風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 1~50 >  路線の思い出   第19回  日中線・熱塩駅

路線の思い出   第19回  日中線・熱塩駅

路線の思い出   第19回  日中線・熱塩駅 〔福島県〕
 

お色直しを受けて再びモダンな
洋風トンガリ屋根の駅舎となった
熱塩駅跡の日中線記念館
 
《路線データ》
  営業区間と営業キロ     輸送密度(’79) / 営業係数(’83)    廃止年月日  
 喜多方~熱塩 11.6km          167  /  1606         ’84/ 4/ 1
         転換処置             廃止時運行本数
      会津乗合自動車バス              3往復
 
熱塩駅(あつしおえき)は、かつて福島県耶麻郡熱塩加納村(現喜多方市熱塩加納町)にあった国鉄・日中線の駅である。 日中線の廃線に伴い、1984年4月1日に駅廃止となった。 駅舎は、日中線記念館として保存されている。

単式ホーム1面1線の駅で、廃止まで全列車が機関車が客車を牽引する形で運行された為に、機回し線を1線有していた。 また、貨物扱い時代の名残として、喜多方側に側線1本を有した。末期は無人駅であった為に、ポイント操作は機関車を誘導する役目で添乗していた乗務員が兼務していた。

駅舎が欧風で人気があったが、末期は荒廃してさながら幽霊屋敷のようであった。 日中線記念館として整備された後の2009年に、経済産業省の「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」の一つとして近代化産業遺産に認定されている。

操業時の駅舎の中央部分は、見た目通りの二階建てであった。 しかし内部に階段はなく、別途はしごを使用して専用の出入り口から直接出入りがされ、物置などのような使われ方をしていたようである。
日中線記念館として整備された際に二階の出入り扉は埋められて、現在は天井の高い一階建てとなっている。 扉の位置は駅正面からすぐ左上に見える塗りつぶされたような位置ではなく、反対側にあった。
かつて使われたはしごは駐輪場の屋根裏に残されている。

野辺沢川寄りには転車台の設備が遺構として現存している。転車台は複数人による人力での可動式であり、下部は水槽状になっており、浮力を利用して転車に必要な力が軽減されるように設計されていた。
開業当初は使用されていたが、すでに開戦されていた日中戦争のために職員や村民も兵役に駆り出され、人員不足となって使用不可能に陥り、以後は廃線まで再度使用されることは無かった。

橋桁および転車台に繋がっていた機回し線は撤去され、機回し線は本線に隣接するように敷設し直された。 役目を終えた後は水槽部分を利用して、時節によって池や花壇として使われる事がある。

現役当時は、駅舎が大変荒廃していたが、廃止から3年後の1987年に整備され「日中線記念館」として日中線に関する資料等を展示している。 また構内の線路は撤去されたが、キ287と旧型客車のオハフ61が保存されている。



今回取り上げる日中線であるが、往時の思い出は皆無である。 なぜならこの路線は、『日中に列車が走らない日中線』と揶揄される程に、運行本数が少ない事で『全国区』に有名な路線であるからだ。
 
この路線に乗ったのは、まだ高校生の頃。 それは、車はおろか『原チャリでなんぼ』程度の歳だったのである。 要するに、列車に乗ってくる以外にこの路線を訪れる手段がなかったのである。
そんな状況で『日中は走らない』日中線を撮るのは不可能で、この路線に関しては“ただ乗っただけ”以外に成す術がなかったのである。
 
なぜなら、この日中線と同じく3往復の路線はいくつかあったが、北海道の白糠線は夜行列車が始発列車に接続していたし、九州の宮原線は温暖の地で駅寝が可能であった。 だが、この日中線は始発に接続する夜行列車はなく、始発に乗車するなら喜多方の町で宿泊する以外になく、高校に上がったばかりの小僧にそんな金はなかったし、まだまだ若く!?野宿経験も日が浅かったし、それに加えて野宿する駅が付近に見当たらなかったのである。
 
そういう訳で、この日中線は“立ち寄っただけ”のシュチエーションで2番列車の夕方16時台に定めて、熱塩駅乗る以外に方法がなかったのである。 そして終点の熱塩も、ホーム上で機関車付替の10分ほどの時間をたたずんだだけに終わってしまった。
 

あの時撮れなかった『アリバイ写真』が
今は撮り放題
 
駅に着いた鉄(もちろん、ナンチャッテ○鉄も含む)ならば必ず撮るアリバイ写真も、他の鉄が殺到して10分では撮る事ができず撮り損ねてしまったし、往時の熱塩駅舎も人がアングルに入る事を黒点と称して嫌う自分がいたので、これも撮れず終い。 列車の写真も他の鉄に邪魔扱いされて引いてしまったので撮れず・・で、本当に“乗っただけ”に終わってしまったのである。
 

路線往時は“幽霊屋敷”の如く荒廃していたが
今はこの通り
 
だが、路線が廃止されて、熱塩駅が“お色直し”されて記念館となってからは、近くに東北の山々がある事から立ち寄る機会が増えたのである。 鉄道から山岳にシフトを変えてからは、この熱塩駅の位置した付近は温泉アリ~の、コインランドリーアリ~の・・、ホカ弁アリ~の『三種の神器』が備わっていて、喜多方や会津若松に程近くて買出しにも便利だし、また米沢に抜ける重要な道筋でもあったのだ。
 
米沢は飯豊山域から朝日連峰山域へと抜ける中継地点で、放浪中は『マイ主要国道』となり、喜多方や米沢の買出しスーパーの位置や使える『道の駅』、そして先程述べた『三種の神器』のチェックをしまくっていた。 お陰で、何かと放浪生活は充実していたよ。
 
さて、ヨタ話はこの辺で終わりにして、ある夏に訪ねた“お色直し”を受けた熱塩駅を見てみよう。
熱塩駅跡の『日中線記念館』は、普段は施錠されている事が多く、中に入れたのは極々最近(実を言うと去年)である。 それまでは路線往時と同じく“立ち寄っただけ~”だったりして・・。
 
中はSL往時の写真やグッズが掲げられてあり、フリーハンドで『愛の始発駅・熱塩駅』とか印刷されていた温泉割引券(近くの市営クアハウス)がおいてあった。 温泉割引券なので無料っぽいのだが、気が引けたのでクアハウスの割引分を落として一枚拝借(でも、紛失してしまった)。
 

線路が撤去されて芝生となった憩いの場に立ち
今の山の思いとかつての路線の在りし時を偲ぶ
 
駅のホーム面は線路が撤去されてキャンプ場のように芝が張られ、ちょっとした憩い公園となっている。
駅の端にはラッセル車と旧客が静態保存されているが、施錠されていたようなので車内は見ていない。
また、SL時代に使っていたターンテーブルは花壇となっているようだ。
 
この付近を旅する時は、必ずこの駅跡の記念館に立ち寄る事にしている。 駅跡の芝生の上に立って山での思い出を思い返し、そしてかつてあった路線の在りし時を偲ぶ。 訪ねれはいつもそんな夢想空間が流れているのが、この熱塩駅跡なのである。
 
 
  ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『日中線』を御覧下さい。
 
 
 
 
関連記事
スポンサーサイト



No title * by kei
風来梨さん、こんにちは。旧日中線の両側には桜が植えられ、桜並木のサイクリングロードとなったようです。私もここに立ち寄ったことがありました。懐かしい写真にナイス!!!

No title * by 風来梨
keiさん、こんにちは。
お返事が遅れてスミマセン。

この路線も、廃止になってから人が訪れるようになった路線ですね。
かつては、路線名とは間逆に『日中は使えない』路線でしたが。

今は国道121号が高速並みに整備されたバイパス道となり、かつて大峠を越える事ができずに、それが日中線の根幹となる野岩羽線構想につながっていたのが夢幻のようです。 今は熱塩駅前を通った国道121号は県道に格下げされてますしね。 廃止されてお色直しされた熱塩駅の姿とともに、時の流れの無常さを感じます。

トラックバックありがとうございます。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

風来梨さん、こんにちは。旧日中線の両側には桜が植えられ、桜並木のサイクリングロードとなったようです。私もここに立ち寄ったことがありました。懐かしい写真にナイス!!!
2013-07-30 * kei [ 編集 ]

No title

keiさん、こんにちは。
お返事が遅れてスミマセン。

この路線も、廃止になってから人が訪れるようになった路線ですね。
かつては、路線名とは間逆に『日中は使えない』路線でしたが。

今は国道121号が高速並みに整備されたバイパス道となり、かつて大峠を越える事ができずに、それが日中線の根幹となる野岩羽線構想につながっていたのが夢幻のようです。 今は熱塩駅前を通った国道121号は県道に格下げされてますしね。 廃止されてお色直しされた熱塩駅の姿とともに、時の流れの無常さを感じます。

トラックバックありがとうございます。
2013-08-03 * 風来梨 [ 編集 ]