風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第85回  白糠線・北進駅跡

路線の思い出  第85回  白糠線・北進駅跡  〔北海道〕


在りし時の北進駅名標

《路線データ》
         営業区間と営業キロ        輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
        白糠~北進 33.1km             123   /    3077

        廃止年月日         転換処置        廃止時運行本数 
        ’83/10/23         白糠町営バス         3往復

北進駅(ほくしんえき)は、北海道白糠郡白糠町上茶路にあった国鉄・白糠線の駅である。
白糠線の廃線に伴い、1983年10月23日に廃駅となった。 同線の終着駅であった。

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅で、同線の終着駅であった。 ホームは線路の西側(北進方面に向かって左手側)に存在した。 開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム北側の出入口から少し離れた場所に待合室を有した。 線路を延伸できる用地もあり、明らかに工事中の路線の暫定的終点の様相であった。 昭和56年度の1日乗降客数は4人との事。

1964年に白糠~上茶路で営業を開始し、1970年に当駅までの工事が完成していた白糠線であったが、既に炭鉱の閉山もあって利用客は見込めず、国鉄は開業を渋っていた。 そんな中、時の運輸大臣がゴリ押しをする形で、1972年にようやく開業にこぎつけた。

周辺の人口もわずかで列車本数も1日3往復であったため、若干学生の利用があるだけだったといわれている。  経営収支が巨額の赤字に陥った国鉄を立て直すべく1980年に国鉄再建法が施行され、それに基いて白糠線も、バスに転換すべき路線の対象となる特定地方交通線に指定され、地方閑散路線廃止の最初の事例として1983年に廃止された。 既存区間の全通から、路線廃止までの営業期間はわずか11年であった。

開業前の仮称は釧路二股(くしろふたまた)であったが、開業時に北進と改められた。
一般的な説ではここから更に北へ進んで発展させるべく、また池北線足寄駅までの延伸を期待しての命名であったとされているが、付近の学校が白糠線開業前から北進小中学校(2001年閉校)を名乗っているなど、字名であった可能性も指摘されている。



  旧国鉄白糠線・北進駅に立ち寄って・・
釧路の街を抜けて白糠に着いた頃には、もう昼を越えていた。 昨日も述べたが、北海道の冬の昼の1時とは勢いでいうと夕方の一歩手前なのだ。 白糠のセイコーマートで温かいカツ丼食って、『白糠線国道』の国道392号線を経由して糠平へ向かう。

せっかく『白糠線国道』を通るのだから、“我が青春のローカル線”に27年ぶりに会いにいこう。
この『白糠線国道』は、メチャクチャいい道である。 もう地方高速道路顔負けの高規格道路である。
そして、道はほとんど覆雪がなく、快調に60~70kmで飛ばす。


上茶路駅で販売していた北進ゆき乗車硬券と
白糠より茶路ゆき乗車硬券

道の横には旧白糠線のカルバートや盛土、路盤跡・トンネル跡が至る所にあり、それはそれで楽しい眺めだ。 また、縫別を越えると、いよいよコンクリート橋の跡が次々と現れる。
27年も経ったというのに、朽ちる事なく灰色のコンクリート肌を魅せる橋梁は、当時の最新の技術を駆使したのだろう・・との想像が着く。 そして、その当時の技術は、現代の技術に匹敵する位の頑健さも示しているのだ。


上茶路駅名標
※ ホンモノですよ~

やがて、上茶路に着く。 数年前の夏にも訪れたけど、どうしても上茶路駅跡を見つける事ができなかった。 それは過去の曖昧な記憶を頼りに、国道を挟んだ反対側を必死に見ていた為だ。
何故に反対側ばかりを見ていたか・・というと、あの当時の国道は白糠線の線路の右側を走っていたのだ。

それがどうやら、廃止になってから廃線跡の左側に付け替えられたようなのである。
往事に縫別~上茶路まで7kmを歩いた事もあり、その時の記憶(線路の右側に道路があった記憶)が脳裏にこびりついているのである。 道路が付け替えられた事を知らずに、過去の記憶だけで探し回っていたので見つけられなかったのだろうと思う。


在りし日の上茶路駅舎

・・で、今回もその知識だけで行ったので見つけられなかったが、今回は国道が付け替えられた事実が解ったので、今度は見つけられるハズである。 しかし、ワテは廃線跡探求の素質は皆無だなぁ。
未だに上茶路駅跡を見つけられんのだから。

まぁ、廃線跡探求にはそれほど拘りはないので、そのまま通り過ぎる。 
上茶路のバス停を越えて少し行くと、道道・上茶路電停線と思しき雪の被さった車道が上手の方に延びていたのと、国道はこの先で茶路川を橋で渡るのだが、その右手に平行して線路跡のコンクリート橋梁が続いていて、それは上茶路電停線の延びた先と奥で交わっているようなので、駅跡は右側だと確信ができた。



秘密のツボを必死に掘り返したらあったよ
北進駅のスタンブ
白糠駅に置いてあったものだけど

次は、北進跡だ。 こちらは、前回の訪問時に上茶路が発見できなかった事で、廃線跡探索自体に嫌気が差してパスした経歴があった。 こんな事を廃線跡探索家に言うと、張り倒されるだろうな。
張り倒されないまでも、『失格』の烙印を押されるのは間違いないだろう。

さて、北進跡へ。 前回は上の理由でパスしたので、北進駅へ行くのは廃止10日前のあの時より27年ぶりという事になる。 北進は元々国道沿いに集落があって、小中学校(今は廃校となっているらしい)や郵便局があった当時の記憶通りの配置となっている。 だから、容易に駅への進入路である右股への道道(143号線)と、駅跡への下降路は発見できた。


ホームのあった所を見る
あの時は線路に下りてキハ22を撮ったっけ

そして、あの頃とどう変ったのかを確かめたくて降りてみる。 降りてみたら、線路跡と思しき所に轍があり、何人かは車で探訪してるようだ。 でも、北進駅跡は、ものの見事に“ただの森の中”になっていた。


かつて車止めのあった所は
本当に行止りになっていた

奥に林業用の倉庫と思しき建物はあったが、“かつて鉄道が走っていた”という、こちらの記憶を全否定されるような眺めだった。 そう、「線路跡に付けられた轍の奥に鉄道用の橋がなかったなら」であるが・・。

悲しい位に跡形がなかった。 たまらず、その食パンの頭のように満々に雪で埋まった橋まで足を運んだ。 かつての記憶が全否定されるのに、抵抗するが如くに・・。 その橋の袂に行けば何かが解決する訳でも何でもなかったが、とにかく鉄道が通っていた証明を見たくてその橋の袂へ向かう。
それは轍はあるものの歩き辛く、何か人が近寄るのを拒んでいるみたいだった。 


視認できる鉄道の跡と言えば
この橋の頼りない欄干だけであった

距離は200m程なのだが、やけに長く遠く感じた。 そして、橋の袂に着いても何の解決もなかった。
ただ、食パンの頭のように雪を載せた頼りない欄干の橋だった。 上茶路で見た立派なコンクリート橋梁がウソのような頼りなさであった。 でも、かつてこの橋が映った写真を撮った記憶があったので、我が心的には十分満足であった。

だが、振り返り見ると、往事への思い入れが強いだけにやるせなくなってくる。
何もない原野となった駅跡を見るにつけ、モノの無常感に苛まれる。 27年という四半世紀ちょっとで、ここに鉄道があった面影さえ消し去られてしまうのか・・という無常感である。


橋の上から北進駅跡地を望む

只今の時刻は2時過ぎ。 だが、もう陽は傾き、夕方といってもいい光の具合だ。
その光の差し込み具合も、モノの無常観を大いに引き立てていた。

   ※ 元記事は『撮影旅行記集』の『地球遺産と鉄道の旅』の《3日目》をどうぞ。





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No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
いにしえを感じます。

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この路線・白糠線は、私の少年時代からの思い入れの強い路線でした。

ちょっとこっ恥ずかしく言えば、青春のあの時に夢中になった一つかも。

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いにしえを感じます。
2015-02-01 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

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アナリスト杢兵衛さん、こんばんは。

この路線・白糠線は、私の少年時代からの思い入れの強い路線でした。

ちょっとこっ恥ずかしく言えば、青春のあの時に夢中になった一つかも。
2015-02-01 * 風来梨 [ 編集 ]