2014-02-17 (Mon)✎
路線の思い出 第45回 日高本線・厚賀駅 〔北海道〕
ペテガリ岳で『オチャメ』の前に
この駅で駅寝しますた
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
苫小牧~様似 146.5km 1275 / 708
運行本数(’10)
苫小牧~様似 下り5本・上り6本 静内~様似 下り2本・上り1本
苫小牧~静内 下り3本・上り2本(内1往復 土日運行)
苫小牧~鵡川 2往復(土日上り1本増便) 静内~様似 1往復
厚賀駅(あつがえき)は、北海道(日高振興局)沙流郡日高町字厚賀町にあるJR北海道・日高本線の駅である。 1986年10月まで運行されていた急行【えりも】の停車駅であった。 駅名は当駅の所在する地名からで、地名は当時の「厚別村」と「賀張(がばり)村」の境に当たる為、双方の頭文字から採用された合成地名である。 2014年の列車乗車人員平均は40人との事。
単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側、旧1番線)に存在する。 転轍機を持たない棒線駅となっている。 かつては、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)の複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。 駅舎側(南西側)が上りの1番線、対向側(北東側)が下りの2番線となっていて、互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた。
また島式ホームの外側1線が、様似方の転轍機が維持された行き止りの側線となっていた。
交換設備運用廃止後は、対向側の線路は側線を含め1993年までには撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた。
静内駅管理の無人駅。 駅舎は構内の南西側に位置しホームに接している。 有人駅時代の駅舎は改築され、アーチ状で木製の窓を持つ木製板張りの外壁を有する駅舎となっている。 駅入口の駅銘板は、一枚板に駅名が彫刻された立派な物である。 駅舎横に駅舎とは別棟で、富川駅の建物と同型のトイレ棟を有している。 かつては、駅舎内に売店もあった(1993年3月時点では営業中であった)。
最後の『風景鉄道』たるローカル線
日高本線
『特定地方交通線』・・、いわゆる廃止ローカル線が淘汰されて四半世紀の時が過ぎようとしている。
少年から青年の頃の私は、『恋は盲目』の如くこれら消えゆく路線を追っかけていた。
その内に廃止のリミット日がやってきて、廃止反対運動はあったものの、「JRに経営移管する前に・・」という当局の想定通りに廃止・淘汰されてしまった。
最後の『北海道の長大4路線』が廃止になって以降、ワテは急速に撮り鉄への情熱を失い、その内に鉄道は撮らなくなった。 あり丁寧に言うと、『撮り鉄』の目標が失われてしまったのである。
鉄道を撮らなくなってからは、山岳風景や自然風景などに熱中していたのである。
そしてその目標も、「いい山に登りたい」、「山上の大自然に魅せられたい」に変わっていたのである。
憧れの対象は『淘汰されたローカル線』から
『登りたき思いを抱く山』に変わっていた
日高の憧れ・カムエク
こうして、鉄道を撮らなくなって15年以上の歳月が流れた。 その15年の間は鉄道そのものに対しての『惹かれる心』を失い、鉄道車両を見ても何の感慨も湧かなかった日々が続いた。
この間の鉄道車両も、少年の頃に魅せられた形式が淘汰されて何とも不細工な丸っこい形のモノに替えられていて、更に鉄道から離れるようになっていた。
歳を食って旅も車移動が中心となり、かつて鉄道に情熱を抱いていた頃には考えられなかった飛行機や新幹線を使うようになり、それが当たり前となっていた。 「もう、思いを描くローカル線はなくなった・・」と考えて久しくなった頃、この路線の情景に魅せられたのである。 魅せられて・・、再び撮り鉄への情熱が戻ってきた。 そう、その路線の名は『日高本線』である。
昼間は放牧されてる馬を入れてみた
日高地方はサラブレットの故郷だ
それからというものは、毎年のようにこの路線に通った。 遠くの彼方・北海道への高額な旅費を節約する為に、かつての情熱迸る旅形態も復活させた。 そう・・、いい歳こいて、かつての若き日々の旅の定番だった駅寝や普通列車オンリーの旅を復活したのだ。
そういう訳で、この路線は数か所で撮影の思い出がある。 それを一つづつ小出しに出していこう。
まずは、厚賀駅の近くにある厚賀川橋梁での撮影行を語ろうか。
厚賀川橋梁を渡る
まぁ、かつての旅形態を復活させた・・といっても、それは一部に過ぎないのである。
当然、この路線へのアプローチはレンタカーである。 この日高本線が魅力に満ちているといっても、アプローチになる接続路線は、特急列車での都市間輸送以外の配慮が全くない運行ダイヤであるなど、ワテが鉄道への情熱を失った状況そのままなのである。
また、かつてのように若くもないのだ。 ここで、レンタカーを使わずに鉄道利用で撮り鉄に邁進する程に『ハッチャけて』いるハズもなく、またそんな粘りも体力も気力も根気もないのである。
・・という訳で、レンタカーを1泊2日借りて、前夜は道の駅にレンタカーを止めて車中泊する。
でも、便利になったものだ。 道の駅には温泉が併設している所もあり、また駅周辺よりもコンビニなどの『何でも屋』があり、風呂にも食糧にも宿泊にも事欠かない。 金を出せば、それなりの欲求は全て満たす事ができるのだ。 だからといって、車のエンジンつけたままで寝ないようにしようね。
下手すると酸欠で永遠の眠りにつく・・って事もありえるし。
・・で、翌朝から日高本線の撮影に繰り出すのだ。 《日高国道》と呼ばれる国道235号線は、都会では高速道路に匹敵する高規格の快適な道で、車は全て制限速度以上でぶっとばしている。
でも調子に乗ると、赤い切符を切られるので御用心。
やがて、朝の情景を撮れる場所に着く。 『街を見下ろす高台からの朝の風景と列車』という、『風景鉄道』情景だ。 歳を食ってからの『撮り鉄』であるが、疾走する鉄道など『迫力』を求めるより、『風景に溶け込む鉄道情景』を求める傾向が強くなった。 まぁ、昔からこのような嗜好であったが、更に強くなっている事が自負できる。 それでは目覚めの1ショットをば・・。
北の町の冬の朝と鉄道風景
ワテの求める『風景鉄道』たる情景だ
ここで1本撮っていくと、ちょうど程よい時間にメインに据える撮影場所に着く事ができる。
今回は厚賀川橋梁だ。 写真とは、やはり朝か夕方の美しい斜光線をどれだけモノにできるかが鍵となるので、朝の雰囲気残る時間帯にメイン撮影地に着いておかねばなるまい。
『朝の風景鉄道』を撮った富川から、厚賀までは21㎞ある。 都会では車で1時間はかかる距離も、北海道なら15~20分で到着できる。 そして着いた厚賀から、朝方順光となる海を見つめてのアングルを取る。
かつて虜になった
単行気動車がやってきた
待つ事10数分・・、かつて虜になった単行の気動車がゆっくりとやってくる。 運のいい事に冬の雲が背後から押し迫るが如く広がり、情景をさらに引き立ててくれた。 それでは、そのシーンをごろうじろ。
朝の撮影を終えると、鉄橋を通る国道の前にはコンビニがあるので朝食タイムを取る。
その後は昼前まで列車の運行はないので、車の中で仮眠でもするとしよう。 「思えば、鉄道撮影も楽になったなぁ」とつくづく思う。 かつてでは考えられない怠惰な撮影行なのである。 かつて抱いた『大陸情熱バカ』たる情熱の迸りは、もはや過去の夢物語となってしまったのである。
ローカル線撮影をしていると、いつもかつての事が頭に過ってしまう。 そう、その行動はバカ極まるのであるが、同時に自身では無二の憧れの行為でもあったのだ。 そして、それをしてきた自身の変わりようを見つめると、いつも感傷的な気持ちになる。
・・さて、ヨタ話は終わりにして、最後に昼前の一本を撮ろう。 この時間帯になる日は完全に海側に移動し、完全な逆光となる。 なので、海の波を強調した『風景鉄道』を撮るとしよう。
昼前になると完全逆光となる
ここは海を照らす光を強調しようか
これを撮り終えたならレンタカーの持ち時間も終わりが迫っている事もあるし、そろそろ帰り支度を始めねばなるまい。 レンタカーを返したなら、道都・札幌に出て旅の打ち上げをして帰ろうか。
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No title * by 風来茄子
北海道で普遍的な「地平線を見晴かす大平原を行く路線」が減って意外にも日高線が典型になった気がします。以前ならノーマークだったのですが。他にも海あり馬牧場ありで実は魅力的な路線なんですね。北の町の情景を含めてグッと来たョ。撮影のご苦労は察して余りありますが・・・。余談ですが苫小牧のフェリー乗り場の脇を線路が掠めてるのに駅が無いんですよね。市街からとんでもなく遠くてアクセスバスでも40分以上は掛かった記憶が・・・駅欲しいなあ駅(泣)
No title * by 風来梨
>以前ならノーマークだった
御指摘の通りですな。 以前はほとんど撮影者がいなかったような。
馬もサラブレット単体として撮影する者はおれど、「鉄道を絡めて・・」はあまり見受けられなかったような。
苫小牧のフェリーですが、『カーフェリー』という名称の如く乗用車で渡道する利用者がほぼ100%で、殿下のように徒歩のフェリー利用はローカル線利用の通勤客位に極少数でして・・。
駅を増設しても「年間利用者数人」となるのがオチのような気が・・。 ハハァ~、御無礼平にィ~。
ちなみに、浜厚真から苫小牧東港のフェリーターミナルまで約2kmとの事です。 歩ける距離ではありますが・・。
御指摘の通りですな。 以前はほとんど撮影者がいなかったような。
馬もサラブレット単体として撮影する者はおれど、「鉄道を絡めて・・」はあまり見受けられなかったような。
苫小牧のフェリーですが、『カーフェリー』という名称の如く乗用車で渡道する利用者がほぼ100%で、殿下のように徒歩のフェリー利用はローカル線利用の通勤客位に極少数でして・・。
駅を増設しても「年間利用者数人」となるのがオチのような気が・・。 ハハァ~、御無礼平にィ~。
ちなみに、浜厚真から苫小牧東港のフェリーターミナルまで約2kmとの事です。 歩ける距離ではありますが・・。