風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線 第7回  牟岐線

『私の訪ねた路線』 第7回  牟岐線 〔徳島県〕
 

牟岐駅に停車中の
キハ58系急行【むろと】号
この【むろと】号が
本数が少なくて一番撮影がムズかった
by 厨房の頃のワテ

《路線データ》
牟岐線
     営業区間と営業キロ              輸送密度 / 営業係数 (’15)
    徳島~海部  79.3km              1865  /  198
運行本数 ('17)  
              徳島~阿南 毎時2本(内 1往復特急)    
              徳島~牟岐 毎時1本(内 3往復特急)
              牟岐~海部 12往復
 

ぢ・つ・わ・・、この牟岐駅スタンプ
我がスタンプ押印の歴史の中で
最も完璧に押せた最高傑作です

  《路線史》 
徳島と県南東部の海岸沿いの都市を結ぶ鉄道路線である。 改正鉄道法では、「高知県・後免より安芸、徳島県・日和佐を経て古庄(羽ノ浦駅付近)に至る鉄道」として計画・建設された路線で、半島を周回し高知へつなぐ予定があったようである。 しかし、国鉄線としての建設は、海部までの延伸で終了している。 

なお、小松島線の廃止の取引に使われた建設予定線の『阿佐東線』は現在甲浦までが開通し、『阿佐海岸鉄道』という第三セクター方式の運営が成されている。
 

特急よりも急行や
キハ20の普通の方を好む
ヘンなチューニでした・・ハイ
辺川付近にて

この路線の歴史であるが、生い立ちとしては概ね3区間に分けられる。 まずは、汽船会社の『阿波国共同汽船』が、小松島港に発着する船への連絡鉄道として1913年に開業させた徳島~小松島である。
なお、この区間の末端である中田~小松島は、『小松島線』として独立分離させられた上に、1985年に国鉄再建法による廃止対象路線として廃止されている。

中田~羽ノ浦は、1916年に私鉄の阿南鉄道が開業させた区間である。 残りの区間は当所から国鉄線として建設されるのだが、その延伸工事は遅く、1936年に最初の延伸(羽ノ浦~桑野)が完成して以来、37年という時をかけて1973年にようやく現在の海部の延伸がなったのである。
 
今となっては貴重な
急行【むろと】号の勇姿
辺川付近にて
中坊なりに歴史を残すべく
努力していました

先程にも記したか、海部より先は国鉄再建法により延伸工事が凍結されていたが、徳島県が建設区間を県主導の第三セクター運営に移管する事を決定した事により、1988年より工事が再開される。
なお、1992年の3月に甲浦までが開通し、海部~甲浦は『阿佐海岸鉄道』によって運営されている。

  ※ 詳しくは、メインサイトより『魅惑の鉄道写真集』を御覧下さい。



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No title * by オータ
北海道から遠く離れた室戸の地。徳島側からのアプローチですね。今はないのか?フェリー港があったり、このように三セクの鉄道があったり…よくわかりませんが、今はどうなのでしょうtね?

No title * by 風来梨
オータ様、こんばんは。

フェリー港は1998年に明石海峡大橋ができてから縮小の一途を辿り、2002年を持って廃止されています。 つい最近では、明石と淡路島を結ぶタコフェリー(結構有名でした)も休止となりましたし。

時間と利便を考えると、カーフェリーはとてもじゃないけどやっていけないようです。

それと、まだまだこれから日本全国のいろいろな路線を御紹介していきますので、乞う御期待。

コメント






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No title

北海道から遠く離れた室戸の地。徳島側からのアプローチですね。今はないのか?フェリー港があったり、このように三セクの鉄道があったり…よくわかりませんが、今はどうなのでしょうtね?
2011-03-06 * オータ [ 編集 ]

No title

オータ様、こんばんは。

フェリー港は1998年に明石海峡大橋ができてから縮小の一途を辿り、2002年を持って廃止されています。 つい最近では、明石と淡路島を結ぶタコフェリー(結構有名でした)も休止となりましたし。

時間と利便を考えると、カーフェリーはとてもじゃないけどやっていけないようです。

それと、まだまだこれから日本全国のいろいろな路線を御紹介していきますので、乞う御期待。
2011-03-06 * 風来梨 [ 編集 ]