風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第82回  南アルプスで最も静寂な稜線

『日本百景』 夏  第81回  南アルプスで最も静寂な稜線 〔静岡県・長野県〕
 

小河内岳とお花畑の斜面
悪沢岳にて
 
今回は、南アルプスの稜線内で最も人の往来が少なく、静寂した山旅楽しめる区間を歩いてみようと思う。 それが、この小河内岳の山域だ。 この区間は名を馳せた山がなく、長い南アルプスの稜線内でも空白区間と云われている。 また、距離が1日がかりで、しかも前回で通った荒川前岳の大ガレ地帯の通過など玄人向けの内容を示しているので、ピークハント目的の者や初心登山者はまず見かけないだろう。
それが、最も静寂たる稜線である事の要因であろう。
 

 

南アルプス中央稜線縦走・行程図 その2
 
   行程記録               駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 大井川鉄道・千頭駅よりタクシー利用(1:30)→畑薙・登山者駐車場(0:55)→椹島
《2日目》 椹島(3:00)→清水平〔水場〕(3:30)→千枚小屋
《3日目》 千枚小屋(0:45)→千枚岳(1:40)→悪沢岳(1:40)→中岳分岐
       中岳分岐より荒川前岳斜面のお花畑散策、往復1時間(2:30)→高山裏露営地
《4日目》 高山裏露営地(3:20)→小河内岳(2:20)→三伏峠
     (2:20)→鳥倉登山口よりバス(1:50)→JR・伊那大島駅
  ※ 前回『第81回 高山裏・・南アルプスの“いぶし銀”』からの続きです。
 

この長くなだらかな稜線を伝っていく
悪沢岳と中岳の鞍部にて
 
  《4日目》 小河内岳・三伏峠を経て鳥倉へ下山
目覚ましは4時に設定していたが、3時過ぎに目覚める。 まぁ、あんなに寝たんだから、早く目も覚めるわな。 今日は《鳥倉》まで下山するのだが、その行程は地図上のコースタイムで8:20と、かなりのロングランルートである。 しかも《鳥倉》のバス停には、9:20と14:20の2便しかない。
9時台の便は論外であるが、残る14時台の便に間に合うように着かねば、その日の内に帰れなくなる。

この8時間超のルートだが、かつての“足”ならばコースタイムを切る事も可能だったろうが、今は腹の脂肪が謀反を起こす『・・・』の状態なので、コースタイム通りに行けるかかなり不安だった。
なのでパンをかっ込んで、即刻テントを撤収して出発する。 時間は、まだ真っ暗闇の4:10。
 

稜線の花は早くも秋色を示していた
イワベンケイ

小屋前に立つ道標に従って、小屋左手の草付を登っていく。 すると見通しのいい高台に出て、夜も明けやらぬ下界の灯が点々と灯っているのが見える。 カンテラで周囲を照らし見ると下界の光が見える方向に踏跡が見える。 そして、その真逆の山奥へ入り込んでいく方にも踏跡がある。 
早速、ルートに行き詰ったようだ。

『安全策を取って明るくなるまで待つ』って手もあったが、時間に追われている事もあり、どちらかに決めて進む事にする。 そして、『ルートは稜線上を伝う』というのを思い出して、下界の灯とは真逆の山奥へ入り込むルートを進路に決めて登っていく。 どうやらこれは正解だったようで、遭難せずにすんだよ。

しばらく鬱蒼とした夜明け前の森の中をゆき(常人なら、結構ヒビリが入ると思うよ 風強かったし、森がざわめいていたしィ)、これを登りきると稜線上の展望の利いた所に出る。 
そこに『1k 高山裏小屋 ⇔ 三伏峠小屋 7k』の道標があり、「道は正しい」と確信した。
 

鈍重な雲の挟間に
嶺南の山なみが見えた
 
ここまで約30分程登ったのか、夜明け時が近づいて空は薄っすらと明るくなってきた。
背後に独特の二つコブを魅せる笊ヶ岳が見える。 だが、肝心の荒川三山はドス黒い雲にスッポリと覆われていて姿は見えない。 そして風は、荒天を予期させるが如く荒川三山方向へ向かって吹きすさんでいた。 たぶん、東海沖に強い低気圧でもあるのだろう。

静岡側はほとんど潅木帯
信州側は全て崩壊地だった

強い向い風が吹きつける中、信州側が崩壊斜面となった稜線を伝っていく。 中にはかなり踏跡の細い所もあり、キツい風でよろけたりしたなら“ヤバい”状況となる。 
やがて、信州側が草付となったこんもりとした山を登っていくようになる。

体力が衰えているハズなのに、この時はこの登りが有難かった。 なぜなら、崩壊斜面が草木に覆われて転落する危険がなく、また強風も凌げるからである。 この登りをつめると、板屋岳 2646メートル である。 だが、頂上を示す道標が立っているだけの質素なものだった。 まぁ、通過点程度の認識しかない所なんだけど。

とりあえず、張り詰めた気をクールダウンしよう。 只今の時間は5:10。 《高山裏》を出てからちょうど1時間ほどである。 しばらく休んで出発。 頂上を出てしばらくは樹林帯の中の穏やかな道であったが、程なく急下降となって下っていく。 そして最後は、信州側にパックリと口を開いた崩壊斜面の縁に向けて下っていく。 崩壊斜面の縁まで下ると、先に小河内岳が頭を黒雲に覆われた状態でそそり立つのが見渡せる。 そしてこれよりゆくルートが、小河内岳の頭を覆う雲の中へと続いているのが確認できる。

崩壊斜面の縁を周り込むように伝って、駿河側の樹林帯の中へと分け入る。 
樹林帯の中に入ると、途端にダラダラとした登りともつかない緩やかな道が延々と続いていく。 この樹林帯を1時間程歩いた頃に、初の対向者と対面する。
 
この方は《小河内岳避難小屋》から来たとの事で、これより(たぶん)荒天の中を荒川前岳を越えて《荒川小屋》まで行くそうである。 とりあえず、先ほど通ってきた崩壊斜面と荒川前岳の瓦礫は注意した方がいい・・とアドバイスをしてすれ違う。
 
稜線で見かけた花たち

            スンマセン・・花の名前判らない   キンバイソウ 〔千枚岳〕
               〔荒川前岳・お花畑の大斜面〕

長い樹林帯の中の緩やかな登りを1時間半程伝うと、ようやく森を抜け出して周囲が開けて岩がゴツゴツした山らしい取付に出る。 しかし、信州側は前にも増して崩壊が顕著なズル滑りの急坂である。
どうやら、小河内岳に取り付いたようである。 風はアゲインスト一辺倒から頂上から巻き下ろす風に変わり、頭上や顔面に風が吹きつけてくる。

登るにつれてルートは簡単な岩稜となり、強風を浴びながら岩稜を這い上がっていく。
視界は先程に「黒い雲に覆われていた」と目にした通り、山の頂点が全くみえない白霧の世界だった。
登るにつれて手前の岩稜が頂上の如くヌボ~っと現れるものだから、「これを登りつめれば頂上だ」という淡い期待を抱いては裏切られるという事を繰り返すハメとなる。 たぶん、6回は裏切られたんじゃないかな(これは、明らかな“逆恨み”)と思うけど。
 
遠いようで思ったより楽に着いたようで
白霧の小河内岳山頂

何度か“裏切られる”と期待をしなくなり、その境地に達した頃に本当の頂上にたどり着く。 
小河内岳 2802メートル 到着は7:20。 地図に記載されたコースタイムとほぼ同等であった。
「景色でも見えないか」と山頂に立つ角柱の道標にヘタリ込み待機するが、濃い霧で何も見えそうにもなさそうだ。 5分程で諦めて避難小屋の方へ行く事にする。 小屋へは頂上より2~3分で行ける。

《小河内岳避難小屋》は赤石岳の頂上小屋と同じく10年程前に立て直されたと聞いたが、それはもう立派なシェルター小屋となっていた。 かつては兎岳の避難小屋(この小屋はさすがに放置プレイ 立て直される事は無かったみたい)と同等の荒れ小屋だったと聞いたが、今や管理人常駐で食料一式も販売しているようである。 トイレも、科学分解機能の付いた最新式のようであった。

小屋の前で昨日の余り水にポカリを溶かして飲み、ひと息着く。 すると、霧が濃くかなり肌寒いにも拘わらず半袖Tシャツ1枚の小屋管理人と思しき方が出てきて、憩っている私や小屋で宿泊・休憩をする登山者に行き先を尋ねてまわる。 どうやら荒川三山方面は天気が崩れるようなので、そちら方面行く人には無理をしないように注意して周っているみたいだ。

まぁ、天気が荒れたら、あの瓦礫の大斜面や前岳頂上直前の崩壊地はかなり“ヤバイ”だろうから。
私は《鳥倉》に下山なのでその旨を伝えると、「今からだったら、14時のバスにオツリが来るよ」と笑っていた。 小屋の中は、これより出発する登山者でごった返しているし、小屋前では何もする事がないので時間を潰すのも限界がある。 15分程でその“限界”がきて出発してしまう。 でも、まだ8時前。
バス停での“オツリ”は確定的である。
 

稀薄な花
ウスバキスミレ

ルートは、この稜線の中での最高峰の小河内岳を越えたのだから、当然この先は下り基調となる。
前小河内岳 2784メートル と烏帽子岳 2726メートル の2つの登り返しで多少ゴチャゴチャした岩場があったが、小河内本峰に比べると大した事もなく簡単に登り返す。 
もしかして、体力復活!?
それはナイナイ。

天気も進む毎に良くなりうっすらと日が射す場面もあって、少し汗ばむ位となってきた。
それで、烏帽子岳の山頂で「塩見岳でも見えんかな~」と期待して待ったが、これは墓穴ですぐさま灰色の雲が頭上を覆ってきた。 う~ん、山の天気は変わりやすいね。 今日は、まともなのは一枚も撮れそうになさそうだねぇ。
 
稜線で見かけた花たち

ミヤマオダマキ 〔中岳のコル〕
まともなのがないから
昨日までの写真おば・・

烏帽子岳から《三伏峠小屋》が整備したハイキングコース然の歩き良い道を伝うと、高山植物養生再生柵に出る。 この柵の外側を伝って大きく周り込むと《三伏峠小屋》だ。 只今10時2分前。
少しでも時間を潰すべく、小屋前でカップメンなどを食う。 いゃあ、今の小屋は何でも売ってるねぇ。
 
《三伏峠小屋》でも思った程に時間を潰せず(喫茶店で3杯目のコ~ヒーは頼み辛いって気分)、10:20に出発。 ルートは、以前の《塩川》へのルートに取って代わって新たなメイン登路となった《鳥倉》への道だ。 豊口山を巻いていくので、『豊口ルート』と呼称されているらしい。 降りる毎に『ルート全体の9/10』などと10分率で目安が示してあり、かなり初心者を意識したルートのようである。
 
稜線で見かけた花たち

オヤマノエンドウ
〔悪沢岳直下の岩稜〕

途中で《塩川》への道を分け、多少ルンゼ状の狭い切り通しと急ごしらえの木のハシゴに手こずるが難なく通過して、僅か2時間程度で植林帯に出る。 鹿の食害を防ぐ為だろうか、木の幹にビニールテープがぐるぐる巻きにされている。 それも、植樹された全ての樹林に。 東海パルプ、恐れ入ったよ。
これを抜けると、急ごしらえの空地に野外トイレとバス停がある《鳥倉登山口》に飛び出る。 

でも、ここ・・、何もない殺風景な所だ。 只今、12:26。 これより、じっくりと“オツリ”を楽しむ事にするか。 空も「オツリを目一杯楽しめ!」というが如く、雨粒を落としてきやがった。
仕方が無いので、唯一雨を凌げる登山届を記入する記帳台の櫓の中で雨宿り。 後続で下りついた他の登山者は、雨の中をこれより2km程先の《越路》という林道ゲートまで歩いていく。 マイカー利用の定めじゃ。 たんと濡れていけ。

長い、長い、1時間半を櫓の中で過すといつしか雨も上がり、14時少し過ぎにバスがやってくる。
いつの間にか、10人程の登山者がバス停前でたむろっている。 でも、この乗客のほとんどがマイカー利用で、ちゃっかりバスの時間に降りてきて、《越路》までの2kmだけバスに乗る不届至極(あくまでもバス会社にとっては・・ですよ)な奴らだ。

ちなみに、終点の《JR伊那大島駅》まで乗車したのはワテ一人。 あんまり乗らないと廃止になるぞ、このバス路線(現在はシーズンのみの運行)。
 

この旅の締めくくりはやはりこの情景かな
赤石岳とハクサンイチゲ
 
  ※ 詳細はメインサイトの『撮影旅行記』より『南ア・最後の未踏区へ その1』をどうぞ。
 
 
 
 
 
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