2011-03-02 (Wed)✎
『私の訪ねた路線』 第6回 名寄本線 その2 興部~遠軽、中湧別~湧別 〔北海道〕
もう見る事は叶わぬ
流氷と列車
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
名寄~遠軽・中湧別~湧別 143.0km 597 / 1246
廃止転換年月日 転換処置
’89・ 5・ 1 名士バス・北紋バス
廃止時列車本数
名寄~遠軽 下り7本・上り4本、名寄~興部 上り1本、名寄~紋別 上り3本
名寄~下川 下り1本《休日運休》、興部~遠軽 上り1本、紋別~遠軽 下り2本・上り5本
中湧別~遠軽 1往復、中湧別~湧別 1往復
名寄~下川 下り1本《休日運休》、興部~遠軽 上り1本、紋別~遠軽 下り2本・上り5本
中湧別~遠軽 1往復、中湧別~湧別 1往復
名寄本線の歩み
《路線探訪記》 興部~遠軽、中湧別~湧別
沙留の波戸場より
流氷を前景に
興部駅は海岸縁より2kmほど中にある。 この駅から分岐していた興浜南線ともども、興部駅を出るとオホーツク海へ向けて直進する。 海岸縁の直前まで進むと、興浜南線は90度左折して北上し、名寄本線は逆に90度右折して南下する。 どちらの路線も、オホーツク海に沿っての風光明媚な情景を車窓に広げてくれる。
北上する興浜南線については路線紹介の番がまわってくるその時に語るとして、今回は南下する名寄本線の車窓や名所を語るとしよう。 ・・オホーツクの分岐で右手に進路を取った名寄本線は、海から土手一つ隔てた泥炭層の中をいく。 興部高校通学生の利便の為に設けられた旭ヶ丘仮乗降場を過ぎ、藻興部川の河口付近を渡って、いよいよ待望のオホーツク海の海辺に出る。
海辺に出ると、程なく豊野。 着かず離れずの位置にオホーツク海があるが防風林はなく、海風が常に吹きずさんでいた駅だ。 そして強風ならば倒壊しそうな木造の掘っ立て小屋の待合室は、この駅の侘しさを端的に表していた。 たぶん、侘しさ比べをするなら、結構上位に入っていたかも・・である。
あの時は後先考えず撮ったけど
あの時の全てはかけがえのない
ワテの宝物となっている
豊野から更にオホーツクに近づき、ここからがこの路線のクライマックスとなる。 もちろん、最も訪れたき時は、冬の2月である。 2月にはオホーツクの流氷が接岸するからである。 車窓一杯に広がる流氷と、海辺を伝う赤い単行の気動車。 これを目にした時、もう言葉にならない感動があった。
だが、流氷の接岸は、その年の気象条件に大いに左右されるのである。 つまり、“気まぐれ”なのである。 ワテも何度か通って、’88年に稚拙なウデではあったが、ようやく本願成就を成しえた。
そして、この写真は、今も私の大切な宝物となっている。
氷は気まぐれ
来ない年もあれば貧弱な年もある
:
’89年は流氷が接岸しなかったので
この年が最後の情景となった
この写真見てつくづく思う事は、この時代にデジタルがなくて本当に良かったって事である。
デジタル画像だったら、20年の時を越える事は適わなかったであろう。
思いの込められぬ軽薄なコピー画像は、20年という時の中で知らずの間にどこかへ飛んでいる事だろう。 そして、それを裏付ける証拠もある。 それは、出現してまだ10年そこそこのデジタル画像であるが、その10年前の創成期に撮られたデジタル画像がこの世に出回っている事例は皆無であるのだ。
10年がダメなら7~8年前で語ってもいい。 だが、それすらほとんどないのである。
20数年経っても
色褪せないもの
当然、7~8年前も、貴重なシーンは数多とあった筈だ。 でも、それを記録したデジタル画像はほとんど世に出回っていないのである。 上書きで消去したのか、紛失したのか、バグってしまったのか、パソコン等の買い替えでデータともども消えてしまったのかは定かではないが、本当にないのだ。
あるのは、まだフイルムカメラを使っていた者のフイルムスキャンのみである。
なぜ貴重な写真を消す事ができるのか? なぜ、貴重な映像を無くして“のほほん”としていられるのか? それはデジタルで撮った画像は、所詮コピーで思い入れが乏しいからである。 そして心の奥底では、デジタルで写真を撮る事を『人が営む行為』として“つまらない”と感じているからなのだと思う。
これが、“コピーはどこまでいってもコピーでしかない”という決定的な証拠である。
所詮、ホンモノの足元にも及ばぬ劣悪な模造品なのである。 そして、撮影マナーや写真を撮る際の創造力などの人の持つ能力の低下などの点で、その中身のないコピーの弊害が如実に現れてきているのだ。
あぁ・・、脱線しちまった。
思い出お~い名寄本線
沙留駅スタンプ
で、小さな波止場の駅・沙留駅。 流氷列車を撮るなら、間違いなくこの駅付近だったろう。
この駅は有人駅で、集落もそれなりにあった。 また、駅から豊野側へ300mほど進むと沙留岬があり、流氷を眺める絶好の突端地であった。 そしてその間は、私が『流氷を望む丘』と名付けた流氷列車を望む絶好の場所であったのだ。
流氷を望む
波戸場の小集落・沙留
沙留駅を出てすぐに国道238号線と交差して、今度は国道よりも内陸側をゆく。 線路は国道より一段高い築堤の上を行き、その区間に富丘という仮乗降場があった。 海風が強く環境が厳しいからなのか、乗降場でも囲い程度であるが風雪を凌げる待合所があった。
10km近くの長い築堤を越えて開拓時代に木材水運で使われた渚滑川を跨ぐと、紋別市の端の集落である渚滑駅に着く。 この渚滑はアイヌ語で滝つぼを意味し、奥の山の滝つぼより砂金が産出され、これが鴻之舞金山の起源となったそうである。 つまりこの渚滑は、ゴールドラッシュで出現した町であったのだ。 なお、この駅より渚滑線が分岐していたが、これも路線を紹介する機会を得て語りたいと思う。
さて、渚滑駅を出ると紋別の中心街へ進んでいく。 市街地の中の板張り駅・潮見町を経て紋別駅に着く。 紋別は名寄本線沿線では最大の駅で、路線内では始端の名寄を除いて唯一の市制施行の街である。 もちろん、オホーツク沿岸の漁港町で、毛がにやホタテ、新巻シャケなどの海産物を手にする利用客の姿がよく見られた。
紋別駅を出ると、元紋別に着く。 市街地の外れで利用客は僅かであったが、すぐ近くにパルプ工場があり、貨物駅としての様相を保っていた。 だが、貨物取り扱い廃止後すぐにパルプ工場も閉鎖され、側線もはがされて末期は無残な姿となっていた。
元紋別を出ると一本松という仮乗降場を過ぎるが、乗降場としては大きめの待合室が設置され、建物の横幅いっぱいに木の枝を『一本松』という字に貼り付けて駅名標としていた面白い駅であった。
これは「写真に撮っておけば良かったなぁ」とつくづく思う。 今はオホーツク・紋別空港の敷地の一部になっているとの事である。
思い出お~い名寄本線
小向駅スタンプ
一本松の次は小向。 コムケ湖が近くにある。 コムケ湖は我が国の重要湿地500に登録され、野鳥の楽園となっている。 また、湿地帯に咲く湿生植物の原生花園もあり、沿線跡を旅するなら是非とも立ち寄ってみたい所である。
コムケ湖は
野鳥と湿性植物の楽園だ
コムケ原生花園の花々
小向駅からは、国道を挟んでコムケ湖と対峙して進む。 コムケ湖の本湖に最も近い弘道仮乗降場を過ぎ、沼ノ上駅へ着く。 地名の由来は「コムケ沼の上手」だそうである。 なお、沼ノ上駅は、中名寄と同じ建替えカプセル駅舎であった。
次に続く旭駅と川西駅は一見利用客の多そうな駅名であるが、利用状況は悲惨なものであったとの事。
駅の待合室も、一本松乗降場の方が状態が良かったみたいである。
思い出お~い・名寄本線
中湧別駅スタンプ
やがて、興部と並ぶジャンクション駅の中湧別に着く。 この駅からは湧網線と名寄本線の支線・湧別支線が分岐していたが、湧網線は1日5本、湧別支線に至っては朝夕の2本のみと、到底使えたものではなかったのである。 なお、湧網線に関しても、御紹介できるその時に機会を譲る事にしよう。
今の中湧別駅跡はクアハウスを併設した『道の駅』となり、また鉄道施設を移設保存した鉄道公園も兼ねている。 中湧別駅を出ると北湧仮乗降場を過ぎて、上湧別町の役場最寄駅の上湧別駅に着く。
役場最寄り駅という事で町の中心である筈なのだが、かなり寂れた街外れの雰囲気が漂う駅であった。
廃止直前にJR北海道が
編集した名寄本線特集
:
この情景を撮れなかったのが
心残りです・・ハイ
その下の記事です
後は、共進・開盛・北遠軽と山間の寂れた駅を過ぎて石北本線の分岐駅・遠軽に入線する。
石北本線は遠軽駅ではスイッチバック構造となっているので、名寄本線の列車は形の上は石北本線の上下線と直進運行が可能であった。
アサリ浜や千鳥ヶ浜・竜宮台の
最寄駅なのは確かな事だけど
1日の発着が2本ではねぇ
最後に湧別支線に乗ってみよう。 中湧別駅から、紋別方向へ進む。 一応、左端の名寄本線・真中の湧別支線・右端の湧網線と3路線が並行するが、列車が併走する事は路線の歴史では一度たりともなかったようだ。 やがて、板張りの乗降場・四号線に着く。 この乗降場はバスストップ方式で、事前に降車を申し入れしていないと通過扱いされるとの事だったのである。
結構レアかも・・
湧別駅入場券
この乗降場を過ぎて程なく、行止まりの終点・湧別駅である。 列車運行が僅か2往復であるにかかわらず、最後まで委託を含めて駅員配置駅で切符も販売していた。 朝夕2往復しか運行されないといっても、一応は湧別町の行政の中心駅である。 だが、バス便が10本ほどあり、この区間に関しては完全に不要であった事が伺える。
明らかにお手製
1日の発着が2本なら仕方がないか
1日の発着が2本なら仕方がないか
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No title * by 風来梨
オータ様、こんばんは。
沙留は、流氷を見るには最高の駅でした。
流氷列車の写真は、今でも私の宝物です。
そして、小向は運転要員だけのいた駅で、形上は無人駅でした。
ここからコムケ湖へは2~3kmで、当時小僧だった私には微妙な距離でした。 でも、行って良かったです。
沙留は、流氷を見るには最高の駅でした。
流氷列車の写真は、今でも私の宝物です。
そして、小向は運転要員だけのいた駅で、形上は無人駅でした。
ここからコムケ湖へは2~3kmで、当時小僧だった私には微妙な距離でした。 でも、行って良かったです。
No title * by tom
こんばんは
小生も沙留行きました。名寄線は釧網線に比べると地味でしたが味わいのある路線でした。沙留の駅で宿で作ってもらったお弁当を食べていたら沙留の駅の方がお茶をいれてくれました。あの温かいお茶の味は一生忘れません。
小生も沙留行きました。名寄線は釧網線に比べると地味でしたが味わいのある路線でした。沙留の駅で宿で作ってもらったお弁当を食べていたら沙留の駅の方がお茶をいれてくれました。あの温かいお茶の味は一生忘れません。
No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。 そして明けましておめでとうございます。
旅に出ていましたので、お返事が遅れました。 申し訳ありません。
鉄道情景として流氷を望むなら、この沙留の丘が最も良かったと思います。 そして、沙留の駅の雰囲気も波止場の駅の雰囲気があって良かったですね。 そして、大御所の興浜南線と北線も・・。 こちらは、近い内に掲載したいな・・と。
願わくば、あの頃よ・・もう一度。
旅に出ていましたので、お返事が遅れました。 申し訳ありません。
鉄道情景として流氷を望むなら、この沙留の丘が最も良かったと思います。 そして、沙留の駅の雰囲気も波止場の駅の雰囲気があって良かったですね。 そして、大御所の興浜南線と北線も・・。 こちらは、近い内に掲載したいな・・と。
願わくば、あの頃よ・・もう一度。
沼の上駅には、1984年9月に一晩お世話になりました。
湧別は稀少性で有名でしたが、沙留とか小向とか小さな駅が取り上げられていてかすかに思い出が蘇ってきます。流氷の時期には乗らなかったので、興味深く拝見しました。傑作です…