2011-03-06 (Sun)✎
『私の訪ねた路線』 第8回 陸羽東線 〔宮城県・山形県〕
鳴子峡を渡る列車
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
小牛田~新庄 94.1km 980 / 246
運行本数(’15)
小牛田~新庄 1往復【快速】
小牛田~鳴子温泉 14往復
小牛田~古川 9往復
小牛田~古川 9往復
鳴子温泉~新庄 8往復
《路線史》
東北の第一都市・仙台より、日本海側へ縦断すべく計画・建設された路線である。
鉄道敷設法では、「石巻より小牛田を経て山形県に至る鉄道」の一部となっているようである。
鉄道敷設法では、「石巻より小牛田を経て山形県に至る鉄道」の一部となっているようである。
快速〔いでゆ〕は
キハ58を使っていた
建設は小牛田・新庄の両側から進められ、1913年に小牛田~岩出山、1915年には新庄側の新庄~羽前向町(現 最上)が開業する。 その後も延伸を続け、1917年には全線が開通している。 戦時中は不要不急路線として撤去された事もあったが、1960年に原状復帰している。
路線の転換期といえば、新庄駅への新幹線の乗り入れであろう。 これによって奥羽本線は改軌され、陸羽西線と完全に分断されてしまったのである。 かつては、急行【もがみ】や【千秋】など、陸羽東西の路線を横断する優等列車もあったのだが、これらの都市間輸送は全て山形・秋田新幹線がその任を担うようになったのである。
下で撮ろうと途中まで降りたが
遊歩道が雪に埋まって
危険だったので引き返した
:
アイゼンもっていたらなぁ
沿線は東北屈指の名湯・鳴子温泉を始めとした『いで湯の里』で、路線の愛称を『奥の細道湯けむりライン』と称するなど、温泉行楽客を意識した地域振興の流れに乗っているようである。
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