2011-02-22 (Tue)✎
さて、序章での舌の根の乾かぬ内に、『私の訪ねた路線』の第1回目を記載しよう。 第1回目は、いきなりハード過ぎても困るし(何が?)、ソフト過ぎると不人気過ぎて企画倒れになっちまいそうなので、真ん中の路線でこの線おば・・。
『私の訪ねた路線』 第1回 くりはら田園鉄道線 〔宮城県〕
努力しても越えられなかった『壁』
’07年4月で廃止
《路線データ》
営業区間と営業キロ 廃止年月日 転換処置
石越~細倉マインパーク前 25.7km ’07/ 4/ 1 ミヤコー(宮交)バス
“思い出”となった
風景鉄道情景
《路線史》
細倉鉱山の鉱石運搬を主目的に、鉱山会社主導の民営鉄道(栗原軌道)として発足。 鉱山の最盛期に電化と改軌がなされ、『栗原電鉄』と名称も変更された。 また、細倉より先の湯沢までの延伸の目論みや、国鉄乗り入れによる仙台までの直通列車も存在したなど、鉱山の隆盛と共に時代を謳歌した路線でもあった。
日本の駅の原風景を
魅せていた沢辺駅
だが、1988年に細倉鉱山が閉山すると次第に経営は悪化し、貨物の取扱も廃止されて路線の存廃が取り沙汰されるようになる。 地元自治体と親会社である三菱マテリアルが協議した結果、地元自治体への譲渡がなされ、第三セクター方式で路線を維持する事が決まった経緯がある。
日本の駅100選にも選ばれた
元祖・木造駅舎の沢辺駅
また、譲渡がなされた時点で社名を『くりはら田園鉄道』と改称し、コスト削減の為に架線を撤去しての気動車化がなされた。 電化廃止に伴い架線は撤去されたが支柱は放置され、使用されなくなって車庫に放置され朽ちる事しきりの旧電車群と共に、鉄道の遺構が現存する路線として有名でもあった。
また、鉄道の良き時代を偲ぶ木造駅舎や鉄道施設、テコ式の腕木信号機など、オールドファンに人気が高い路線でもあった。
また、鉄道の良き時代を偲ぶ木造駅舎や鉄道施設、テコ式の腕木信号機など、オールドファンに人気が高い路線でもあった。
流れる雲を追いかけて
しかし、元々が鉱山と共に生きてきた鉄道線であるので鉱山閉山後の経営は振るわず、鉱山跡のテーマパーク(細倉マインパーク)の開園も利用改善の足しにはならなかったようである。
終着・折り返しまでのひととき
第三セクター転換後も存廃問題が持ち上がり、これを受けて地元自治体による利用促進の為の半額負担などの実験を行なったりもしたが利用状況は改善せず、ついに自治体の大元である県より補助金の打ち切りが発せられ、補助金の打ち切りがなされる年度末までの運営継続と以降の廃止・バス転換の方針が決定された。
昼下がりの駅業務風景
沢辺駅にて
それを受けて、2007年3月末をもって多くの鉄道ファンに惜しまれつつ廃止された路線である。
廃止の直前は、地元で安全運行上に問題アリとして議題に挙がる程に鉄道ファンがつめかけて、沿線周辺に警備員が動員されるなど騒然たる騒ぎとなった・・との事である。
廃止の直前は、地元で安全運行上に問題アリとして議題に挙がる程に鉄道ファンがつめかけて、沿線周辺に警備員が動員されるなど騒然たる騒ぎとなった・・との事である。
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No title * by 風来梨
takatakaさん、こんばんは。
御覧頂いてありがとうございます。
鉄道は今は年に数回撮りに行く程度ですが、若かりし頃は鉄道撮影がメインだったのでネタはたくさんあります。
その時に撮影したレアな路線をUPしていきますので、時折のぞいて見てくださいね。
御覧頂いてありがとうございます。
鉄道は今は年に数回撮りに行く程度ですが、若かりし頃は鉄道撮影がメインだったのでネタはたくさんあります。
その時に撮影したレアな路線をUPしていきますので、時折のぞいて見てくださいね。
先日は弊ブログにご来場いただき有難うございました。
沢辺駅、イイ雰囲気の駅ですね~写真からもそれが伝わってきます。
それにしても、電化から気動車化とは・・・初めて知りました。