2011-02-25 (Fri)✎
『私の訪ねた路線』 第4回 予讃本線 〔香川県・愛媛県〕
四半世紀以上前の
中坊・変色手ぶれモノの
キハ58急行【うわじま】
卯之町~下宇和
:
アクセス数に魂を
売り渡した筆者の成せる業
《路線データ》
予讃本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
高松~宇和島 297.5km 6471 / 124
向井原~内子・新谷~伊予大洲 39.4km
アクセスに魂売り渡しの第2弾!
完全に淘汰されたキハ55の勇姿!
車内の傷み様は
完全に淘汰されたキハ55の勇姿!
車内の傷み様は
キハ20より凄ましかった
宇和島にて
《路線史》
四国の鉄道の主幹線として建設された路線である。 路線建設は、1889~97年の『讃岐鉄道』による高松~琴平の開業が始まりである。 その後、経営元が変わり『山陽鉄道』となった同区間を買収国有化(1906年)する。 その後は川之江・伊予西条と順次延伸を続け、1927年には松山に到達する。
松山以遠は1930年に伊予市までが開通し、その後も順次延伸し1935年には伊予長浜に達する。
松山以遠は1930年に伊予市までが開通し、その後も順次延伸し1935年には伊予長浜に達する。
一方、下灘~八幡浜は、軽便鉄道の『愛媛鉄道』が1918年に762mm軌間で伊予長浜~伊予大洲を開通させていた。 この路線は、1933年に国有化(『愛媛線』)されている。 なお、この年に『予讃本線』と改称されている。
絵入りでない特急も乙
卯之町~下宇和
前述の如く1935年に下灘~伊予長浜が開通した事により、それに伴って『愛媛線』も1067mmに改軌されて『予讃本線』に編入される。 また、多度津~琴平が『土讃線』として分離される。 1939年には更に八幡浜まで延伸される。
全通はその6年後となる。 1914年に『宇和島鉄道』(現在の予土線の前身)が宇和島~近永を開業させていたが、1933年に先述の『愛媛線』とほぼ同時期に国有化される。 その延伸として1941年に北宇和島~卯之町が開通し、1945年にようやく卯之町~八幡浜がつなげられて全通する。
全通はその6年後となる。 1914年に『宇和島鉄道』(現在の予土線の前身)が宇和島~近永を開業させていたが、1933年に先述の『愛媛線』とほぼ同時期に国有化される。 その延伸として1941年に北宇和島~卯之町が開通し、1945年にようやく卯之町~八幡浜がつなげられて全通する。
この時代・・普通列車といえば
キハ20系でしたね
この路線は四国の主幹線という事で、四国では最も早く高速化や電化などの路線改良がなされている。
この路線は四国の主幹線という事で、四国では最も早く高速化や電化などの路線改良がなされている。
1986年には向井原~内子、新谷~伊予大洲を開通させ、特定地方交通線であった内子線を大改良の上で幹線化接続させる『内陸短絡ルート』が完成する。 現在は、優等列車の全てが内子線経由となっている。
電化に関しては、1987年の高松~坂出・多度津~観音寺の電化に始まる。 また、同じ年に坂出~多度津も電化される。 そして、四国の鉄道の大いなる変換の時である1988年の本四・備讃線の開業、即ち『瀬戸大橋』の開通を迎える。
その事により、岡山で山陽新幹線に接続する電車による高速運行の必要性が生まれ、急ピッチで電化工事が進められる事になる。 その為か電化工事の区間が細切れで一貫性がなく、完成した区間を見切りの形で先行開業させる事が相次いだのである。 結局、1993年に新居浜~今治の電化完成によって現電化区間(高松~伊予市)工事の全てが完了するまで、先行開業区間乱立による“継ぎ接ぎ電化”の状態となっていたのである。
手ブレ写真ですが
後はキハユニです
また、突貫工事に近い形で電化工事をした為の弊害も出ている。 それは、トンネル断面径が小さいまま架線を張った為に、通常の電車のパンタグラフでは通過できないトンネルが出現したのである。
これはJR四国の車輌に関しては対策済みであるが、他のJRで使用されている通常の車輌は乗り入れ不可能となるのである。 この為、トンネルを通過できない車輌が生じるという無駄と矛盾が生じる事となる。
また、駅や交換設備も旧来のものが多く長大編成に対応できない駅が多い事や、単線による輸送能力の限界から普通列車に優等列車退避のシワ寄せが重点的にかかっている事など、後になって生じた問題が噴出している現状がある。
急行【阿波】号
高松駅にて
:
列車名はやはり
旧国名が響きがいい
この予讃本線にかつての趣を見るとしたなら、向井原~伊予大洲の海線区間か、八幡浜~宇和島の純農村風景であろうか。 下灘駅は“海に最も近い駅”として有名で、よく鉄道旅の雑誌などに紹介されている。
また、八幡浜以遠の風景は、みかんの段々畑などの連なる純朴な風景を眺めつつ、宇和島市街とその先に広がるリアス式海岸を眺めながら下っていく・・という、クライマックスへの情景の変化であろう。
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No title * by 風来梨
> 五十嵐様、こんばんは。
記載元にこのブログ名と記事名「私の訪ねた路線 第4回 予讃本線」を記載して頂けるなら、御自由にどうぞ。
こちらとしては、個人情報にあたる連絡先を開示するのは控えさせて頂きたいと思います。
あと、宜しければ、内緒投稿で構いませんので、放映日時を教えて頂ければ有難いです。
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BSジャパンの出発ローカル線聞き込み発見旅という番組を制作しておりますウッドオフィスの五十嵐と申します。今回番組で予讃線周辺を旅をしまして、番組内で過去の写真を使用したく、このブログの写真を使用させていただきたいと思っております。よろしければ連絡を取らせていただきたいと思っているのですが可能でしょうか?