風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第46回  興浜南線・沢木駅、元沢木仮乗降場

路線の思い出  第46回  興浜南線・沢木駅、元沢木仮乗降場  〔北海道〕
 

流氷を望みつつゆく興浜南線の単行列車
 
《路線データ》
   営業区間と営業キロ               輸送密度 / 営業係数(’83)
  興部~雄武 19.9km                 203   /   1734
 
    廃止年月日          転換処置          廃止時運行本数
     ’85/ 7/15           北紋バス             6往復
 
沢木駅(さわきえき)は、かつて北海道紋別郡雄武町字沢木に存在した国鉄・興浜南線の駅である。
興浜南線の廃線に伴い、1985年7月15日に廃駅となった。 駅名の由来は当駅が所在していた地名からで、地名はアイヌ語の「サラキ」(葦)、「サマケ」(傍らの所)など、由来には諸説ある。

廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する駅であった。 開業当初は有人駅であったが、1978年の貨物・荷物の取り扱い廃止に伴い無人化された。 ホームは、線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。 この他、雄武方から駅舎側に分岐する側線を1本有していた。 このホームは本来島式ホームで、興浜線全通の際には列車交換可能な配線とする計画があった事が指摘されている。

駅舎は構内の南西側に位置し、ホームとは通路で連絡していた。 有人駅時代の駅舎は建て替えられて、渚滑線・下渚滑駅や興浜北線・豊牛駅などと同型のカプセル型駅舎となっていた。 建て替えの際に、線路未敷設側のホーム上に位置変更している。

当駅の跡地は小さな公園となっており、駅名標や名所案内も残っていたが、2016年頃に駅名標と名所案内は撤去された。 また、雄武方の日の出岬に向かう線路跡は道路となっている。

元沢木仮乗降場(もとさわきかりじょうこうじょう)は、北海道紋別郡雄武町字沢木にあった、日本国有鉄道興浜南線の仮乗降場(廃駅)である。 興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。

板張りの単式ホーム1面1線を有した。 局設定の乗降場であるが、全列車が停車していた。
駅周辺は小さな波止場集落を形成していて、隣の正規駅である栄丘より駅の周辺家屋は多かった。
駅跡は跡形もなく撤去され、国道から駅のあった場所に入る道路の入口には、日ノ出岬来訪を歓迎するアーチ門が建てられている。



今回の『路線の思い出』は今冬に掲載する冬路線の最後として、『大御所』の路線を取り上げる事にしよう。 今回取り上げる『大御所』の興浜南線であるが、恐らく廃止されたローカル線ではトップクラスの人気を抱く路線であろう。 それは何といっても、流氷を見ながらゆく車窓風景であろうと思う。
 
筆者も「流氷を見ながら行く列車が撮りたい」と思い続けたが、思いとは裏腹に『撮りそびれ感』を大いに抱く路線であるのだ。 なぜなら、筆者がこの路線に抱く夢を追い求める前に、再び出会う事が叶わぬ『過去』となってしまったからだ。
 

点在する流氷と単行気動車
興浜南線の乗車証明書より
この写真は元沢木のようですね
 
それは、この興浜南線がオホーツク沿岸路線の中で最も魅力的な路線であったが、同時にこの路線の営業成績も当時の『国鉄再建法』の廃止対象路線に真っ先に指定される程の閑散線区で、筆者自身が半ば義務教育である高校を出て(経済的に)自由気ままに旅に出られるようになる迄に廃止されてしまったからである。
 
だが、思いが募って無理やり訪れた高校時代の1回のみ、この路線に足跡をつける事ができた(正確には夏にも1回の計2回だが、夏の分はタングステンフイルムの大失敗で全てボツ)のである。
今回は、その貴重な撮影体験記を記そうと思う。
 
興す浜南線の各駅の位置は、起点の興部から次の沢木までが全路線延長の半分近くを占めていて、車を持たず当該路線に乗って訪れる小僧の身の上では、この区間での撮影は駅から距離が離れ過ぎてほぼ不可能なのである。 従って、撮影可能区間は沢木から終点の雄武の間となる。 そして、その区間で最も流氷の望めるのが、言うまでもなく沢木から元沢木仮乗降場の区間であるので、必然的に撮影地はこの区間となるのだ。
 

念願の『流氷と列車』はこの場所で
 
興浜南線の始発列車には、前夜に当時運行されていた網走行の夜行急行【大雪】に乗り、遠軽で名寄本線の始発に乗り換える事ができたなら乗車が適う。 要するに、「寝過ごさねばOK」って事である。
このように、厳しい行動を強いられる『鉄乗り・撮り鉄』の中では、比較的恵まれた条件であった。
・・で、撮影可能本数が1本減って多少勿体ないが、ローカル線乗車の『お約束』として、終着の雄武まで往復して沢木に降りる。
 
沢木駅の駅舎は無人駅舎建て替えのモデルケースのようなカプセルハウス型の駅舎で、当時はかなりモダンな造りであった。 そしてその駅舎内には、誰でも利用可能の石油ストーブが据えてあった。
今の採算性中心の世知辛い世の中では、考えられない設備である。 これで、この路線を『撮り鉄』するにあたっての『基地』が暖房付で確保できたのである。
 

流氷が浮かぶ海を挟んで
北オホーツクの大地を望む
 
この日の朝方は天気が上々で、念願の海に漂う流氷を撮りに行くべく、元沢木側に繰り出す。
でも、小高い丘をめぐる路線は海岸段丘の地形にヘツるように敷設されていて、かなり足場は狭い・・というか『ない』のである。 もう、雪の斜面をよじ登って、転げ落ちぬように踏ん張るしかなかったのである(そんなに大した傾斜でもなかったが・・)。
 
でも、そこからは『漂う流氷と興浜南線の鉄路』という、憧れ止まぬ情景が広がっていたのである。
やがて時刻がきて、ようやくずっと抱いていた憧れたる『鉄道情景』をゲットする事が叶ったのである。
 

念願の『流氷と興浜南線』をゲット
 
朝の1往復が終わると昼過ぎまで列車の運行はないので、海に点在する流氷や対峙する《日ノ出岬》に建つ烽火台跡の櫓などを眺めつつ、沢木駅の『基地』に戻る。 でも、昼過ぎまでの長い時間を基地で暖を取りながら呆けているのも何なので、先程眺めた《日ノ出岬》へ行ってみる事にする。
 

岬の烽火台跡に建つ櫓と流氷の絶景
 
その《日ノ出岬》への道であるが、シーズンオフの冬で訪れる人が皆無な所が除雪されているハズもなく、岬へはラッセルを駆使してたどり着くハメとなる。 もう、雪にハマるのをカメラバックで雪面を押し付けて防ぎながら・・である。 あぁ・・、W・V現役部員だった体力に感謝。 今なら、身体が崩壊しとるな。
 
・・で、たどり着いた岬で流氷を撮りつつ、昼の列車を待つ。 だが、時間が経つにつれて天候が崩れだし、昼過ぎの列車が来る頃には小吹雪になってたりして。 そして、この小吹雪の中を一度通って掘れていたとはいえ、ラッセルで戻ってきたあの頃の『奇跡の体力』に感涙・・。
 

往復は『奇跡の体力』で輝いたが
岬からの撮り鉄は『残念』なデキに
 
基地の沢木駅に戻る頃には小吹雪は止み、後は15時半の列車で戻るだけだが、『情熱大陸バカ』が迸る落ち着きのないタワケ(筆者)は、駅舎内で暖を取りつつじっとしてればいいものを、当時気を引いていた乗降場を訪ねるべく、次の元沢木まで荷物一式を担いで移動する。
 
その矢先の沢木駅を出た直後、案の定『オチャメ』な目に遭遇する。 それは『ズワイガニ』に襲われたのである。 もう、思いっきり雪をぶっかけられた。 思わず伏せた身体の半分が埋もれる程に。
 

雪を食らう《ズワイガニ》 降臨
 
でも、沢木駅の出発が、もう少し早かったらヤバかった。 なぜなら、次の元沢木は元より、今日の撮影地へは全て線路を伝っていたのだから・・。 朝撮った撮影場所で《ズワイガニ》に遭遇したら、雪の土手以外に逃げ場はなく、ぶっかけられる雪で全身雪に埋もれて生き埋めになったかも。
 

板張りの元沢木仮乗降場
 

元沢木は乗降場扱いだが
全列車が停車していた
 

待合室もあった
隣の《栄丘》駅よりまとも
 
それでも『情熱大陸バカ』の迸りは断たれる事はなく、雪を浴びてボロボロになりながらも元沢木に着く。 元沢木で板バリホームや雪に埋もれた待合室を撮りながら、15時半の帰りの列車を待つ。
空からは再び雪が降り出し、やがて本降りとなってくる。 見る見るうちにレールは雪で埋まり、列車到着時刻の15時半になっても列車はやってこない。
 

元沢木仮乗降場の待合室
定刻に列車が現れないのは
この中で待つ身にはツライよね
 
「これは少しヤバいな」と思って「ヘルプしに国道に出ようか」と思った矢先、15分遅れで列車がやってきた。 到着した列車の車掌さんが「寒いっしょ お待ちどうさま」と声を掛けてくれて、最後の最後に心が温かくなったのを憶えている。
 
  ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『興浜南線』を御覧下さい。
    また、旅行記として『オホーツク縦貫鉄道の夢』と『オホーツク・・のハズが・・』もどうぞ。
 
 
 
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No title * by tom
こんばんは
興浜南線も流氷が拝める区間があったんですね。知りませんでした。”スワイガニ”の名称はバツグンですね。向こうも人いるなんて思わなかったんでしょうね。ご無事で何よりです。

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

興浜南線の圧巻区間は、やはり日ノ出岬の付け根をめぐるこの区間ですね。 この岬はその名の通り、オホーツク海より出ずる日の出の名所です。 興浜南線跡の今は、線路跡の高台に建つホテルとキャンプ場に改装された日ノ出岬園地とを結ぶ道路となっていて、歴史的に貴重であった烽火台跡(松前藩の沿岸警備の史跡)も取っ払われて石碑だけになったようです。

ここは今は雄武町を代表する観光地となっていますが、鉄道があった当時の趣は失われましたね。 数年前にこの地を訪ねた時、丘にでっかいホテルが建てられていたり、岬の櫓がガラス張りのレストハウスに建て替えられたのを目にして、「憧れの景色がなくなった」とガックリした自分がいたのを今も覚えています。

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こんばんは
興浜南線も流氷が拝める区間があったんですね。知りませんでした。”スワイガニ”の名称はバツグンですね。向こうも人いるなんて思わなかったんでしょうね。ご無事で何よりです。
2014-02-23 * tom [ 編集 ]

No title

tomさん、こんばんは。

興浜南線の圧巻区間は、やはり日ノ出岬の付け根をめぐるこの区間ですね。 この岬はその名の通り、オホーツク海より出ずる日の出の名所です。 興浜南線跡の今は、線路跡の高台に建つホテルとキャンプ場に改装された日ノ出岬園地とを結ぶ道路となっていて、歴史的に貴重であった烽火台跡(松前藩の沿岸警備の史跡)も取っ払われて石碑だけになったようです。

ここは今は雄武町を代表する観光地となっていますが、鉄道があった当時の趣は失われましたね。 数年前にこの地を訪ねた時、丘にでっかいホテルが建てられていたり、岬の櫓がガラス張りのレストハウスに建て替えられたのを目にして、「憧れの景色がなくなった」とガックリした自分がいたのを今も覚えています。
2014-02-23 * 風来梨 [ 編集 ]