風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  『日本百景』  >  『日本百景』 晩夏 >  第84回  大岩下ノ岩小屋

第84回  大岩下ノ岩小屋

『日本百景』 晩夏  第84回  大岩下ノ岩小屋 〔長野県〕
 

元祖オチャメ発生の山・『鋸岳』へ
 
さて、この前の『路線の思い出 第22回』で記した通り、テント・ピッケルの登山用具一式を担いでのオチャメな○鉄旅もどきとなった因縁の山。 そしてその年の秋には、秋のつもりが冬の様相を呈して断念と相成った上に、小吹雪の頂上ビバーク敢行というオチャメ山行となっちまった遥かな山。
 
でも、ここまで敗退と断念を繰り返すと、やはりリベンジを目論みたくなるものだ。
今回はそのリベンジに出向き、またオチャメをかました山行記録を語りたいと思う。
 


 

鋸岳・角兵衛沢ルート行程図
 
    行程記録              駐車場・トイレ・山小屋情報
 《1日目》 伊那市街(バス0:50)→戸台よりバス(バス1:00)→北沢峠
 《2日目》 北沢峠(1:30)→赤河原分岐(0:40)→角兵衛沢出合
(2:30)→大岩下ノ岩小屋
 《3日目》 大岩下ノ岩小屋にて沈殿・・
 《4日目》 大岩下ノ岩小屋(2:30)→鋸岳・第一高点(2:30)→大岩下ノ岩小屋
      (1:35)→角兵衛沢出合(2:30)→戸台川ゲート〔ヒッチハイク成功〕→戸台
      (バス0:50)→伊那市街
 

この山にリベンジ
(オチャメ)しにきました

  《1日目》 思えば小屋泊が成否の鍵となったかも
この際だから白状しよう。 出る前の情報として、「週間天気で示してあった晴マークのオンパレード」しか頭の中になかった。 出発の時点では、「台風4号って何?」って状態だった。 
つまり、台風4号が発生している事を、把握どころか全く知らずにいたのだ。 山に行こうとする人間が、ここまで能天気だと崇高にさえ感じる。

朝7時過ぎのシンカンセンに乗り、車内の電光掲示板に流れるニュースと天気予報を見る。
「今日の関東方面は、晴れ時々曇り、所によっては一時雨」という“フルハウス”な予報を目にして、まぁ「こんなもんだろ」と変な納得をしていた。 関ヶ原を通り過ぎる時に車窓に雨しずくが流れたのも、変な納得を間違った確信に昇華させていた。

後は予定通り、伊那市・高遠と路線バスを乗り継いで、戸台《仙流荘》の『南ア・林道バス』の発着点へ。 ここで14:10の上り・北沢峠行きの最終バスに乗り込む。 バスに乗り込んでしばらくするとスコールのような大雨が降り出し、バスの運ちゃんが「こんな天気の悪い時にほんとに山に登るの?」と慰ぶがっていた。

で、乗客の一人が「台風次第だ、天気が悪けりゃ小屋で待機しますよ」と発した事で、声には出さなかったが「へっ?台風?」という言葉が私の頭の中をグルグルと周り始めた。 この言葉を聞くまでは「この雨は一過性の夕立で、北沢峠で雨が上がっていたなら予定通り峠でテントだ」と、真剣に『大タワケ』を目論んでいたのである。

しかし、この雨は一過性の夕立などではなく台風による前線への刺激からのものなので、収まる訳もなく更にダダ降りとなっていった。 まぁ、これではテントを張る訳にもいかず、北沢峠バス停前の山荘へ逃げ込む。
 
タダ雨が止まずに宿泊を決めた小屋内で、取り敢えず4時からの気象通報をラジオで流し、『ナンチャッテ天気図』を書く。 気象通報の内容は、「台風4号は70%の確率で、明日正午には済州 チェジュ 島付近の海上を中心とした半径350kmの円内に達する見込みです」との事だった。
 

鹿ノ窓
この下はスラブ崖の直登だ
 

暴風雨が吹き荒れると
ちょっとヤバい稜線です
コースを変えて正解でそ? 

だが、半径350kmの最も南を通るなら・・を想定して、「稜線上の縦走は突風と雨はちとヤバい」と、甲斐駒ケ岳経由のルートをあきらめて角兵衛沢のルートを取る事に決めた。 リスクとしては雨で増水した沢を渡る危険があるが、メリットは水を担がないで済む事と引き返しが容易な事であろう。
 
そして、天候が持ち直した場合は最短ルートで、空身で行ける利点もある。 リスクを考えても、痩せ細った稜線でビバークするにも水はなく、引き返しも利かないのに比べれば、かなり利点が勝ると思えたのである。

今思えば、小屋に泊ったからこそこのような判断が下せたと思うし、結果論から言えば正解だった。
世の中、何がどのように転ぶか解らないから面白いのですねぇ。 小屋の中はツァーか何かで、食堂が一杯になる程に宿泊者がいた。 そして、そのワテを除く全てが、寝具借用の朝夕と弁当付の『山荘宿泊の王道』利用であった。
 


 

白丸で囲んだ筋状の所が
次回泳ぐ『石の海』です
 
  《2日目》 伝説の山小屋ならぬ伝説の岩小屋へ
夜明け前の2時半にガサゴソと音を立てるツアー宿泊客に起こされて寝不足だったが、4時半から行動開始である。 まぁ、「微妙に寝不足」である事も手伝って、もう完璧に甲斐駒経由の当初の計画は捨て、角兵衛沢のルートを取る事に決めていた。
 
そして、「コースタイム4:30なら、5時半に出れば10時過ぎ、遅くとも11時には“伝説の岩小屋”でテントを張って寝れるな」と踏んでいたのである。 つまり、伝説の岩小屋で寝る事で頭が一杯となっていたのである。

寝具も借りず、畳にゴロ寝だったので、シュラフを丸めてザックに押し込むと出発準備はOKとなる。
後は、街で買ってきたコンビニおにぎりを3つ食って、トイレを済ませると出発だ。
あまりテキパキとしても仕方がないので、ダラダラと準備を行って5:30過ぎに出発。

水はこれより沢に下りるので、沢を下るまでの1時間半持てばいい。 従って、1リットルもあれば充分だ。 甲斐駒を周る通常ルートならば3リットル担がねばならなかったから、この差は大きい。
でも、気のせいだろうか、寝不足のハズなのに最盛期でさえ遅かった下り道なのにタッタカと歩けて、コースタイム通りの1:20で沢まで出る。

さて、戸台川の河原に降り立って、割と粒が揃って歩きやすい河原を伝っていく。
河原を10分程歩くと今日のメインイベントで、できたら避けて通りたかったフェイズがやってくる。
沢の渡渉である。

今回は渡渉靴分の荷を軽くすべく、持ってこなかったのである。 予定では甲斐駒から鋸をめぐるつもりだったので、1~2回の渡渉の為だけにしか供さない『かさばる渡渉靴』をパスしたのであった。
なので靴を脱いで、靴下を渡渉の為に持参した穴の開いた薄ソックスに履き直し、登山靴を小脇に抱えて素足で沢を渡渉する。
 

石が全般的に尖っていて
素足だと痛そうでソ

前は何とも感じなかった素足の渡渉が、こんなに痛いとは思いもよらなかった。 
尖った石を踏みつけると、そりゃあもう痛いのなんのって。 やはり、足裏も弱くなっとるのかねぇ。 痛さに身を捩りながら膝下位の沢を渡る。 沢を渡る事で、《八丁坂》をコースタイム通りに軽快に下りきった勢いは完全に下火となり、通常なら10分もあれば行ける《鋸岳・角兵衛沢》の渡渉点までダラダラと20分かける。

《角兵衛沢》の渡渉点の手前に中ノ川乗越に至る《熊ノ穴沢》という登り口もあるが、対岸からこのルートを一目見た時点で「使えねぇ~」と断言し、「絶対に登りたくねぇ~」と確信を持てる自分がいた。
沢の前に立つ垂直の崖を、ジグザクを切って300mも上がっていくルートなんて有り得ね~し。
 
この「有り得ね~」ルートを見送ると、10分程で《角兵衛沢》の渡渉点だ。 ここで沢を渡り返すのだが、沢がデカくなってるよ。 再びソックスを履き替えて、またあの“痛い”スタイルに。
でも、一度徒渉して“痛い”のが解っている分、もう嫌々というか「やりたくねぇ~」という気持ちを120%前面に出して履き替えたので、ただ沢を渡るだけで30分かけてしまった。 やはり、沢は徒渉靴を持ってくるべきですね。
 

これから“ナンチャッテの分際で
”挑む鋸岳を『逆光・ブラック』で
【辛口】に表現してみました

さて、再び登山ソックスに履き替えて、登山靴の靴紐を締めて登高開始。 スタートはAM8:22であった。 これより700m登って伝説の岩小屋に行くが、20日ほど前に谷川を縦走した分だけ強くなっているのか、50分ノンストップで急登できたよ。 でも、50分後の9:12を境に足が止まって『近年のワテ』に逆戻り。
 

一合目の上にある角兵衛沢の岩小屋
巨大な岩の底が絞られて
岩屋になってるだけの代物

9:12に行き止まった樹林帯の中から10分程登ると、《角兵衛の岩小屋》という巨大な石(剱沢の近藤岩みたいなもんだろう)があるが、目ぼしいものといえばコレだけであろう。 後は、カラマツの葉が落ちた柔らかい地面の急登が延々と続く。

これより2日分の食料と水1リットル、そして写真を撮らねば『ガラスとプラスチックの混じった鉄の塊』4.5㎏など、23㎏を担いでこれを登っていかねばならない。 深い森の中を急登につぐ急登で2時間近く、空はいつしか、小屋の予想通りに小雨模様となっていた。

だが、登路は深い針葉樹林の森で、ほとんど雨は降りかかる事はなかった。 森が途切れて雨が身体に当たって雨が降っているのが認識できる様になると、ガレ石とドデカイ岩盤が視界に入ってくる。
これが今日の宿泊場所で、これより高校野球を6試合も聞くハメになった伝説の岩小屋・《大岩下ノ岩小屋》だ。
 

この庇の微妙なバランスが
雨の吹込みを防いでる
 
でも、不届き至極を発見。 この岩小屋は『岩の庇』といった方が正しく、テントか最低でもツエルトがないと使えないのであるが、その展場の中央にキジ撃ってるバカ者がいたのである。
雨が降ってる中、しかも台風さんがやってくるかもしれない天候の中で、より岩庇の深い方にテントを設営するのは常道だろう。 だが、そこには草に紛れてドデカいウンニョがその存在を主張していたのである。 仕方がないので掘り返して土で埋めて、その上にテントを張ったが臭いの何のって。

でも、テント設営位置としてはバッチリで、何とテントに雨が当たらず濡れないのである。
まぁ、芸術的な角度というか庇のデカさというか、大岩のハング角というか・・である。
さて、寝不足だし、予定通りというか出発時に秘めた心の命ずるままに、早速2時間位寝る。
 

テントの前は天然の岩清水
この冷たく甘い水でコーヒーを淹れると最高だろうけど
下界まで持ち下げる根性はありません

目覚めると14時前。 雨は上がって。薄日も差してきやがった。 「台風、どうしたのかしらん?」と呟きながら、余りにもヒマなので岩小屋から滴り落ちる岩清水と、周りに咲く高山植物の写真を撮る。
その岩清水が雰囲気満点で、妙に色気のある姿がファインダーに映っている。
 

台風が来る前の大岩下の岩小屋は
時折晴れ間も覗いていた
 

岩清水の周りには
ウメバチソウのような花が咲いていた
 
40枚ほど写真を撮っても、まだ3時過ぎ。 始めは全く入らなかったラジオも、空が青空になってきた途端に良好に入るようになって、飯時までゴロゴロしながら高校野球を2試合聞く。
 

岩清水の雫を浴びて光る
ツリガネシャジン
 

タカネビランジ?
鮮やかなピンクの小桜が満開だった
 
また、空が青空となって時折夏の日差しも照りつけてきたので、汗で濡れたTシャツを完全に乾かすべくテントの上に干す。 でも、これはヒットだったよ。 替えの下着を出さずに済んだから。
明日の事を考えれば、これはかなり大きい。 後はメシ食って寝ただけだが、『明日』はもっと過酷な目に遭う事をまだ知る由もない。
 

シシウドが宝石のような
輝きを示していた
 

何気に稀少な
ウスバキスミレも咲いていたし
 
    続きは次回『第85回 鋸岳 act 1』にて
 
  ※ 詳細は、メインサイトの『撮影旅行記』より『伝説の岩小屋から石の海へ』を御覧下さい。
 
 
 

関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可