風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第20回  東海道本線・三島駅

『路線の思い出』    第20回  東海道本線・三島駅 〔静岡県〕
 

世界遺産に登録された富士(笑)
でも『文化遺産登録』だし登録されたのは
山上に寄生するデキモノ(宗教施設)が
主対象だから山の魅力としては価値がないよね
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ                     輸送密度 / 営業係数(’83)  
東京~神戸・大垣~美濃赤坂                        2916  /   446
大垣~新垂井(信)~関ヶ原 608.3km
運行本数
東海道本線
熱海~沼津・静岡
下り(沼津・静岡方面) 毎時4~5本、ラッシュ時6~7本
上り(熱海・一部の列車は上野直通) 毎時3~4本    

東海道新幹線は割愛 
  
伊豆箱根鉄道・駿豆線
三島~修善寺 上下とも 毎時4~5本           
東京〜修善寺 特急【踊り子】2往復(土・休日は3往復) 

三島駅(みしまえき)は、静岡県三島市一番町にあるJR東海・JR貨物・伊豆箱根鉄道の駅である。
JR東海の東海道新幹線とJR東海・JR貨物の東海道本線、伊豆箱根鉄道の駿豆線の合計3路線が乗り入れている。

三島市の代表駅である。 JR東海の駅舎と伊豆箱根鉄道の駅舎は分離されているが、駅構内は隣接して線路はつながっている。 JR東海の南口駅舎は富士山と三嶋大社をイメージしたものになっており、中部の駅百選にも選定された。 2017年度のJR東海の1日平均乗車人員は30,859人、伊豆箱根鉄道の1日平均乗車人員は8,599人との事である。

在来線ホームは駅構内の南側にあり、その北側に新幹線ホームがある。 在来線ホームは地上にあり、新幹線ホームは高架上にある。 在来線は島式ホーム2面4線を使用する。 島式ホームの内側の2線が駅の本線であり、島式ホーム外側の2線は待避線(副本線)となっている。 また、北側の島式ホームの外側にも待避線が1本あるが、ホームはなく貨物列車の待避線として使われている。

東海道本線から伊豆箱根鉄道・駿豆線に乗り入れる特急【踊り子】は、上下列車とも1番線(南側ホーム)の函南寄りから発着する。 この1番線ホームの途中に東海道本線から駿豆線への左片開き分岐器が設置されており、建築限界を破らないようにホームの線路側端に湾状に抉られた部分がある。 この部分には黄色の回転灯が2つ設置されている。 新幹線は島式ホーム1面2線を使用しているが、詳細は割愛する。

伊豆箱根鉄道の駿豆線ホームは、頭端式ホーム2面3線を有する駅で、南側の単式ホームと北側の島式ホームがある。 島式ホームの上には売店と休憩所がある。 駿豆線に乗り入れる特急【踊り子】はJR東海側の1番線から発着する。 伊豆箱根鉄道線の駅舎はホームの東端にあり、JR三島駅南口に隣接している。 駅舎内部には駿豆線の改札口やJR線との連絡改札口が開設され、自動券売機と自動改札機が設置されている。

現在、東海道本線で運行される優等列車は、東海道本線と駿豆線を直通運転する特急【踊り子】の2往復のみである。 以前は当駅以西へ向かう特急列車も存在していたが、2007年3月のダイヤ改正で特急【東海】が廃止されて消滅した。

駅は東海道本線の丹那トンネル開削に伴う熱海~沼津間の開通に合わせて1934年12月に開業した。 
同時に、1898年より運行を開始していた駿豆線も下土狩駅からの起点を変更し乗り入れた。
この三島駅は2代目であり、長泉町にあった初代三島駅こと下土狩駅(御殿場線の沼津から2つ目の駅)と区別するため、『三島新駅』と呼ばれた。 1969年4月には東海道新幹線も開業する。

なぜ初代と現在の2代の駅が存在するかというと、1889年に東海道線が国府津駅から静岡駅まで開通した際、東海道の宿場町・三島宿として栄えた三島町に駅は開設されなかったのである。
その理由は、町の人々が鉄道建設に猛反対した為(鉄道忌避伝説)と、積極的な誘致活動を展開したが地勢の都合で鉄道を通せなかった為とも言われる。

町の住民の反対で鉄道が回避となり、人の流れから外れた三島町は寂れる。 苦境を脱する為に、1891年に隣の長泉村(長泉町の前身)に駅を開設するよう国に請願したが、これは却下された。
そんな中、東海道本線から伊豆半島中部温泉地への便を図る目的で、沼津から大仁に至る『豆相鉄道』(伊豆箱根鉄道駿豆線の前身)の計画が立てられた。

その話を聞いた三島町では土地の無償提供まで行って誘致を行い、三島町を経由して長泉村で東海道線と接続するように計画を変更させた。 これが功を奏し、東海道線が開通した9年後に豆相鉄道線の分岐駅として、ようやく現在の下土狩駅である初代三島駅が設置されたのである。

その後、丹那トンネルを開削し、勾配のきつい御殿場経由から熱海経由に東海道本線のルートを変更させようという計画が発表された。 三島町ではその話を聞くや明治時代の二の舞は起こすまいと、当初丹那トンネルの出口に当たる函南から直線ルートで沼津まで抜け、三島市街を通過せずその南を通るルートが取られる予定であったのを、当時の鉄道院総裁であった後藤新平の元へ三島町長が直接請求をするなど当初から積極的な誘致を行って市街北部を通過させる計画に変更させ、現在地に新しい三島駅を開設させた。

それに合わせて以前の三島駅を下土狩駅に改称し、豆相鉄道改めた駿豆鉄道の起点も新しい三島駅に変更された。 三島町ではようやく市街地近くに東海道本線の駅が開設された事を大いに喜び、新駅の開業日には富士山を模した駅舎の前に同じ形のアーチが組まれ、同町のみならず周辺からの人も集めて盛大な式典が催されたとの事である。



ワテにとって『三島駅』いえば、“ネトネトに濃い青き鉄”と置き換える事ができるのである。
そう、まだワテが鉄として“まとも”だった頃(要するに、“ナンチャッテ”の王道である『○鉄』に脱皮する前の事)、そう・・他の鉄の皆と同じく、『ブルートレイン』なるものを追っかけていた頃の事である。
 

三島駅の最初は小学校3年の時
(この時はさすがに付き添いがいた)
見事に変色してますね・・
もちろん、掲載目的は『客寄せ』デス
 
この頃は中学に上がるか上がらんかの頃で、よもや『STB=駅寝』を繰り返したり、山で『そ■な△』をカマしたりするようなロクでもない奴になろうとは、努々思わなかった『希望』の(多少あった)少年時代の事である。 まぁ、この先に一眼レフを持つようになってから、人生ボタンの掛け違えが始まったのだけれど・・。
 

【あさかぜ】のテール
 
筆者の家系は、筆者一族はまったくもって冴えないが、周囲は割りと裕福であった。
その親戚が伊豆に別荘をもっていたので、夏になるとよくそちらに連れて行ってもらっていたのである。 親戚には同じ年頃の子がいたが、夏休みの過し方ひとつ見比べただけで、素養の違いがまる判りであった。
 
同じ年頃の親戚の子は、夏といえばプール(別荘を管理するゲストハウスにプールがあった)や昆虫採集、避暑地での学習(←この辺が筆者とは大いに違うが、奴は真剣コレに取り組んでいたよ)と夏休みを謳歌!?していたが、筆者は子供の頃からダメっ子だったので、夏休みの宿題は休みの終わる3日前で、足りない分は誰かのノートの丸写しであった。 戦術としては、一つの教科だけを仕上げて、後は5人の仲間を募っての共同作業で宿題を仕上げる寸法である。
 
まぁ、ヨタ話はおいといて、伊豆にある別荘に連れて行ってもらった時は、まだ“青い果実”だった筆者にとっては“大チャンス”だったのである。 そう、東京発のブルートレインをゲットできるという・・。
 

【みずほ】のテール
チャンスは傍観していると逃してしまうのデス
チャンスを得るには努力しなきゃ・・
でも筆者のマネはせぬように・・
 
だが、その“チャンス”も、すんなり本願成就とはいかない。 それは、その別荘から三島駅までは結構離れていて、別荘村からはタクシーでも使わねば脱出できないのであった。 そして、金も別荘に泊まるにあたって、数千円の小遣いを渡されただけである。 要するに、このままでは“棚にあるボタ餅を眺めるだけ”になってしまうのである。 何としてでも片道のタクシー代を確保せねば、『ブルートレイン』は手の届かぬ先に逝ってしまうのである(帰りは土産買いに街に出てくる親戚に合流)。
 
その為にゲストハウスのプールにも入らず、アイスも食わず、ジュースも飲まず、ひたすら最初の小遣いを死守する。 そんなこんなで、避暑地に出向きながらも同じ歳の親戚の子が謳歌する『避暑地の夏』は、筆者には永遠に縁のないものとなってしまっていた。
 

【はやぶさ】のテール
金が足りないと【はやぶさ】は去ってしまう・・
 
それでも、金が足りない。 なので、まだ“青い果実”の筆者は究極の努力をする。
そのたゆまぬ努力の結果、今のナンチャッテ人生へのボタンの掛け違えが始まったのであるが。
それは、近鉄と東海道線の普通を乗り継いでの三島へのアプローチである。
 
別荘を持つ親戚には『名古屋にいる転校した友達に会ってから行くよ』などとホラを吹いて、夕方に三島駅で迎えに来てもらうように約束を取り付ける。 要するに、『名古屋に寄るから遅くなる』とホラを吹いて、普通の乗り継ぎで到着が夕方になる事を誤魔化しつつ、未だ年端もいかぬ年齢を利用して『遅れた上で三島まで迎えに来てもらう』という費用の二重浮かしを敢行したのである。 なお、「もう、十分アウトローの素質が備わっているじゃないか!」という御指摘は藪の中に・・。
 

【さくら】のテール
あの頃は東京からの寝台特急が全廃されるとは
夢にも思わなんだ
 
この涙ぐましい努力で、約1万円近い費用(もちろん最初に、親から新幹線代を含めての金を受け取っている)が浮くのである。 これと避暑地での倹約で、ようやく『ブルートレイン』が筆者の手に入る(撮影できる)のである。
 

昔は24時間走ってたのね
【富士】のテール
 
だが、この手法では宿泊料までは
捻出できずにいつものココで駅寝

この手法は、『青春18キップ』が発売された2~3年後は更にエスカレートして、往復の新幹線代と正規の運賃の約3万円が、『九州・宮原線めぐり』の旅費に化けたのであった。 まぁ、この頃は、さすがに『ブルートレイン』とは決別!?していたが。 それでは、そういう“たゆまぬ努力”の末に撮った『ブルートレイン』達をごろうじろ。
 

寝台特急【あさかぜ】
これはかなりカックイイね
当時の少年達の一部が熱中したのもわかるよ・・
 

5大寝台特急の中で最も影が薄かった
寝台特急【みずほ】
 

寝台特急【はやぶさ】
少し流れたか・・ 最も撮りたいと思っていた列車なのだが・・ 
ガキの頃からプレッシャーに弱かったのね
 

寝台特急【さくら】
白地にピンクの【さくら】はいい・・
 

最後にもう一丁“客寄せ”
でも、ガキの頃はコレが来るとハズレだった
EF58+20系寝台の臨時の【あさかぜ】
 
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『東海道本線』を御覧下さい。
 
 
 
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No title * by tom
こんにちは
東海道のブルトレ懐かしいです。ゴハチのあさかぜは記憶にありません(銀河かと思いました)。原型窓でgood!ですね。

宮原線が出てくるところが良い意味で風来梨さんらしいですね(残念ながら行けてません(涙))。

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

EF65-1000は、当時ブルトレの虜になった主要因でした。
当時最も精巧といわれた積水金属のNゲージで2両持ちましたし。
でも資金に折り合いが着かず、路線は畳一帖分の1周のみで打ち止めでしたが・・。

今思えば、EF58もいいですねぇ。 当時は『コレが来たらハズレ』と思っていたので、ほとんど持ちコマがありません。 残念な事をしたなぁ・・って、今頃になって思います。

宮原線については、また次の機会に・・←「一晩でも足りない~♪」程にネタがありますから・・

No title * by ボンカイおやじ
風来梨さん,こんにちは(^^♪
三島駅は、高校1年(昭和49年)私が野宿して、ブルートレインを撮りに行った所です!
北海道へ最後のSLを撮りに行った帰り、当時富士山とブルートレインが雑誌によく出ていて、
それを撮ろうと思って行きました。結果、三島駅から瀬戸の通過時間から歩き始め、やっと
さくら通過時間にポイントに着きましたが、夏で富士山なんか見えず(>_<)
辛い思い出が残りました。それ以来行ってないです。
懐かしい写真、有難う御座いました<(_ _)>

No title * by 風来梨
ボンカイおやじさん、こんにちは。
見て頂いて有難うございます。

三島~熱海の区間といえば、函南の根府川鉄橋や富士バックが有名ですね。 でも、まだ私はロケなんかできる歳じゃなかったので、当時の写真を羨ましく眺めるしかなかったですね。

駅撮りから飛び出たのは、ローカル線を撮りだしてからですね。

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No title

こんにちは
東海道のブルトレ懐かしいです。ゴハチのあさかぜは記憶にありません(銀河かと思いました)。原型窓でgood!ですね。

宮原線が出てくるところが良い意味で風来梨さんらしいですね(残念ながら行けてません(涙))。
2013-08-03 * tom [ 編集 ]

No title

tomさん、こんばんは。

EF65-1000は、当時ブルトレの虜になった主要因でした。
当時最も精巧といわれた積水金属のNゲージで2両持ちましたし。
でも資金に折り合いが着かず、路線は畳一帖分の1周のみで打ち止めでしたが・・。

今思えば、EF58もいいですねぇ。 当時は『コレが来たらハズレ』と思っていたので、ほとんど持ちコマがありません。 残念な事をしたなぁ・・って、今頃になって思います。

宮原線については、また次の機会に・・←「一晩でも足りない~♪」程にネタがありますから・・
2013-08-03 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

風来梨さん,こんにちは(^^♪
三島駅は、高校1年(昭和49年)私が野宿して、ブルートレインを撮りに行った所です!
北海道へ最後のSLを撮りに行った帰り、当時富士山とブルートレインが雑誌によく出ていて、
それを撮ろうと思って行きました。結果、三島駅から瀬戸の通過時間から歩き始め、やっと
さくら通過時間にポイントに着きましたが、夏で富士山なんか見えず(>_<)
辛い思い出が残りました。それ以来行ってないです。
懐かしい写真、有難う御座いました<(_ _)>
2013-09-03 * ボンカイおやじ [ 編集 ]

No title

ボンカイおやじさん、こんにちは。
見て頂いて有難うございます。

三島~熱海の区間といえば、函南の根府川鉄橋や富士バックが有名ですね。 でも、まだ私はロケなんかできる歳じゃなかったので、当時の写真を羨ましく眺めるしかなかったですね。

駅撮りから飛び出たのは、ローカル線を撮りだしてからですね。
2013-09-07 * 風来梨 [ 編集 ]