風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第50回  島原鉄道・加津佐駅

路線の思い出  第50回  島原鉄道・加津佐駅 〔長崎県〕
 

最後の最後で足跡を残せたよ
女島展望台より
 
《路線データ》
  営業区間と営業キロ                  ’08年・運行本数 
諫早~島原外港 43.2km   諫早~島原外港 下り14本・上り13本(内 下り4本・上り9本 急行)
               本諫早~島原外海 下り2本・上り4本
               諫早~南島原 下り13本・上り12本(内 下り4本急行)
               諫早~本諫早 下り14本・上り13本
 
      廃止区間と営業キロ     廃止年月日     廃止時運行本数     転換処置
   島原外港~加津佐 35.3km    ’08・ 4・ 1     諫早~加津佐     島原鉄道バス
                            下り11本・上り13本



路線が廃止された今でも撤去されずに
残って(放置されて?)いる加津佐駅舎


加津佐駅(かづさえき)は、長崎県南島原市加津佐町水下津にあった島原鉄道の駅である。
同線の終着駅であった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、駅の奥には車止めがあった。
駅の構内には側線が2本あり、滞泊車両の留置に使用されていたが、車両留置機能のみで給油や検修の為の設備はなかった。

駅前には小さな広場があり、この広場を介して国道251号線と接している。 諫早方面へのバス停は、この国道に面して設けられている。 駅舎の反対側は海岸に通じていて夏季には海水浴場となる。
当該路線の廃止に伴って当駅も廃駅となるが、駅舎は撤去されずにそのまま残っている。 だが、構内のレールは外されて、枕木が積まれている。

当駅は車両留置機能のみで、給油や検修の為の設備はなかったが、1993年4月から1997年3月まで雲仙普賢岳の噴火・土石流災害によって島原外港~深江間が不通となっていた間は、不通区間の南側(深江~加津佐)で運行する車両の給油・検修は当駅構内で行われた・・との事。

給油にはタンクローリーが用いられた他、駅構内にもドラム缶を利用した仮設の給油設備を設け、全般検査時期を迎えた車両についてはクレーン車で車体を上げて台車やエンジン等の下回り機器を取り外し、南島原の車両基地へ陸送した上で整備する事で対応した・・との事。 仕業検査・月検査や、全般検査時の車体関係の整備は当駅構内で行われたが、ピットや点検台もなく困難を伴う中での作業となった・・との事である。


 
島原鉄道は私鉄だったので、鉄道をメインで追っかけていた少年期は見向きもしなかった。
これは同じ九州の南薩鉄道(鹿児島交通)や青森の南部縦貫鉄道と並んで、若き日の『偏食』によるワテの大失態である。 特に南薩と南部縦貫は、足跡を残すべく目の前まで立ち寄っておきながら、偏屈な性格による『偏食』の誓い!?を立てて、本当に一枚も撮らなかった。 結果は、当然今になって後悔する『後の祭り』である。
 
でも、この島原鉄道だけは、何とか足跡を残す事が叶ったのだ。 それは、この路線の先端区間の廃止年(’08年)に、九州の滝めぐりを目的とした小旅行をした事で救われたのである。 早速、旅のメインの目的である九州の百名滝・行縢ノ滝に立ち寄ったのだが、行縢ノ滝の近くを通った災害廃止線・高千穂鉄道の残骸が放置プレイされており、それを目にして『廃止間近の鉄道めぐり』に火がついたのである。
 
そこで、島原鉄道の事を思い出し、予定を変更して熊本から有明海フェリーに乗って島原へ繰り出したのである。 ちなみにこの時はレンタカーを借りていたが、有明海を跨ぐだけの短区間とはいえレンタカーでカーフェリーに乗るとは夢にも思わなんだ。 でも、そんなに航送料金が高くなくて(3500円ほど)助かった。 万を超えるようなら、多分諦めていただろうし。
 
・・で、夜に島原外港に着いたものの、島原鉄道の撮影は予定外の事なので、何の計画も下調べもないままの撮影となるのである。 このまま何の情報もなく撮影するのもマズいので、○鉄全盛期だった少年時代の記憶を必死に思い返す。
 

駅裏の展望台より
加津佐駅でひと息をつく気動車を望む
 
そう・・、それは、過去に見た鉄道雑誌などのルポで島原鉄道が取り上げられた時の掲載写真やら、雲仙普賢岳の噴火に伴って長い間路線が不通になった歴史やら、以前は国鉄型に似せた気動車があって、急行列車と併結運転で博多まで運行されていた事とか・・である。
 
このように島原鉄道の路線の有り様を思い返していくと、明日に控える撮り鉄に際しての作戦的な構想が思い浮かぶのである。 例えば、普賢岳をバックに入れるのもいいかな?とか、確か海べを走る区間の写真があったし、それで狙ってみるか・・などである。

取り合えず、まだ未乗の島原鉄道に乗るべく、終点の加津佐まで車を走らせる。 
加津佐駅に着いた時はもうどっぷり日も暮れていて、着いた時に運良く加津佐駅に止まっていた列車に、発車時刻も確認せずに飛び乗る。 この列車は最終列車だったようで、これに乗って廃止区間の端である島原外港駅まで乗ってしまうと加津佐に戻れなくなるので、最初の交換駅の原城駅で降りて、折り返しの列車で加津佐に戻らざるを得なくなってしまったのである。

コレで、廃止区間の完乗はならず終いとなっちまったよ。 まぁ、島原をめぐる自体が今回の旅では予定外だから仕方ないとは言え、帰ってから悔しい思いが残るだろうなぁ。 加津佐に戻ってから、寝床となる『道の駅・ふかえ』に戻る。
 
こういった事のお蔭で、『道の駅・ふかえ』では空想や構想が膨らんで眠る事ができず、たまらず夜中に線路に沿って車を走らせて事前偵察を敢行する。  車を走らせてみたら、構想の成否が明らかになってくる。

沿線を通じてのほとんどが線路は海側、道路は山側で、どうやら普賢岳バックは国道が間に入ってしまって今イチのようだと解る。 なら、海に面した所はというと、これが北海道の廃止線のように海際を走っているというような感じではなく、線路はコンクリートの護岸の上に敷かれているのである。
これも、風景鉄道的には今イチである。
 
ならば船着き場のそばを通る区間でもないものか・・と思ったが、道路を走っているとそれは発見できなかった。 船着き場につながれた漁船をアテにするアングルの撮れる撮影地は、どうやら廃止されずに残る区間側にあるようである。
 

廃止告知に埋もれた名所案内を見て
「ここだ!」と思ったよ
女島展望台より加津佐の街を俯瞰して
 
このように、コレといった撮影場所を見つけれぬままに、終点の加津佐にたどり着く。
取り敢えず、先程慌てて列車に飛び乗ったが為に、全く目に入っていなかった駅舎の中の掲示物に目を向ける。

駅舎内の掲示板には3月末をもって島原外港~加津佐の区間が路線廃止となる旨の張り紙がデカデカと掲げられていたが、その脇の小さなスペースに駅周辺の名所案内が掲げられてあって、加津佐の街を一望できる好展望地・女島の事が掲示されていた。 これを目にして、「撮影地はここだ!」と決まったのである。
 
展望台からの「キメ写真」のハズ
だったのだが
 
さて、撮影地が決まったなら、その場所へ向かわねばならない。 加津佐駅の周辺は海水浴場となっていて、バンカロー村やコテージ施設があり、その奥の標高100m足らずの陸地の盛り上がりが、女島のようである。 この頂上が、街を一望できる展望台との事である。
 
コテージ村と海水浴場という事で、車を駐車するスペースは心配ない(いくらなんでも『撮り鉄』する目的で駅前に駐車しておくのはちょっと・・)。 で、早速、女島展望台へと上がってみる。 だが不思議な事に、女島展望台への案内が皆無なのだ。 これを不思議に思いながら進んでいくと、何と土砂崩れで通行止になっていたのである。

どうやら、土砂崩れの後に復旧せずに放置されたまま通行止となっているらしいのである。
どうりで、案内がなかった訳である。 案内が取っ払われている所をみると、近々に復旧する気はないみたいである。
 
さて、その土砂崩れは身長大の大岩がダダ崩れとなって通路を防いでいたのだが、これ位ならよじ登って潜り抜ける事はできそうである。 なんだかんだ言っても、こんな土砂崩れよりも修羅場を山で経験してきているので、これを抜けるのは造作もない事である。 でも、通行止のゼブラロープをかい潜った先でコケたなら、地方新聞ネタとなり警察の詰所でキツイお小言付で有名人となるだろうが。
 

あっ 点景になっちった
 
で・・、夜明けの30分位前に女島頂上の展望台に着く。 この上からは街を一望できる素晴らしい展望が広がっていた。 早速、日の出時にやってくる加津佐行きの始発列車を狙う。 だがこれは、ワテの最も失敗するパターンの『点景』(列車が小さくなりすぎて点景となる失敗)に終わった。
 
でも、列車の速度が遅く、余裕でレンズを望遠に変えて、やや光量不足なものの構わず海沿いの砂浜を渡る列車を狙ってみる。 どうやら、これが今回の一番星になったようである。
 

ちょっと、雰囲気的にいいかな
まぁ、鉄道写真としては
「被写体流れ」の失敗作だが
 
その後も陽が昇って明るくなるまで、駅の俯瞰を交えたり、朝日を海に煌めかせたり、街の全景を撮ったりしながら、楽しい時を過ごす。 でも、街を俯瞰して、これほどの規模の町でも鉄道はやっていけない現実も目の当たりにしたのである。
 

決して人里稀な突端地ではないのだが
それでも鉄道経営は立ち行かずに
路線廃止となってしまう
 
さて、陽も完全に上がって、さすがにひと所で撮り続けるのも飽きてきて、俯瞰していた砂浜へと繰り出す事にする。 砂浜に出て、思ったのは『波と列車のアングル』である。 でも、線路と砂浜と海が結構離れていて、意図通りにはいかなかったようである。 ちなみに撮った列車は、美味しい事にJRから払い下げられた国鉄型のキハ20であった。
 

砂浜の幅がデカ過ぎて
イメージ通りにはいかなかったね
 

海に突き出た岩に
寝そべって撮っていたのだが
 
後は、昨日からほとんど寝ていない事もあって、岩礁に寝そべって時折ウツラウツラしながら撮っていると、潮が満ちてきて岩礁が沈みそうになった中に取り残されたオチャメ(大失態)をキッチリ決めて、島原鉄道の撮影の思い出を終える。 でも、沈みかけた岩礁に取り残されたのはヤバかった。
岩礁から海岸べりへの幅飛びは、もしかして生涯初めての3m超えを記録したかもしれない。
 

見る見るうちに潮が満ちて
取り残された上に沈みかけてたりして
 
   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『島原鉄道』を御覧下さい。
 
 


 
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