風来梨のブログ

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路線の思い出  第62回  小松島線・小松島駅、小松島港(臨)駅

路線の思い出  第62回  小松島線・小松島駅、小松島港(臨)駅 〔徳島県〕
 

フェリーのりばと併設していて
人気の多かった小松島港(臨)駅
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ         輸送密度 / 営業係数(’83)   
      中田~小松島港(臨)1.9km          1034  /   1682
           廃止年月日              転換処置 
            ’85/ 3/14               小松島交通バス
廃止時運行本数
        中田~小松島港(臨)  下り9本〔内 3本快速〕、上り10本〔内 4本快速〕

        中田~小松島      1往復


小松島駅(こまつしまえき)は、かつて徳島県小松島市小松島町に存在した小松島線の駅である。

単式ホーム2面2線を有し、うち1線は構内の中田方で分岐して小松島港仮乗降場に至る線路であった。

この他、構内に小松島客貨車区及び徳島気動車区小松島支区があり、多くの側線を有した。

また、大阪・和歌山への汽船・フェリーとの連絡のため小松島港に設けられた小松島港仮乗降場は当駅の構内であり、営業キロは当駅までのキロ数(当駅と仮乗降場間の実キロは、0.3km)であった。


駅は小松島市の中心部に近い住宅地の中にあったが、牟岐線の南小松島駅と比べると周囲はやや寂しい感じであった。 駅跡地は、小松島ステーションパークとなり、C12形蒸気機関車と50系客車を展示したSL記念広場などがある。 但し、SL広場付近は操車場の跡地であり、駅舎やホームは小松島みなと合同庁舎が現在建っている付近にあった。 1992年には、小松島市立図書館が隣接して整備された。

 

小松島港仮乗降場(こまつしまこうかりじょうこうじょう)は、かつて徳島県小松島市小松島町にあった(国鉄)小松島線仮乗降場である。 1940年3月15日に、小松島駅構内に開設された。

1985年3月14日に、小松島線廃止に伴い廃駅となる。


当仮乗降場の駅構造は、単式ホーム1面に機回し線を有していた。 国鉄本社設定のではなく四国総局設定の仮乗降場であり、正式な位置付けは小松島駅構内に存在する『小松島駅』であった。

時刻表では臨時駅の表示がされていたが、実態は前述の通りである。


営業キロは設定されず、小松島駅までのキロ数(小松島駅と当仮乗降場間の実際の距離は、およそ300m)が使用された。 出札口があり、硬券を含む乗車券入場券も発売されていた。 但し、券面は「小松島駅発行」になっていた。


大阪和歌山への汽船・フェリーとの連絡の為に小松島港に隣接して設けられ、改札口すぐの踏切の先はフェリー乗り場となっていた。 線路端部の少し先は岸壁であった。 出札口付近で、竹ちくわが販売されていた。



 
前回の『日本一の赤字線』に続く『釣りネタ』は、『日本一短い路線』の小松島線で・・(笑)。
・・とはいっても、訪ねたのは初めての鉄道旅行をした中坊の頃のネタなんだよね。
もう、30年を越えた以前になってるよ。

今や急行列車は全廃されて特急ばかりとなった四国の鉄道(もはや全国的といっても差し支えないが)であるが、筆者の少年時代のこの頃の四国は急行列車『王国』だったのである。 そして、車両も今のようにゴチャゴチャとして統一性のないモノではなく、急行色に統一された塗装のキハ58という美しい編成美を魅せて、更に愛称名と急行を示すシンプルなヘッドマークを付けて、子供心ながら『カッケ~(カッコイイ)』と感じてカメラに収めたい・・と思ったものである。

その思いが少年を鉄道旅の世界に誘ったのである。 この『初めての鉄道旅行』は四国の全線完乗を目的にいったのであるが、この旅で撮った鉄道写真は今でも我がホームページやこのブログの閲覧者を釣る最大のネタになってるし。 まぁ、中坊という事で、撮ったのは鉄道ばかりだったけど。
 

押してて良かった
でも、何故にスタンプ押して
小松島駅を撮らなかったのだろう
 
・・さて、今回の小松島線であるが、筆者が初めての旅で四国を訪ねた中坊の頃から、当時の国鉄にして「廃止したくてしょうがない」オーラ満開の路線であった。 それは、徳島県内の車両運用を賄うべくあった小松島機関区を閉鎖・移転してでも・・という位であった。

そう、この小松島線は、この小松島機関区への引き込み線の性質が強かったのである。
それを片手間に旅客運用した為に、営業成績が計上されて赤字不採算路線として廃止対象に挙げられたのである。
 
まぁ、路線建設当時は小松島線が本線格で小松島駅が市の代表駅で、牟岐線の南小松島は支線格であったのだが。 それは、小松島港まで行かない客車列車のみが発着する小松島駅の立派な事からも解る。
日に1~2本発着するだけの駅が、領主の本殿を思わせる巨大母屋を備えていたのである。 その母屋にはほとんど人は寄り付かず、さながら荘園領主の邸宅跡として残った巨大な遺構のようであった。
 

小僧が撮らなかった小松島駅舎
グーグル画像から拝借
 
小僧だった筆者はこの駅の壮大さに気付かず、写真に撮らずスルーする勿体ない事をしてしまったのが悔やまれる。 恐らくこの小僧の頭の中は、急行【よしの川】を小松島港(臨)駅で撮る事で一杯だったのだろう。
 
急行【よしの川】を始めとする小松島線内を運行する気動車は、当時大阪や和歌山へのフェリーの港に接続していた小松島港(臨)駅まで200mの『延長運転』をしていたのである。
これらの列車での小松島駅は『途中駅』で、先程の本殿のような駅ホームには進入せず、延長区間方向に向かうように湾曲して設置された仮設置ホームから発着していたのである。
 
その『延長区間』の終点であった小松島港(臨)駅であるが、発着する列車は大阪港や和歌山港からのフェリーに何かしらの接続をしていたので、列車の発着時は大いに賑わっていたのである。
 
名物の《竹ちくわ》(竹にちくわが巻かれた元祖『ちくわ』であった)をほうばりながら、棒線ホームに停車している急行【よしの川】のヘッドマーク付のキハ58を撮ったのを今でも憶えている。
 

小松島港(臨)に停車中の快速【よしの川】
(小松島線内は快速運行)
統一した美しい編成美は
小僧を鉄道旅に誘った
 
     ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『小松島線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2014-09-02 * 風来梨 [ 編集 ]