風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第84回  米坂線・伊佐領駅・冬

路線の思い出  第84回  米坂線・伊佐領駅・冬  〔山形県〕
 

ずっと『お蔵入り』のボツ写真だったけど
今見ると吹雪でいい感じ
 
《路線データ》
          営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数(’15)
        米沢~坂町 90.7km                   388  /  258
 
運行本数(’18)
    米沢~坂町 5往復【内1往復 新潟~新発田 快速〔べにばな〕(米坂線内は各駅停車)】
    米沢~小国 1往復  米沢~羽前椿 3往復  小国~坂町 1往復 
    米沢~岩泉 下り1本・上り2本《土曜・休日1往復増》



ログハウス調のモダンな駅舎に
改築された伊佐領駅
※ ウィキペディア画像を拝借

伊佐領駅(いさりょうえき)は、山形県西置賜郡小国町大字伊佐領にあるJR東日本・米坂線の駅である。 単式ホーム1面1線を有する駅で、小国駅管理の無人駅となっている。

かつての貨物を取り扱っていた頃には交換設備を有していたが、貨物の取り扱い廃止と共に撤去されている。 駅舎は1993年にログハウス調のものに建て替えられ、新駅舎は待合室の機能のみとなったが、トイレは設置されている。 2004年度の乗車人員は、1日平均11人であった。


 
米坂線は若き日の『○鉄』全盛期には、いつも北海道からの帰りに立ち寄っていた路線である。
それは北海道周遊券が20日有効で、それを有効期限を目一杯使って、帰りは『セ・セ・セ・セイシュン18きっぷ』(この切符の名称はこっ恥ずかしいのでドモっちまう)で東北地方のローカル線をジグザグに伝って帰っていたのだ。
 
だから、いつも旅行日数は30日近くの大旅行だった。 三学期の期末試験が終わったなら、いつも終業式などの『学校イベント』をブッちぎって旅に出ていた『良くない』学生だったよ、ワテ。
 
でも、あの時にブッちぎって旅に出ていなかったら、多分こんなに『○鉄』ネタはなかったろうし、する事のない、何の自慢もない寂しい『普通の人生』だったろうな・・と思う。 いや、決して『普通の人生』が悪い訳じゃない。 むしろ、人が生きていく規範として奨励されるべき生き方だろう・・と思う。
 

あの時『真面目ないい生徒』だったなら
この写真と思い出はなかったと思う
 
でも、ワテには『向かない』のである。 ワテは、聞き手が内心で「コイツは自慢ばかりのしょうもない奴」と軽蔑しようが、自身を高ぶらせる事のできる『自慢話』の一つもない人生は到底耐えれないだろう。 その『自慢話』がアホ極まる事だとしても。
 
あ・ら・ら・・、鉄ネタとかけ離れてしまったね。 それでは元に戻すとして、この写真を撮った時は奇跡的に進路が決まっていて(でも、中退したしィ)、2月の始めから『オフ』となったのである。
北海道で流氷を撮るなど周遊券の有効期限を満喫しても、まだ暦は『2月』だったのである。
それで唯一この撮影旅だけは、東北の鉄写真も厳冬期の情景を撮る事ができたのだ。
 

今見るとスゲーよ
あの頃のワテは
 
この時の前夜は、ワテの旅スタイルのお約束として駅寝であった。 伊佐領は長椅子があり駅舎もしっかりしていたので、駅寝には『特A』クラスの駅であった。 そしてこの時は全盛期で、自炊用具も今なら「ホェ~」と嘆く程に重い『ホェーブス』というガソリンコンロを持っていたのである。
 
食事も農家から米をタダでもらって(農家の戸を叩いて「米1kg分けてもらえないか」というと、大抵「持っていけ」と分けてくれる)、釜飯の素を入れて釜飯を作ったり、豚汁をこしらえたりしてたし。
今思えば、現在の食生活よりいいよ。 栄養満点だしィ。 たまに農家の方が、野菜や魚も分けてくれたしィ。


30年も前の事なので良く憶えていないけど
駅寝した伊佐領駅舎はこんなの?
※ グーグル画像を拝借

・・で、翌朝は、絶好調なSTB(駅寝)生活とは裏腹に、ちょっと厳しめの吹雪だった。
でも、ここまでして『撮り鉄』を断念していては、何の為か解らなくなる。 今のワテなら「体力的に止む無し」として撤退するかもしれないが、この時のワテはそれを許さなかったらしい。 吹雪の中、果敢に出撃していたよ。 それも国道沿いとはいえ、2.5kmも離れた撮影地まで徒歩で向かってたよ。

その時に撮った写真を今日引っぱり出したら、とても懐かしく思えてスキャンする事にしたよ。
当時は1枚を除いて、「使えない」駄作としてお蔵入りしていたのであるが。 それでは、その時の模様をごろうじろ。
 

ここで吹雪かれながら
2時間近く列車を待ってたみたい
 

今見るとシブ過ぎっ!
何で『お蔵入り』にしたのだろうか?
 
     ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『米坂線』を御覧下さい。




 
 
 
 
 
 
 
 
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No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
でもこの大雪の日に我慢強くシャッターチャンスを狙っておられたのですね。
ナイス

No title * by おじさん
大昔
米坂線の沿線に住んでました
いや
米沢から、すぐ次の駅の近くですが
なつかすいです
byおじさん

No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。

車の免許がなく鉄道利用のこの頃の『撮り鉄』は、結構ハードでしたね。 学生だったから金もなく、移動から宿泊までの全てに極力費用をかけない事も命題でしたし。

こんな根性のいる事・・、今では無理ですね。(笑)

No title * by 風来梨
おじさん さん、こんにちは。

この記事で雪深い米沢を思い返して頂けて、嬉しく思います。

夏は米沢から会津に下って、飯豊山などを楽しんでいます。
飯豊山の景観については、夏のその機会に・・

No title * by たけし
吹雪のなか、列車の通過まで待ってシャッタ-を切る。
その根性は半端じゃないですね!感動です。

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。

かつては奇跡の体力がありました。

今はそれが「ズボラウイルス熱」で冒されて、脂身に変わってしまいました。

それを目にして、枕を涙で濡らす日々が続いています。(涙)

コメント






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No title

でもこの大雪の日に我慢強くシャッターチャンスを狙っておられたのですね。
ナイス
2015-01-26 * 散位 アナリスト杢兵衛 [ 編集 ]

No title

大昔
米坂線の沿線に住んでました
いや
米沢から、すぐ次の駅の近くですが
なつかすいです
byおじさん
2015-01-26 * おじさん [ 編集 ]

No title

アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。

車の免許がなく鉄道利用のこの頃の『撮り鉄』は、結構ハードでしたね。 学生だったから金もなく、移動から宿泊までの全てに極力費用をかけない事も命題でしたし。

こんな根性のいる事・・、今では無理ですね。(笑)
2015-01-26 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

おじさん さん、こんにちは。

この記事で雪深い米沢を思い返して頂けて、嬉しく思います。

夏は米沢から会津に下って、飯豊山などを楽しんでいます。
飯豊山の景観については、夏のその機会に・・
2015-01-26 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

吹雪のなか、列車の通過まで待ってシャッタ-を切る。
その根性は半端じゃないですね!感動です。
2015-01-26 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんばんは。

かつては奇跡の体力がありました。

今はそれが「ズボラウイルス熱」で冒されて、脂身に変わってしまいました。

それを目にして、枕を涙で濡らす日々が続いています。(涙)
2015-01-27 * 風来梨 [ 編集 ]