風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第93回 標津線・上武佐駅

路線の思い出   第93回  標津線・上武佐駅  〔北海道〕


上武佐駅
我が『風景鉄道』の発祥の地・・かな?

《路線データ》
      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’83)
 標茶~根室標津・厚床~中標津 116.9km         391   /  1366
       廃止年月日                   転換処置       
        ’89/ 4/30                阿寒バス・根室交通バス 
廃止時運行本数
          〔西春別線〕 標茶~根室標津    6往復
                 標茶~中標津    下り1本
                 中標津~根室標津  上り1本
          〔厚床線〕  厚床~中標津     4往復

上武佐駅(かみむさえき)は、かつて北海道標津郡中標津町字武佐にあったJR北海道・標津線の駅である。 1989年4月30日に標津線が廃止され、それに伴って廃駅となった。

駅の構造は、廃止時点で単式1面1線のホームを有した。 貨物及び荷物取り扱い廃止までは、島状の単式1面1線のホームを有し、駅舎とホームとの間に根室標津側から貨物積降線1本が引き入れられていた。 
駅舎は構内西側(中標津方面に向かって右側)の中標津側寄りにあって、駅舎とホーム中標津寄りの階段が連絡していた。 駅舎横の根室標津側には貨物積降場があったが、荷物及び貨物取り扱い廃止後に貨物積降線が撤去されている。

また、1944年から1954年まで、駅舎北側の貨物積降場に接して駅前を横切って中標津町開陽まで通じる殖民軌道根室線の停車場が置かれていた。

駅名の由来は、標津川支流武佐川の上流にあることから「上」を冠した。 『武佐』はアイヌ語の『モサ』が由来とされるが、はっきりしない。 アイヌ語研究者のジョン・バチェラーは、『モサ』・『モセ』・『ムセ』は『イラクサ』の意を持つとしており、武佐も同由来と考えられている。 なお、アイヌ文化ではイラクサの皮から繊維を取り出し『レタルペ』という着物を作っていた。

駅前には、映画『遙かなる山の呼び声』の撮影ロケ地であった事を示す中標津町が設置した標柱と、同映画の宣伝看板が設置されている。 また、駅跡付近の木には、ホーム上の高倉健と鈴木瑞穂、山田洋次の写真が付された『上武佐駅跡』の標識が付けられている。



標津線と言えば、原野をアップダウンを繰り返しながらゆく孤高の気動車の姿が絵となった路線である。 廃止ローカル線を追いかけていたあの頃のワテも、「そのシーンを是非とも撮りたい」と何度も通ったのである。


地平線の果てから
列車がやってきたかのような

その全線に渡って原野をゆくこの標津線ではあるが、鉄道利用の小僧が撮影するとなると、撮影場所や撮影時間がかなり限られてくるのである。 そして、小僧の持つ望遠系のレンズは今と同じ210mmの中望遠程度であるのだ。 このようにアプローチする足も撮影する武器も貧祖な状況で、この雄大な情景を撮りたいと欲するなら、念入りに事前調査するか、はたまた視点を変えるか・・のどちらかとなるのである。

まぁ、見知らぬ土地で車もなく、精々乗った列車の車窓から眺めるだけの小僧に事前調査など無理な話であるし、またこの時代はもちろんインターネットなどの『便利なモノ』は無いので、事前に知識を詰め込む事も難しいのである。

ならば方法論はただ一つ、少ない情報から検討をつけて『一発勝負』の気持ちを持って駅に降りて、「後は野となれ山となれ」の極意である。 即ち、降りた駅での「初めて見渡した」周囲の状況に合わせて、適当に撮るしかないのである。


キハ24がカーブに
身をよじりながらやってきた

そして、持つ『武器』が中望遠程度なら、それに固執しないように『視点』を広角レンズや標準レンズに向ける事なのである。 そうなのだ! 今のワテの写真撮影におけるレンズワークであるが、この頃からの持っていない望遠に「ナイモノねだり」するより、持っている標準レンズや広角レンズで何とかしよう・・という気持ちの持ち様が大きく関わっているようなのである。

そういう『視点』を変える事ができた『幸運』が・・、そしてそのデタラメなレンズワークでそれなりのモノが撮れた事が、ワテが写真を生涯の趣味として確立できた理由だと思う。


アップダウンの丘の先に
列車の光が見えた
※手持ちの望遠(210mm)ではこれが限界

「望遠系レンズ必須」な撮影場所で、広角系を多用するワテならではのデタラメなレンズワークであるが、この『デタラメ』をそれなりなモノにするには、やはり欠かせない重要な要素があるのだ。
それは、「周囲に広がる素晴らしい風景」なのである。 風景を中心にして鉄道を『添え物』とする主従の逆転した鉄道写真・・、ワテが提唱するこの『デタラメ』が、ワテの云う『風景鉄道』なのである。


もどかしい程の時間が経って
ようやく列車が近づいてきた
※ここまで望遠で撮って

標津線のアップダウン原野の撮影を語るつもりが、訳の解らんワテの写真談義になっちまったよ。
でも、無意識な中での『視点』の変化、つまり「人と異なるモノ」を魅る事が出来た時、そしてそれをやり始めた時点で自身の『世界=ワールド』が動き出すのだと思う。


空を見やると茜に染まった筋雲がたなびいていた
どうやら、明日は地吹雪となるかも
※最後は35mmに付け替えて

光進駅の巨大アップダウン
「さよなら標津線」オレンジカードより

あらら・・、話を標津線の事に戻すのが難しくなってきたねぇ。 まぁ、この時は特に出来事はなかったし。 今回降りた上武佐駅付近は駅近でアップダウンがあり、標津線を狙う鉄道利用の撮り鉄には好条件の撮影場所であったのだ。 でも、標津線の撮影地として最も有名なのは、光進駅を出てすぐの巨大アップダウンだけどね。 これは、また次の機会に。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『標津線』を御覧下さい。
       また、旅行記として『オホーツク縦貫鉄道の夢』もどうぞ。







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No title * by プリウス おじちゃん
こんばんは
その昔、独身時代に標津線に乗りました。
大阪から36時間ぐらいかかったかなぁ。

No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
北海道、行ったことないんです。
ほんと行って見たいな。
ナイス

No title * by 風来梨
プリウス おじちゃん さん、こんばんは。

もう、廃止から25年経つのですね。
私も初めての北海道は、大阪から今は無き特急【白鳥】と青函連絡船で北海道に上陸して、ここからも今は無き特急【北海】と急行【狩勝】でちょいと『King of ローカル線』の白糠線に寄って、これまた今は無き急行【ノサップ】で厚床から標津線・・と、今ならヨダレモノの列車を乗り継いで行きました。

計算すると、大阪から32時間位(白糠線に立ち寄ったのを除く)の所要時間ですね。

あぁ・・、もう一度この豪華移動を体験したいなぁ。

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

私の人生の40分の1位は北海道で寝泊まりしてますね。(苦笑)
北海道には、この数字が「そんなオーバーな!」って言いきれない程に行ってますね。

たぶん、もう30回位は行ってると思います。 夏は日高や大雪、暑寒別や知床の山や岬のアウトドア系、冬は撮り鉄ですね。 1ヶ月以上の放浪も何回かしてますね。 でも、北海道の宿に泊まったのは数えるほどで、ほとんどが野宿か車寝です。

最近は、正月にはほぼ毎年行ってますね。
完全な北海道中毒になっています。(苦悶)

まぁ、鳩や元朝日記者の植村など一部変なのがいますけど、そんなのは無視してあまりある魅力が北海道にはありますね。

No title * by 風来茄子
丘のアップダウンは見るだけでも楽しくて上武佐も幾度か降りています。当初は有人駅でKIOSKまであった筈ですが記憶違いかも?別海からの別海町営バスの終点がここだったと思うのですがそれも記憶違いだったりして・・・何せ大昔のことでっさかい。

この地方は何と言ってもムネオちゃんですね。何かとお騒がせな人ですがロシアルートの顔役でもあるので政府は毛嫌いせず上手く使って欲しいと思います。鳩ポは・・・クリミアの土に還ってもらいましょう(爆)

No title * by 風来梨
殿下の床下統一の道程は、有り余る駅下車回数でございまするな。
この豊富な駅下車数が、不動の「マルゥ~テェツ・ワ-ルド」を構築されたのでございまするな。 アッパレ感涙の涙にございまする。

上武佐にキオスクはなかったかと。 撮影がてら、この駅の駅舎内で持ち込んだ桃缶食った記憶はあるのですが・・。

でも、この上武佐駅舎は映画のロケで使われたそうなので、キオスクあったかも・・。

バスの件は「なんちゃって」なので、挨分かりませぬ。

コメント






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No title

こんばんは
その昔、独身時代に標津線に乗りました。
大阪から36時間ぐらいかかったかなぁ。
2015-03-15 * プリウス おじちゃん [ 編集 ]

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北海道、行ったことないんです。
ほんと行って見たいな。
ナイス
2015-03-15 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

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プリウス おじちゃん さん、こんばんは。

もう、廃止から25年経つのですね。
私も初めての北海道は、大阪から今は無き特急【白鳥】と青函連絡船で北海道に上陸して、ここからも今は無き特急【北海】と急行【狩勝】でちょいと『King of ローカル線』の白糠線に寄って、これまた今は無き急行【ノサップ】で厚床から標津線・・と、今ならヨダレモノの列車を乗り継いで行きました。

計算すると、大阪から32時間位(白糠線に立ち寄ったのを除く)の所要時間ですね。

あぁ・・、もう一度この豪華移動を体験したいなぁ。
2015-03-15 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

私の人生の40分の1位は北海道で寝泊まりしてますね。(苦笑)
北海道には、この数字が「そんなオーバーな!」って言いきれない程に行ってますね。

たぶん、もう30回位は行ってると思います。 夏は日高や大雪、暑寒別や知床の山や岬のアウトドア系、冬は撮り鉄ですね。 1ヶ月以上の放浪も何回かしてますね。 でも、北海道の宿に泊まったのは数えるほどで、ほとんどが野宿か車寝です。

最近は、正月にはほぼ毎年行ってますね。
完全な北海道中毒になっています。(苦悶)

まぁ、鳩や元朝日記者の植村など一部変なのがいますけど、そんなのは無視してあまりある魅力が北海道にはありますね。
2015-03-15 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

丘のアップダウンは見るだけでも楽しくて上武佐も幾度か降りています。当初は有人駅でKIOSKまであった筈ですが記憶違いかも?別海からの別海町営バスの終点がここだったと思うのですがそれも記憶違いだったりして・・・何せ大昔のことでっさかい。

この地方は何と言ってもムネオちゃんですね。何かとお騒がせな人ですがロシアルートの顔役でもあるので政府は毛嫌いせず上手く使って欲しいと思います。鳩ポは・・・クリミアの土に還ってもらいましょう(爆)
2015-03-16 * 風来茄子 [ 編集 ]

No title

殿下の床下統一の道程は、有り余る駅下車回数でございまするな。
この豊富な駅下車数が、不動の「マルゥ~テェツ・ワ-ルド」を構築されたのでございまするな。 アッパレ感涙の涙にございまする。

上武佐にキオスクはなかったかと。 撮影がてら、この駅の駅舎内で持ち込んだ桃缶食った記憶はあるのですが・・。

でも、この上武佐駅舎は映画のロケで使われたそうなので、キオスクあったかも・・。

バスの件は「なんちゃって」なので、挨分かりませぬ。
2015-03-16 * 風来梨 [ 編集 ]