風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第61回  美幸線・仁宇布駅 夏

路線の思い出  第61回  美幸線・仁宇布駅 夏 〔北海道〕
 

在りし日の仁宇布駅
レンタサイクルや宿案内など
かなりの“営業努力”をしていたようだ
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ         輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
        美深~仁宇布 21.2km            32  /  4780            
       廃止年月日          転換処置          廃止時運行本数
       ’85/ 9/17             名士バス              4往復

仁宇布駅(にうぷえき)は、北海道中川郡美深町字仁宇布にあった国鉄・美幸線の駅である。
美幸線の廃線に伴い、1985年9月17日に廃駅となった。 1981年度の1日乗降客数は20人であった。

駅名の仁宇布は所在する地名からで、アイヌ語の「ニ・ウプ」(木があるもの)に由来する。
駅名の発音は「にうぷ」であるが、地元では「にっぷ」と呼ばれていて、当時の美幸線乗務の車掌も車内での案内放送では「にっぷ」と発音していた。

廃止時点で、島式ホームの駅舎側を片面使用した1面1線を有する駅であった。
ホームは線路の北東側(仁宇布方面に向かって左手側)に存在した。

列車の発着に使用する駅舎側だけではなく、島式ホームの駅舎と反対側にも線路が敷設され側線扱いとなっていた。 島式ホームを挟む2線はホームの先で収束し、路線延長時には列車交換が可能な構造となっていた。 他にも、島式ホームの更に外側に貨物用の側線を1本有した。

職員配置駅となっており、木造プレハブ造りの駅舎が存在した。 駅舎は構内の南東側に位置し、ホームの南端からスロープで降りて、構内踏切で連絡していた。 1981年時点で、職員は合計6人が配置されていた。 また、駅裏に日本鉄道建設公団の線路敷設基地が置かれており、構内にはレールや枕木が積まれていた。

駅跡は1998年より、美深町のNPO法人『トロッコ王国美深』の施設として使われている。
駅舎は路線廃止後に程なく撤去されたが、ホームや線路は現存して『トロッコ王国美深』の施設として使用されている。 

駅舎跡にログハウス風の事務所が置かれ、当駅跡から辺渓駅方、高広の滝附近へ約5kmの線路が再利用され、エンジン付き保線用軌道自転車の運転体験ができる。 施設内には国鉄583系電車の中間車両が置かれているが、塗装が剥げ落ちるなどかなり朽ちている。 また、廃駅となった智東駅の貨車駅舎が、2006年7月3日に移動されて設置されている。

旧駅前広場部分には、『美幸線記念碑』なる蒸気機関車の車輪を模ったモニュメントの石碑が建立されている。 路盤は現在も更に北に続いていて、駅の在時には北見枝幸方へも北へ0.1kmほどの線路が敷設されていたが、『トロッコ王国美深』の施設として使用されるようになってからは、駅跡の北側までで線路は撤去されている。


 


美幸線乗車証明書の表裏
その経緯はリンク先を見てね
 
『日本一の赤字線』として有名だった美幸線、『美しく幸を呼ぶ路線』と言われた美幸線。
この美幸線が廃止になって、もう30年近く経つのか。 歳をとる訳だ。 でもワテは、未だにあの頃の情景を『夢見ている』のである。
 

未だに夢に彷徨って
『美しく幸を呼ぶ』美幸線
 
なぜ『夢』から醒めないのか・・。 それは、少年の時に初めて渡った北海道旅行での極めつけの大失敗が絡んでいるから・・だと思う。 その『大失敗』とは、フイルムの選択ミスである。
 
小僧の投げ無しの金を叩いて人生初の『大人買い』をしたカメラ一式(canon AE1+P)を引っ提げて意気揚々と北海道まで繰り出した・・までは良かったが、浅はかな小僧は嬉しがって『背の丈』以上のシロモノのリバーサルフイルムに手を出したのである。
 
だが、如何せんフイルムの知識がなく、「失敗を防ぐには高感度フイルム」とのバカの一つ覚えから『160 T*』というフイルムに手を出してしまったのだ。 これは紛れもなくタングステンフイルムであった。 タングステンとは“室内照明用”のフイルムで、光源のオレンジ色を消すために青みを帯びたフイルムである。

これで撮ってしまったので、この記念すべき『初めての北海道旅行』の映像は全て青みがかかって“使い物にならない”ものとなってしまったのである。 この事でこの旅の唯一戦果は、サブに持っていったPentaxにネガを入れて撮っていた“駅舎撮り”や“駅名標撮り”の『B級画像』のみとなったのである。 
まぁ、今ではこの『B級画像』がHPを飾る重要なネタとなっているのだから恐れ入るのだが。
 

撮ってて良かった仁宇布駅名標
モロ《B級画像》でっす
 
なので・・仁宇布駅に纏わる写真は、このサブカメラによる『B級画像』だけなので悪しからず。
・・そうなのである。 この時は仁宇布駅を出てすぐの位置にあった馬鈴薯畑に咲く満開の白い花を前景にキハ22を撮っていたのだが、全てボツというジェノサイトとなってしまったのである。
 
この失敗旅行の後は、この失敗を取り戻すべく『リベンジの執念の塊』と化して学生たる本分をかなぐり捨てた(落第ギリギリまで学校をサボり、旅に出かけていた←良い子はマネしないよう・・ マネすると、確実に筆者のようなロクデナシになるよ)のであるが、山に方向転換するまで夏は北海道に渡る事がなかったので、この『満開の馬鈴薯の花と美幸線のキハ22』はリベンジが叶わなかったのである。
 

『あの夏の美幸線』はコレだけ
 
この『リベンジ』が叶わなかった悔しさが、取り戻す事が出来ない今現在に、筆者の心の奥に一生涯刻まれる事になったのである。←オーバーな・・ それ故に、未だにあの頃の情景を『夢見て』は彷徨っているのである。
 

『終』と記された車止めが
先が無い事を物語る
そして今はその『終』の先を
『夢見て』彷徨っている
 
そして時が過ぎ、『取り戻せない夏』となった仁宇布に訪れたのは、鉄道から離れて山にシフトを変えた『美幸線が廃止になって10年後』だった。 この時はまだ『トロッコ鉄道王国』は開業しておらず(訪れた2年後の1998年に開業との事)、駅舎が取っ払われて空地となった駅跡に廃車となった583系寝台車が放置されて、お定まりの蒸気機関車の車輪のモニュメントの『駅跡碑』があっただけ・・であった。
 
でも、この頃は鉄道から離れていた事に加えて、廃車体の583系の中間車1両がボロボロになって放置されていたのだが、それがあまりにも見すぼらしく哀れな光景と感じたので写真を撮る気が起きなかったのを憶えている。
 

北海道とは関係のない583系の廃車体
哀れなほどボロボロだった
※ グーグル画像を拝借
 
かつて心を虜にされたモノが、あのような哀れな光景となって眼前に放置されていたのを『見なかった事にしよう』と心に秘めて、この時にこの地・仁宇布を訪れた主目的である《びふか・松山湿原》へと向かったのを憶えている。
 
それでは(関係ないけど)、その《びふか・松山湿原》の映像でひと摘まみ『仁宇布の夏』を表現して、今回も訳の解らん『駅の思い出』を締めるとしよう。
 
松山湿原の情景

雨霧ノ滝
 

高層湿原・松山湿原の情景
 

高広ノ滝
二対で『高広ノ滝』との事
 

この時はワタスゲが満開だった
 

激流ノ滝
 

高層湿原では貴重な花種
トキソウ
 

女神ノ滝
 

ワタスゲに囲まれた絹の道(シルクロード)
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『美幸線』を御覧下さい。
 
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No title * by プリウス おじちゃん
こんにちは
仁宇布駅舎は結構立派だったんですね。
新十津川駅のような小さな駅と想像していました。

No title * by 風来梨
プリウス おじちゃんさん、こんにちは。

仁宇布駅は平屋建ての長い駅だったですね。
当時はレンタサイクルも貸し出していました。
駅員さんも常駐で、日本一の赤字線の割には経費をかけてました。
だから、いつも綺麗な駅でしたよ。

きっと、美深と北見枝幸がつながった時の列車交換可能の重要駅の位置取りだったのでしょうね。 路線在りし当時は、人口200人程の小集落だった・・との事ですが。

また、新十津川も元は現在の2倍位あったのですが、駅務室を取り払われる駅舎の『半分化』を受けて現在のような駅となった・・との事です。

この駅舎の『半分化』は、西日本の山岳路線の閑散区間(例えば芸備線の3往復区間)などで多く見受けられますね。

No title * by たけし
撮影当時にはつまらなく思える写真も時が経つと貴重なものになりますね!
フィルムだと残しておけますが、デジタルでは即削除してしまうので、貴重な写真もなくなってしまいます。
SDカ-ドの整理が大変ですが極力保存に努めます。

ナイス!

No title * by 風来梨
たけしさん、こんばんは。

ホント、時とともに「駄作」が「一番星」に昇華する事は大いに有り得ますね。

私はフイルムにこだわってますので、そのチャンスが一杯ですね(希望的観測ですが・・笑)

コメント






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No title

こんにちは
仁宇布駅舎は結構立派だったんですね。
新十津川駅のような小さな駅と想像していました。
2014-08-24 * プリウス おじちゃん [ 編集 ]

No title

プリウス おじちゃんさん、こんにちは。

仁宇布駅は平屋建ての長い駅だったですね。
当時はレンタサイクルも貸し出していました。
駅員さんも常駐で、日本一の赤字線の割には経費をかけてました。
だから、いつも綺麗な駅でしたよ。

きっと、美深と北見枝幸がつながった時の列車交換可能の重要駅の位置取りだったのでしょうね。 路線在りし当時は、人口200人程の小集落だった・・との事ですが。

また、新十津川も元は現在の2倍位あったのですが、駅務室を取り払われる駅舎の『半分化』を受けて現在のような駅となった・・との事です。

この駅舎の『半分化』は、西日本の山岳路線の閑散区間(例えば芸備線の3往復区間)などで多く見受けられますね。
2014-08-24 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

撮影当時にはつまらなく思える写真も時が経つと貴重なものになりますね!
フィルムだと残しておけますが、デジタルでは即削除してしまうので、貴重な写真もなくなってしまいます。
SDカ-ドの整理が大変ですが極力保存に努めます。

ナイス!
2014-08-28 * たけし [ 編集 ]

No title

たけしさん、こんばんは。

ホント、時とともに「駄作」が「一番星」に昇華する事は大いに有り得ますね。

私はフイルムにこだわってますので、そのチャンスが一杯ですね(希望的観測ですが・・笑)
2014-08-29 * 風来梨 [ 編集 ]