風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第164回  沙留・流氷の丘

『日本百景』  冬  第164回  沙留・流氷の丘  〔北海道〕


流氷と列車の情景

今から四半世紀程前、オホーツクのこの区間には『本線』と名のつく鉄道路線があった。
その路線はオホーツク縦貫の夢を担う鉄路であると同時に、旅人の心を虜にして離さない魅力的な路線であった。

なぜなら、我が国ではこの地域でしか目にできない冬の風物詩“流氷”を望む事ができ、その車窓風景は旅人の心を揺り動かすエトランゼな情景だったのである。


その情景は旅人の心を
つかんで離さなかった
真に『日本百景』たる情景だった

だが、その路線は赤字路線で、国鉄時代から廃止予告をつきつけられた路線だった。
でも、路線がある頃は、『本線』と名乗る位だから「まさか廃止までにはなるまい」と思っていた。
しかし、国鉄がJRと変わって程なく、「採算が取れず、バス転換が望ましい路線」という国鉄時代から突き付けられていた理由で路線廃止となったのである。


その素晴らしい車窓風景を魅せる路線は
廃止を宣告された赤字路線だった

今は廃止された路線の残骸が所々残るのみとなり、街の様相も小さな船着き場のある波止場町から、団地タイプの集合住宅が経つ市街地形成へと変わっていた。


波止場より
『流氷源と単行列車』を狙って


沙留は流氷を望む
波戸場の小集落だった

その光景は「ただ春の夜の夢の如し」という平家物語のあの一節の如く、流氷を望む風光明媚な鉄道路線が在った事は『夢の如く・・』で、今はその存在さえ見出せない眺めへと変貌を遂げていたのである。


波止場町の小さな駅
流氷見物の窓口だった沙留駅


その変わりに変わった情景に
やるせなくなって
すぐに立ち去ってしまった
※2枚いずれもグーグル画像より拝借

廃止になって久しくの年月が経ってから、この路線と並行する国道238号線を伝って廃線跡を辿ってみたが、沙留駅跡に建つ白い団地状の集合住宅にあの頃の面影は皆無で、それを見てやるせなくなり、写真も撮らずに立ち去ってしまったよ。


この情景を目にした幸運を喜びたい
でも叶うならもう一度

今も冬になると流氷は接岸し、流氷が接岸するシーズンになったなら、それを砕氷しながら見物できる観光船も就航しているが、あの頃の『鉄道のあった情景』はその遥か上をゆく味わい深い眺めであったのだ。


流氷と明けに染まった空
そして単行列車の孤独な姿は
崇高というに相応しい

狙い時は、もちろん朝。 海の全てに敷き詰められた白い流氷群とピンク色に染まった空、そしてその中を行き交う赤い単行気動車の孤独な姿は、とても美しく崇高であった。


流氷は気まぐれ・・
来ない年もあれば貧弱な年もある
’89年は流氷が接岸しなかったので
この年が最後の流氷情景となった

だから、この記事を記す今だけは・・、あの頃の心を虜にされたあの車窓風景を思い返す事にしよう。
そう、あの流氷風景は、真しく『日本百景』たる情景だったのだから。


もうこの国には存在しない鉄道風景
それは「ただ春の夜の夢の如し」だったのか

  ※ 詳細はメインサイトの旅行記より 







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No title * by takataka
こんばんは。
もう四半世紀も経つんですね~。
流氷と列車、多くを語らずとも一目瞭然の素晴らしい光景です。

私は残念ながら、この光景は写真でしか見たことがありません。
最近、似た光景を求めて釧網線に行きたいなぁ~と思っているのですが・・・なかなか自由な
時間が確保出来ません。(涙)

No title * by 風来梨
takatakaさん、こんばんは。

時の流れは残酷ですね。
もう、こんなに経っちゃいました。 この間に、「奇跡の体力」はメタボ脂肪となんちゃって筋肉に、熱い情熱は熱気漏れになっちゃいました。

でも、あの頃の鉄道は、ブリバリに情熱を注いでも足りない魅力を秘めてましたね。

振り返れば、まだまだ撮り足りない悔いが過ぎりますが、同時に一欠けらでも撮り残せた幸運も感じますね。

No title * by タケちゃん
こんばんは。
今でも枝幸から南下していくと、紋別市街の手前から橋桁などが残っているのを見る事が出来ますよね。
観光路線としては言うこと無しの光景だったんですが、カネが絡むとどうしてもシビアな判断を迫られますからね・・・ってな当たり前なことを理解しつつも、やっぱり勿体ない「本線」だったよなぁ~、とついつい思ってしまうのでありました。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

>カネが絡むとどうしてもシビアな判断を迫られますからね

転換交渉では当初、比較的乗客の多い渚滑~遠軽と名寄~下川を第三セクターで移管する案が出たようですが、廃止となる渚滑~下川の興部町と西興部村が反発して、全線の存続を訴えた為、交渉が決裂して全線廃止と決したようです。 ・・ン! 興部町・・というと、沙留駅は第三セクター案でも廃止区間ですね・・(汗)

でも、本当に惜しいですね。 西興部での耐寒訓練など、私にとっては熱き『情熱大陸バカ』フル稼働の路線でしたから・・。

コメント






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No title

こんばんは。
もう四半世紀も経つんですね~。
流氷と列車、多くを語らずとも一目瞭然の素晴らしい光景です。

私は残念ながら、この光景は写真でしか見たことがありません。
最近、似た光景を求めて釧網線に行きたいなぁ~と思っているのですが・・・なかなか自由な
時間が確保出来ません。(涙)
2015-02-16 * takataka [ 編集 ]

No title

takatakaさん、こんばんは。

時の流れは残酷ですね。
もう、こんなに経っちゃいました。 この間に、「奇跡の体力」はメタボ脂肪となんちゃって筋肉に、熱い情熱は熱気漏れになっちゃいました。

でも、あの頃の鉄道は、ブリバリに情熱を注いでも足りない魅力を秘めてましたね。

振り返れば、まだまだ撮り足りない悔いが過ぎりますが、同時に一欠けらでも撮り残せた幸運も感じますね。
2015-02-17 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
今でも枝幸から南下していくと、紋別市街の手前から橋桁などが残っているのを見る事が出来ますよね。
観光路線としては言うこと無しの光景だったんですが、カネが絡むとどうしてもシビアな判断を迫られますからね・・・ってな当たり前なことを理解しつつも、やっぱり勿体ない「本線」だったよなぁ~、とついつい思ってしまうのでありました。
2015-02-19 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

>カネが絡むとどうしてもシビアな判断を迫られますからね

転換交渉では当初、比較的乗客の多い渚滑~遠軽と名寄~下川を第三セクターで移管する案が出たようですが、廃止となる渚滑~下川の興部町と西興部村が反発して、全線の存続を訴えた為、交渉が決裂して全線廃止と決したようです。 ・・ン! 興部町・・というと、沙留駅は第三セクター案でも廃止区間ですね・・(汗)

でも、本当に惜しいですね。 西興部での耐寒訓練など、私にとっては熱き『情熱大陸バカ』フル稼働の路線でしたから・・。
2015-02-20 * 風来梨 [ 編集 ]