風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線 第10回  若桜線

『私の訪ねた路線』 第10回  若桜線 〔鳥取県〕
 

若桜駅の入場券
 
《路線データ》
    営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’83)  
    郡家~若桜 19.2km            2059  /  512

   移管時運行本数(現 若桜鉄道の運行本数)    移管年月日     転換処置 
    8往復(10往復 内7往復は鳥取発着)       ’87/10/14       若桜鉄道
 

清流の川を渡る
若桜線列車
 
   《路線史》
鳥取から若桜を経て兵庫県の八鹿につなぐ目的で建設された路線である。 深く読めば、「関西圏から鳥取への短絡線としての目的があった」と言えなくもないだろう。 だが、若桜より先は着工される事なく終わっている。

沿線は梨や栗などの果実栽培が盛んな農村地帯で日中の人の往来は少ないものの、鳥取から比較的近郊の位置にある事から、通勤通学客が利用のほとんどを占めていたようである。 
国鉄時代もそれに対応して、急行【だいせん】の間合い運用であったグリーン車付の7両編成の列車を朝の1往復に充てていた。

この列車にまつわるエピソードとしては、グリーン車輌は“着席不可で立席・通路として利用するなら可”という取り決めがなされていたが、さすがにこの処置は利用者からは不評で、乗客からの抗議を受けた当局が着席を認めるべくシートカバーを外した・・という経緯がある。 
だが、朝の通勤列車は、7両編成の列車でも立席が出る程に利用者があったようである。

朝の通勤時間帯だけは混雑するものの日中は空気輸送で、基準期間の輸送密度は1558と算定され、1980年の国鉄再建法では第一次の廃止転換対象路線に指定される。 
これに対し地元では、廃止反対の戦略として輸送密度基準値の突破を掲げて乗車促進運動を精力的に行なった結果、1982年には2042と基準値を突破し転換協議会を中断させた経歴を持つ。

だが、他路線が廃止バス転換となり、存続する路線の大半が第三セクターの道を選ぶ・・という流れには逆らえず、1987年10月に移行して半年のJR西日本から第三セクター『若桜鉄道』に経営移管された。
経営移管から20年の時が経とうとしているが、全ての第三セクター・鉄道会社が抱える問題と同じく、車体更新や転換交付金で積み立てた基金の底着きにより再び存廃問題が浮上する懸念がある。
 


  《乗車記》
列車は、全て鳥取発となっていた。 従って、鳥取~郡家間は割愛しよう。 郡家駅より因美線を離れ、八東川に沿って鳥取南部の丘陵地帯を行く。 この丘陵地帯は二十世紀梨や葡萄、栗などの果物の栽培が盛んな所だ。
 
秋になると、果物の甘い豊かな香りが漂ってくることだろう。 八東川を渡って、程なく因幡船岡。
今は合併して八頭町となっている元船岡町の中心だ。 駅も古き良き木造の母屋のある立派な駅であった。
 
因幡船岡よりは、米子より蒜山から若桜・八鹿を通って宮津に至る雄大な酷道482号線が寄り添う。
次の隼は凛々しい駅名だ。 列車名でも戦闘機でもバイクでも最高級のモノに与えられる愛称と同じ名だ。
この国道は、次の安部まで併走する。 安部駅の直前で国道482号線は川を渡って、メイン国道の29号線と合流する。
 
線路は国道と川を挟む形で並行して、八東・丹比と古き良き木造駅舎に止っていく。 いずれも大きな母屋を持ち、大きな庇を下ろし、小さいながらも駅前ロータリーを備えた気品ある貴族のようななりの駅舎たちだ。 ワテも思わず、この駅たちの風情に惹かれて、丹比駅で下りる。
 
駅前には木材が並べられ、若桜の麓で切り出された木の香が漂う懐かしい眺めの駅だ。 駅からぶらぶらと歩くと、氷ノ山の雪解け水を育む川・八東川が清流を流していた。 ここで、春の光を浴びながら撮影を楽しむ。 写真は中学生時の筆者の写真なのでイマイチだが、それでもこれを見返した時、あの時の春の暖かい心地が蘇ってくる。
 

厨房なりの精一杯の
風景鉄道写真です
でも、駅に感銘したのに
なぜに駅の写真を
撮らなかったのだろう
やはり厨房・・考えが浅いですな
 
次は、終点若桜駅だ。 計画では八鹿まで・・あるが、たぶん延伸の可能性や意志はほとんどなかったであろう。 なぜなら、目の前に万年雪をまとう氷ノ山がデンとそびえ、25年を経た今でも氷ノ山を越える道はないのだ。 あるのは、辛うじて氷ノ山の下を大回りして、大屋町(養父市)経由の道があるのみだ。 若桜の駅は、氷ノ山の麓より切り出された丸太が、木の香をいっぱいに漂わす木材の街の駅であった。

  ※ 詳しくは、メインサイトの『魅惑の鉄道写真集』より『若桜線』を御覧下さい。



 
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No title * by カムイ
先輩、これ2年前のバイクツーリングの時、道の駅・はっとうで見かけた線ですよね? 先輩の写真は国鉄時代のだからシブいっスねぇ。

No title * by 風来梨
ワテは3セクの車両に興味はなかったが、チミの瞳は確かに輝いていたな。(笑)

チミはZRX400は調子いいかい? ワテのニンジャは、この前のポテチでハンドル曲がったよ。 治療費とオイル交換で2万円・・。

No title * by オータ
私も1983年3月に乗りました。キハ56の画像しか持っていませんが…あ、入場券も買ったはず。帰りは鳥取に向かって、やたら混んで来た思い出があります。

No title * by 風来梨
オータ様、こんばんは。

>私も1983年3月に乗りました。
実はコレ、1983年の4月の始めなんですよ。

鳥取駅朝の6時前だったっけ・・、若桜行の始発がこのキハ58のグリーン付急行編成だったんですね。 これの若桜折り返しの鳥取行が、例のグリーン立席扱いだったんですよね。 若桜線の中で最も込む列車だったので、この立席はかなり不評だったようです。

コメント






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No title

先輩、これ2年前のバイクツーリングの時、道の駅・はっとうで見かけた線ですよね? 先輩の写真は国鉄時代のだからシブいっスねぇ。
2011-04-05 * カムイ [ 編集 ]

No title

ワテは3セクの車両に興味はなかったが、チミの瞳は確かに輝いていたな。(笑)

チミはZRX400は調子いいかい? ワテのニンジャは、この前のポテチでハンドル曲がったよ。 治療費とオイル交換で2万円・・。
2011-04-05 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

私も1983年3月に乗りました。キハ56の画像しか持っていませんが…あ、入場券も買ったはず。帰りは鳥取に向かって、やたら混んで来た思い出があります。
2011-04-09 * オータ [ 編集 ]

No title

オータ様、こんばんは。

>私も1983年3月に乗りました。
実はコレ、1983年の4月の始めなんですよ。

鳥取駅朝の6時前だったっけ・・、若桜行の始発がこのキハ58のグリーン付急行編成だったんですね。 これの若桜折り返しの鳥取行が、例のグリーン立席扱いだったんですよね。 若桜線の中で最も込む列車だったので、この立席はかなり不評だったようです。
2011-04-09 * 風来梨 [ 編集 ]