2015-03-09 (Mon)✎
路線の思い出 第92回 のと鉄道・蛸島駅 〔石川県〕
街外れの小さな終着駅
蛸島駅
《能登線・路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数 (’83) 移管年月日 転換処置
穴水~蛸島 61.1km 1586 / 455 ’88/3/25 のと鉄道
移管時運行本数
穴水~蛸島 7往復
穴水~牛出津 1往復
穴水~珠洲 下り6本上り5本〔内 下り3本上り1本快速〕
《のと鉄道・路線データ》
廃止年月日 廃止転換処置 廃止時運行本数
’05・ 4・ 1 能登観光開発バス 穴水~蛸島 下り6本上り5本、穴水~牛出津 上り1本
穴水~珠洲 下り2本上り3本、牛出津~蛸島 上り1本
珠洲~蛸島 下り2本上り4本
蛸島駅(たこじまえき)は、かつて石川県珠洲市正院町にあった、のと鉄道能登線の駅で、能登線の終着駅であった。 能登線の路線廃止に伴い、2005年4月1日に廃止された。
単式ホーム1面1線のみを持つ駅で、線路は当駅から先ほんの数メートルほど伸びて終わっていた。
線路の末端にあった車止めは廃止後撤去され、現在は穴水駅構内で使用されている。 小さなコンクリート造りの駅舎は珠洲市正院町にあったが、ホームは珠洲市正院町と同市蛸島町にまたがっていた。
のと鉄道への転換後、当駅以東への延伸が検討された事もあるが、実現する事はなかった。
JR時代は駅員が配置されていたが、のと鉄道への転換以来無人駅となっていた。 また出札窓口が残っており、鉄道グッズが販売されていた。 廃駅後の2006年8月には、珠洲市で開催されたボーイスカウトの全国大会において、列車と綱引きをして何人の力で動かせるかというプログラムに利用され、ホームに置かれていた気動車が汽笛を鳴らすなど、イベント活用であるが復活を遂げた。
現在、駅舎はNPO法人『のとレールエア21』が管理しており、内部が一般公開されることがある。
この他、NT100形気動車が駅から200mほど西側の築堤上に設置された『新蛸島駅』に保存され、ゴールデンウィークや夏休みなどを中心に走行していた。 だが、この車両は、蛸島駅西側に新しい道路が建設された事によって線路が分断された為、新蛸島駅に移設されたものである。 現在は放置されている。
廃止になってもう10年の時が流れたか・・。 歳をとる訳である。 この路線を訪れたのは2回ある。
廃止ローカル線が大方廃止バス転換という結末で片づきつつあるJRへの経営移管の時の少し前と、第3セクターに経営移管されたこの路線自体が廃止となる10年前だ。 そして、季節はいずれも、春の兆しが漂いつつも冬の寒さが抜けきれないこの時期である。
やはり、3月の末は我が国の風習でいう『年度末』で、新年度を迎えるべくいろんな状況を改変するのであろうと思う。 従って、経営の観点から観ると、不採算部門はこの時期に集中して淘汰される事が多いようだ。
蛸島駅とのと鉄道・珠洲駅の入場券
訪れた時期が券面に記載されてますね
最初に訪れた時は、ただ単に終点の蛸島まで往復して、途中の矢波で降りて2~3ショット撮っただけに終わった。 この路線を訪れた目的は、この路線が廃止の候補としては『第三次廃止対象』と3番手であった事もあり、撮り鉄よりも路線完乗を優先した『乗り鉄』であったのである。 ・・で、当然、駄作しか撮れませんでした。 でも、今見ると「コレなんかいいかも」と自身の写真を持ち上げる『自分に優しい』ワテ。
コレなんか雰囲気出ていいかも
とボツった写真を再評価する小市民のワテ
その時は国鉄がJRに経営移管する前に、不採算部門である赤字ローカル線の廃止バス転換を推し進めていた時期である。 この頃のワテは、その廃止される路線を追って、各地の廃止ローカル線区を駆けずり回っていた。 そしてその傍ら、「(当時の国鉄の奨める)不採算路線の廃止で国鉄の膨大な赤字が解消する訳ないじゃないか!」と、小僧乍ら思っていた。
それは、「廃止されるローカル線の赤字額を全て束にしても、東海道本線単体の生み出す赤字額に届かない」という敢然たる事実があったからである。 でも、路線を維持したとしても、現在の公共交通の有り様を見ると散々たる状況となっていただろうな・・との想像も着く。
そしてその通り、この能登線から経営移管した《のと鉄道》も、経営移管から17年後の’05年に路線廃止の憂き目を見る事になった。 この路線の2度目の訪問は、この経営移管先が『さじを投げた』’05年の春、路線廃止の迫った『春先』である。
この時は時が経って、さすがに撮り鉄だけではなく、『奥能登』の名景としてこの地をめぐる計画を立てていた。 その訪れる『理由付け』として、のと鉄道のこの区間の廃止『も』あったのであるが。
蛸島駅名標
やはり駅名標は国鉄時代のがいい
その時の撮影地は途中の小さな波止場のある波並と、今回取り上げる蛸島である。
取り敢えず波並の方は、このネタを来年も使い回す下心満開の筆者(タワケ)の都合により、「来年の春回し」という事で。
終着駅・蛸島は珠洲市の街外れに位置し、普段は到着列車が10本、そして1列車あたりの乗降客が数名・・という田舎の終着駅なのだが、廃止の日が近づくにつれてどの列車も満員であった。
しかも“さよなら能登線”と銘打った旅行ツアーも企画されて、列車に乗ってやってくるツアー客を拾うべく、狭い片田舎の駅前に観光バスが待機する。
終着・蛸島駅に列車が入ってきた
列車が着くと狭い駅舎はツアー客と鉄道マニアでごった返した状態になり、駅ではかなりボッタクリの臭いがする記念切符セット(\2500~5000)が販売されていた。 この光景を見ると、“車で来て良かった”と強く感じるのである(今回は奥能登をめぐる旅の為、レンタカーでっす)。
駅舎の至る所に“マナーを守ってください”の啓蒙があった。 一部の者が不埒な事をすると、そのカテゴリー全てが非難を浴びるのは世の常だ。 だからであろうか、鉄道マニアはネットワーカーと同じくすごぶる評判が悪い。
駅でのごった返しの光景も、列車が発車してしまえばいつもの様に静かになる。 列車を見送ったなら、鉄道と別れて『奥能登』を訪ねてみよう。 蛸島の駅より先は道はか細くなって、岬の先端に向かっている事が実感できる。 そして、岬に近づくにつれ内海の域を出て、波が荒れ狂う外海の情景が広がってくるだろう。 これが、今回の旅の魅力である。
駅でのごった返しの光景も、列車が発車してしまえばいつもの様に静かになる。 列車を見送ったなら、鉄道と別れて『奥能登』を訪ねてみよう。 蛸島の駅より先は道はか細くなって、岬の先端に向かっている事が実感できる。 そして、岬に近づくにつれ内海の域を出て、波が荒れ狂う外海の情景が広がってくるだろう。 これが、今回の旅の魅力である。
狼煙海岸にある紅白の灯台の間で
波が逆巻き立っていた
《狼煙海岸》の沖合いに立つ赤と白の灯台と日本海の荒波が、まず旅人の目を奪う事だろう。
そして、断崖絶壁で仕切られた港風景・・と、岬ならではの情景が旅情を引き立てる。
やがて、日本海の荒波へ向けて光跡を照らす灯台の立つ『奥能登』の突端・禄剛崎へ。
西洋の古城の城壁を思わせる
禄剛崎灯台
禄剛崎灯台
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