風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第71回  白糠線・上茶路駅

路線の思い出  第71回  白糠線・上茶路駅 〔北海道〕
 

ネットで出回ってる上茶路駅名標は偽物ですよ~
現役時代の本物はコレ
 
《路線データ》
       営業区間と営業キロ      輸送密度(’79) / 営業係数(’83)        
      白糠~北進 33.1km           123  /  3077             
 
       廃止年月日         転換処置         廃止時運行本数
       ’83/10/23        白糠町営バス          3往復


上茶路駅(かみちゃろえき)は、北海道白糠郡白糠町上茶路にあった旧国鉄・白糠線の駅である。
白糠線の廃線に伴い1983年(昭和58年)10月23日に廃駅となった。 廃止時点で、島式ホーム片面使用の1面1線を有する駅であった。

その他、貨物取扱の名残である側線を有していた(1983年時点で駅舎側に3本、うち2本は駅舎とホームをつなぐ構内踏切の部分のみ撤去されており、残り1本は踏切手前までの敷設であった。 また転轍機は外されていた)。 ホームは線路の東側(北進方面に向かって右手側)に存在し、上屋を有していた。

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。 乗車券類は簡易委託化されており、廃止時まで販売が行われていた。 1日乗降客数は3人との事。



廃止された旧国鉄のローカル線で、最も好きだった路線がこの白糠線だった。 その好きさ加減は、高校の職員室から学校長印を無断拝借して学割を自ら作成してまで行きたいと願った究極の想いを抱いた路線である。←しかしこのタワケ(筆者)、ガキの頃から相当のロクデナシだなぁ・・
 
そういう『下準備』をして、この路線が国鉄の『特定地方交通線』の廃止路線第一号として廃止される10/23の10日ほど前の『学問の秋』のド平日を含む1週間に、この路線への借別撮影旅を敢行したのである。
 

おわかれ白糠線記念乗車券
コレ・・、結構レアだと思うよ
 
で、今はなき大阪~青森の特急『白鳥』と、これまた今は無き『青函連絡船』を乗り継ぎ、2日がかりで白糠にやってくる。 もちろん、宿泊先などは考慮せずの行き当たりバッタリ旅行だ。 取り敢えず、白糠線訪問の初日は終点の北進で8時間待つ(1日3往復なので、朝の便で北進について撮影の為に下車すると昼の14時まで列車がない←無人地帯で何もする事がない)究極の撮影をこなして、昼14時着の折り返しの便に乗って先に述べた通りに宿泊場所を探して上茶路へ向かう。
 

廃止されてから数年はあったらしいけど
もう取り壊されて存在しない上茶路駅舎
結構貴重写真だしィ
 
もう、ほぼこの駅で駅寝の意思を固めて・・。 で、この上茶路に降り立った時、TVカメラを回す一団と遭遇したのである。 「きっと、地元のTV局が廃止路線第一号となって廃止される白糠線の取材に来てるのだ」と思い、「こりゃぁ、まだ駅寝の準備(準備といってもゴザ敷いて、着込んで腹に新聞紙を詰め込む位だが・・)はマズいと思い、駅の周辺をウロウロする。
 

御覧のように1日3往復だけ・・
 
昼14時の折り返し列車には『葬式鉄』が多数乗っていたものの、さすがに1日3往復で下車する程に肝っ玉は据わってはいないようで、下車した者はワテ一人であった。
 

この駅で駅寝する程に根性が据わっていた!?
ので貴重な宝物ゲットできました。
この駅では地元に住む方が
車に乗って切符売りに来てたんですよね~
 
この昼の折り返しの列車が駅を出ると、車で追っかけていた『葬式鉄』も列車を追いかけていなくなり、閑散としたがらんどうの駅舎の中で『利用者はワテ一人』というTV局の狙い通りのシュチュエーションとなったみたいで、早速インタビューをするべくワテにマイクを向けてくる。
 
もう30年も前となるので、インタビューされた内容はおぼろげにしか記憶にないが、たぶん「廃止となるこの線とのお別れに訪問された鉄道ファン」云々で、「この線への思い入れをどうぞ!」って事だったと思う。
 
このアホは嬉しがってこのインタビューに答え、生まれて初めてのTV出演をするが、このインタビューに答えたアホガキは、『学校をサボってきている』という事をすっかり忘れている脇の甘いロクデナシ系のタワケだったのである。
 
・・で、この放送局は地元ローカル局だと思っていたが、『運悪く』フジTV系の全国ネット放送だったのである。 この『運悪く』とは、職員室に忍び込んで学割を作成して、学校を1週間サボってこの地くんだりまでやってきたタワケの行状が、全国ネットで嬉しそうにインタビューに答えるこのアホガキの面と共に放映されたのである。 要するに、全国ネットでこのアホガキの一連のオチャメな行動が白日の下に晒されたのである。
 

ハメ外しまくりのガキだったけど
学生の本分に従って借別に行ってなかったら
一生涯後悔した・・だろうと思う
 
帰ってから当然であるが、思いっきり搾られましたね。 その時に担任が溜息を着きながら呟いた言葉が印象的だった。 「酒やタバコの奴は単純にアホなので扱いが簡単だが、オマエのようなのは本当に厄介だ」と。 そして、日頃はダメな親父そのままの我が親父だが、この時だけはこの親父を尊敬したよ。 それは、この件で学校から何度も呼び出しを受けたみたいなのだが、親父は「ガキがしたいからしたまで」と意に返さず呼び出し応じなかったのである。
 
マイ親父は、中3の受験の時の進学懇談会で『じゃりん子チエ』のテツのように腹巻に手を入れてやってくるような究極親父であったが(あの時は隣の女生徒の親がヒソヒソと、「あの子ヤクザの子?」と聞いていたのが印象的だったよ)、この時ばかりはこの親父で良かったと思ったよ。 ノコノコ呼び出しに応じて担任に頭を下げる普通の親父なら、たぶん幻滅を感じただろうな・・と今でも思う。
 

翌朝に、この列車に乗って隣の駅・縫別へ
 
まぁ、こんなマンガでも起きないような体験が、この白糠線にはつまっているのである。
もちろんこの後は、このがらんどうに広い無人駅で野宿をして2日目を迎える。
2日目は隣の縫別で撮影をしたのだが、その事はまたいずれの時に。
 

廃止を10日後に控えた駅の夜に泊まって
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『白糠線』を御覧下さい。
 
 
 
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No title * by 風来茄子
閣下ぁ、成績表の印鑑に学割貼り合せて偽造してたアレですな。しかしご出立の密談を○里△駅で行ったのは失敗でした。クラスのクズ共が生徒指導部にチクって誤魔化すのが大変でしたわ><;
ワタイも連座処刑でしたよあとチョットで。閣下ったら休学喰らって「休みもらった。どっか行ける!」って喜んでましたよね(ーー;)


私らの世代で知らぬ寡占(変換出来ないw)に乗ってる人は少ないでしょうね。備考船(やっぱ出来ない><)と並ぶThe king of ローカル線だったと思います。私には結局届かぬ恋でございました。。

私の北海道デビューは卒業翌日、4月1日エイプリルフールでした。

No title * by 風来梨
あぁ、あの頃は、まだ殿下が写真床下を統一される以前の群愚割拠のすざましい時代でございました。

ワテも若き日の殿下を利用し、白糠の伝説上の英雄・源義経→チンギスハ-ンの如く白糠攻めを致しましたよ。

あの時、殿下がチクリ畜生どもの手にかかっていたなら、今の写真床界は混沌として収拾が着かなくなっていたでしょう。

そう思うと、殿下を利用して野望を成し遂げようとしたワテは何と不忠モノでございましょうや。

こんな不忠モノを、上茶路切符と北進スタンプのまいないでお赦し頂き、今思うと涙が溢れんばかりにございまする。

・・と、あの時の御礼はこのへんまでとしといて、学校のすぐ近くの★里丘で買ったのは、余りにも脇が甘かったですなぁ。

お陰で、一週間の閉門蟄居を喰らいましたが、あの時は御指摘の様に、確か蟄居先を出奔して木次・三江めぐりで遠征の刀傷を癒していたかと・・←果てしないロクデナシぶりでございまするなぁ・・ガキの頃のワテ

No title * by takataka
こんばんは、ご無沙汰しております。

うぅ~上茶路駅・・・実に懐かしいです!!
確か廃止の年の夏、学校行事で汽車に乗って上茶路まで行った記憶があります。
茶路川河川敷で弁当食べて、川で泳いで・・・あぁ懐かしい。

懐かしく、そして貴重なお写真をありがとうございます!

No title * by 風来梨
takatakaさん、こんばんは。

学校行事で上茶路ですか・・。 スゲー羨ますぃ~。 大阪なら、万博公園か箕面の滝か生駒山って所なので、本当に羨ますぃ~。

takatakaさんも、秋の創作に意欲的に撮りこんでおられますね。

よ~し、私もこの冬の北海道遠征(予定ですが)頑張ろっと。

目指すは、宗谷本線の雪飛ばすラッセルです。

No title * by yama
あっははは・・・
やんちゃ!だったのですね~。
マニアやんちゃと言ったほうが正解かな?
親父の思い出!ナイス!

風来梨さんの自叙伝!読んでみたい~

No title * by 風来梨
yamaさん、こんばんは。
いつも素晴らしい山の便りを有難うございます。
トラックバックも嬉しい限りです。

恥ずかしながら、あの頃そのままに歳食っちゃいました。

でも、体力は歳相応・・、いや進行速度をアップしてヘタレていってます。

それと、「ズボラウイルス熱」も深刻な状況に。

今年は8つの山に行きましたが、山記事は3つ目の山行までで放置状態のまま冬を迎えます。

このままでは、真冬に夏山の記事となるのは避けられないかと←自業自得ですね

No title * by 鳳山
なかなか味がありますね。

ナイス

No title * by yama
あっははは・・・
一緒!一緒!!

私も元々ズボラで歳と共に十数倍ズボラかましていますよぉ~
適当な理屈をつけて・・・

でも・・・OB生活スタートして16周年です
圧倒的に黄泉の世界が近い現在!
自然の刻に合わせ~気の向くまま~
の~んびりと・・・

No title * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
見て頂いて有難うございます。

ガキの頃から、こんなオチャメを繰り返しています。

与えられた運命は、「お笑い人生」です。(悶)

No title * by 風来梨
yamaさん、こんばんは。

こんなにズボラなれど・・、山でもズボラ+ヘタレなれど・・、なぜか山に行くと割とお気に入りの写真が撮れてしまう強運がついてます。

でも、高い確率・・というか、ほぼ全てでオチャメをかましてしまいます。

我が人生、「お笑い人生」です。

No title * by 宮越とまと
こんばんは。

大変貴重でほほえましいお話、とても楽しく拝見させていただきました。わたしなど、この線の事を初めて知ったのは、小学校の社会の教科書だったかだったと思います。「過疎」のコラムかなんかで出ていたかと思います。

No title * by 風来梨
宮越とまとさん、こんばんは。 見て頂き、有難うございます。

少年の頃から、趣味に対しては執着心が強かったですね。 他の事はからっきしでしたが・・。 これが勉学であり、仕事なら化けてたかも・・です。

だから、ローカル鉄や山へは、オチャメもいとわぬ強行・イケイケでしたね。

ローカル鉄は、中2の頃、士幌線の白樺とキハ22の写真を目にして虜になりました。 確か、安田成視氏の写真だったかと。

それまではブルトレと近鉄だけでしたが、この時鉄道の撮影観が「風景が主、鉄道は従」の「風景鉄道」に変わりましたね。

No title * by たけし
その昔、キスリングを背負って北海道を旅する若者を「カニ族」と言ってましたが、風来梨さんも仲間でしたか?
あちこち旅をしていてカッコいいです!健さんみたいです!渋いです!

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。

>キスリングを背負って北海道を旅する若者を「カニ族」と言ってましたが、風来梨さんも仲間でしたか?

ローカル鉄を追っていた若き時は、北海道の国鉄(まだJRになる前です)の車掌から、「真冬に駅寝しながら鉄道写真を撮るキテレツ4人衆」の末席に加えられてたりして・・。 こっ恥ずかしい過去を晒してしまった。

でも上位3名様は、ローカル撮り鉄に命を懸けていた「ホンマモン」で、弟子も引き連れていました。 もう彼らの撮影行動は、北海道ローカル撮り鉄の伝説となってましたよ。

でも、彼らの足跡は、インターネット上では全くないんですよね。 謎だ。

No title * by 風旅記
こんにちは。
白糠線の記事とお写真、しつこく反応してしまいすみません。
上茶路駅の駅舎のお写真、他では見たことがありませんし、本当に貴重なものかと思います。
色々とあったのかと思いますが、自分の目で見て、自分の五感で生のその土地を感じ取ったことよりも上にいくものはないのではないかと思います。
写真を通じて少しでも感じ取ったり、逆に伝えようとしたりしますが、一番は、自分の足でそこに立っていることですね。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

No title * by 風来梨
風旅記さん、こんにちは。

あの時に白糠線との惜別に行ってなかったら、これまで生きてきた間のずっと、頭の片隅に公開のモヤモヤがあったと思います。 だから、行って良かったと心の底から思っていますね。

それでも、もっと撮っておくべきだった・・という贅沢な後悔がありますけど。

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閣下ぁ、成績表の印鑑に学割貼り合せて偽造してたアレですな。しかしご出立の密談を○里△駅で行ったのは失敗でした。クラスのクズ共が生徒指導部にチクって誤魔化すのが大変でしたわ><;
ワタイも連座処刑でしたよあとチョットで。閣下ったら休学喰らって「休みもらった。どっか行ける!」って喜んでましたよね(ーー;)


私らの世代で知らぬ寡占(変換出来ないw)に乗ってる人は少ないでしょうね。備考船(やっぱ出来ない><)と並ぶThe king of ローカル線だったと思います。私には結局届かぬ恋でございました。。

私の北海道デビューは卒業翌日、4月1日エイプリルフールでした。
2014-11-16 * 風来茄子 [ 編集 ]

No title

あぁ、あの頃は、まだ殿下が写真床下を統一される以前の群愚割拠のすざましい時代でございました。

ワテも若き日の殿下を利用し、白糠の伝説上の英雄・源義経→チンギスハ-ンの如く白糠攻めを致しましたよ。

あの時、殿下がチクリ畜生どもの手にかかっていたなら、今の写真床界は混沌として収拾が着かなくなっていたでしょう。

そう思うと、殿下を利用して野望を成し遂げようとしたワテは何と不忠モノでございましょうや。

こんな不忠モノを、上茶路切符と北進スタンプのまいないでお赦し頂き、今思うと涙が溢れんばかりにございまする。

・・と、あの時の御礼はこのへんまでとしといて、学校のすぐ近くの★里丘で買ったのは、余りにも脇が甘かったですなぁ。

お陰で、一週間の閉門蟄居を喰らいましたが、あの時は御指摘の様に、確か蟄居先を出奔して木次・三江めぐりで遠征の刀傷を癒していたかと・・←果てしないロクデナシぶりでございまするなぁ・・ガキの頃のワテ
2014-11-16 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは、ご無沙汰しております。

うぅ~上茶路駅・・・実に懐かしいです!!
確か廃止の年の夏、学校行事で汽車に乗って上茶路まで行った記憶があります。
茶路川河川敷で弁当食べて、川で泳いで・・・あぁ懐かしい。

懐かしく、そして貴重なお写真をありがとうございます!
2014-11-16 * takataka [ 編集 ]

No title

takatakaさん、こんばんは。

学校行事で上茶路ですか・・。 スゲー羨ますぃ~。 大阪なら、万博公園か箕面の滝か生駒山って所なので、本当に羨ますぃ~。

takatakaさんも、秋の創作に意欲的に撮りこんでおられますね。

よ~し、私もこの冬の北海道遠征(予定ですが)頑張ろっと。

目指すは、宗谷本線の雪飛ばすラッセルです。
2014-11-16 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

あっははは・・・
やんちゃ!だったのですね~。
マニアやんちゃと言ったほうが正解かな?
親父の思い出!ナイス!

風来梨さんの自叙伝!読んでみたい~
2014-11-17 * yama [ 編集 ]

No title

yamaさん、こんばんは。
いつも素晴らしい山の便りを有難うございます。
トラックバックも嬉しい限りです。

恥ずかしながら、あの頃そのままに歳食っちゃいました。

でも、体力は歳相応・・、いや進行速度をアップしてヘタレていってます。

それと、「ズボラウイルス熱」も深刻な状況に。

今年は8つの山に行きましたが、山記事は3つ目の山行までで放置状態のまま冬を迎えます。

このままでは、真冬に夏山の記事となるのは避けられないかと←自業自得ですね
2014-11-17 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

なかなか味がありますね。

ナイス
2014-11-17 * 鳳山 [ 編集 ]

No title

あっははは・・・
一緒!一緒!!

私も元々ズボラで歳と共に十数倍ズボラかましていますよぉ~
適当な理屈をつけて・・・

でも・・・OB生活スタートして16周年です
圧倒的に黄泉の世界が近い現在!
自然の刻に合わせ~気の向くまま~
の~んびりと・・・
2014-11-18 * yama [ 編集 ]

No title

鳳山さん、こんばんは。
見て頂いて有難うございます。

ガキの頃から、こんなオチャメを繰り返しています。

与えられた運命は、「お笑い人生」です。(悶)
2014-11-18 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

yamaさん、こんばんは。

こんなにズボラなれど・・、山でもズボラ+ヘタレなれど・・、なぜか山に行くと割とお気に入りの写真が撮れてしまう強運がついてます。

でも、高い確率・・というか、ほぼ全てでオチャメをかましてしまいます。

我が人生、「お笑い人生」です。
2014-11-18 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。

大変貴重でほほえましいお話、とても楽しく拝見させていただきました。わたしなど、この線の事を初めて知ったのは、小学校の社会の教科書だったかだったと思います。「過疎」のコラムかなんかで出ていたかと思います。
2014-11-19 * 宮越とまと [ 編集 ]

No title

宮越とまとさん、こんばんは。 見て頂き、有難うございます。

少年の頃から、趣味に対しては執着心が強かったですね。 他の事はからっきしでしたが・・。 これが勉学であり、仕事なら化けてたかも・・です。

だから、ローカル鉄や山へは、オチャメもいとわぬ強行・イケイケでしたね。

ローカル鉄は、中2の頃、士幌線の白樺とキハ22の写真を目にして虜になりました。 確か、安田成視氏の写真だったかと。

それまではブルトレと近鉄だけでしたが、この時鉄道の撮影観が「風景が主、鉄道は従」の「風景鉄道」に変わりましたね。
2014-11-20 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

その昔、キスリングを背負って北海道を旅する若者を「カニ族」と言ってましたが、風来梨さんも仲間でしたか?
あちこち旅をしていてカッコいいです!健さんみたいです!渋いです!
2014-11-21 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんばんは。

>キスリングを背負って北海道を旅する若者を「カニ族」と言ってましたが、風来梨さんも仲間でしたか?

ローカル鉄を追っていた若き時は、北海道の国鉄(まだJRになる前です)の車掌から、「真冬に駅寝しながら鉄道写真を撮るキテレツ4人衆」の末席に加えられてたりして・・。 こっ恥ずかしい過去を晒してしまった。

でも上位3名様は、ローカル撮り鉄に命を懸けていた「ホンマモン」で、弟子も引き連れていました。 もう彼らの撮影行動は、北海道ローカル撮り鉄の伝説となってましたよ。

でも、彼らの足跡は、インターネット上では全くないんですよね。 謎だ。
2014-11-21 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんにちは。
白糠線の記事とお写真、しつこく反応してしまいすみません。
上茶路駅の駅舎のお写真、他では見たことがありませんし、本当に貴重なものかと思います。
色々とあったのかと思いますが、自分の目で見て、自分の五感で生のその土地を感じ取ったことよりも上にいくものはないのではないかと思います。
写真を通じて少しでも感じ取ったり、逆に伝えようとしたりしますが、一番は、自分の足でそこに立っていることですね。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
2017-11-20 * 風旅記 [ 編集 ]

No title

風旅記さん、こんにちは。

あの時に白糠線との惜別に行ってなかったら、これまで生きてきた間のずっと、頭の片隅に公開のモヤモヤがあったと思います。 だから、行って良かったと心の底から思っていますね。

それでも、もっと撮っておくべきだった・・という贅沢な後悔がありますけど。
2017-11-23 * 風来梨 [ 編集 ]