風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第11回  広尾線・広尾駅

路線の思い出   第11回  広尾線・広尾駅 〔北海道〕
 

今回取り上げるのは
この先の未成線の終点です
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ         輸送密度 / 営業係数(’83)
    帯広~広尾 84.0km          780  /    851
 
      廃止年月日       転換処置      廃止時運行本数
       ’87/ 2/ 2         十勝バス             6往復

広尾駅(ひろおえき)は、かつて北海道(十勝支庁)広尾郡広尾町丸山通り北2丁目に存在した国鉄・広尾線の駅である。 帯広駅から十勝平野を南下し、当時はこの地方唯一の港であった十勝港を結ぶために敷設された長大盲腸線の終端駅であった。 更に計画では、当駅より襟裳岬経由で、現在日高本線の終着駅となっている様似駅まで延伸される予定であった。

駅名は当駅が所在した地名からで、地名はアイヌ語の「ピロロ」(陰になったところ)、「ピ・オロ」(石があるところ)、「ピルイ・ペツ」(砥石の川)、「ピラ・オロ」(崖のところ)など、由来には諸説ある。 1981年の1日当たりの乗降客数は234人との事。 一時期は最長片道切符の起終点だった。
宮脇俊三の著書『最長片道切符の旅』では、始発駅として登場している。

廃止時点で1面1線の単式ホームを有する駅で、広尾線の終端駅であった。 ホームは、線路の南東側(帯広方面に向かって右手側)に存在した。 旅客列車の発着に使用する駅舎側の1番線(上下本線)の北側に、ホームを有さない2~4番線を有していた。 4番線の北側に水槽及び転車台を有し、終端部分が車庫2線となっていた側線が分岐していた。

1~4番線は南西側で収束し、その延長上は入換線となっていた。 さらにその途中から分岐する積卸線と、木材線を1線ずつ有していた。 また、1番線のホーム端部分から駅舎側に戻る形で、分岐し駅舎南東側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた。

r11.jpg
現役時の広尾駅舎
中途半端なアングルで撮ってたみたい

職員配置駅で、駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。 駅舎は開業時からの駅舎で、1977年に改築した船底形の鉄骨ヘーベンライト仕上げでモダンな構造の建物であった。
たが、残念な事に旧駅舎は2018年6月に雨漏りがするなど著しく老朽化した為に解体されたようである。

廃駅後は広尾町が駅舎の払い下げを受け、1987年7月に「広尾町鉄道記念館」としてリニューアルされた。 旧駅舎内には展示スペースが設置され、当時使用していた閉塞器、通標、保線用具、備品、時刻表、駅スタンプ、写真パネル、沿線模型などが保存・展示されていた。 駅スタンプは、さよなら列車運転記念のスタンプが10種類設置されている。 2011年時点で改札柵も残存し、旧ホーム側は転轍てこや駅の銘板も残存している。 但しレールは撤去され、駐車場になっていた。

この駅舎は、十勝バスとジェイ・アール北海道バスが乗り入れるバスターミナルにもなっていた。 出札窓口は十勝バス広尾案内所として活用されており、廃止転換バスである同社広尾線の硬券乗車券の購入も可能であった。 ジェイ・アール北海道バスの停留所は、日勝線は「広尾」、都市間バスは「広尾駅」を名乗っている。

以前はJR北海道日高本線との連絡運輸も行っていた事から、いわゆる自動車駅として存続しているが、ジェイ・アール北海道バスの乗車券は取り扱っていない。 国鉄時代に廃止され、旧駅舎がバス待合所として活用されている例は、北海道内では当駅と北檜山駅の2例のみである。

駅構内跡地は「鉄道記念公園」として整備され、一角にはC11形蒸気機関車C11 176号機の動輪が保存・展示されている。 またパークゴルフの施設が作られている。 廃止直後は駅舎裏に、キハ22形気動車キハ22 134や旧形客車・緩急車・貨車などが保存されていたが、状態悪化に伴い解体・撤去されている。



今回取り上げる広尾線の思い出であるが、路線の在りし時代は文として書き記す程の思い出は無いのである。 まぁ、他の廃止狙いの訪問者と同じく『乗っただけ』であり、そしてメディアに釣られた旅行者と同じく、《愛国駅》・《幸福駅》の縁起切符を買って、それに起因するスタンプを押しただけ・・である。
 

この地に訪れた者の“定番”ですな・・
 

観光地として最大限煽っていますね・・
 
何故、この路線には執着できなかったか・・というと、それは帯広から反対側に延びる士幌線が(筆者にとっては)“美味し”過ぎた為である。 云うなれば、帯広に降り立っての向かう先は士幌線の糠平や大雪の裾野の大平原であり、広尾線に使うべき時を全てこちらにまわしてしまったのである。
まぁ、これも『後悔・・後絶たず』の一例だが、当時小僧の私に全てをめぐる時間も費用もないので、仕方がないといえばそうだろうと思う。
 
なら、何故に思い出の欠片もないこの路線を取り上げたのかというと、広尾から先の襟裳岬までの未成線が印象に残ったためである。 あり丁寧に言うと、広尾線の延伸先である襟裳岬の情景が心に残っているからである。 まぁ、『路線の思い出』としてはかなり苦しいが、“何でもアリ”の“ナンチャッテ”で自分に優しい筆者なら『あり』となるのである。
 

広尾線と全く関係はないかもしれないけれど・・
広尾線で思いついたのは襟裳岬であった
 
その取り上げる襟裳岬であるが、経路である《黄金道路》とかそんなのはあまり印象にない。
なぜなら、私にとっての《襟裳岬》は、「日高山脈の海に落ちゆく涯ての地」としての立ち位置にあるからだ。
 

「襟裳の春は、何も無い春です・・」
心に染入る詩歌だ・・
 
それは、私が今までに数度となく日高山脈の峰を踏んだ体験から基づくのである。
私にとっては、「あの未開の山域の涯て・・」が襟裳岬なのである。 山に関する広尾線区間との絡みは、また別の機会に語る(これも廃止後の絡み・・という、『路線の思い出』からの逸脱必定の内容となりそうだが・・)として、今回は《襟裳岬》の事を記そうと思う。
 

「あの未開の山域の涯て・・」
襟裳岬
 
私が襟裳岬に訪れたのは、我が人生(・・というほど大した人生じゃないけど、お笑い人生であるのは確かである)最大の“オチャメ”の後に訪れたのである。 このオチャメについては、『名峰百選』や『名峰次選』など、消えかけのローソクの灯火のようなほのかな人気のある“山シリーズ”の後釜に予定している『よも山ばなし』(仮称)という企画で語るとして、ここでは語らない事にしよう。
 
我が人生最大の“オチャメ”の後に訪れたのだから・・、それもこの“オチャメ”が日高山脈の山での出来事だったから、「日高山脈の海に落ちゆく涯ての地」という、先程に述べた襟裳岬の印象が心の中で増幅されたのである。
 

どこまでも広がる澄んだ空に癒された
 
我がギャグ人生最大の“オチャメ”の後で興奮冷めやらぬ直後に訪れた襟裳岬は、どこまでも広く澄んだ空からは想像できぬ程に風が強く吹いていた。 ともすれば、車が煽られる程の・・。
また、私が訪れた夕刻は観光客のほぼ全てが引き払い、運良く“オチャメ”で興奮した心身をクールダウンできるが如くの情景が広がっていたのだ。
 
そう・・、煽るような厳しい風が吹きつけるなど涯て地の哀愁が漂っているが、なぜか心地良く優しく癒される感覚を覚える情景が広がっていたのである。 始めは「所詮、人だかりの観光地」の印象を抱いていて、この地は立ち寄るだけに思っていたが、その心地よさに1泊車の中で泊まろう・・と思うようになった。
 
こうして、たぶん(・・というより願望かな)であるが、広尾線の本当の終着駅である襟裳岬駅予定地となったであろう駐車場に車を止めて一泊したのである。 岬よりの強い風が激しく揺らす狭いハコ(車)の中で。 それでは、その時に魅せられた情景をごろうじろ。
 

海際に咲く花がちぎれんばかりに吹く強風が
岩礁に波の花を呼び起こし・・
 

海の難所を見護ってきたモノ・・
 

私の興奮し心身を癒してくれた情景
 
 
      ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『広尾線』を御覧下さい。
 
 
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No title * by tom
こんばんは
士幌線が気になって広尾線に執着しなかったのは小生も同様です。昭和60年前後に3度北海道を訪れていますが、みすみす乗らずに廃線になってしまった、という具合です。

襟裳岬も良いですが、この辺に来ると気になるのは日高の山々です。小生は全く未踏ですが、貴殿はカムエクも幌尻も登られているのですね。うらやましい限りです。来世生まれ変わったら、ぜひ登りたいですね。

No title * by 風来梨
tomさん、こんばんは。

私も日高の山々が気になりますね。 中札内から道道を上札内へて、ピョウタンの滝まで行くと日高の山岳センターがあり、その先6kmに札内ヒュッテがあります。 ここが登山の出発点ですね。

この道道は建設が凍結されて久しい道道101号静内~上札内線で、今も七ノ沢ではトンネルが工事途中で放棄されてます。

鉄道ではちょっと遠過ぎて、あったとしても山での利用は難しいかったですね。 でも、機会があれば、広尾線・中札内駅で『路線の思い出』を記そうと思います。

No title * by タケちゃん
こんばんは。
広尾線の終着駅が、襟裳岬だったとしたら・・・・日高本線も頑張って様似から線路を延ばしてきたんでょうかね?

そうっなていたとしたら・・・・道内路線図は、現存のものと多少は変わっていたんでしょうか。
観光路線としては限りなく魅力的ですよね・・・・札幌を出て苫小牧・鵡川・静内・浦河・様似、そして広尾、大樹、中札内等ととビールを買い続け、ヘベレケになって帯広に到着・・・・帰りは逆で・・・・う~ん、夢のような列車だ。定期券が欲しいくらい。

No title * by 風来梨
タケちゃんさん、こんばんは。

その通り、日高本線とつなぐ計画は挙がっていたようです。
でも、計画が壮大過ぎましたね。 いくら鉄建公団が無敵の葵の御門を持っていた時期でも、全通はしんどかったと思います。
何せ、途中には年中全てで工事区間がある『黄金道路』の区間ですから。

でも全通したら、札幌から札幌の循環急行【えりも】(左回り)と【ひだか】(右回り)がグリーン車付で走っていた・・と空想をめぐらせます。

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No title

こんばんは
士幌線が気になって広尾線に執着しなかったのは小生も同様です。昭和60年前後に3度北海道を訪れていますが、みすみす乗らずに廃線になってしまった、という具合です。

襟裳岬も良いですが、この辺に来ると気になるのは日高の山々です。小生は全く未踏ですが、貴殿はカムエクも幌尻も登られているのですね。うらやましい限りです。来世生まれ変わったら、ぜひ登りたいですね。
2013-06-01 * tom [ 編集 ]

No title

tomさん、こんばんは。

私も日高の山々が気になりますね。 中札内から道道を上札内へて、ピョウタンの滝まで行くと日高の山岳センターがあり、その先6kmに札内ヒュッテがあります。 ここが登山の出発点ですね。

この道道は建設が凍結されて久しい道道101号静内~上札内線で、今も七ノ沢ではトンネルが工事途中で放棄されてます。

鉄道ではちょっと遠過ぎて、あったとしても山での利用は難しいかったですね。 でも、機会があれば、広尾線・中札内駅で『路線の思い出』を記そうと思います。
2013-06-01 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

こんばんは。
広尾線の終着駅が、襟裳岬だったとしたら・・・・日高本線も頑張って様似から線路を延ばしてきたんでょうかね?

そうっなていたとしたら・・・・道内路線図は、現存のものと多少は変わっていたんでしょうか。
観光路線としては限りなく魅力的ですよね・・・・札幌を出て苫小牧・鵡川・静内・浦河・様似、そして広尾、大樹、中札内等ととビールを買い続け、ヘベレケになって帯広に到着・・・・帰りは逆で・・・・う~ん、夢のような列車だ。定期券が欲しいくらい。
2013-06-01 * タケちゃん [ 編集 ]

No title

タケちゃんさん、こんばんは。

その通り、日高本線とつなぐ計画は挙がっていたようです。
でも、計画が壮大過ぎましたね。 いくら鉄建公団が無敵の葵の御門を持っていた時期でも、全通はしんどかったと思います。
何せ、途中には年中全てで工事区間がある『黄金道路』の区間ですから。

でも全通したら、札幌から札幌の循環急行【えりも】(左回り)と【ひだか】(右回り)がグリーン車付で走っていた・・と空想をめぐらせます。
2013-06-01 * 風来梨 [ 編集 ]