風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第113回  根釧原野

『日本百景』 春  第113回  根釧原野  〔北海道〕
 

無人荒野に空気を運ぶ列車が
行き来していた
 
もう四半世紀以上になる昔、このただっ広い原野に『T』の字に結ばれた開拓鉄道があった。
その鉄道は、建設された時に与えられた不毛の辺境大地の開墾・開拓という使命に十二分に貢献し、この地にパイロットファームと呼ばれる大規模酪農場を創りだした。
 
だが、時は移り変わって道路が次々と改良されると、開拓の象徴であった鉄道は経費と人手の掛かる『お荷物』としてその地位を落とされ始めたのである。 そして最後は、運ぶべきモノは全てトラックなどの陸運に奪い取られ、僅かに交通弱者と呼ばれる車を持たぬ年寄と学生を運ぶだけの用途に供するだけとなっていたのである。
 

かつては1日4本の列車のための
専用ホームさえあった
 
でも、消えゆくモノは、人の心・・特にエトランゼたる旅人の心をつかんで虜とする力・・、そう最後の秘めたる力を抱いていたのである。
 

原野を長大なアップダウンで
乗り越えてゆく
 
開拓時にその地形に逆らわず、大地を大きく上下して乗り越えるように敷設された線路を行き交う列車の姿に人生の機敏を当てはめて堪能し、何もない不毛の大地が雪解けする風景に遅い北の春を感じて、何もない原野から魔法でもかけられたが如く、オアシスの如く街風景が出現するパラレルワールドな光景、そして広い原野で我が国でもそうは見られない・・という地平線の広がる風景を魅せてくれたのである。
 

大地の端から
 

波打つ原野を乗り越る様は
 

そしてこれより波打つ大地に挑む様は
人生の機敏を見ているようで
 
当時少年だった筆者も、その開拓鉄道だった鉄路に魅せられて、それを大好きなカメラでフイルムに残そうと強く思ったものである。 最後は学校をサボってと、学生としての評価という立場を犠牲にしてでも、足しげくこの消えゆく魅惑的な鉄路に通ったものである。 当時はそうまでしてでも、この広い大地を行き交う魅惑的な鉄路に会いにいく事を欲したのだった。
 

不毛の大地にも遅き春
開拓という名の下で
敷設された鉄道の末期の情景
 
たぶん、普通の学生なら非難されてしかるべき・・なのだろうが、その普通な立場を守るべくこの鉄路に会いに行く事を自重したなら、一生涯の後悔という重い十字架を背負うハメになったろう・・とも思う。
 
それでは、少年時代に立場を捨ててまで会いにいく事を欲した鉄道情景を、私なりの『風景鉄道』として御披露しようと思う。
 
原野の『風景鉄道』 二景

春遠からじ
不毛の大地にも春が
 

地平線の果てから
列車がやってきたかのような

      ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『標津線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
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No title * by タケちゃん
こんばんは。
もう、呻る写真の数々です・・・・有り難うございました。
「交通弱者」と一括りにされた当時の利用客・・・「弱者」にしてしまったのは、国の政策なんじゃないの?と今でも思っています。

「国有」と名の付く公共交通機関を、営利企業の如く簡単に切り捨てた姿勢には、今でも疑問を持っています。

ま、今さらなんですが。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんにちは。
お返事が遅れてスミマセン。

以前の日本の国は力がありました。 こういう交通弱者と呼ばれる数人の利用客の為に、どんな困難な辺境の地でも定時運行を確保する力強さと優しさが・・。

でも、世の中が忙しなくなり、相対的に日本という国が自信を喪失しだした現在にはない力と優しさでした。 それは、余裕に裏打ちされたモノだと思います。

やっぱり、何事も余裕がなければダメなのかもしれませんね。
最後の文句は、同じく「ま、今さらなんですが。」ですね。

No title * by 宮越とまと
こんばんは。

標津線の現役に行ける事が出来たとは羨ましい限りです。

「一生涯の後悔という重い十字架を背負うハメになったろう」というお言葉ですが、鉄道路線の廃止というものに関心を寄せ始めた当時中学生であった私にとって、この線を含むいわゆる長大三線に行く事が出来なかった事は、かなりの悔しい思いをし、社会に懐疑心を抱く様になった記憶があります(苦笑)。今でもあの頃の思いは何だったのかと自問自答をする時があります。美しいお写真、拝見させていただきありがとうございました。

No title * by 風来梨
宮越とまとさん、こんばんは。

この線を訪ねられた事は、凄く幸運であったと思います。
年齢的には何とか旅に出れる高校生だったし、またこの時は山のクラブに在籍していて、体力的にかなり無理ができた事、そしてこの時に鉄道好きの情熱が沸騰してた事ですね。

どれ一つ欠けても、たぶん標津線を訪ねる事は叶わなかったと思います。

あの時の偶然が重なった幸運に感謝です。

コメント






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No title

こんばんは。
もう、呻る写真の数々です・・・・有り難うございました。
「交通弱者」と一括りにされた当時の利用客・・・「弱者」にしてしまったのは、国の政策なんじゃないの?と今でも思っています。

「国有」と名の付く公共交通機関を、営利企業の如く簡単に切り捨てた姿勢には、今でも疑問を持っています。

ま、今さらなんですが。
2014-04-03 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんにちは。
お返事が遅れてスミマセン。

以前の日本の国は力がありました。 こういう交通弱者と呼ばれる数人の利用客の為に、どんな困難な辺境の地でも定時運行を確保する力強さと優しさが・・。

でも、世の中が忙しなくなり、相対的に日本という国が自信を喪失しだした現在にはない力と優しさでした。 それは、余裕に裏打ちされたモノだと思います。

やっぱり、何事も余裕がなければダメなのかもしれませんね。
最後の文句は、同じく「ま、今さらなんですが。」ですね。
2014-04-05 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。

標津線の現役に行ける事が出来たとは羨ましい限りです。

「一生涯の後悔という重い十字架を背負うハメになったろう」というお言葉ですが、鉄道路線の廃止というものに関心を寄せ始めた当時中学生であった私にとって、この線を含むいわゆる長大三線に行く事が出来なかった事は、かなりの悔しい思いをし、社会に懐疑心を抱く様になった記憶があります(苦笑)。今でもあの頃の思いは何だったのかと自問自答をする時があります。美しいお写真、拝見させていただきありがとうございました。
2014-06-07 * 宮越とまと [ 編集 ]

No title

宮越とまとさん、こんばんは。

この線を訪ねられた事は、凄く幸運であったと思います。
年齢的には何とか旅に出れる高校生だったし、またこの時は山のクラブに在籍していて、体力的にかなり無理ができた事、そしてこの時に鉄道好きの情熱が沸騰してた事ですね。

どれ一つ欠けても、たぶん標津線を訪ねる事は叶わなかったと思います。

あの時の偶然が重なった幸運に感謝です。
2014-06-07 * 風来梨 [ 編集 ]