2014-09-14 (Sun)✎
路線の思い出 第63回 宮之城線・薩摩大口駅 〔鹿児島県〕
撮影ができないとネタに乏しくなるなぁ~
駅を示すモノはコレだけ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
薩摩大口~川内 66.1km 464 / 1505
廃止年月日 転換処置
’87/1/10 南国交通バス・林田産交バス
薩摩大口駅(さつまおおくちえき)は、かつて鹿児島県大口市里(現・伊佐市大口里)2873番地に設置されていたJR九州の駅である。 大口市(当時)の中心駅であり、大きな木造の駅舎があった。
単式・島式混合のホーム2面3線と行き止まりの0番線〔宮之城線ホーム〕を含む計3面4線を有しており、構内に吉松機関区薩摩大口機関支区があったため多くの側線も有していた。 廃止時まで直営駅だった為、薩摩大口駅長や駅員が配置されていた。 なお、当駅廃止時には宮之城線は既に廃止されていた為、宮之城線の発着ホームだった0番線は使用されていなかった。
当駅は水俣起点37.0km(山野線)、川内起点66.1km(宮之城線)の地点に位置しており、宮之城線の終点駅であった。 また、構内には吉松機関区薩摩大口機関支区があった。 山野線はJR九州に継承されたが、国鉄再建法により第2次特定地方交通線として廃止され、それに伴い1988年2月1日に廃駅となった。
山野線と宮之城線が乗り入れていた要衝で、機関支区もあったように大きな構内であった。
栗野方面への列車が比較的多かった他、県中心部への連絡として栗野(山野線)・川内(宮之城線)経由で、共に西鹿児島(当時)までの直通列車の設定があった。
この路線の『思い出』といえば、雨降り→ヤル気をなくす→手抜き&間抜けな思い違い→歳取ってから後悔・・に尽きるのである。 それは、この線の分岐する薩摩大口駅の『本線格』の山野線にも共通する事である。 そして、山野線や宮之城線は初めて九州に行った時に訪れたきりで、後の九州訪問は高原鉄道・宮原線に全て捧げてしまった(笑)ので、結局山野線もこの宮之城線もほぼ撮れず終いになってしまったのである。
だが、訪れる前は壮大な目論見を抱いていたのである。 山野線は、もちろんあの『薩摩布計のループ』である。 そして、宮之城線も『もちろん』、薩摩永野のスイッチバックがターゲットであった。
しかし、高校に上がりたての小僧故に、その計画は途方もなかったようである。
それは、薩摩布計駅からループまでの距離を全く把握せずに、歩いて往復する計画を立てていたのである。
でも、薩摩布計駅からループまで距離にして4km近く。 いくら高校時の若き体力(今はヘタレ)があったから・・としても、4kmの往復はかなり無理があるのだ。
それは、着いたらすぐに何本も撮影できたなら構わないが、1日6往復の閑散路線である。
それは美味しい時間帯の1本を逃すと、帰りの時間や鹿児島へ行く列車の便を考慮すると「4km往復徒歩の徒労だけに終わる」って事だ。 もちろん、始めて訪れる路線でまだ見ぬ薩摩永野のスイッチバックも然り・・である。
それに、徒歩の撮影行となると、もう一つの重要なファクターがある。 それは、天候である。
4kmの徒歩往復で雨なら、ほぼ不可能といってもいいだろう。 事実、山野線の始発駅である水俣で雨模様だった事で、意欲はシャボン玉の泡の如く弾けて消えたのである。
となると『ただ乗るだけ』で、薩摩布計のループでの撮影意欲が失せたなら車窓もロクに見る事もせずに眠気に任せて眠ってしまった(夜行での八代到着は3時頃で眠かった)のである。 従って、山野線の車窓の記憶は全くないのである。 もちろん、写真も・・である。 で、薩摩布計での撮影が不能となったので時間が余って、当初は最終で往復する予定だった山野線の薩摩大口~栗野を往復して薩摩大口に戻る。
薩摩大口駅入場券
今度の宮之城線のターゲットである『薩摩永野のスイッチバック』は撮影地が駅その場所であるので楽勝・・とタガを括っていたら、またもや小僧ゆえの計算違いの自爆が露呈してくる。
時間潰しに山野線の薩摩大口~栗野を往復した事で、薩摩永野で降りて撮影可能の列車が無くなってしまったのである。
要するに無理クリに撮影しようとするなら、「宮之城線のどこかの駅で雨の中駅寝」という状況に陥ってしまったのである。 つまり、「訪れる時間帯の列車が針持で折り返してしまって、薩摩永野まで行かない」という事を見落としていたのである。 あり丁寧にいうと、「針持は薩摩永野よりも先の駅→故に針持行の列車も撮影可能」と思い込んでいたのである。
これは薩摩大口駅に戻って駅の時刻表を見て判った事だが、鉄道撮影に来て「重いから」と時刻表を持っていかない弊害が早速現れたのである。 この後、何度もこの弊害に遭遇してるが、未だに時刻表を持っていこうとしない『成長のない奴』が小僧の頃から脈々と育まれた作者の本質『ナンチャッテ○鉄』なのである。
薩摩大口駅に停車中の宮之城線列車
雨と小僧の間抜けによって
歳を取っての『後悔』となった
これで撮影が不能と解って雨の中、薩摩大口の宮之城線列車発着専用の『0番線切欠きホーム』でこの写真を撮ったきりで終わってしまったのである。 今は、「薩摩大口のコレ以外に撮影の叶わなかった宮之城線の車内でも山野線同様に虚脱感に見舞われて、ロクに車窓の事は見ていないし憶えてもいない」という残念な事になってしまった後悔だけが残っているのである。
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