風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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名峰次選の山々 第98回  蝙蝠岳 act 2

名峰次選の山々 第98回  『178 蝙蝠岳 act 2』  静岡県 
塩見山系(南アルプス国立公園) 2865m コース難度 ★★★  体力度 ★★★
 

緑豊かでふくよかな蝙蝠岳
 
前回で南アルプスの主だった山で唯一未踏峰だった蝙蝠岳を踏破する念願が叶った。
今回は、その喜びを胸に下界に戻る『下山及び完結編』です。
 

 

塩見岳・蝙蝠岳 登山ルート行程図

   行程記録           駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR・伊那大島駅よりバス(1:50)→鳥倉登山口(2:50)→三伏峠
《2日目》 三伏峠(1:20)→本谷山(1:50)→塩見小屋(1:30)→塩見岳(0:35)→蝙蝠岳分岐
《3日目》 蝙蝠岳分岐より蝙蝠岳往復、所要・片道2時間(0:45)→塩見岳(1:05)→塩見小屋
《4日目》 塩見小屋(1:30)→本谷山(1:20)→三伏峠(2:00)→鳥倉登山口よりバス
     (1:50)→JR・伊那大島駅
  ※ 前回『名峰次選 第97回 蝙蝠岳 act 1』からの続きです。
 
カメラをぶら下げて歩いていくと、山がそろそろに秋の様相に衣替えを始めようとしているのが感じられる。 秋を待ちかねて気がせったのか、潅木の1つが赤く紅葉していたり、ナデシコやイワギキョウなどの秋色の花々が勢力を増してきていた。
 

もう晩夏も過ぎて
山は急いで秋の装いへと
衣替えをしていく
 
これらにカメラを向けながら、そして振り返ればたおやかな姿を魅せる蝙蝠岳の山容に魅せられながら歩いていく。 すると、幸運にも塩見岳の頂上を覆っていた厚い雲が晴れて塩見岳の全容が望めるようになってきた。
 

塩見本峰を覆っていた
ガス雲が晴れてゆき

しかし、この塩見岳って山は、見る角度によってこうまで違うのか。 この角度から塩見岳を見た時、白峰三山からみたズングリムックリの別称『漆黒の鉄冑』のイメージは消し飛んでしまったよ。
この場所から魅せる山容は、頂から伸ばす節々に明るい茶色の縞模様を乗せたスラリとした三角錐の峰であった。 これを初めて目にした時、思わず「荒川三山!?」と思った位だ。
 

まるで荒川三山のように
スラッとした鋭角の三角錐を示す『裏』塩見岳
 

荒川三山も姿を魅せてくれた
 
楽しみながら歩いていくとあっという間に時間は過ぎ去り、往路の時に「帰りはしんどそうな登りだなぁ」と退廃的な思いを抱いたあの砂礫の坂はあっという間に登りきり、両側がスッパリとキレ落ちたあの岩稜地帯まで戻ってくる。

でも、余裕があると、行きにあれだけ「おっかね~」と思ったナイフリッジが、それ程でもないように思えてくる。 岩間に割くイワギキョウやウスユキソウなどにカメラを向ける程に余裕があった。
 
蝙蝠岳稜線に咲く花々 その3

チシマギキョウ
 

エーデルワイス(ウスユキソウ)
 
やはり、夜明け前と違って『明るい』という事と、往路で一度通った『経験』、そして難所ではあるが『登り』であるという事が心を大きくさせた要因だろう。
 
という訳で、『復路の懸念』となっていたこの岩稜越えも難なくこなし、10時前にテントをデホった《蝙蝠岳分岐》に着く。 取り敢えずテントを撤収しながら、今日のこの先の行程を考える。 1つは小屋番の兄さんや行き違う人などから「水があるよ」と教えてもらった《雪投沢》に下り、そこで幕営をする案である。 もう一つは、塩見小屋で停泊する事である。

さて、どうしたものか。 《雪投沢》はタダだが、便所と帰りの時間が切羽詰るという不利がある。
小屋泊りは、《雪投沢》の不安要因であるトイレ・水・下山時間を金で買う事で解決できる。
 
どちらにしようか考えた時、「そういえば、昨日の明け方に《三伏峠》のキャンプ場でして以来、今日にかけて『大』をしてないな」という事が頭に浮かんだ。 そして、昨日の小屋番の兄さんの話の中であった「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という言葉を思い返し、ここはトイレの事を優先して小屋泊まりにしようと決める。
 

カメラを向けても動じない野鳥
おかげで何枚か撮れた

行先を決めたなら、テントをたたんでザックにパッキングして出発。 まだ10時過ぎ。 
「まぁ、塩見の頂上で呆けても1時過ぎには着くな」と、余裕を持って歩いていく。 余裕ができると、周囲がよく見えるものだ。 野鳥が潅木の縁をトコトコと歩いているの見つける。 鳥の名前は解らないが、かなり度胸の坐った奴と見えて、カメラを向けようが動じない。 お陰で何枚か撮れたよ。
 
このようにダラダラと登っていくと、しんどくはないが時間はあっという間に経ってしまう。
そして、南ア・稜線での『11時』がやってくる。 何でだろうか、いつもこの時間になると急速に曇り始めて、下手すりゃパラパラと来る。
 
稜線上、しかも岩稜地帯でパラパラ以上に遭遇すると、真に困難な状況となる。 特に雷を伴うと、身の危険を伴う厄介となる。  南ア・稜線『11時』の雲が空に厚く覆い被さった頃、塩見の頂上に着く。 11:10。
 

往路では気づかなかったが
塩見の頂上は秋色の世界だった
 
頂上では、高校のW・V部の連中が岩の上でグタっていた。 確かに荷は重そうだったが、ワテの現役時代より覇気がなさそうな山岳クラブだった。 でも、この連中、ワテの現役時代では有り得ない事を行程に組み込んでいたのであった。 それは、この後に明らかとなる。

ワテが塩見の頂上に着いて数分後、案の定パラパラと来たので、岩で寝そべっていたこの連中は飛び起きて、慌て気味に荷物を担ぎ出発した。 パラパラと来たのだから、ワテもこの連中の後を着いていく事にする。
 
塩見岳の下りはやや危険な岩稜下りがあるのだが、この連中のモタツキ様といったら、今のワテ並であった。 悪いけど、全く若さが感じられんかったよ。 先行の高校W・V部が下りでマゴついたお陰で、ワテ自身の『登りより遅い下り』が目立つ事もなく、1時間10分かけて塩見小屋まで降りつく。
 
今の時間は12時半前。 高校生という若い身体なら、十分《三伏峠》まで下れるはずだ。 それが、この小屋のVIPルームに泊るようなのである。 その為に、予め1棟まるごと宿泊予約を入れていたみたいである。 どうやらこの子達、テント担いでないみたい。
 
そしてもっと驚きは、水を汲みに行かずに小屋で購入してやがんの。 そして、食事も小屋食を取るみたいである。 いやぁ、時代が変わったからなのか何なのかよく解らんが、私の今までの経験を当てはめるとこの光景は少々パニクったよ。 あの大きな荷物の中身は、お菓子やら、軽食やら・・であったみたいである。

少なくとも、ワテの現役時代は考えられん事だったよ。 ワテの現役時代の山岳クラブは、水は出発地(たぶん、《熊ノ平》だろう)よりの持ち運びだろうし、小屋に泊まる事もないし、この時間帯ならたぶん《三伏峠》まで下ってのテント泊となるだろう。 ましてや、食事は全て自炊だよなぁ。

ちなみに、3時頃から強い夕立が降ってきたので、小屋泊りの選択は大正解だった。 
《雪投沢》ならババ濡れになったかも。 雷も稲妻付きでゴロゴロなってたしィ。
 

 

空が紺からかぎろいに
変わってゆく中で雲海の間より
仙丈ケ岳が頂を突き出し始めた
 
  《4日目》 塩見小屋より下山
さて、日の出前に起きて、塩見岳の勇姿を添えての夜明けの情景をカメラに収めよう。
空は昨日の夕立を降らした雲が多く残っているものの、まずまずの天気。
 

空が明るくなり
贅沢な山のオーケストラが始まる
 

昨日の雨雲が
山のオーケストラを引き立てていた
 
雲の切れ間から仙丈や甲斐駒、間ノ岳・北岳が見渡せる。 だが、肝心の塩見岳は頂上付近がガスに覆われて見えない。
 

上にたなびいてなかなか
切れないガスだったが
こうしてみると
いい“仕事”してたみたいですね
 
バスの発車時刻の14時までに《鳥倉》に降り着ければいいという事で、時間はたっぷりある。
ここはカメラ片手に、頂の雲が途切れるまで待つ。 日の出から粘り続けて待つ事約20分後、ついに雲が抜けてシャドーの塩見岳と天狗岩が鋭角に突き出すシーンをゲット。 まぁ、その成果は掲載写真をごろうじろ。
 

ガスに光が当って
これがキメ写真かな
 
朝の“お仕事”が済んだら、次は朝の“お通じ”だろう。 いうなれば、これの為に小屋に泊る決断を下したといってもいい位だったから。 その“お通じ”だが、この小屋の『大』の処理法は、かなり工夫を凝らしたいい方法であった。

その方法とは、トイレの建物の中には洋便座のオマルが置いてあって、それにサニタリー袋をかけて、その中に用を足す。 後は用便袋となったサニタリー袋を付属のビニール紐で縛って、外の用便捨てにポイである。
 
ん、待てよ。 これって、ワテがいつぞやに『思いのまま日記』に“山トイレ問題について・・”で書き記した方法と同じではないか。 違うのは、管理者のいる山小屋で実行しているか、管理者がいない野営地かという違いだけだ。

他の宿泊者も皆、口を揃えて「これは、いいアイデアだ」と言っていた。 これを横耳で聞いていたワテは“鼻が高い”よ。 是非にも、稜線の野営地でも試みて欲しいと願う。 例えば、この南アルプスでは《雪投沢》が格好の試験候補地となろう。 費用は登山口と伊那から入る登山者の全てが通る《三伏峠》の小屋で、全ての入山者から山中1日当たり1000円を徴収すればいいだろう。
 
念願だった南ア・最後の峰を踏破して、「できるだけ、山を汚さぬように そして、できるなら、山を汚さぬように」という訓示も守る事もできた・・という事で気分も上々。 後は下っていくのみである。
出発時間は7時過ぎ。
 

間ノ岳も鶴翼を広げるが如く
長大な稜線を下ろしていた
 
地図上のコースタイムも6時間弱という事で、バスの時間まで1時間少々の余裕がある。 ここは、カメラ片手にのんびりと行こう。 今日はすごぶるいい天気で、厚い雨雲に覆われたまま、前日までの3日間で一度たりとも拝めながった《荒川三山》が雲一つない完全無欠な姿で見渡す事ができた。
 

昨日までなかなか望む事のできなかった
荒川三山もハッキリと
 

ミヤマダイコンソウの群落地
この下に旧・三伏沢小屋への
分岐があった

途中のミヤマダイコンソウの群落を撮ったりしながら《三伏峠》の小屋へ。 《三伏峠小屋》前到着は9:40と、予想外に早く着く。 でも、早く着き過ぎても、バスの待ち時間が長くなるだけなのだ。
という訳で、小屋前で1時間近くタムロする。 この時、他の登山者を巻き込みかねない危険競技に遭遇したが、文字数制限ゆえに割愛しよう。 この出来事に興味のある方はコチラをどうぞ。


好天の今日は眩いばかりの
黄色を魅せてくれた
 
そうこうしている内に《三伏峠小屋》での1時間チョイは過ぎ去り、11:00の出発予定時刻が近づいてくる。 《鳥倉》までの下山路は、前回の『荒川三山』と今回の往路の2度通っていて、“どこに何があるか”をほぼ把握しているので問題はない。
 
このルートは2時間かからずに下りきって、暑い最中の下界との接点である登山口へ降り着く。
到着は12:50。 後は、バスと鉄道を乗り継いで帰路に着く。
 
  ※ 詳細は、メインサイトの『撮影旅行記』より『南ア・最後の未踏区へ その2』を御覧下さい。
 
 
 

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