2015-01-17 (Sat)✎
路線の思い出 第82回 渚滑線・北見滝ノ上駅 〔北海道〕
駅スタンプを「押してて良かった」と思う程に
記憶が希薄な渚滑線
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
渚滑~北見滝ノ上 34.3km 303 / 1742
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 4/ 1 北紋バス 渚滑~北見滝ノ上 下り7本・上り6本
渚滑~上渚滑 下り1本(休日運休)
北見滝ノ上駅(きたみたきのうええき)は、北海道紋別郡滝上町栄町にあった国鉄・渚滑線の駅である。 渚滑線の廃線に伴い、1985年4月1日に廃駅となった。
駅名の由来は当駅の所在する地名からで、滝ノ上の市街地が渚滑川の滝の上側にある事に由来ししている。 当駅開業時には既に夕張線(現在は石勝線)に滝ノ上駅が所在したので、区別する為に旧国名の「北見」を冠した駅名となった。
廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、同線の終端駅であった。 ホームは線路の北側(北見滝ノ上方面に向かって右手側)にあった。 その他にも、渚滑方から駅舎側に分岐して駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの旧貨物側線を1線と、貨物側線の手前より分岐し構内の南側をめぐり発着線の延長で収束する形の引き上げ線、およびその途中東側から南西側へ分岐した転車台の残存する車庫線を1線有していた。
かつては貨物列車の運行があった名残で構内は広く取られており、貨物最盛期の1955年(昭和30年)頃は5番線まで存在し、貨物線や積卸線も有していたが、1983年(昭和58年)時点では大部分の側線が撤去されていた。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた。 開業時からの木造モルタル塗りの比較的大きな駅舎であった。 貨物輸送は原木が主体であり、貨物列車廃止後も駅構内は製材所や貯木場に囲まれていた。 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は89人との事。
旧駅構内は滝上町によって、「北見滝ノ上駅舎記念館」として整備されている。 駅舎は少し南側(山側)に移設され、舎内に当時の時刻表、駅名標、行先標、乗車券、備品などの渚滑線関連資料が保存・展示されている。 また舎外には標識や一部の線路が保存され、ロッド式の古典的貨車移動機が静態保存・展示されている。
駅前のロータリーも復元されており、「滝上」停留所が設置され、渚滑線廃止代替バスなど北紋バスの路線バスや、旭川・札幌方面からの都市間高速バスが発着する。
また、1997年11月の時点では、滝上市街を流れている川に架かっていた鉄橋跡を「虹の橋」という観光展望台に整備し、春には名物のシバザクラ観望用に利用されている。
この路線は、筆者が北海道に入り浸りになる前に路線廃止となったので、乗車やナンチャッテ撮り鉄といった『○鉄』は1回コッキリである。 まぁ、正確には2回あるのだが、最初は室内用タングステンフイルムを使ってしまう痛恨の『フイルム間違い』で、実績は帳消しになっているのである。
氷結したサクルー川を渡る渚滑線列車
それ故に車窓風景や駅の情景など、あまり路線の記憶はないのである。 だが、偶然というか何というか、高校に入ったばかりのガキが撮ったにしては衝撃の「今よりスゲー上手ぁ~い」傑作が撮れたので、その写真を撮ったシーンだけは逐一憶えている。
そして、その後に雪の滝上渓谷をラッセルで『探検』したのだが、今思えば「若さって素晴らしい」と涙してしまう馬力があったようだ。 何と、雪に埋もれた渓谷探勝路をラッセルで突貫していたようである。
冬の滝上渓谷
もちろん探勝路は冬季閉鎖で
若き日のワテはコレをラッセル突進
でも、この路線のイチ押しは滝上公園の丘がピンクに染まる春の情景なのである。 まぁ、北海道の5月は行くのがほぼ不可能な季節ではあるが、丘をピンクに染めるシバザクラを背景に北見滝ノ上駅の俯瞰撮影をしたかったなぁ・・と、今でも憧れに似た悔いが残っている。
そして、今年の冬に稚内へ行く途中の寄り道で立ち寄ったのだが、滝ノ上の町は紋別に向かう途中の小さな町集落となってこじんまりしていた。 駅舎はそのまま鉄道記念館として保存されているようだが、冬季は閉鎖されて除雪も行われないようで、見た目はほとんど廃屋であった。 その閉鎖された駅舎を目にして、「滝ノ上駅はこんなにボロ民家然としてたっけなぁ」って思ったものである。
鉄道記念館となった駅舎は
冬季閉鎖・放置されていたので撮る気にならず
なので、現役稼働中の駅舎おば・・
駅舎を撮ろうとカメラを構えてみたが、隣にある喫茶店の場違いな白いチャペル状の建物が駅舎の上に入り、周囲は喫茶店の利用客や公民館関係の車の駐車場&駐車場を確保する為に除雪した雪が吹き溜まり状に盛られているなど今イチ過ぎて、写真を撮る気はさすがに失せてしまったよ。
鉄道がなくなって滝ノ上の町は、「本当に紋別へ向かうべくの中継の町でしかなくなったみたいだ」と感じたよ。 鉄道があった頃の木材の積まれた樹の香りがした集積場、暖簾のかかった駅前のメシ屋、木材加工の工場のトンカチ音などは皆無で、活気ある街の姿を今の滝ノ上の町からは感じる事はなかったよ。
ローカル線の終点付近にしては
明るい雰囲気だった
明るい雰囲気だった
鉄道があった頃は、廃止ローカル線の終端駅にしては活気を感じたのだが。
今は、遠い過去の事になってしまったみたいだ。
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No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。
先日はブログリンクをして頂きまして、ありがとうございます。
時が経って他所では足跡記事も少なくなってきている旧国鉄の廃止路線ですが、私はこの頃が青春(ちょっとこっ恥ずかしいですね・・このコトバ)真っただ中でした。
その時の思い出をご覧頂き、またお褒めの言葉を頂きまして有難うございます。
先日はブログリンクをして頂きまして、ありがとうございます。
時が経って他所では足跡記事も少なくなってきている旧国鉄の廃止路線ですが、私はこの頃が青春(ちょっとこっ恥ずかしいですね・・このコトバ)真っただ中でした。
その時の思い出をご覧頂き、またお褒めの言葉を頂きまして有難うございます。
No title * by たけし
北海道というと夏の富良野、夜の小樽と相場がきまっていますが
このようなロ-カルな風景と雪景色は風来梨さんならではですね。
ナイス!
このようなロ-カルな風景と雪景色は風来梨さんならではですね。
ナイス!
No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。
カメラを持つと、北海道はワンダーランドですね。 夏の大雪山や日高の山々、冬は流氷と雪の風景鉄道・・
これが、私の北海道での定番です。(笑)
カメラを持つと、北海道はワンダーランドですね。 夏の大雪山や日高の山々、冬は流氷と雪の風景鉄道・・
これが、私の北海道での定番です。(笑)
素晴らしい!