風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 1~50 >  路線の思い出   第43回 士幌線・萩ヶ岡駅、清水谷駅

路線の思い出   第43回 士幌線・萩ヶ岡駅、清水谷駅

路線の思い出   第43回  士幌線・萩ヶ岡駅、清水谷駅  〔北海道〕
 

美しい白樺林と
 
《路線データ》
  営業区間と営業キロ   輸送密度(’79) / 営業係数(’83)  廃止年月日  転換処置
帯広~十勝三股 78.3km     359   /   1743              ’87/ 3/23      十勝バス
 
廃止時運行本数
         帯広~十勝三股 4往復《糠平~十勝三股 バス代行運転》
         帯広~糠平    1往復
         帯広~上士幌  下り1本

萩ヶ岡駅(はぎがおかえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町字上士幌に存在した国鉄・士幌線の駅である。 士幌線の廃止に伴い、1987年3月23日に廃駅となった。 廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する無人駅であった。 現在の駅跡は草むらとなっている。

清水谷駅(しみずだにえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町に設置されていた国鉄・士幌線の駅である。 士幌線の廃止に伴い、1987年3月23日に廃駅となった。 廃止時点で、島式ホームの片面を使用する1線を有する無人駅であったが、かつては島式ホームの両側に線路を有する列車行き違い可能駅であった。

駅名の由来は駅から2 km ほどの谷間に清水の湧く沢があった事から、この地域は「清水沢」と呼ばれていたが、開業時すでに夕張線に同名の駅があった事から「清水谷」と名付けられたとの事である。
駅跡は牧場となっている。 駅前にある家屋で居住しているのは民家一軒のみで、他は全て廃屋である。



廃止されたローカル線で、私が目指す『風景鉄道』を最も撮る事ができた路線が、この士幌線である。
私が目指す『風景鉄道』という写真は以前にもチラッと述べた事があるが、「風景の中にさり気なく鉄道がある風景が主で鉄道が脇役」の写真だ。 例えるなら、花札のタネ札のように絵柄(その土地の風景)が主で、松や梅などの種柄(鉄道車両)が脇役のカメラアングルである。
 

士幌線の糠平~十勝三股は
御存知のように代行バスの運行だった
 
この路線を始めに訪ねた時は多くのローカル線フリークの思考と同じく、十勝三股や幌加などの『鉄道の通らない区間』を訪ねる事が主で、鉄道撮影自体は「糠平からちょっと歩いた所にある糠平湖畔で、チョイと撮ればいいや」などと消極的に考えていた。 そう・・、それは、初めて北海道に行った高1の夏であった。
 

でもこれはコレで
貴重な写真ですね
 

特にコレなんか・・
幌加の駅名標・現物
(1日1500の閲覧を釣った最強アイテムでっす)
 
だが、例のフイルム間違い(以前にチョコっと話した、ISO感度だけを見て室内用タングステンフイルムを使ってしまった大失敗)で旅行自体が完全な失敗になった事で、激しく!?リベンジに燃える事になったのである。
 
まぁ、例の浅はかなタングステン災禍で「旅に出たものの残した結果はゼロ」になってしまったのだから、ローカル線に情熱を燃やしていた当時ならば、当然と言えば当然の流れであろう。
 

糠平湖と士幌線←記念乗車券の写真で代行
ここで撮った当時の写真は
タングステンの青みがかかって全てボツ
 
次にこの線を訪れる機会を得たのが、その年度末の春だった。 当時は急行【まりも】が運行していたので、帯広駅でチョイと早起きすれば冬の駅での駅寝の必要はなく、鉄道利用の撮り鉄としては体力的に撮影に有利だったのも功を奏したのである。 普通はこれが有利不利を決めるべき事柄ではないのだが、筆者の場合は駅寝が基本のアウトローなので当てはまるのです、ハイ。
 

雪に埋もれる“列車の来ない駅” 幌加駅
 

雪に埋もれたゴーストタウンの駅・十勝三股
 
その時の思考としては、まだ十勝三股や幌加に未練があったのか、やはりそちらに先に立ち寄ったのである。 そして撮影であるが、「冬の湖畔は真っ白けで何も写らんなぁ」と考えて、糠平湖畔をパスして路線区間のフィールドに繰り出したのである。
 
狙いは、この撮影旅に出るちょっと前に写真集で見た白樺と青空と大平原の写真が参考となったのである。 それは北海道の風景を紹介する写真集で鉄道写真のモノではなかったのだが、チョコっと赤い焼きタラコが写っていたのだった。 これを目にして、「こんなのが撮りたい」と思ったのが動機である。
 

古き良き時代の趣高き木造駅舎
清水谷駅
 
だが、当日が曇天だった事と、行きに十勝三股や幌加に行ってしまった事で列車撮影ができる時間が窮屈になり、降りた萩ヶ岡駅付近に樹立する木立を背景に撮っただけで、白樺が『黒樺』となって締まらないデキとなってしまったのだ。 こうして、ますますリベンジの思いが募る事となる。
 

黒樺が少し残念
青空で白樺だったら完璧だったのだが・・
 
・・で、廃止直前の昭和62年の冬、ようやく待ちに待ったリベンジの時を迎える。 この時は廃止直前という事で俗にいう『葬式鉄』が大挙押し寄せていたので、「それに巻き込まれまい」と『伝家の宝刀』を抜く。 この伝家の宝刀とは、駅寝である。
 
前日に前の黒カバの平原のあった萩ヶ岡で降りて、周囲を散策した後に列車で清水谷までいく。
清水谷でも同様に、線路伝いに歩いてつぶさに偵察する。
 

萩ヶ岡から清水谷にかけては美しい白樺林が並び立つ
この間を撮影適地を探して歩き回る
 
要するに前日1日を費やして、白樺のある撮影適地を探しまくったのである。 ・・で、清水谷から1kmほど萩ヶ岡の方向に、高1の時からの想いを果たせそうな最適の場所があるのを見つけて、翌日に備えて清水谷で駅寝する。
 

割と駅寝し易い駅でした ハイ

駅寝したので、翌日は始発の便から撮影可能だ。 といっても撮影チャンスは、上りの6時台の便はまだ空が暗いのでダメで、下りの7時台と9時台と上りの8時台と昼の便の計4回だけだが。
 

記念切符に載っていた当時の時刻表
『十勝三股へのバス区間の往復』を取ると
鉄道撮影は限りなく不能なダイヤだった
 
まぁ、十勝三股まで往復してしまうと鉄道区間に戻ってくるのは昼となり(十勝三股で2時間半待たされる)、駅付近で1本撮るのが関の山となってしまうのだが。 よくよく考えると、「あれほど葬式鉄はいたのに撮り鉄が皆無だったのは、これが原因だな」と思えるのである。

でも、「列車を撮る如きで冬の駅寝する方が異常だ」と言われると偶の音もでませんが。
これは、『大陸情熱バカ』の熱き迸りと理解下さいませ。 それでは、この良き日に迎えたリベンジの成果をごろうじろ。
 

白樺の木影がいい感じ
 

努力の跡が写真を台無しにする例ですね
でも結構努力してる(歩き周ってる)でしょ
 

青空と白樺林が美しい
今回の一番星
でも離れて撮るのを忘れたな

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『士幌線』を御覧下さい。
 
 
関連記事
スポンサーサイト



No title * by プリウス おじちゃん
こんにちは
昨春、念願だった十勝三股駅跡を訪ねました。三角屋根は駅舎なんでしょうか。
除雪ステーションしかない幌加駅もこんな風景だったんですか~。
感激しています。

No title * by 風来梨
プリウスおじちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。

背後の三角屋根が駅舎ですが、完全に出入口は封鎖されて立入不可でした。 確か20年前に初めてニペソツ山に登った時はあったので、その翌年位に駅舎は撤去されたようです。 ちなみに、ニペソツ山の登山口はここから林道ダートを15kmほど伝った所です。

幌加は駅舎がバス待合所で、夏はバスが駅前ロータリーで転回していたので、駅舎内に入れました。 でも、駅舎内撮ってない・・ 残念。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

こんにちは
昨春、念願だった十勝三股駅跡を訪ねました。三角屋根は駅舎なんでしょうか。
除雪ステーションしかない幌加駅もこんな風景だったんですか~。
感激しています。
2014-02-12 * プリウス おじちゃん [ 編集 ]

No title

プリウスおじちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。

背後の三角屋根が駅舎ですが、完全に出入口は封鎖されて立入不可でした。 確か20年前に初めてニペソツ山に登った時はあったので、その翌年位に駅舎は撤去されたようです。 ちなみに、ニペソツ山の登山口はここから林道ダートを15kmほど伝った所です。

幌加は駅舎がバス待合所で、夏はバスが駅前ロータリーで転回していたので、駅舎内に入れました。 でも、駅舎内撮ってない・・ 残念。
2014-02-14 * 風来梨 [ 編集 ]