風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰次選の山々 第112回  餓鬼岳 その2

名峰次選の山々 第112回 『166 餓鬼岳』 長野県  常念山系 2647m (中部山岳国立公園)
コース難度 ★★★  体力度 ★★★★
 

夕日にほのかに染まる
餓鬼岳頂上部
 
今回は、〔名峰次選〕の第55回で未踏峰の峰として掲載していた餓鬼岳を御紹介しよう。
だが、この餓鬼岳は、標高差や行程内容が今のヘタレた状況ではかなりキビシく、身体が出来た現役時代でないと登頂が難しい峰であった。 なので、今回の記事は内容が著しく不具合である事は、悪しからず御了承下さい。
 

 

餓鬼岳・白沢コース 行程図
 
   行程表               駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR信濃大町駅よりタクシー(0:30)→白沢登山口(1:30)→魚止ノ滝
     (0:30)→白沢・最終水場(2:30)→大凪山(2:30)→餓鬼岳小屋・山頂まで所要5分
《2日目》 餓鬼岳小屋(2:00)→大凪山(2:00)→白沢・最終水場
     (1:45)→白沢登山口よりタクシー(0:30)→JR信濃大町駅
 
  《1日目》 白沢登山コースより餓鬼岳へ
この項目では、北アルプスの中でも最も標高差が大きく、かなりの健脚向けの峰である餓鬼岳 2647メートル に登ってみよう。 登山口から山頂までのこの山の標高差は1650mにも及び、北アルプス山域の単体の山では断トツの標高差を示している。 数値が示す通り、この峰を極めるにはかなりの体力を要するのである。

ちなみに、最盛期を過ぎて体力が落ちる一方の筆者は足が続かず、休憩を取りまくって登りで10時間、下りで8時間半かかっている。 まぁ、これは筆者の心がけがなってないからなのであるが、それを差し置いてもガイドなどで示すコースタイムの登り6時間半・下り4時間半では難しいコースであろう。

だが見た所、空身で日帰り往復を計画する登山者がかなり多いようだ。 体力があれば何とかなるのかもしれないが、この山で日帰り山行を実行するとなると、上記に挙げた『ガイド等でのコースタイム』を切らねば無理となるのである。
 
そして、このコースタイムをクリアしたとしても、山頂での滞在時間は10~15分程度と、何を楽しみに山に登っているのか問いたくなるような内容の山行となってしまうだろう。 山岳風景を愉しみ、ゆとりある山旅を味わうべく、ここは是非とも山中1泊形態の行程で進めていきたいと思う。 それでは、山旅を始めよう。
 

第一難関の大凪山を
正面に見て登高開始
 
筆者の所要10時間は日頃の鍛錬不足など『心がけ』がなっていない事として差し置くとしても、前述の如くかなりの健脚ルートである。 これは、駅に着いて・・や、マイカーで登山口に着いての引き続きの登山開始では、タイムオーバーとなってしまうのが目に見えているのである。

要するに、所要時間が大きいこのコースでは、早朝の夜明けと同時に登り始める事が必須となるのである。 従って、行程表では『引き続き』のように記してあるが、前夜までに登山口までアプローチしておく必要がある。 だが、登山口には宿泊施設は皆無で、マイカー車内泊かテントを持ち込んでの登山口での幕営となろう。

ちなみに、筆者は後者の前夜登山口でのテント幕営をしたのであるが、これはこの厳しいコースをテント一式担ぎ上げる事が課せられる事となるので、登山口のアプローチ手法に関しては事前に考慮願いたい。
さて、夜明けとともに出発がベストだろう。 筆者の訪れた秋はAM6時頃が夜明け時である。

舗装された車道の終点に車が数台駐車できるスペースがあり、そこが山道への入口となっている。
ここには工事現場などでよく設置される簡易設置トイレが置かれているが、設備はこれだけである。
 

朝の光が彩る秋を
照らしてくれた

山道の入口に入り、数分歩くと案内板の立つ登山道入口に出る。 登山道入口は一見すると行き止まりの袋小路状になっているが、案内板の脇の細いルンゼ状の桟道が下に延びている。 
これを下っていくと、程なく清らかな流れを示す白沢の前に出る。 これより、山への取付点まで沢を遡っていく。 最初は沢に架かる桟橋もしっかりしていて難なく沢を伝っていけるが、徐々に切り立った沢の両岸が迫ってきて函状をなしてくる。
 

やや荒れた沢をいく
最初は桟橋もしっかりしている
 
このようになってくると、沢のヘツリのトラバースや吊りハシゴ(吊り下げてあるだけの不安定なハシゴ)など、沢遡行の様相を呈してくる。 これは行きは体力もまだまだあって問題ないが、帰りはそれなりに疲れて足元が覚束なくなっているだろうから、帰りは通過がかなり厳しいのである。 沢遡行の途中では支沢が流れ込む所が6ヶ所あり、いずれも跨ぎ渡るが、この渡渉点の全てに『水場』表示があり、いずれも水場となっているようだ。
 

沢をつめていくと百名滝にも
退けを取らない大瀑布が現れる
 
前述の函状のトラバースと吊りハシゴを越えると、大岩が転がる沢床の荒れた所に出る。 時折大岩を乗り越えたりしながら進んでいくと、落差50m超のストレートの大瀑が滔々と白布を掛けているのが見えてくるだろう。 《魚止ノ滝》である。 滝の姿は、100名滝にも退けを取らない勇壮な滝で、その名の通り沢を遡る魚を止める滝なのであろう。 なお、この滝の手前に《紅葉ノ滝》があるのだが、沢ヘツリの通過に気を取られてハッキリとは確認できなかった。
 

もっとじっくり撮りたかったが
この山の行程ではムリというもの
 
《魚止ノ滝》の手前まで荒沢状の河原を伝うと、滝の右岸(滝の左側)をつづらを降りながら登っていく。 つづら折りの折り返し点に滝の案内札が掛かり、ここが滝の展望台となってるようだ。
だがこの展望台からは滝の下部が見辛く、この滝を望むなら下の荒れ河原から見上げる方がいいだろう。
 
《魚止ノ滝》を越えると沢は滑滝状となり、その右岸に架けられた桟橋を伝っていく。 なお、これらの桟橋は、かなり古いタイプのモノで桁の破損が多くあり、通過時には桟橋の桁の踏み外しに注意したい。

沢の右岸を伝っていくと、勢いよく流れ落ちる6つめの支沢を桟橋で渡る。 
橋を渡った袂にはテント3張位の土場スペースがあり、桟道の木材を積んでベンチとした休憩場となっている。 ここが『最終水場』である。 標高は1500m、登山口から1/3弱登ってきた事になる。
 
これより山腹に取り付いて急登していくのだが、ルート上の水場はここが最終となるので、重く感じても水筒に行動水を補給しておく必要がある。 これから大凪山までの600mと、餓鬼岳への500mの強烈な登高が待ち受けているのだから。

さて、水筒への補給を終えたなら、生唾モノの登高開始だ。 樹林帯の中に入って、いきなりに急登が始まる。 それも、急登と感じる割には標高差を稼いだ気が全くしない"嫌な感じ"の急登だ。
この疲れが溜まる急登を小1時間経ると樹林帯より抜け出て、ガレ石がゴロゴロと転がる大規模の土砂崩れ跡の薙ガレ場に出る。
 
ここは浮石が多く、注意が必要だ。 この薙ガレ場を最上部まで詰めると、再び森林帯に潜り込んで先程以上の猛烈な急登となる。 だが、登っても登っても標高を稼いだ気がしない、相変わらずの"嫌な感じ"の急登である。
 

大凪山頂上よりタワケ(筆者)が
バテた地点(標高1860m地点)の方が
見晴らしが良かったりして
 
筆者は・・であるが、大凪山まであと標高差150m位の地点でバテてしまって、これよりは少し歩いては大休憩モードに陥ってしまっていた。 こんな調子で、歩いた時間は6時間半位だが、其処ら彼処で休憩した時分が3時間以上となり、所要時間10時間となってしまったのである。 これは筆者自身のなってない『心がけ』が多分に関わった結果であるが、それを差し置いてもこのコースの登高のキツさを感じ取って頂ければ有難いのである。

やがて、森林帯の中の全く展望のない所に『大凪山山頂 2079m』の標柱の立つ大凪山の頂上に出る。 しかし、これ程にキツい登高を強いられた割には感慨を全く持って感じない、割引き感の大きな頂上である。 この頂を越えると急登は終わり、傾斜は緩やかになってくる。
 

尾根筋は全般的に展望に乏しいが
時折後立山の峰々が望める
 
だが足元は、灌木の根が絡む床地の踏み出し辛い足場である。 この稜線通しの緩い傾斜を2235mピークを越えて詰めていくと、樹々の間から餓鬼岳の山屏風が見えてくるだろう。 さらに詰めて樹林帯より抜け出ると、正面に餓鬼岳のデカい山屏風が立ちはだかる。
 

やっと目指す
餓鬼岳が見えてきた
 
当然、この立ちはだかったデカい山屏風を越えねば、登頂はないのである。 そのデカい山屏風が立ちはだかる取付点は《百曲り》と呼ばれ、これより標高差400m近くに渡って延々とつづら折りで登っていく。 取付には小屋までの所要時間が『約1:00』と記された道標が置かれていた。
 
さて、最後も急登につぐ急登なのであるが、つづら折りに切られている分と『これで最後』と思える分、大凪山への登りよりは幾分マシであろうか。 なお、この登りでは、左側は大きく薙ぎ落ちているので近づかないようにしたい。

疲れ切っている重い身体を引きずってのキツイ急登に小1時間耐えると、『小屋までアト10分』のプラカードが道脇に差してあるのが見えるだろう。 疲れ切った身体ではこのプラカード通りに10分で着く事は難しいかもしれないが、このプラカードを見ると大いに心が和む事だろう。 やがてつづら折りの急登は終わり、山屏風の頂稜部をトラバース気味に伝っていくと、餓鬼岳小屋の物置小屋と思しき建物が張り出し気味に建てられているのが見えてくるだろう。

後は、この建物へ向けて歩いていくだけだ。 やがて、先程目にした物置小屋の奥に、頂稜部の狭い敷地に埋まるように建つ餓鬼岳小屋が見えてくる。 宿泊希望なら裏手の入口に周って宿泊手続きを、テント幕営なら同じく宿泊手続きと今晩必要な水を買い求めてから、100mほど燕岳寄りの露営地へ向かうといい。
 
宿泊に係わるひと通りの手続きを終えて、それぞれの宿泊場所で宿泊の準備を終えると、頂上アタックと山で最も豊かな時を味わう時間がやってくる。 もちろん、『山で最も豊かな時』とは、空がかぎろい色に染まる日暮れのひとときである。
 

昼過ぎには着けるもの・・と
タガを括っていたが
着いたのはヤマが最も美しく輝く
夕暮れ時だった
 

振り返ると
山がいい具合に暮れなずんできた
 

岩峰は夕暮れのシャドーが
最も魅せられる
 
山頂へは小屋の裏手から登り5分、疲れきった身体でも7~8分もあればたどり着けるだろう。
なお、頂上からの情景は、翌朝に撮った写真で語りたいと思う。 今語るのは、やはり夕日の情景だ。
夕日は槍などの北アの山々がそびえる方向に落ちる。 その情景の素晴らしさは、いくら言葉で表現しようとしたところでそれが適う事はない。 という訳で、掲載写真にて語る事にしたいと思う。
 
北ア・とっておきの夕景

針ノ木岳
 

烏帽子岳
 

槍ヶ岳
 

剣ズリ
 

そしてやってきた
ヤマが最も美しく
魅せられる瞬間(とき)
 
夕日の織りなすショータイムを堪能したなら、後は夕食食って寝るだけだ。 今日は身体が疲れ切った分、十分に睡眠を取って疲れを取るようにしたい。 なお、ワテの訪れた秋は夜となると0℃近くまで気温が下がるので、幕営の方は防寒対策をして頂きたいと思う。
 


 

頂上日の出時という
最も贅沢な瞬間
 
  《2日目》 往路を下山
喘ぎ喘ぎ、厳しいルートをやってきたのだ。 朝日を拝まねば物足りない事であろう。 
従って、朝日の1時間前には起床したいものである。 ワテの訪れた秋では日の出は6時頃なので、5時には起床せねばなるまい。 30~40分である程度出発の準備をして、餓鬼岳の頂上へ向かう。 頂上の朝の情景は、夕日同様に言葉では語り尽せない素晴らしい情景だった。 これらの情景も掲載写真で語る事にしよう。
 

針ノ木岳と奥に鹿島槍
 

野口五郎岳
 

唐沢岳と後立山連峰
 

餓鬼岳頂上
朝日の昇る時
 

針ノ木岳と後ろに剱
 

双耳峰を魅せる鹿島槍ヶ岳
 

餓鬼岳頂上
朝日に照らされて
 

唐沢岳と後立山の盟主たち
 

餓鬼岳頂上
夜明けから朝へ
 

上信越側が朝の景色となってきたなら
下山に取り掛かろう
 
苦労して登りつめた山頂の風景を十二分に堪能したなら、真に口惜しいが下山に取り掛かろう。
さて、下山であるが、本日中に帰宅するには夕方の4時頃がリミットとなる。 出発時間が7:30だったので、8時間半の持ち時間がある。 これは通常なら十分に余裕のある持ち時間だが、この山に関しては不安がつきまとう。
 
帰る前に
これだけは撮らねば

剣ズリの先には
槍の穂先がそびえ立つ
 
それはヘタリきったとは言え、登りに10時間かかった為である。 それに輪をかけて、元来から筆者は歩行技術が低く、下りは滅法遅いのも不安の要因となっていた。 それ故に当初は東沢岳 2497メートル を経て中房温泉へ下る周回ルートを予定していたが、昨日の最短ルートの登りであまりにも時間がかかり過ぎた為に下山タイムオーバーの懸念が出て断念。 最短ルートの往路を戻る事にした。
 

百曲りのつづら折れから見上げて
徐々に餓鬼岳が遠くなっていく
 
下り始めのつづら折りはまだ余裕があったが、緩やかな傾斜だが灌木の根が絡まる稜線上でイメージ以上に時間がかかって、途端に気持ちが萎え始める。 そしてトドメは、『薙ガレ場を越えて1時間』のイメージで降りてきたものの、薙ガレ場より《最終水場》までがヤケに長く感じて完全に気持ちが萎えてしまったみたいである。 このガラ薙ぎ場からは所要1:40と、登り以上に時間を食ってしまったようである。
 

最初は秋晴れを
楽しみながら降りていたが

こうなると"退化止まらず"で、沢のヘツり通過では足に踏ん張る力がなくなり、足が震えているのを自認できたり、ハシゴの上下にもたついたりして、最終水場から下山を終えるまでの沢下りに3時間の時間を費やしてしまった。 こうして、下山したのがタイムリミットの4時であった。

沢の付近ではヘタりきって足が前に出ず
下りも8時間かかってたりして

この時は運よく、ワテの遅い下山に付き合って頂いた高齢の登山者の方の車で駅まで送って頂いたので帰着リミットの列車に乗車する事が適ったが、かなり厳しい時間マネージメントであったのである。
これに懲りて、少しは訓練せねば・・と思うが、筆者自身自堕落な性格ゆえにキチンとできるか不安が大いにあるのである。

なお、下山後の足の事であるが、通常は携帯電話の電波がつながる《最終水場》の土場(この辺りだけ携帯電話の電波がつながる旨を記した看板が土場にあり、小屋でも掲示と周知がなされていた)で携帯でタクシーを呼び、2時間後に下山口で待機しているタクシーに乗るのであるが、ワテのように沢の下りに3時間もかかってしまうとタクシーも引き返してしまうだろうから、この事を考えても帰着にはかなり厳しい状況だったのである。

日頃の怠惰のツケが、帰着後に足の親指の爪の剥離と4日に及ぶ猛烈な筋肉痛という形で筆者に覆い被さったのである。 という訳で、写真撮影的には満足(所詮は自己満足の域であるが)のいく山行であったが、挙行的にはタイムオーバーから帰着不能に陥りかねない危ない綱渡りの問題の残る山行だったのである。

  ※ 詳しくはメインサイトより『餓鬼岳』を御覧下さい。
 
 
 
 

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