風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第115回  皇海山・鋸山十一峰岩稜

『日本百景』 春  第115回  皇海山・鋸山十一峰岩稜 〔栃木県・群馬県〕
 

弧高にそびえる皇海山
天下見晴より
 
  皇海山 すかいさん
国民的な観光地・《日光》に隠れて、あまり訪れる者の少ない奥深き山。 それが、この『皇海山』である。 《両毛国境》の奥に雄々しくそびえる弧峰を目にすると、登山欲がムクムクと湧いてくる事だろう。 
だが、その弧峰を目指すルートには厳しい岩場が行く者を阻むように立ちはばかっていて、そう易々と頂を踏む事はできない。 その試練を乗り越えた者のみが、この弧峰の頂に立てるのだ。 

その“試練”こそが山に魅力を与え、人の心を誘う“名峰”としての条件を満たすのだ。 『百名山』の著者がいうような《山岳宗教》や《歴史》などでは、山の魅力は語れない。 “登ってみたい”という山に魅かれる心こそが、山を語る唯一の手段なのである。
 


 

皇海山・鋸山十一峰岩稜ルート行程図
 
    行程表             駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR桐生駅より鉄道(1:15)→原向駅(1:40)→銀山平(2:10)→庚申山荘
《2日目》 庚申山荘(1:10)→庚申山(2:00)→薬師岳(1:30)→鋸山(1:30)→皇海山
     (1:20)→鋸山(1:20)→六林班峠(2:10)→庚申山荘
《3日目》 庚申山荘(2:00)→銀山平(1:30)→原向駅より鉄道(1:15)→JR桐生駅
 

登山路は荒廃しているが
山の基地だけは充実している
 
 《1日目》 足尾口より庚申山荘へ
このコースは、《庚申山荘》から鋸山 1998メートル までを《鋸山十一峰》という岩稜を伝ったいくルートである。 従って、《1日目》と《3日目》は『日本百景』の『皇海山〈1〉』と全く同一であるので割愛したい。 なお、アクセスや帰路を含めてのルート解説は、上部リンクの《1日目》と《3日目》を参照して頂きたい。
 

初日は庚申七滝でも見物しながら
余裕を持って山荘にアフローチしたいものだ

また、この項目のメインである《鋸山十一峰》越えは、鎖場連なる難路で通過に相当な時間を要するので、行程表通りの山域周回設定では復路の途中で日が暮れてタイムオーバーになる可能性もある。
エスケープルートの下調べや到着時間によっての柔軟な対応など、それらの対策を万全にして探勝を楽しんで頂きたい。
 


 

鋸山十一峰・岩稜ルートの詳細図
 
 《2日目》 庚申山・鋸山十一峰を経て皇海山へ
この項目では、鎖場連なる上級者向けのルートを伝ってダイレクトに皇海山へアプローチしてみよう。
まずガイドを始める前に言える事だが、このルートを踏破するのは並大抵の事ではないという事である。 それは、想像以上に所要時間がかかるという事に尽きる。 余程に身体が山に慣れていなければ全行程を明るい内に歩き通す事は難しく、皇海山登頂の断念もあり得るって事である。

もちろん、《1日目》を山荘へのアプローチにあてがうのは必須条件となる。 つまり、“ハショる”事は許されないし、事実上も不可能なのである。 ここは山荘へのアプローチに十分なる時間を取って、今日《2日目》への準備を万端に挑んで頂きたい。 それでは、出発しよう。
 

『胎内潜り』付近から
袈裟丸山を望む

行程表から逆算しても半日はかかるこのルート、チャレンジするとしたなら夜明けと共に出発する事が必須となろう。 少なくとも、朝5時には歩き始めなければならないだろう。 そして、出発の時点で最後はどうするかを決めておかねばならないのである。 それは、「ここに戻ってくるか否か」で、荷物をデポしていけるかどうか・・が決定されるからである。

『胎内潜り』 こういう難所を通るので
大きい荷物は避けたい所だ

もし、エスケープ方法として皇海山を越えて沼田側に抜ける事を選択するなら、荷物を担いで行かねばならない。 即ち、デポは不可能となるのだ。 
しかし、鋸山の到着時間次第で皇海山登頂の是非を判断をするなら、荷物は山荘にデポして空身で行けるのである。 出発時点でこのような判断を迫られるように、この山域の周回はそれ程に時間がかかるのである。

また、これらの判断は、幕営山行か小屋利用かのスタイルの違いで概ね確定される事でもある。
それは幕営山行のスタイルだと、“デポありき”となるのである。 
なぜなら、岩稜越えの難所に幕営装備一式を担いで挑むのはさすがに困難を極めるからである。 逆に小屋泊りだと荷物は最小限で済む事から、沼田方向へ抜けるエスケープルートを選択できるのである。 

だが、下山後の車の手配(タクシーの手配)の必要があって費用の面で圧倒的に不利であるし、しかも連絡手段が乏しい場所(皇海橋の林道終点)での車手配となる訳である。 従ってエスケープというよりは、始めから沼田側に抜けるべく行程を立てる方が望ましいだろう。
 
話は脱線してしまったが、歩き出す事にしよう。 今回歩く《鋸山十一峰》ルートは、《六林班峠》ルートとは逆の左へ進路を取る。 山荘から来た道を少しばかり戻ると《猿田彦神社》があり、ここで《銀山平》への下山ルートを分ける。
 

《二ノ門》より背後を覗く

コースの入口には『お山めぐりコース』の案内板があり、「お山めぐりコースは鎖場連なる難所で、体力・登攀 とはん 技術のない方は控える事」、「悪天候の時は入山は控える事」などの注意書きが記してある。

この『お山めぐりルート』はめぐるだけで3時間はかかるので、この山行を終えて余裕があるならチャレンジするといいだろう。 
従ってルートは、この『お山めぐりルート』の下のエスケープルートとなるのである。 案内板を越えると山の斜面に一筋に切られた犬走りのような踏跡を行くようになる。
鬱蒼とした森の中で、枯れ草が足元を覆い道はやや不明瞭である。

やがて、犬走りの道はつづら折りで高度を稼ぐようになり、周囲も樹林帯から岩肌に囲まれるようになる。 どうやら、岩稜に取り付いたようである。 これからは岩肌にバンド状に掛けられたの鎖を手に、この岩肌を斜め上に迫り上がるように登っていく。
 
鎖で対応しきれぬような岩肌にはハシゴが取り付けられ、登攀 とはん の技術に乏しい初心者でも対応できるようにしてある。 それは、この岩稜を登りきった庚申山の頂上までは、一般ハイカーも通る『一般登山路』だからである。
 

《一ノ門》を潜り抜けて
いよいよ山の神の降臨する処へ
 
庚申山の頂上へは、《一ノ門》、《二ノ門》と岩の間を抜ける『胎内潜り』の儀式!?を経て、その直上の岩峰をハシゴで巻くようにつめればこの岩峰の稜線に出る。 稜線に立てばその先を数十メートルつめるだけで、視界の全く聞かない狭いサークル上に『庚申山 1901m』と記された札の挿された庚申山の頂上だ。

ちなみにこのルートは、特別天然記念物に指定されている食虫植物の『コウシンソウ』の自生地としても有名である。 故に先程にも記した様に、この庚申山までは花めぐりを目的とする一般ハイカーが多く訪れるのである。 なお、私の訪れた時は5月の連休時で開花期の6月には少し早かったので、残念ながら『コウシンソウ』を見る事は適わなかったが。
 

庚申山の頂上は
森林に囲まれた小サークルだった

庚申山の頂上は鬱蒼とした樹林に囲まれた小サークルで、これを目にする限りでは期待ハズレなのだが、心配は御無用。 その先へ50mほどあるけば、皇海山側が完全に開けた好展望地があるのだ。 休憩するなら、間違いなくこちらだろう。
 

奥白根山の頂が
白い衣をまとい
 
皇海山は元より、これから挑む《鋸山十一峰》の岩稜が縦一列に並んで鋸山に連なる迫力ある眺めを目にする事ができる。 ここは、カメラ片手にゆっくりと呼吸を整えよう。
 

少し先の展望台からは
皇海山の展望が欲しいまま
 
さて、この庚申山から先が難路となる。 元は《六林班峠》ルートと並んで皇海山のメインルートであったのだが、沼田側からの登山道が開かれてからは急激に利用が減って踏跡もまばらな難路となってしまったのである。 事実、訪れた人の大半が折り返すこの《庚申山展望台》からは踏跡は極端に薄くなり、オリエンテーリングの指標みたいな道標も、放置されたままに朽ちて外れ落ちたモノが多く見受けられた。
 

奥白根山から
奥日光へ続く山なみ

こうなると、ルートを見つけるのが厄介となってくるのである。 山の鞍部に下りての樹林帯に差しかかると、5月という事もあってベシャベシャの雪がルートを覆い隠し、更にルートの発見を困難にしている。
筆者などは、樹林帯を抜けての鞍部で道を見失って彷徨い、時間を無駄にする失敗をしでかしている。
つまり、鞍部の窪みが雪で完全に覆われて判断が着かない状況となってしまっていたのである。

ちなみにこの開けた鞍部の窪地の正しいルートは、鞍部の底まで下りきらずにトラバース気味に左に展開する支尾根に取り付いていくみたいである。 だが、同じく迷った前人の踏跡が鞍部の底まで続いているケースがあり、これにつられて鞍部の底まで下りてしまうと筆者のように道をロストする訳である。
なお筆者は、無理やり斜めに登りつめて(そういえば、南アルプスの鋸岳で道をロストした時も同じ事したなぁ)ルートを探し当て事なきを得たが。
 

稜線の所々で
皇海山の勇姿が望める
 
この左に展開する支尾根をつめていくと、《鋸山十一峰》の一つ『御岳山』である。
山とは名乗ってはいるが途中の通過点に等しく、山名を記した札がなければそれとなく通り過ぎるような所である。 

展望は南側は全くなく樹林の隙間から僅かに、これから登る鋸山と皇海山が望める位であろうか。
この『御岳山』から鋸山手前の目だった岩稜である『薬師岳』までは、多少の上下がある位でそれ程に問題はないだろう。 但し、この後に通過する《鋸山十一峰》の全ての峰が通りすがりでしかない目ただぬピークで、今自分がどの辺りを歩いているかの実態がつかみ辛い。

唯一頂上らしきスペースを持つ『薬師岳』も、頂上サークルは登山路と離れたサークルの中にあり、何か休息場所を取るペースのつかみ辛い登路である。 そして、いよいよこの『薬師岳』からが、鎖場連なる難路となるのである。
 
少し上下して地図上で『白山』と表記されているピークと思しき峰を越えると、30~40mの懸垂下降の鎖場が現れる。 これを鎖とロープで直下降するのだが、かなり地質が脆い粘土質の岩肌のようで、足で踏ん張る度にボロボロと崩れ去っていくのである。 また、途中から鎖が布状のロープに変っているのも心許ない。
 

こんなガチャガチャした
岩を上下していく
 
この鎖場は高度があるので、下りは慎重を期して頂きたい。 これを無事に下りきると『蔵王岳』との鞍部で、『蔵王岳』へは掲げられたハシゴを2~3昇ってつめていく。 なお、この鞍部の踏跡を覆うクマザサはどういう訳かよく滑り危険だ。
 
懸垂下降の鎖場に出くわしての興奮冷めやらぬ所で、気が浮ついてしまうからかもしれないが。 
ご多分に漏れず、筆者はここで滑って転んで捻挫して皇海山の往復を断念したし、他の方の山行記サイトでも「この場所で転んで捻挫した」との記事があったので、『他山の石』として十分注意されたい。

『蔵王岳』からは先程の鎖場程の難関ではないものの、鎖付の下降が現れて再び鞍部へ下る。 
下りきった鞍部から眺めると、粘土層の一枚岩で形成された岩稜が行く手を阻んでいる。 
このルートのクライマックスである『熊野岳』の難所である。 ここは見た通りに脆い粘土層の岩盤で、鎖を打ち込むアングルが固定できないが為に、岩盤の全区間がロープとなっているのである。
また登る高さは70~80mあり、見た目取っ掛かりのないようなツルツルの一枚岩なのである。

取り敢えず真下にかけられたハシゴで5m程稼ぐと、クライマックスの難路の始まりだ。 
見た目通り、足の取っ掛かりの乏しい斜面である。 個人的な事で自業自得といえばそれまでなのだが、捻挫した足で・・である。 なお、捻挫というアクシデントに見舞われた為、残念ながらこの難所を示す画像を撮影する余裕はなかった。 この事は、返す返すも残念な事である。
 

突起となる峰があれば鎖片手に忠実に上下する
高度感満点のスリルあるコース
〔鋸山頂上から遠望〕
 
まぁ、捻挫も足に負担をかけ過ぎなければ何とかなるし、またかつての体力は消え失せたものの、過去に難路を数多く通った経験がモノを言って何とかこれを乗り切る。 だが、取っ掛かりが乏しくズルズルと滑り落ちる危険性のある難所なので、心して挑んで頂きたい。

これを越えて『熊野岳』の頂に立つと「もう難所は終わり」と言いたい所だが、まだ『剣ノ山』というピークの上下がある。 これまでの難所と比べて格段に容易だが、ハシゴの上下と下降の鎖場がある。 
・・というか、人の抱く心理を代弁するならば、この『熊野岳』の岩峰こそが鋸山の頂上と信じ込みたくなる所であろう。 正直、『剣ノ山』との間にある鞍部を目にした時、落胆の気配がただよったのは事実である。
 

難路を乗り越えて踏み立つ
鋸山から望む皇海山はまた格別

こうして更に疲れて『剣ノ山』を乗り越え、何とか鋸山 1998メートル の頂上にたどり着く。
鋸山の頂上からの眺めは格別だ。 眼前に豊かな森林を抱く皇海山がそびえ立ち、その背後には上州武尊 2158メートル や谷川連峰 1977メートル 、右手には深く刻まれた松木渓谷を挟んで白布をまとう奥白根山 2578メートル と逆光に武骨な黒光りを魅せる男体山 2484メートル が見渡せる。
眺めだけで言うならば、この山系の盟主・皇海山 2144メートル を遙かに凌ぐだろう。
 

奥白根と日光の山なみを望む
 
これより先は前回に皇海山に登頂した事に加え、捻挫というアクシデントが発生した事でのタイムオーバーの懸念が生じた事から、皇海山を踏まずにこのまま《六林班峠》ルートを下って山荘へ下る事にする。 なお、これより先の皇海山への登路と帰路の《六林班峠》のルート解説は、前出の『第67回 皇海山〈1〉』を参照して頂きたい。
 

皇海山の背後には
上州武尊や谷川連峰が
 

深く刻まれた松木渓谷を前景に
奥白根と男体山の揃い踏み

そして、《六林班峠》ルートの下山路だが、総じて5月の連休中は道が雪で隠されて不明瞭である。
恐らく・・であるが、一度も道を見失う事なくすんなりと到達できるか・・は少々疑問である。
結果論ではあるが、私自身は2度道をロストして約1時間を無駄にした。 そして、《六林班峠》よりのルートも沢筋の崩壊が思った以上に進んでおり、日が暮れたならかなりの危険を伴う事だろう。
中には、丸太1本で渡してある沢筋もあった事であるし。

これらの事から、タイムスケジュールの管理はくれぐれも慎重を期してアタックして頂きたい。 
時には断念も必要となってくる事を、私は歳月を経て体力の衰えを感じ始めてようやく知る事ができたのである。 
 
最盛期は可能だった・・としても、今は細心の注意が必要となってきているのである。
「山は次もある」と自分自身に言い聞かせながら下る事にしよう。 それでは、次回のリベンジでこの項目を多くの写真で飾る事ができるのを心待ちにしつつ、筆を終えようと思う。

    ※ 詳細はメインサイトより『皇海山<2>』をどうぞ。



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