人駅だが、自動券売機および、集札機能の無い簡易型の自動改札機が設置されている。
駅舎は小規模であるほか、ホーム幅も比較的狭い。 馬堀駅寄りに各ホームを結ぶ線路下の通路がある。 駅舎にトイレが設置されている。  ホームの一部は橋上にあり、真下を遊覧船(保津川下り)が通過する。

新線切り替え後の一時期(現駅舎と駅前整備の完成以前)は駅業務が旧保津峡駅で行われていた。
旧線の路盤を利用して新駅ホームの東端へ繋がる改札内通路が整備されていたが、のちに閉鎖されている。 駅自体が保津峡の中にあり、周辺に人家はない。 約4km北には、「柚子の里」や「清和天皇陵」などで知られる水尾集落がある。 駅前には3台程度駐車できるスペースがある。



観光用に改築されてはいるが
本当の保津峡駅はやっぱりコチラだわ
※ ウィキペディア画像を拝借

トロッコ保津峡駅(トロッコほづきょうえき)は、京都府京都市西京区嵐山北松尾山にある嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線の駅である。 単式ホーム1面1線の駅で、かつての山陰本線の保津峡駅である。
同線時代は相対式ホーム2面2線の駅だったが、随所にその跡が残されている。 ホーム有効長は7両分だった為、7両を超える編成はその分ホームからはみ出して停車していた。

駅施設はそのままトロッコ鉄道の駅舎に転用されている。 保津川に架かる吊橋の鵜飼橋が、一般客が当駅に出入りする唯一の手段である。
 
新線の開通に伴い移転した現在のJR保津峡駅との位置関係は直線距離で500メートルほどであるが、歩行可能な道は水尾川の谷を迂回している為に道なりの距離にして約1,100メートル離れていて、徒歩で約15分程かかる。

なお、移転直後は新駅舎が未完成であったために保守用通路(旧線軌道上の仮通路)を介して旧駅から出入りしていた(当時の旧線は廃線で、嵯峨野観光線はまだ計画のみであった)。 なお、この通路を経由すると旧駅までの最短距離となるが、現在は旧線にトロッコ列車が走っており一般の通行は禁止されている。



今回取り上げる山陰本線の『保津峡駅』は、もちろん線路付け替え前の魅力ある旧駅の事である。
この旧駅は、現在は保津峡景観を売りにしている観光鉄道の嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車の駅となっている。


現 保津峡駅
面白みのない駅になっちまったね


旧保津峡駅
ワテの語りたいのはコッチ
※ 2枚いずれもグーグル画像より拝借

そして現在の駅は、旧駅より1km程離れた保津川の川上の橋上駅となっている。 そして、駅を挟んだ両側はトンネルとなっており、列車の車窓からの景観は無いに等しくなっているようである。
また、駅の上からの景観も転落防止用の柵が高く、あまり情感が湧かないのである。 だから、付け替えられて放棄された旧線を観光用のトロッコ鉄道として活用したのであろうと思う。


急行【丹後】
3両目にグリーン車が連結されてるよ

それでは、その旧駅時代に小僧が撮ったかなり昔の写真で保津峡駅を語ろうと思う。 ワテが小僧だった頃の保津峡駅は、今のトロッコ駅のように屋根瓦の待合室などなく、庇のついた出入口が川に架かる唯一の駅への出入り通路である『鵜飼橋』に面していたのみであった。 要するに、単なる無人駅だったのである。


今の普通電車より遅い
快速列車

だが、「その橋が唯一の駅入り口である」という情景は日常光景ではドラマチックな絵風景となるのか、この駅風景は多くの映画やTVドラマに出演しているようである。 あの有名な映画『蒲田行進曲』でもロケ地として使われてた他、金田一耕助シリーズの『八つ墓村』で古谷一行扮する金田一がドラマの展開される村に入る為に降り立った駅がこの保津峡駅で、村に入る為に渡った橋がこの『鵜飼橋』であったのである。 他にも『火曜サスペンス』のドラマで多く使われてたみたいである。


『八つ墓村』の金田一が降りた列車の車両は
こんなの(牽引機関車は蒸気機関車だけど・・)でした

この項目はワテの駅に対する思い出を綴るモノで駅のエピソードを紹介する項目ではないので、この事はこの位にしておこう。 さて、この駅でのワテの思い出は、やはり『撮り鉄』である。


この当時誰も目を向けなかった旧客だが
今やワテのHPのドル箱写真だったりして・・
小僧の頃のワテって『先見の明』あり!?

でも、その時に撮った写真を見ると現在の鉄道の状況と完全に乖離していて、鉄道や運行される列車の概念を大いに狂わされるだろうね。 非電化の閑散区間を駅ホームからはみ出す位の長大編成の普通列車が往来したり、急行列車が今の特急なんかより余程に『優等列車然』として凛々しかった事を目にすると。


この普通列車は9両編成
保津峡駅では2~3両が
駅ホームからはみ出ます

そして、この頃小僧であった筆者も、今の学生世代の撮り鉄と比べてかなり思考が乖離している事も証されるだろうね。 この小僧(筆者)は、特急を一切撮ってないのである。 まぁ、当時に山陰本線を走っていた特急はキハ80系で、この車両は見た目がポンコツ臭くて写欲が湧かずに素通りさせていたよ。
今思えば勿体無い事であるのだが。


急行【白兎】
優等列車の貫録とはこういうのを云うのですね
今の特急よりずっと『優等列車』だよ

ここで撮った撮り鉄であるが、その内容は川を取り入れる『風景鉄道モドキ』で、車両ありきの『鉄道写真』ではないのである。 いい歳こいた現在に撮った写真ならばさほど驚く事ではないが、これを撮ったのが小僧だった・・というのが異質なのである。


川をアップにして鉄道車両を放ったらかすアングル
16~17歳の撮り鉄小僧にはまず有り得ない撮り方ですね

その撮り鉄の後に取った行動も異質であった。 この小僧(ワテ)は鉄道撮影を午前中に切り上げ、その後は嵐山まで歩いていたのである。 その道程は不可解で、嵐山とは逆の方向の水尾の里に立ち寄って清和天皇陵を拝んで、駅に戻り落合の里を経て清滝から嵐山までのロングランハイクである。

保津峡駅から清和天皇陵まで往復9kmと保津峡から阪急の嵐山まで7kmの16kmを、撮り鉄に来て歩いているのである。 でも、フイルムが切れたのか、このハイキングもどきでは写真は一枚も撮っていない。 


後半は水尾の里まで
意味不明のハイキング
※ グーグル画像より拝借

恐らく、これは撮り鉄で保津峡で粘るつもりが、フイルムが終わってしまってヤル事がなくなり、駅の《名所案内》で記してしたのを見て清和御陵を訪ねたのであろうと思う。 まぁ、それ以外には考えられないであろうしィ。


ちょっとした丘の上にある
源氏の始祖・清和帝御領
※ グーグル画像より拝借

だがこの行程も、若さと現役W・V部で培った『奇跡の体力』があってこそである。 今は無理だろうね。 担いで歩くのは苦痛でしかないカメラバック(銀箱)を肩に掛けて16km歩く・・つっ~のは。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『山陰本線』を御覧下さい。






 

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No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
いまはトロッコ列車ですよね。

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。

トロッコ列車と保津川下りのコラボで、かなり観光地としてPRされましたね。 でも、以前は最も近くの集落が、数キロ離れた清和稜のある水尾か落合の里の無人地帯でしかなかった所ですね。

その無人郷に、ホームからはみ出る程の長大編成の普通列車・・。
古き良き時代でしたね。

No title * by war*z*ra
福知山線の旧武田尾駅を思い出しました。

No title * by 風来梨
war*z*raさん、こんばんは。
見て頂いて、有難うございます。

そうそう、非電化時の福知山線の武田尾・道場も味がありましたね。道場駅なんか木造の旧家のような駅舎で、大都市・神戸市内にある駅とは思えない長閑ぶりでした。

No title * by 日本一周
保津峡を走るDDの客車列車、いいですね。
ほれぼれします。
このころの姿、撮っていなくて残念です。
もっと昔にはここをC54やC51が走っていたんですよね。目に浮かぶようです…。
トラバ、ありがとうございました。

No title * by 風来梨
日本一周さん、こんばんは。

この頃の旧形客車は、『撮り鉄』にもほとんど無視されてましたね。 私はこの頃に廃止ローカル線に熱中してたので、「都会の路線より無人原野を行く路線」、「電車より気動車」、「長大編成」より単行」、「特急より普通列車」でしたから、たまたま撮れましたね。

でも、撮ってて良かったです。 今や閑古鳥が鳴く我がホームページでは閲覧者のある項目になってますから・・。

こちらこそ、TB有難うございます。

コメント






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いまはトロッコ列車ですよね。
2015-03-22 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。

トロッコ列車と保津川下りのコラボで、かなり観光地としてPRされましたね。 でも、以前は最も近くの集落が、数キロ離れた清和稜のある水尾か落合の里の無人地帯でしかなかった所ですね。

その無人郷に、ホームからはみ出る程の長大編成の普通列車・・。
古き良き時代でしたね。
2015-03-22 * 風来梨 [ 編集 ]

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福知山線の旧武田尾駅を思い出しました。
2015-03-22 * war*z*ra [ 編集 ]

No title

war*z*raさん、こんばんは。
見て頂いて、有難うございます。

そうそう、非電化時の福知山線の武田尾・道場も味がありましたね。道場駅なんか木造の旧家のような駅舎で、大都市・神戸市内にある駅とは思えない長閑ぶりでした。
2015-03-23 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

保津峡を走るDDの客車列車、いいですね。
ほれぼれします。
このころの姿、撮っていなくて残念です。
もっと昔にはここをC54やC51が走っていたんですよね。目に浮かぶようです…。
トラバ、ありがとうございました。
2018-09-10 * 日本一周 [ 編集 ]

No title

日本一周さん、こんばんは。

この頃の旧形客車は、『撮り鉄』にもほとんど無視されてましたね。 私はこの頃に廃止ローカル線に熱中してたので、「都会の路線より無人原野を行く路線」、「電車より気動車」、「長大編成」より単行」、「特急より普通列車」でしたから、たまたま撮れましたね。

でも、撮ってて良かったです。 今や閑古鳥が鳴く我がホームページでは閲覧者のある項目になってますから・・。

こちらこそ、TB有難うございます。
2018-09-10 * 風来梨 [ 編集 ]