風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第68回  内子線・内子駅

路線の思い出  第68回  内子線・内子駅 〔愛媛県〕
 

味のある手造りのスタンプ
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数 (’83)
    五郎~内子 10.3km         456   /  1237
                     輸送密度 / 営業係数 (’15)
                      3833   /   148       
運行本数 
       現在、予讃本線(伊予市~伊予大洲)のバイパス路線化
       特急列車多数運行  詳細は時刻表を見てください

内子駅(うちこえき)は、愛媛県喜多郡内子町内子にあるJR四国・の駅。 高架駅となっており、全特急列車が停車する。 内子線を所属線とし、予讃線(新線)を加えた2路線が乗り入れている。
当駅を境に伊予市方面が予讃線、伊予大洲方面が内子線と分かれているが、運転系統上は一体化されており、列車はすべて相互に直通するため、運用上は途中駅同様となっている。

単式ホーム・島式ホーム混合の2面3線を有する高架駅で、島式ホーム東側が1番線、同西側が2番線、単式ホームが3番線である。基本的に島式ホームでの発着であり、特急列車は全て1番線、2番線から発着する。3番線は特急列車を待避する普通列車が使用する程度で、頻度は少ない。 島式ホームにのみエレベーターが設置されている。

駅舎は高架下にあり和風のつくりである。駅舎は1階、ホームは3階である。中間の2階は踊り場となっている。 八幡浜駅管理の直営駅だが、早朝夜間は係員不在となる。 みどりの窓口設置駅で、自動券売機もある。



今回取り上げた内子線は、現在の特急列車がバンバン走る予讃本線のバイパス線化した内子線ではない。 そう、私の思い出に残る内子線は、木造駅舎にバス窓気動車、そして普通列車のみで廃止対象にさえ挙げられそうだった『古き良き時代』の内子線である。
 

このスタンプ図案も
旧駅舎ならイメージに合うのだが・・
 
そして、この『古き良き時代』の内子線を訪ねたのは、遠く30年以上も昔の中坊時代、初めて鉄道撮影旅行に出かけた時の事だ。 この時に使った切符は周遊券で、急行列車乗り放題の使い手のある切符であった。
 
そして、この時はあの幻の航路『仁掘航路』もあったりして・・。 ついでに、この旅行の時に、その船に乗ったりして・・。 でも、金が無くて切符を買わずに周遊券で乗ってしまって、もし持ってれば『我的国宝級(笑)』のお宝を残し損ねてたりして・・と、思い出深いファースト旅行の時である。
 
この時は、確か1日に運行列車が7~8往復程度で、その内の半数が街である伊予大洲すらも行かずに分岐駅の五郎駅止まりという、路線廃止を取り沙汰されたローカル線の典型的な『ヤル気ナシ』の運行形態であった。
 
なぜなら、今のバイパス線は五郎駅の手前で伊予大洲方向に向きを変えて五郎駅を経由しないように敷設されているが、内子線が行き止まりの盲腸線時代は伊予大洲への方向に背くように五郎駅に入線し、ここでスイッチバックして伊予大洲に向かっていたのである。 つまり、直通列車の運行は「手間がかかるから、利用客がいても極力運行しない」というスタンスだったのである。
 
そしてローカル線としても、廃止に向かって一直線という程に廃止を諮問されてなかった故に、廃止路線目当ての『鉄』の訪問もほとんどなかったようである。 あるのは、当時の『鉄』趣味の一つのカテゴリーであったイベント『チャレンジ20000km』の国鉄全線完全乗車狙いの『鉄』が、終着駅5分で折り返していくのみであった。
 

おお・・、バス窓タイプの20系気動車
コレ・・結構貴重だね
 
だから・・であろうか、ワテの撮った内子線の盲腸線時代の写真は他のサイトではほぼ見かける事がなく、コレ(記事に全く関係ないし・・笑)と並んで結構貴重な部類なのである。
 

ローカル風情たっぷりだった
旧内子駅
 
そして、次の終点内子も、断然昔の方が『駅』であった。 木造駅舎に何も手を加えられていない広い駅前ロータリー、そして駅舎の裏側は資材置場が点々とある昔ながらの『駅』だった。 だが、今は特急さえ止まる高架駅で、高架の下に土地のイメージである土蔵風の駅舎をはめ込んでいるが、高架の下に土蔵矢倉といった時点で『センスの無さ』を感じてゲンナリしてしまう。
 

高架下にデザイン化した駅舎ねぇ
そのセンスの無いさにゲンナリ
グーグル画像より拝借
 
でも、その『古き良き時代』の懐かしき、そして惜しき情景は、筆者が中坊時代のローカル線では当たり前のありふれた情景であったのだ。 「当たり前だった情景が懐かしみの対象になる」という事は、それ程に現在の駅舎は風景に溶け込まないデザインで、それは利用に足るだけの味気ない建築物となっていたという事なのだろう。
 
まぁ、あの時はこんな事になろうとは露ほどにも思えず、ただひたすらにローカル線の写真を撮っていたが。 でも、中坊で特急でなくローカル線狙いとは、小僧の頃から天邪鬼だったのだろうね。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『内子線』を御覧下さい。
 





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No title * by たけし
ツア-で内子を散策しました。
古い街並みとなんか忘れましたが独特の飲物があったような・・・

旧内子駅は旅情があるのにコンクリの下の駅舎は興ざめです・・・残念!

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。 見て頂いて有り難うございます。

私がこの内子を訪れたのは、遠く昔の中学生時代です。 その頃は鉄道以外は目に入らなかったようで、駅の周辺で列車撮影しかしておりません。

今思えば何と勿体ない事を・・と思いますが、仕方ありませんね。

あれ以来、訪れる事もなかった残念な街並です。

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No title

ツア-で内子を散策しました。
古い街並みとなんか忘れましたが独特の飲物があったような・・・

旧内子駅は旅情があるのにコンクリの下の駅舎は興ざめです・・・残念!
2014-10-29 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんばんは。 見て頂いて有り難うございます。

私がこの内子を訪れたのは、遠く昔の中学生時代です。 その頃は鉄道以外は目に入らなかったようで、駅の周辺で列車撮影しかしておりません。

今思えば何と勿体ない事を・・と思いますが、仕方ありませんね。

あれ以来、訪れる事もなかった残念な街並です。
2014-10-29 * 風来梨 [ 編集 ]