2013-07-07 (Sun)✎
路線の思い出 第16回 深名線・鷹泊駅 〔北海道〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
深川~名寄 121.8km 168 / 3157
廃止年月日 転換処置
’95/ 9/ 4 名士バス
廃止時運行本数
深川~名寄 1往復(車両は直通・列車番号は朱鞠内で変わる)
深川~朱鞠内 下り3本・上り2本
深川~幌加内 下り1本・上り2本
朱鞠内~名寄 2往復
鷹泊駅(たかどまりえき)は、北海道(空知支庁)深川市多度志町字鷹泊にあったJR北海道・深名線の駅である。 深名線の廃線に伴い、1995年9月4日に廃駅となった。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。 駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接していた。 駅舎は昔ながらの古びた木造で、入口の上には「たかどまり」と記載された大きな駅銘板が設置されていた。
1992年度の1日乗降客数は50人との事。
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する駅であった。 ホームは線路の西側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。その他、本線の名寄方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線有していた。 かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)の複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であり、ここを終着とする深川からの区間列車も運転されていた。 互いのホームは、駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡していた。
駅舎側が下りの1番線、対向側が上りの2番線となっていた。 また島式ホームの外側1線が側線として残っていた。 この側線からは名寄方に伸びる行き止まりの短い側線を1線有した。 交換設備運用廃止後は側線を含めた全ての線路が撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた。
駅名の由来は当駅の所在する地名からであるが、その地名は市街地の少し下流の対岸に巨岩(現在の鷹泊岩)があり、その岩の上に鷹がよくとまっていた事からとされるが、アイヌ語の「チカㇷ゚オッ(chikap-ot:鳥・多くいる)」に由来するという説もあり、詳細不明である。
駅廃止となって久しい現在も駅舎・ホーム・別棟のトイレが残存しているが、駅舎は窓や扉の開口部は板で打ち付けられて塞がれている。 トイレの劣化は激しく、傾いて倒壊しかけている。
その後の駅舎は、倉庫として再利用されているようである。
さて今回は、序盤戦随一の『大物』路線を語ろうか。 ここで「何が大物?」などと、筆者を困らせる問いを投げかけるのはナシにしよう。 だが、この『大物』路線も、夏はネタが貧相である。
なぜなら訪れた夏は、鉄道を追っかけまわしていた少年期の“濃い”(これも、何が“濃い”のか問わぬように)出来事や体験はなく、『ナンチャッテ登山』にシフトを移してからの“やる気のない”出来事しかないからである。
今回書き記す“思い出”は、我が『ナンチャッテ登山』史上で最も輝いていた最盛期の頃の事である。
深名線を訪れたあの時の夏であるが、前日まで『ナンチャッテ登山』活動をしていたのである。
しかも、日本の山域で最もハードといわれる日高を登り終えた後であった。 そして、その次の予定(まぁ、旅自体は放浪なのだが・・)では、大雪の完全縦走を目論んでいたのである。
この頃は『○鉄』よりコチラに夢中でした
高根ヶ原とトムラウシの朝景
普通なら「そのような旅で、なぜに鉄道?」となるだろうし、日高から大雪への移動に深名線の地域は全く関係ないが、当時も『○鉄(鉄道知識が少なくやる気のない鉄)』だった筆者には、山域から山域への移動の際に深名線に立ち寄る目的があったのである。 その理由は『快適な野宿のできる設備を備えた素晴らしい無人駅』が、深名線の駅にあったからである。 それは鷹泊駅である。 この駅には、何と『ベット』があったのである。
たぶん、本来は何らかの展示品の陳列台なのだろうが、シュラフを広げても余りある大きな台で、台の表面は絨毯モケット貼で肌触りもよく、しかもかつての『利用者』の残留品なのだろうか・・、枕まで用意されていたのである。 も一つオマケをつければ、これは前利用者でないかもしれないが、マンガ本まで用意されていたのである。
この時の『○鉄』は
“適撮り”モードだった
この鷹泊駅は、かつて鉄道を追っていた少年時代から『駅寝をするのに快適な駅』として注目しており(筆者は一般の人と注目する観点が大いに異なります・・念の為)、その時も何も置かれていない陳列台があって、「これが『ベット』として使えるな」という想定までしていたのである。
そして、約10年近くの歳月を経て、かつて思いめぐらした『想定』を実行する時が訪れたのである。
その期待を込めた鷹泊駅であるが、思いを抱いてから10年を経たこの時も、あの『ベット』はしっかりと存在していたのだ。 しかも前に述べたように、枕とマンガ付で・・。 この時の筆者の感動は、言葉に表現できない位のモノだった。
そして、廃止が押し迫った年の夏(今回、深名線を訪れたもう一つの目的は、廃止前って事もあった)で、廃止直前の路線の途中駅で、廃止まで2ヶ月近くある中途半端な夏の夜に乗降客は皆無で、廃止訪問の連中も「列車が動いている時間で何ぼ」だから、これも皆無だ。 まどろっこしく記したが、要するに快適で静かな一夜が約束されたのである。
旅に出ながら『ベットの上に寝転がってマンガを読む』という、家での怠惰な暮らしと変わらぬシュチュエーションが展開できたのである。 夜も更けて11時半頃になると、自動的に消灯されて快適な睡眠時間を取る事が適ったよ。
そして快適な朝は、一番列車が始発駅の深川駅に入線すると思われる5時過ぎに照明が点灯するという『モーニングコール』から始まる。 この日は、「山旅に出かけた『山ノボラー』なら、こういう日和は山でしょ」という位の好天で、高原地帯にさしかかる鷹泊の周辺も、爽やか過ぎる朝の情景が広がっていた。
爽やかな朝だったけど
適撮りが過ぎて爽やかさ半減のデキ
山と違って、駅前には清涼飲料の自販機もあるので朝食も楽だ。 軽く朝食を済ませた後は後片付けだが、駅寝(しかも車でやってくるアウトロー)なので荷物をバラす必要もなく、シュラフをたたんで車に放り込むだけで出発準備完了だ。
出発準備が整ったなら、久しぶりに『○鉄』に戻ろうか。 6時過ぎに来る始発と、幌加内で交換した反対列車の撮影ができる。 だが、寝起きで・・しかも、寝起きの怠惰からあまり動き回りたくなく、こんなに清々しい好天なのにロケハンを全くせずに、駅の周囲で適当に撮ってしまったよ。 でも、こんな『ナンチャッテ撮り』でも展示出来る位に撮れたのは、やはり深名線の抱く情景が素晴らしいからだろう。
最高の宿で迎えた最高の朝
(・・の撮り鉄)
これに味をしめたタワケ(筆者)は、この次の山行である『大雪完全縦走』の後である6日後も、わざわざ鷹泊に泊まりにくる。 ちなみに、この後は前述の通りに層雲峡~十勝岳温泉の『大雪完全縦走』をするのだが、車でのアプローチで大雪を縦走すると、登山口と下山先がかなり離れているので下山の後に車の回収が必要となるのである。
今回は先に下山先の十勝岳温泉に車を置き、上富良野から列車に乗って上川までゆき、そこからバスで層雲峡まで出で、ロープウェイとリフト(これを率先して使うのがナンチャッテたる所以である)で《黒岳七合目》までゆき、歩く事1時間で黒岳のキャンプ場に向かうのである。 こうすれば、宿泊費は1週間でテント代2泊分の1000円で済む。 また、下山後に車が回収できて容易だ。
可憐に咲くチングルマの花
話は一旦元に戻るが、何故に大雪の方向と違う深名線の鷹泊に立ち寄ったか・・というと、この事が一番の理由だったのである。 要するに、アテも計画もその場凌ぎの放浪旅ゆえに宿に泊まる・・なんて事は想定しておらず(温泉旅館の建ち並ぶ十勝岳温泉や層雲峡の駐車場でテントを張るほど、筆者には度胸はない)、また車を置いた上富良野付近の富良野線の無人駅も、駅寝をするには不都合な駅が多く回避した為である。
そこで、『廃線めぐり』という『○鉄』の嗜好共々に『快適な駅寝のできる駅』に適合するのが、この鷹泊って訳である。 また、あまりにも近すぎるとアプローチ日がヒマなので、朝に深名線を撮って向かう位がちょうど良かったのである。
まぁ、常人では想定できぬような思考が、タワケの頭の中には渦巻いているのである。
少しだけ褒め言葉を述べると、このタワケ(筆者)は何も考えてないようで、(目クソ程には)考えているようであるって事だろう。
見えるあの果ての山まで縦走するのでした
トムラウシ頂上より
そして、大雪の完全縦走を終えて、作戦!?通りに十勝岳温泉の駐車場に置いてあった車を回収して、向かうは快適な駅寝が約束された鷹泊への再訪である。 もちろん周知の如く、駅訪問や廃線訪問ではなく『宿泊』しに・・である。
この日は天気はグズつき模様であったが、快適な駅寝はしっかり堪能できた。 雨漏りとかない分、ウチの家(一部であるよ・・雨漏り)より快適だったりして。 違うのは、翌朝の行動である『ナンチャッテ撮り鉄』だけだ。 同じ所で撮るのも何なので、沼牛や政和へと車を走らせながら適撮りする事にした。
2回戦では駅で撮ったコレだけがマトモ
やはり素材がいいからですネ
でも、天候が今イチなのに加えて、あまりにも『ナンチャッテ適撮り』が過ぎて写真に魂が入らなかったようである。 それはもう、散々なデキで・・。 真剣に鉄道撮影に賭けている本撮り鉄さんが筆者の行動を目にしたなら、後ろからケツを蹴り上げたくなるようなテイタラクである。
『あ~あ・・』っていうデキですね
深名線のラストを飾る撮影がコレではね・・
まぁ、深名線撮影の本格!?的な思い出は、やはり鉄道を追っかけていた少年時の冬・・なので、それを語る機会は、また冬の日のいずれに・・。
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No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。
見て頂いて有難うございます。
その4枚目ですが今にして思うと、もうちょっとしっかり撮っておけばなぁ・・と思います。 でも、カメラを構える位置からは全方位逆光(正面完全逆光、前後面は半逆光より厳し目の逆光)なので、クスむのは仕方ないか・・。
何にせよ、鉄道を追い掛け回してた時より確実にヘタになってましたね。 3枚目は、たぶん幻の駅・雨煙別付近の雨竜川ではないかと思います。 確か、廃駅になった雨煙別の駅舎跡を撮りに向かったら、駅舎は撤去(事実は雪の重みで倒壊したらしい)されていてガッカリした後の写真だったかと・・。
廃線関係は、なくなってからいつも「あの時撮っておけばなぁ」という思いが募るモノですね。
見て頂いて有難うございます。
その4枚目ですが今にして思うと、もうちょっとしっかり撮っておけばなぁ・・と思います。 でも、カメラを構える位置からは全方位逆光(正面完全逆光、前後面は半逆光より厳し目の逆光)なので、クスむのは仕方ないか・・。
何にせよ、鉄道を追い掛け回してた時より確実にヘタになってましたね。 3枚目は、たぶん幻の駅・雨煙別付近の雨竜川ではないかと思います。 確か、廃駅になった雨煙別の駅舎跡を撮りに向かったら、駅舎は撤去(事実は雪の重みで倒壊したらしい)されていてガッカリした後の写真だったかと・・。
廃線関係は、なくなってからいつも「あの時撮っておけばなぁ」という思いが募るモノですね。
No title * by tom
雨煙別は廃線前に廃止になっていたんですね。小生は夏に雨煙別で降りて政和まで歩いたことありますよ。そのうち発掘してアップしましょう。
No title * by タケちゃん
こんにちは。
深名線廃止の際には、添牛内から霧立峠を越えた日本海側の町に勤務しておりました・・・・何度も深名線に沿って仕事で旭川まで出ているのに、写真は皆無なんです。残念でなりません。
まさに後悔先に云々です。
当時見ていた懐かしい風景をカラーで拝見できまして、感無量です。
素晴らしい自称「たわけ」じゃないですか!
深名線廃止の際には、添牛内から霧立峠を越えた日本海側の町に勤務しておりました・・・・何度も深名線に沿って仕事で旭川まで出ているのに、写真は皆無なんです。残念でなりません。
まさに後悔先に云々です。
当時見ていた懐かしい風景をカラーで拝見できまして、感無量です。
素晴らしい自称「たわけ」じゃないですか!
No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。
お返事が遅れてスミマセン。
雨煙別に降りた事がある・・とは羨ましい限りです。
私は政和温泉(仮)は降りた事がありますが、これは雨竜川第三橋梁が近いから降りただけで、政和温泉(仮)の重要性を全く把握しておらず、ホーム写真の一枚も撮らず・・という失態をかましています。
この失態は、駅舎のあった頃の宗谷本線の智東でもしでかしてます。
雨煙別は、一度駅寝・・もとい、降りてみたかったですね。
お返事が遅れてスミマセン。
雨煙別に降りた事がある・・とは羨ましい限りです。
私は政和温泉(仮)は降りた事がありますが、これは雨竜川第三橋梁が近いから降りただけで、政和温泉(仮)の重要性を全く把握しておらず、ホーム写真の一枚も撮らず・・という失態をかましています。
この失態は、駅舎のあった頃の宗谷本線の智東でもしでかしてます。
雨煙別は、一度駅寝・・もとい、降りてみたかったですね。
No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。
お返事が遅れてすみません。
ある時はさほど重要とは思わず、無くなってから悔しい思いをするのは、廃線に虜になって以来多々ありますね。
私もtomさんの返信で挙げた例はほんの一部で、探せは両手どころか一晩でも足りない~♪(by ばんばひろふみ SACHIKO)って位にありますよ。
でも、こうして語れるような、いくらかの貴重な思い出が残せたのは幸運この上ない事だとも思います。
お返事が遅れてすみません。
ある時はさほど重要とは思わず、無くなってから悔しい思いをするのは、廃線に虜になって以来多々ありますね。
私もtomさんの返信で挙げた例はほんの一部で、探せは両手どころか一晩でも足りない~♪(by ばんばひろふみ SACHIKO)って位にありますよ。
でも、こうして語れるような、いくらかの貴重な思い出が残せたのは幸運この上ない事だとも思います。
興味深く拝読させていただきました。
4枚目がいいですね。3枚目の鉄橋も気になります。