風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  『日本百景』  >  『日本百景』 晩夏 >  第128回  塩見岳と蝙蝠岳  その2

第128回  塩見岳と蝙蝠岳  その2

『日本百景』  晩夏  第128回  塩見岳と蝙蝠岳  その2  〔長野県・静岡県〕
 

塩見岳・蝙蝠岳 登頂ルート 行程図
 
   行程記録  ※ 今回実際にかかった時間ですけど・・、何か?
《1日目》 JR・伊那大島駅よりバス(1:50)→鳥倉登山口(2:50)→三伏峠
《2日目》 三伏峠(1:20)→本谷山(1:50)→塩見小屋(1:30)→塩見岳(0:35)→蝙蝠岳分岐
《3日目》 蝙蝠岳分岐より蝙蝠岳往復、所要・片道2時間(0:45)→塩見岳(1:05)→塩見小屋
《4日目》 塩見小屋(1:30)→本谷山(1:20)→三伏峠(2:00)→鳥倉登山口よりバス
     (1:50)→JR・伊那大島駅
    ※ 前回の『塩見岳・蝙蝠岳 その1』からの続き
 
  《3日目》 南ア・最後の未踏峰を踏んで塩見小屋へ・・
朝4時前に目が覚める。 昨日のテントのバタつき具合から、かなりの風が予想される。
だが、空は満点の星空だった。 これを見て、予定通り明るくなり始めた5時ごろに出発。
テントにデポってのカメラと水筒だけの空身なので身体が暖まるまでに時間がかかり、朝の強風はガタガタと震えがくるほどに寒い。 あまりにも寒すぎるので、中シャツとカッパを着込んだゴワゴワの身なりで出発。

水は、昨日の炊事跡のボイル水を元に戻した長時間殺菌済!?の混じる水だ。 
計算通り、1.3㍑余り残っている。 これだけあれば、空身で往復6時間の蝙蝠岳往復と《雪投沢》までは持つだろう。
テントを設営した窪地を仕切る土手の上につけられた登山道を伝うと、程なく痩せ細った岩稜上に出る。

この岩稜のやや北側を巻いていくように登山道は続いているのだが、この岩稜伝いの道は地図上に『危険』の表示がない事を疑問に感じる位に危ないコース状況だ。 それに加えて、折からの朝の強風と見る見る内にガスって露と化す水滴でよろけるわ、滑るわ・・とかなりおっかない状況だった。
 

北俣岳の岩稜は両側はスッパリと切れ落ち
ナイフリッジも幅1mほど欠落していて
“幅飛び”を余儀なくされるデンジャラスな岩稜だ

最も危険と思われる所を写真に撮ってみたが、ここは両方がスッパリと切り立った崖で通路も間が割れた“奈落”となっていて、“標高2900m上の岩稜での1mの幅跳び”を余儀なくされるデンジャラスなナイフリッジだった(もちろん、助走なしよ)。
 

朝の光で霧が
幻想的な眩さを示してくれた

これを薄暗い夜明け前に通過せねばならないのである。 こんなのが続くと気が萎えてしまうが、距離自体は短くでほんの15分程で抜け出せるのでまだマシだが。 この難所を抜け出ると、途端に稜線はだだっ広い砂礫の丘状となる。
 

岩稜を抜けると稜線上は
ただっ広い砂礫の丘となる
 
地図では、この砂礫の丘の方を「道に迷う」として『危険』マークを打っているのである。 
でも、ここを『危険』とするなら、さっきの稜線の方がよっぽどデンジャラスである。 なぜなら、この砂礫の丘の状況は踏跡がしっかりとついているし、到る所にケルンが立ちかけてあって、この砂礫の丘でルートを見失う事はまずないといっていいだろう。

直感的に『安全』という安らぎを確保したので、カメラを取り出して雲の切れ間より時折差し込む朝日とケルンを絡めてファインダーに収める。 カメラを取り出して首にぶら下げながら歩いていくと、1ヶ所だけハイマツのブッシュの中に隠されるように刻まれた判り辛い所があった。 
この1ヶ所だけは、地図に記載された“道迷い”『危険』マークが納得できる。
 
前回の山行でUVフィルターを割った事もあったので、カメラをしまい込んでからハイマツのブッシュを漕いでいく。 このブッシュを抜けると、広大で緩やかな砂礫の大斜面の上端に出る。 これより、標高差にして100~150mのダダ下りだ。
 

振り返り見ると
“こんなに下ったのか”と
思わずにはいられない

振り返ると、昨日テントを張った塩見岳稜線の肩(《蝙蝠岳分岐》ですね)は、かなり高く見上げる位置にあった。 知らず知らずの内に、もう200m位は下っていたようである。 「帰りはやだなぁ」と退廃的な考えで頭を一杯にしながら下っていくと、《二軒小屋》から来たのか・・しっかりした装備を担いだパーティと最低鞍部の所ですれ違う。
 
このパーティのメンバーの腕には『自然環境パトロール隊』の腕章があり、リーダーと思しき方が「稜線上でライチョウを見かけませんでしたか?」と尋ねてきた。 今回は残念ながらまだライチョウは見ていないので、その様に答える。 どうやら、ライチョウの調査らしい。 何でも、ライチョウの生息数は危機的な状況にあるという。
 

朝日が穏やかに照らす
優しげな砂礫の丘に向けて
 
話は先祖還るがこんな状況でも、北アの《立山》で犬が持ち込んだダニが原因でライチョウが皮膚病を発症したと新聞で報じられても、ペット犬がライチョウのヒナを咥え殺したとの目撃があっても、「犬が生態系を乱すという証拠をだせ!」、「原因を突き止めず、犬だけに責任を押し付けた悪意ある報道だ!」、「規制を目論む者が捏造した虚偽だ!」などと、「アンタ達のような人間のクズは、この世から消えて下さい」と心底願いたくなるような悪態をつく。

人間が『ローインパクト』を心に抱き心を戒めるのは当然の事なのに、その人間が私欲を満たす為だけにライチョウを始めとした野生動植物を根絶やしにしかねない事をして、平気でふんぞり返っているのである。 あまつさえ常習的にペットを持ち込む人間のクズは、この野生動物の虐殺行為を奨励さえしているのである。

そういえば、《鳥倉》の林道ゲート口に『ペットの連れ込みを禁止する』看板があったっけなぁ。
だがこの看板だけでは、注意すると『逆ギレ』をする人間のクズへの効果は疑問だ。 ここは一刻も早く、『自然界への犬の持ち込み』を犯罪として処罰する法を制定すべきだろう。 もちろん罰則に効果を出す為には、懲役刑以上の重い刑罰か300万以上の罰金は下さないとダメだろう。

まぁ、何でも法律を作っていいのなら、私ならばこの人間のクズ共から『人権』を剥奪するけどね。
“人間失格”として『人権』を剥奪されて、石をぶつけられて、棒で叩きのめされて、人間のクズとして排除されて、今までの行いの報いを受けながらこの世から消えるといいだろう。
ああ、この事になるとエキサイトする。

これを書いていてはいつまで経っても終わらないので、先に進む事にしよう。 
砂礫の大斜面を下りきった最低鞍部からは地層が変わるみたいで、潅木が茂る山肌を急登で登る。 登る・・といってもほんの20~30m程なのですぐに傾斜はなくなり、木々が茂る船窪状の中を行くようになる。
 
この船窪の中は風が完全に遮断されていて、しかもテントを設営するに丁度いい平坦地が所々にある。
もしかして、先程の『自然環境パトロール隊』の連中は、ここで幕営したのかも。
時間的にはまだ6時過ぎなので、夜通し歩くのでなければ到底《二軒小屋》からは来れる訳ないし。
 

左側には霊峰・富士が
シルエットを魅せて
 
緩やかな船窪の中を伝い、最後は土手を斜めを切って船窪より這い出ると再び稜線上に立つ。
天気はかなり良くなり、左手に富士山のシルエットが見渡せるようになる。 
後は、大らかで緩やかなる山の膨らみを1歩づつつめていくと、南ア特有の角柱の道標が現れる。 この標柱には『6時間 二件小屋 ⇔ 塩見岳 3時間』と表記され、その先の岩の積み重なりが我が『南ア・最後の未踏峰』である蝙蝠岳 2865メートル だ。
 

感慨深く“南ア最後の未踏峰
”蝙蝠岳の頂に立つ

地図上に記載された『大らかで草木なし』との言葉が印象的だったその峰は、真に大らかなる乳房のようなふくよかさを抱く峰だった。 頂に積み重なった岩の上に立つと富士山が美しいシルエットを魅せ、その右横に二つのコブが印象的な南アの秘峰・笊ヶ岳 2629メートル が雲間より頭をもたげている。
間ノ岳や仙丈ケ岳などの峰も、時折途切れる雲間より頂を突き出してくる。
 

覆いつめていたガスが散って
笊ヶ岳の“二ッ頭”が
 
だが、残念な事に荒川三山と塩見岳の頂点部分といった南側の山々は、厚い雲で覆われていてその姿は拝めなかった。 頂上より先は、この先の長大さを思わずにはいられないが如くのうねった稜線が遙か遠くの谷間へと続いている。
 

竜の背のうねりの如く続く
《二軒小屋》へ続く稜線
 
きっと、あの谷間の底に《二軒小屋》のロッジがあるのだろう。 そして、一人の健脚と思しき登山者が、この竜の背のような長い尾根道を下っていこうとしている。 とりあえず、山の同胞の健闘を祈る。
私は折り返しなので、頂上の石積みの上でカメラ片手にしばらく憩う事にしようか。
 

振り返ると伝ってきた稜線が
一望できて更に感慨深く・・

「あぁ、しんどかったけど本当に着て良かった」、「やっとこさ、念願の一つを叶える事ができた」との喜びをかみしめながら憩う中で時計を見ると、まだ7時過ぎ。 もう、かれこれ10分は憩っているので、登り着いたのは6時台て事になるなぁ。 確か、コースタイムは片道3時間。 「いきなり、『最盛期』への回帰か?」と都合のいい妄想で頭を一杯にするが、虚しいので辞めた。 頂上で40分ほど憩って、さすがに寒くなってきたので引き上げる事にする。

時間的にかなり余裕ができたので「写真を撮りながら戻ろう」と、カメラを首にぶら下げて歩いていく。
振り返り見ると、真にたおやかで優しい山容を示している。 何故に『コウモリ』などという名前になったのだろうか。 イメージ的には、『コウモリ』という動物はグロテスクな容姿と陰鬱なイメージで気味悪がられている部類ではないかなと思うのだが。
 

緑豊かでふくよかな蝙蝠岳

でも、名付けの由来を調べて納得。 それは下から見上げる頂上の雪形が、コウモリが羽根を広げた紋様となるからだ・・そうである。 あのたおやかな稜線は、コウモリの羽根の湾曲をかたどっていたのであろう。 そして、均整の取れたあのたおやかさがコウモリが両翼を広げた姿を彷彿させるのだろう。
一度この雪形を目にしたいものである。
 
でも、この峰を下から望むとなると、南アきっての難関峠と云われる《転付峠》位でしか拝めそうにないな。 それも、積雪期。 こりゃぁ、今の私の体力では無理ですな、アッハッハッ。
 

もう晩夏も過ぎて
山は急いで秋の装いへと
衣替えをしていく
 
カメラをぶら下げて歩いていくと、山がそろそろに秋の様相に衣替えを始めようとしているのが感じられる。 秋を待ちかねて気がせったのか、潅木の1つが赤く紅葉していたり、ナデシコやイワギキョウなどの秋色の花々が勢力を増してきていた。 これらにカメラを向けながら、そして振り返ればたおやかな姿を魅せる蝙蝠岳の山容に魅せられながら歩いていく。
 

まるで荒川三山のように
スラッとした鋭角の
三角錐を示す『裏』塩見岳

すると、幸運にも塩見岳の頂上を覆っていた厚い雲が晴れて塩見岳の全容が望めるようになってきた。
しかし、この塩見岳って山は、見る角度によってこうまで違うのか。 この角度から塩見岳を見た時、白峰三山からみたズングリムックリの別称『漆黒の鉄冑』のイメージは消し飛んでしまった。
この場所から魅せる山容は、頂から伸ばす節々に明るい茶色の縞模様を乗せたスラリとした三角錐の峰であった。
 

頂はぶ厚い雲に覆われるものの
荒川三山も姿を魅せてくれた
 
これを初めて目にした時、思わず「荒川三山!?」と思った位だ。 この新たなる発見に興奮して、フイルムの消費量が増していく。 そして、楽しみに没頭するとあっという間に時間は過ぎ去り、往路の時に「帰りはしんどそうな登りだなぁ」と退廃的な思いを抱いたあの砂礫の坂はあっという間に登りきり、両側がスッパリとキレ落ちたあの岩稜地帯まで戻ってくる。
 
蝙蝠岳稜線に咲く花々 その1

ミヤマキンバイ

でも、余裕があると、行きにあれだけ「おっかね~」と思ったナイフリッジが、それ程でもないように思えてくる。 岩間に割くイワギキョウやウスユキソウなどにカメラを向ける程に余裕があった。
やはり、夜明け前と違って『明るい』という事と、往路で一度通った『経験』、そして難所ではあるが『登り』であるという事が心を大きくさせた要因だろう。
 
蝙蝠岳稜線に咲く花々 その2

チシマギキョウ
 
という訳で、『復路の懸念』となっていたこの岩稜越えも難なくこなし、10時前にテントをデホった《蝙蝠岳分岐》に着く。 取り敢えずテントを撤収しながら、今日のこの先の行程を考える。
1つは小屋番の兄さんや行き違う人などから「水があるよ」と教えてもらった《雪投沢》に下り、そこで幕営をする案である。 もう一つは「残金が17000円程あるので、素泊まりならいける」という事で塩見小屋で停泊する事である。

さて、どうしたものか。 《雪投沢》はタダだが、便所と帰りの時間が切羽詰るという不利がある。
小屋泊りは、《雪投沢》の不安要因であるトイレ・水・下山時間を金で買う事で解決できる。
 
どちらにしようか考えた時、「そういえば、昨日の明け方に《三伏峠》のキャンプ場でして以来、今日にかけて『大』をしてないな」という事が頭に浮かんだ。 そして、昨日の小屋番の兄さんの話の中であった「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という言葉を思い返し、ここはトイレの事を優先して小屋泊まりにしようと決める。
 
蝙蝠岳稜線に咲く花々 その3

エーデルワイス
(ウスユキソウ)

今回の山行では、「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という教訓を何とか守れそうだ。 今更ながら、簡単なようでかなり難しく奥の深い訓示なんだと認識する。
どの辺をとって「できるだけ」と捉える事だけでも、人によって区々(まちまち)だからであろう。

まぁ、未だに私欲を満たす為だけにペットを連れ込み、周囲に悪害を振り撒こうが自然を破壊しようが開き直るクズが存在するって事がこの訓示と相反しているし、ましてや他の生命を蝕み自然破壊の限りを尽くすこのクズ共が、「自然を守ろう」やら「ペットと自然との共生」などと、行為と真逆な言葉を吹聴する自体が言語道断なのである。
 
蝙蝠岳稜線に咲く花々 その4

ハクサンフウロ

テントをたたんでザックにパッキングして出発。 まだ10時過ぎ。 「まぁ、塩見の頂上で呆けても1時過ぎには着くな」と、余裕を持って歩いていく。 余裕ができると、周囲がよく見えるものだ。
野鳥が潅木の縁をトコトコと歩いているの見つける。 鳥の名前は解らないが、かなり度胸の坐った奴と見えて、カメラを向けようが動じない。 お陰で何枚か撮れたよ。 でも、200mmだと小さいな。
 

カメラを向けても動じない野鳥
 
このようにダラダラと登っていくと、しんどくはないが時間はあっという間に経ってしまう。
そして、南ア・稜線での『11時』がやってくる。 何でだろうか、いつもこの時間になると急速に曇り始めて、下手すりゃパラパラと来る。
 
稜線上、しかも岩稜地帯でパラパラ以上に遭遇すると、真に困難な状況となる。 特に雷を伴うと、身の危険を伴う厄介となる。 ちなみに昨日は、『パラパラ』はなかったが雷はあったみたいだ。 一度、空が光ってテントが明るくなったのを覚えている。
 

往路では気づかなかったが
塩見の頂上は秋色の世界だった

南ア・稜線『11時』の雲が空に厚く覆い被さった頃、塩見の頂上に着く。 11:10。 頂上では、高校のW・V部の連中が岩の上でグタっていた。 確かに荷は重そうだったが、私の現役時代より覇気がなさそうな山岳クラブだった。 学校は東京の有名私学大の付属高みたいだ。 でも、この連中、私の現役時代では有り得ない事を行程に組み込んでいたのであった。 それは、この後に明らかとなる。

私が塩見の頂上に着いて数分後、案の定パラパラと来たので、岩で寝そべっていたこの連中は飛び起きて、慌て気味に荷物を担ぎ出発した。 パラパラと来たのだから、私もこの連中の後を着いていく事にする。
 

夏の終わりは淡い紫の花
イワギキョウ
 
塩見岳の下りはやや危険な岩稜下りがあるのだが、この連中のモタツキ様といったら、今の私並であった。 悪いけど、全く若さが感じられんかったよ。 上の引率教員の指示がなければ、マゴついて降りれないでやんの。 ひょっとすると、伝家の宝刀『クマ下り』(後ろ向きの四つんばい下り)がある分だけ、私の方が上かも。

先行の高校W・V部が下りでマゴついたお陰で、私自身の『登りより遅い下り』が目立つ事もなく、1時間10分かけて塩見小屋まで降りつく。 ちなみに、健脚なら45分で下れるんだって。
でも、そんな事を凌駕する『サプライズ』な事を彼らはしてくれたのだ。
 

トリカブトを目にすると
夏の終わりが頭を過る

今の時間は12時半前。 高校生という若い身体なら、十分《三伏峠》まで下れるはずだ。
それが、この小屋のVIPルームに泊るようなのである。 その為に、予め1棟まるごと宿泊予約を入れていたみたいである。 どうやらこの子達、テント担いでないみたい。 荷物を解体している姿をチラッと見ただけだが、テント用具は皆無だったし。

そしてもっと驚きは、水を汲みに行かずに小屋で購入してやがんの。 まぁ、ワテも購入したので人の事を言えんが。 そして、食事も小屋食を取るみたいである。 食事の時間の割り振りの説明があったみたいだしィ。
 
いやぁ、時代が変わったからなのか何なのかよく解らんが、私の今までの経験を当てはめるとこの光景は少々パニクったよ。 あの大きな荷物の中身は、食後のデザートやら、お菓子やら、軽食やらであったみたいである。

少なくとも、ワテの現役時代は考えられん事だったよ。 ワテの現役時代の山岳クラブは、水は出発地(たぶん、《熊ノ平》だろう)よりの持ち運びだろうし、小屋に泊まる事もないし、この時間帯ならたぶん《三伏峠》まで下ってのテント泊となるだろう。 ましてや、食事は全て自炊だよなぁ。

昔は携帯ボンベコンロがショボくて今のように高性能ではなかったので、『重たさ極めたり』のホワイトガソリンコンロ(ホエーブス)をガソリン付で担がされたものだよ。 ちなみに、ホエーブスの重さは約2.5㎏とガソリン1㍑で約3.3㎏ナリ。 ほんと、形も悪く(円柱の缶で、パッキングし辛いったらありゃしない)て担ぎにくく、“ホエ~”と嘆きたくなるような重さだったよ。
 

イワツメクサ
夏の終わりが漂う中にも
盛夏を主張する白色の花もある

いゃぁ、たまに小屋に泊ると、驚くべきサプライズがあるもんですねぇ。 彼らが予約者専用の『VIPルーム』を占拠してしまったので、飛び込みのワテは15人収容の棟に押し込まれる。
これから、何人来るのか。 『来る者拒まず』の山小屋なれば、この先15人、20人、30人・・と増えていく事が想定される。 もしかしたら、『三角座り』かも。

悶々と「そうなれば、テントを張らしてもらって逃げたいなぁ」などと考えながら、リミットの夕方5時を待つ。 この『夕方5時』というのは、小屋番の兄さんが「5時を過ぎるとさすがに飛び込みはいなくなるだろう」と言っていた時間である。 まぁ、暗くなる前に余裕をもって到着するのは、山では常識な事ですがね。

途中で同宿者にウイスキーを勧められて酒盛りとなるが、飛び込みは思った程におらず、定員ちょうどの15人で収まったみたいである。 ひとまず、『三角座り』は避けられたようである。
ちなみに、3時頃から強い夕立が降った事が、宿泊者が増えなかった原因かもしれない。
でも、小屋泊りで良かった。 《雪投沢》ならババ濡れになったかも。 雷も稲妻付きでゴロゴロなってたしィ。
 

 

空が紺からかぎろいに変わってゆく中
雲海の間より仙丈ケ岳が頂を突き出し始めた
 
  《4日目》 塩見小屋より下山
キチキチではないとは言え、狭い所(約10畳強か)に15人は寝苦しい。 それに、お互い様だけどイビキ・寝言・鼻づまり気味の寝息もあったりするし。 ・・で、3時頃に皆そろって目覚め、4時頃には朝食前に山頂まで空身往復をする者と、小屋前でたむろする者に別れてそれぞれ散っていく。

私は当然“たむろ”組である。 塩見岳の勇姿を添えての夜明けの情景を撮りたかったからである。
空は昨日の夕立を降らした雲が多く残っているものの、まずまずの天気。 雲の切れ間から仙丈や甲斐駒、間ノ岳・北岳が見渡せる。 だが、肝心の塩見岳は頂上付近がガスに覆われて見えない。
 

空が明るくなり
贅沢な山のオーケストラが始まる
 
バスの発車時刻の14時までに《鳥倉》に降り着ければいいという事で、時間はたっぷりある。
ここはカメラ片手に、頂の雲が途切れるまで待つ。 日の出から粘り続けて待つ事約20分後、ついに雲が抜けてシャドーの塩見岳と天狗岩が鋭角に突き出すシーンをゲット。 
まぁ、その成果は掲載写真をごろうじろ。
 

頂上にたなびいて
なかなか切れないガスだったが
こうしてみると
いい“仕事”してたみたいですね
 

昨日の雨雲が
山のオーケストラを引き立てていた
 

このガスがなかなか取れなくて
気がつけば1時間半近く粘っていたのね
 

ガスに光が当って
これがキメ写真かな
 
撮影に夢中になって朝の5時前から1時間半近く、フイルム2本を撮りきる。 朝の“お仕事”が済んだら、次は朝の“お通じ”だろう。 いうなれば、これの為に小屋に泊る決断を下したといってもいい位だったから・・。
 
さて、その“お通じ”だが、この小屋の『大』の処理法は、かなり工夫を凝らしたいい方法であった。
その方法とは、トイレの建物の中には洋便座のオマルが置いてあって、それにサニタリー袋をかけて、その中に用を足す。 後は用便袋となったサニタリー袋を付属のビニール紐で縛って、外の用便捨てにポイである。
 
・・ん、待てよ。 これって、私がいつぞやに『思いのまま日記』に“山トイレ問題について・・”で書き記した方法と同じではないか。 違うのは、管理者のいる山小屋で実行しているか、管理者がいない野営地か・・という違いだけだ。

他の宿泊者も皆、口を揃えて「これは、いいアイデアだ」と言っていた。 これを横耳で聞いていたワテは“鼻が高い”よ。 是非にも、稜線の野営地でも試みて欲しいと願う。 例えば、この南アルプスでは《雪投沢》が格好の試験候補地となろう。 費用は登山口と伊那から入る登山者の全てが通る《三伏峠》の小屋で、全ての入山者から山中1日当たり1000円を徴収すればいいだろう。 
なお、ワテのアイデアはリンクをクリックして読んでみてくれたまへ。
 

ギラリと光る漆黒の鉄冑に
しばしのお別れを

念願だった南ア・最後の峰を踏破して、「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という訓示も守る事もできたという事で気分も上々。 後は下っていくのみである。
出発時間は7時過ぎ。
 
地図上のコースタイムも6時間弱という事で、バスの時間まで1時間少々の余裕がある。
ここは、カメラ片手にのんびりと行こう。 漸く身体も山に馴染んできたようで、体調もかなりいい。
「今日くらい身体が軽ければ、ヘバらずに山に登れるかも」と自惚れるボケが、一人でほくそ笑んでいた。
 

昨日までなかなか望む事のできなかった
荒川三山もハッキリと
 
今日はすごぶるいい天気で、厚い雨雲に覆われたまま、前日までの3日間で一度たりとも拝めながった《荒川三山》が雲一つない完全無欠な姿で見渡す事ができた。 望遠レンズでみれば、中岳の避難小屋も確認できる。 「あぁ、半月前はあの山のあの稜線を伝っていたんだな」と思い返すと、なかなかに感慨深い。
 

間ノ岳も鶴翼を広げるが如く
長大な稜線を下ろしていた

「体調がいい」という事で、カメラ片手でもハイペースで下っていく。 途中のミヤマダイコンソウの群落(往路で「もうピークを過ぎた秋の花で、足を止める程の感慨も湧かなかった」と記したお花畑である)を撮ったりしながら《三伏峠》の小屋へ。
 

往路では曇天で花の色も
くすんで見えたが
好天の今日は眩いばかりの
黄色を魅せてくれた
 
《三伏峠小屋》前到着は9:40。 ここまで2時間半と、コースタイムの『下り3時間』を大きく切る好タイムだ。 でも、あまり早く着き過ぎてもバスの待ち時間が長くなるだけで、あまり利益はないのだが。
 
・・という訳で、小屋前で1時間近くタムロする。 そこに、ゼッケンをつけた下が半ズボンや、自転車レーサーなどが着るウエットスーツみたいなピチピチのスーツをはいた山岳トライアスロンに参加している連中が何人か通り過ぎる。 何でも、この《三伏峠》は通過ポイントらしい。 小屋前で小休止を入れる参加者の兄さんに、一緒に降りてきた登山者の数名が大会の概要をなどを尋ねていた。

兄さん曰く、「スタートは糸魚川の親不知海岸で、北アの栂海新道から槍・穂高を越えて、中央アルプスを完全縦走して、南も夜叉神峠から鳳凰三山を越え、白峰三山・塩見・荒川・赤石と縦走して光岳から寸又峡林道に下りて太平洋を目指す」というものらしい。 何でも、「2年に1回、この手の競技の有名人が音頭を取って参加者を募集し、大会を催す」との事である。

でも、はっきりいって、“あまり”どころか全くもって『関心できない』競技である。 
半身裸のような状態で、山道を昼夜問わず走り続ける競技だそうである。 そして、到着の時間制限もあるという。 全てを8日以内で通過しないといけないらしい。 もちろん、電車・バス・タクシーなどの交通機関やヒッチハイクは即失格との事。

参加概要では競技中の事故に関しては『自己責任』との事だが、もし事故が起きたら人命を伴うもので、『自己責任』などと悠長な事はいってられないのだ。 山道を走るだけでも危険極まる行為なのに、動けぬまでに疲れたらツエルトを張って休むものの、制限時間をクリアする為に「参加日程の大半の夜を呈して走る」とか言っているのだから。

『山で走る』という事は、他の登山者も巻き込む恐れが多分にあるという事を思い返して欲しい。
蹴つまづいて落とした石ころが他の登山者に当ったり、坂道を走っていて他の登山者に衝突したり・・という危険が多分にある事を認識してもらいたいのである。 これを認識できたなら、こんなバカげた大会など開く事など考えも寄らないと思うのだが。

そういえば、昨日も《塩見小屋》で、この大会の参加者が一服がてら『ペース配分』について話していた。 横耳を立てて聞いたなら、「《塩見小屋》から《三伏峠》までは1時間で着く。 足だけは痛めないように、踏みしめずに降りていこう。 今日は少なくとも《荒川小屋》まではいかねば・・」云々だった。
 
これを聞いて「コイツら、頭狂ったか?」と思ったよ。 小屋番の兄さんも、「我々としても、あのような大会はケガを招く危険が多々あって関心しませんね。 もし、事故が起きたら、それこそヘリコブターものですからね」と溜め息を着いていた。

そうなのである。 これは、他人を大いに巻き込む言葉の意味と真逆な『自己責任』なのだ。
・・他の登山者はこの参加者の兄さんに驚嘆や喝采の声を上げていたが、ワテはどうしてもしっくりとはいかず、ただ冷ややかな目で聞いているだけであった。 短パンで足むき出しのこの兄さんの足は、無数の傷と血の固まった痕が残っていた。 正直言って、「こうまでなってやるべき事なのか?」と問い返したかった位である。
 

この蝙蝠岳の登頂で
念願の“南ア・主要ルートの
全踏破”の夢が叶ったよ
 
そうこうしている内に《三伏峠小屋》での1時間チョイは過ぎ去り、11:00の出発予定時刻が近づいてくる。 《鳥倉》までの下山路は、前回の『荒川三山』と今回の往路の2度通っていて、“どこに何があるか”をほぼ把握しているので問題はない。 むしろ、ここで問題を起こすようなら、ちょっとヤバいかもしれんな。
 
・・という事で、2時間かからずに下りきって、暑い最中の下界との接点である登山口へ降り着く。
到着は12:50。 バスまで、1時間半の待ち時間。 下のバス停は陽炎が立っとるよ。
今近づくと、たぶん溶けるだろうな。

    ※ 詳しくは、メインサイト旅行記より『南ア・最後の未踏区へ・・ その2』を御覧下さい。
 
 
 
関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可