風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第51回  山陰本線・餘部駅

路線の思い出  第51回  山陰本線・餘部駅  〔兵庫県〕
 

餘部鉄橋を俯瞰する位置で
 
《路線データ》
      営業区間と営業キロ                  輸送密度 / 営業係数(’83)         運行本数   
 京都~幡生・長門市~仙崎 677.6km         7844  /  286      時刻表を見てください

餘部駅(あまるべえき)は、兵庫県美方郡香美町香住区余部字ナワテにあるJR西日本・山陰本線の駅である。 浜坂方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する停留所規格の駅である。 分岐器や絶対信号機を持たない棒線駅で、ホームは豊岡方面と浜坂方面の共用である。 駅のトイレは老朽化や橋梁架け替え工事のため閉鎖されたが、新橋梁完成後に新設されている。

余部橋梁の架け替え前は、ホームは浜坂方面に向かって左側であった。 そこから線路とは反対方向に集落に下りる通路が通じていたが、橋の架け替えに伴ってこのスペースに橋の架け替え工事中の代替え線路を通す事になった為に、構内踏切が設置されて新たな通路が設けられた。 新橋の供用開始に伴う線路の付け替えで、構内踏切は解消されている。 橋の架け替えによる営業再開に際して、旧橋で使用されていた鋼材を切断したベンチがホームに設置されている。

バリアフリー設備は、多目的トイレとスロープのみ。なお、隣接する余部鉄橋『空の駅』に地上と直結したエレベーターが設置されており、当駅に列車が発着する時間帯はこのエレベーターを介してホームへアクセスが可能である。 豊岡駅管理の無人駅で、自動券売機や乗車駅証明書発行機は設置されていない。
なお、当駅の2016年の1日平均乗車人員は55人である。 第3回近畿の駅百選選定駅である。

駅名と地名の読みは同じだが、漢字表記が異なる。 それは、この駅の開業が1959年であり、1930年に開業した姫新線の余部駅(よべえき)との重複を避けた為である。 マスコミにおいては「余部駅」と表記されることもある。

駅の開業には、地元住民の要望が強く反映された。 なぜなら、余部橋梁が完成してから1950年代までは、余部集落住民が山陰線を利用するには、列車の合間を縫って徒歩で余部橋梁を渡ってトンネルをくぐって隣の鎧駅まで行く・・という、乗車に伴う困難があったからである。

1955年頃から地元住民が駅設置の実現化に向けて国鉄に強く働きかけたり、小学校児童が県知事に駅設置を願う手紙を書くなどの行動が展開された結果、駅設置が決定した。 建設の際は住民たちも駅造りを手伝い、その様子を描いた壁画がホーム傍に立てられていたが、新橋梁建設工事開始後は周辺案内板等と共に撤去されている。



山陰本線はとにかく長い。 そして、その長い路線内には、様々な魅力ある『風景鉄道』の撮れる撮影場所が存在する。 でも、述べたように「途轍もなく長い路線」なので、撮り鉄で全線くまなく追っかける・・となると至難の業なのである。 まぁ、乗るだけなら全線を乗った事あるが、鳥取より以西の区間はかつてあった夜行急行【さんべ】と夜行普通列車【山陰】で、寝ている間に通っただけである。
 
上述のように、撮ったのは筆者の地元である近畿圏の近い所・二ヶ所だけである。
その一つが、有名撮影地だった『支柱の構造では東洋一の高さの鉄橋』という餘部鉄橋での撮影である。 ここには何度か通ったか、撮り鉄としてはアウトローの『○鉄』(鉄道の知識を持ち合わせていないナンチャッテ系の鉄の事 by風来梨)であるが故に、オチャメな失敗を多くかましている。
 
そして、鉄橋が付け替えられる事が決まった晩年には、今の撮り鉄が撮る撮影手法を目にして、「自分は写真撮りとして、今の撮り鉄の連中とは相容れない思考なのだな」とも思い知らされた。
 
まずは、最初に撮影に訪れた時の思い出から。 この時は撮り鉄に関してさほど熱心ではなく、鳥取砂丘やら山陰海岸の風景を撮るがてら訪れたのである。 即ち、撮影のメインは鳥取砂丘の風紋であり、餘部鉄橋は「無くなる前だから、ついでに・・」の感覚であった。
 

この時メインで撮りたかったのは
コレであった
 

雨上がりの"コレ"も魅惑的
 

当時は撮り鉄よりも
こういう写真を好んで撮っていたな
 
当然、撮り鉄の準備や用意は全くなく、三脚はおろか時刻表さえ持っていない(あぁ・・、これはいつもの事か)体たらくであった。 そして当時の思考としては、一風変わった写真を撮ってみようか・・って事であった。
 
餘部鉄橋の下から撮ったけど
鉄道撮影 下手になったなぁ


取り敢えず、当時はなくなる前の注目で一大観光地となった餘部鉄橋の袂に設けられた駐車場に車を止め、そこに掲示されている『通過時刻表』なるもので列車の運行時刻を確認する。 でも駐車場に、この通過時刻表が掲示されていた事はラッキーだった。 それは、列車の時刻を知る為に上の餘部駅まで行くつもりだったが、駅の発車時刻表は餘部駅に停車する普通列車のみの記載しかないからだ。
 
撮影目的は普通列車で特急を撮る気はあまりなかったが、特急列車の通過時刻は情報として「あれば重宝」なのである。 だが、ここでも「特急を撮らない」という偏食癖が幅を効かし、後になって撮り鉄の仲間から「国鉄型気動車特急の最後の生き残り・キハ181を無視するなんて正気か?」と云われる位に貶されたものである。

さて、撮影開始。 駐車場に掲げてある『列車通過時刻』を控えて、取り敢えず餘部橋梁と海を見渡せる『お立ち台』の上に立ち、失敗しても元が取れるように『保険』な写真を撮る。
 

まずは餘部鉄橋撮影の定番撮影位置で
失敗してもいいように『保険』を撮る
 
その後、先程に挙げた『当時の思考』に従って、『一風変わった写真』が撮れる所を探す。
・・で、見つけたのがコレ。 でも、努力した割には悲しいデキのモノになっちゃいました。
 

波を引き立てようとしたのだか
何か悲しい結果に
 
続いて下から撮ったり、遠望したりしながら、「ちょっと駅の上で休憩(待合室でゴロ寝)でもしようか」と餘部駅に上る。 だが、静けさを求めて(駐車場は観光スポットとなっていて、立ち寄る車で騒然としている)餘部駅にやってきたのに、何故か他の撮り鉄共が上ってくる。 そして駅の斜め上の位置にある『お立ち台』でたむろし始めた。
 
そして、定員のある『お立ち台』からアブレた撮り鉄共が橋の袂でモゾモゾしている。
「これじゃ、ロクに寝れないわ」と車に戻ろうとした時、撮り鉄共の騒めきと共に旧国鉄型でしかも旧国鉄色塗装のキハ181が駆け抜けてきた。 撮り鉄共の騒めきに押されて、思わず撮っちまったよ。
 

思わす撮っちまったモノ
【カニカニエキスプレス】らしい
 
でも、お解りのように、これは『○鉄』の「時刻表を持たぬ弊害」なのである。
この列車は臨時列車の【かにかにエキスプレス】らしく、この時の筆者はこんなのが来るとは思いもしていなかったのである。 そこで、何も知らずにカメラを構える連中の前にフラフラと立ってしまうと、たぶん喧嘩になったろうね。 剣呑、剣呑。
 
記述の通り、最初の餘部鉄橋での成果は今イチだったので、リベンジに訪れるべく再訪する。
この時も『一風変わった写真』を撮るといった思考に従って、夜の餘部鉄橋を狙ってみた。
狙いは、夜の『流し』撮りである。 だが、一般の『流し撮り』と違って、『流す』のは列車ではなく夜空の星である。 イメージ(・・というより妄想)を膨らませて、現地に到着したのである。

すると、「考える事は同じ」なのか、4~50人の『鉄騎』三脚部隊がいるでないの。
それよりもア然としたのは、鉄橋がライトアップされて光ってるって事である。 もう、撮影イベント会場のノリである。 この状況を目にして大いにガッカリしたのだが、せっかく餘部くんだりまで来たのだから、取り敢えず『鉄騎』三脚部隊の間に入らせてもらう。

 星がぜんぜん写ってないしィ

そして、イメージ(妄想)通りに、星を流すべくバルブに設定して長時間露光を始める。
ここで、ある事が解った。 先程に述べた「考える事は同じなのか」という言葉は、完全な誤りであった事に気付いたのである。
 
『鉄騎』三脚部隊は、列車が通らない間は誰一人としてシャッターを切っていないのである。
そして、列車の通過時刻を確認し、列車が通過したらフラッシュを焚いて撮っているのである。 
この行動を見て、更に“ア然”とした。 いくら離れた場所だから・・といっても、走行中の列車に向かってフラッシュを焚くのはモラルに反すると思うのだが。

そして、「【はまかぜ5号】の通過が何たら」という会話を耳にする。 この会話にも『ア然』とした。
なぜなら、「この暗い夜空の下で、特急列車と識別できるような写真を撮る事は叶わない」という、写真を4半世紀もの間やってきたワテの“常識”と真っ向に反する会話であったからである。

帰ってから聞いた話だが、どうやら『鉄騎』三脚部隊の連中は、ISO1600とか3200の高感度設定をして撮っているとの事である。 そして全てが、これを手元で容易に設定できる『画像製造機』、即ち『デジタル』を使用しているのである。

従って、ワテの(銀塩)『カメラ』に当てはまる“常識”は、この連中には全く当てはまらないのである。 そらそうであろう。 『デジタル』は到底『カメラ』とは言えぬ、感情のカケラも込められぬ『画像製造機』でしかないのだから。

「何でも簡単に写る」というのも善し悪しである。 「過ぎたる便利は人から感受性とモラルを奪う」という実例を目の当たりにして、背筋が寒くなる思いを感じたのである。 夜空に輝く美しい星空にも気付かぬこの連中の感受性を、写真撮りとして哀れだと思う。
 
そして私は、走行中の列車にフラッシュを焚くような写真撮りとしてのモラルを欠く様なマネをしてまで、夜に『特急列車』をビタ止めなどしたくはない。 このような手法で撮ったとしても、出来上がるのは限りなく不自然な画像しか出てこないのだから。
 

もうちっと星が駆けめぐって
くれるハズだったのに
これでは何撮ったか判らんな

まぁ、今回のデキを見たら、ワテも偉そうな事はいえないけどね。 ライトアップがキツ過ぎたのか、連中のフラッシュで星が被っちまったのか、星が全く写っとりゃせんがね。 あ~あ・・、また撮り直しにいかねばならんな。 今度はネガで仕向けてみようか。 アングルも考えねばならんかな。
まぁ、失敗があるから、そして「今度こそは」と思いをかき立てるからこそ写真撮影は楽しいのだし。
 
解ったのは、この二度目のリベンジ撮影時で目にした光景で、先程にグチを述べた「今の撮り鉄の連中とは相容れない思考なのだな」と思い知らされた事である。
 
 
   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『山陰本線』を御覧下さい。
 
 
 
 
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