2014-11-29 (Sat)✎
路線の思い出 第73回 北上線・陸中大石駅(現在は ゆだ錦秋湖に駅名改称) 〔岩手県〕
消えてしまった
『思い出の駅』
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
北上~横手 61.1km 1766 / 459
運行本数(’10)
北上~横手 下り10本・上り8本
北上~ほっとゆだ 上り1本
北上~藤根 1往復(休日運休)
陸中大石駅(りくちゅうおおいしえき)は、岩手県和賀郡西和賀町耳取(みみどり)にあるJR東日本・北上線の駅である。 1991年6月に、駅名がゆだ錦秋湖駅(ゆだきんしゅうこえき)に改称されている。
現在は、単式ホーム1面1線を有する駅で北上駅管理の無人駅である。
以前は島式ホーム1面2線を有する交換駅で運転要員も配属されていたが、1986年10月の駅無人化と共に交換設備も撤去されている
実を言うと、駅名が『ゆだ錦秋湖』に変わっていた事も、つい最近まで知らなかったりして。
というのも、訪ねたのは30年近く前なのだから。
でも、その路線の『思い出の駅』の駅名が変わっているって、何か切ない気持ちになるね。
その切なさついでに、『ゆだ錦秋湖』に駅名の変わった陸中大石駅をネットで検索してみると、「検索しなきゃよかった」という結果が出てきたのである。 それは、この線を撮影する為に駅寝までした陸中大石は、駅舎が取っ払われて待合室のみの棒線駅となっていたのである。
停留所化した現在の駅の様子
※ グーグル画像より拝借
以前に鉄道雑誌のコラムで『故郷の駅に戻ってみれば 思い出の駅は無残・・』ってのがあって、この記事のサビである「念願叶って故郷に戻ってきた時、思わず立ちすくんでしまったオレの気持ち・・ 解りますか? 駅に刻んだ故郷の思い出が跡形もなくなっていた現実を知ったオレの気持ちを・・」というのを思い出したよ。
ワテの中ではこの駅は
いつまでも『陸中大石駅』なのだ
その思い浮かんだコラムが気になって、そのコラムの載ってる鉄道雑誌を探し出してもう一度読み返してみる。 それは記憶とは多少違う記述だったが、最後の締めくくりである「あの駅にはもう行けないのだ」という言葉には少し感情移入してしまったよ。
まぁ、ワテのこの駅での思い出は一回コッキリに訪れて『駅寝』したもので、『故郷の駅』とは比べ物にならん位に浅いが、それでも錦秋湖とキハ58の冬の情景が撮りたくて頑張った!?ガキの頃の思い出が夢散している現実に、切ない思いが重なるのである。
まぁ、撮った写真は駅寝までした割には大した事ないデキなのだが、それでもこの写真が撮れたのは陸中大石駅の駅寝に耐えれる立派な駅舎があったればこそなのである。 これが今の待合室のみの簡素な駅だったなら、たぶんこの駅で降りる事もなかっただろうし、錦秋湖とキハ58の写真もなかったと思う。
駅にあった手書き絵の案内板を見て
湖を渡る鉄橋の位置を確認したよなぁ
それは廃止線と違って、『北上線』という路線は現存しているのである。 だが、この地で刻んだ自分の『足跡』は無くなって、『別物』となっていたのである。 この有るはずの自らの刻んだ足跡が、時と共に消された事実に切ない気持ちを抱いたのである。
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No title * by 散位 アナリスト杢兵衛
のどかですね。
No title * by 風来梨
アナリスト杢兵衛さん、こんにちは。
かつての余裕のある時代の頃ですね。
思えばこの時代の旧国鉄も、どんなに赤字で乗客が僅かな数の交通弱者だったとしても、毎日の定時運行を確約する優しさと力がありましたね。
でも今は、余裕がないせいか世知辛い世の中になってます。
私個人としては、鉄道を追い廻していたあの頃の思い入れが大きいですね。
かつての余裕のある時代の頃ですね。
思えばこの時代の旧国鉄も、どんなに赤字で乗客が僅かな数の交通弱者だったとしても、毎日の定時運行を確約する優しさと力がありましたね。
でも今は、余裕がないせいか世知辛い世の中になってます。
私個人としては、鉄道を追い廻していたあの頃の思い入れが大きいですね。