風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第10回  予讃本線・下宇和駅

路線の思い出   第10回  予讃本線・下宇和駅 〔愛媛県〕
 

ヒネくれた小僧は
特急よりも急行に“お熱”だった
愛称看板付の急行【うわじま】
 
《路線データ》
        営業区間と営業キロ      輸送密度 / 営業係数 (’83)
      高松~宇和島 297.5km      8085  /  260

下宇和駅(しもうわえき)は、愛媛県西予市宇和町皆田にあるJR四国・予讃線の駅である。 
相対式2面2線の駅列車交換可能駅となっている(Y字分岐で進入速度は45km/h)が、駅構内の有効長が4両分しかない為に、特急列車が多客期に増結されるとこの駅での列車交換も運転停車もできなくなる。

従って、交換駅変更を行う必要があるなど、ダイヤ編成上のネックとなっている。 実際の運用は5〜8両編成の特急列車と卯之町駅で交換させるので、4両編成以上の普通列車は停車時間を延ばしてダイヤを繰り下げる事となる。

これは同じ宇和盆地にある伊予石城駅もそうであるが、一線スルー化で緩い番数の分岐器を入れたり、本線を通過線側に振っている駅では元々の分岐器の位置を変えていないので、副本線の有効長を削っている場合が多い。 2015年の1日平均乗降人員は22人との事。



今回の予讃本線の思い出は、中坊の頃に始めて出かけた本格的!?な鉄道撮影行で訪れた下宇和駅である。 だが、この下宇和駅で降りた時の詳細な記憶は、全くといってないのである。
あるのは、当時からヒネくれた小僧だった私がこの路線のこの場所に趣いた目的が、特急列車ではなくて急行列車だったって事だった。

それは、大阪駅などで駅撮りしていた小坊時代から、キハ82やキハ181の特急はボロ臭くてどうも好きになれず、スマートで連続美のあるキハ58や、当時非電化だった福知山線の快速であったキハ47などの方ばかり見ていたのである。
 

でも、“押さえ”に特急も撮っていたみたい
絵入り前なので、それなりに貴重
 
その小僧の私が“カックイイ”と感じたキハ58が、これまたこの小僧が好むシンプルな愛称看板を掲げて走る姿を当時の鉄道雑誌(たぶん、鉄道ファンだと思う 小僧の理解力では、鉄道ジャーナルは難解過ぎるし)で見ていきり立ったのが、この撮影行の動機である。
 
まぁ、その本格的!?な鉄道撮影行だが、本格的なのは費やした日数(9日間)だけで、他は9日間全く風呂に入らず、全て周遊券で乗車可能の土讃本線の夜行の快速か夜行急行の【うわじま1号】を宿代わりにし、食い物は駅うどんかキヨスクのパンという、周遊券の有効期限をフルに使って当時の四国全路線をめぐっただけのモノに過ぎないのだが。
 
でも、こんなアホらしい事を真摯に、そして完璧に実行した小僧の自分は、それなりに大した物である。
比べれば、今のワテよりも数段立派な根性を持っていたみたいだ。 その本格的!?な撮影行で、本格的!?な“行き当たりバッタリ”ロケハン撮影を敢行したのが、この下宇和と卯之町の区間なのである。
 
小僧は鉄道雑誌で見た「段々畑と急行列車」の写真が撮りたくて、小僧が投げなしの小遣いを叩いて買った『シグマ・ズームカッパー』(当時最高値引き\45000→\19800で叩き売られていた望遠系ズームレンズ 写真評論家諸氏から辛らつな性能批判を浴びていたシロモノで、今でも持ってるよ さすがに使ってないが・・)を引っさげてこの地にやってきたのである。
 
そして、下宇和駅に到着する前に車窓から見た段々畑を求めて、この駅に降り立ったのである。
駅から一路、さっき見た段々畑に向かって線路沿いに伝って歩いていく。 たぶん、2kmか3kmは歩いたと思う。
 
中坊ソコソコの小僧にとっての見知らぬ地での駅から離れた2km、3kmとは、物凄く遠い世界なのである。 この文を記している今の自分も、「このガキ、今より数段根性があるじゃねぇか!」と思ってしまう壮大さである。
 

ここまできてドアップ
幼き小僧ゆえ
『手段という行為を実行するだけで満足』に終わってしまう
 
でも、やはり小僧。 ついたはいいが『目的を実行する為の手段』が、『手段という行為を実行するだけで満足』に終わってしまうのである。 あり丁寧にいえば、段々畑をまとめる撮影技量がなく、段々畑を前にしながら『段々畑はスルー』してしまったのである。 要するに、せっかく段々畑に辿り着いたのに、段々畑が全く写っていない車両ドアップアングルで撮っていたのである。 まぁ、何と言うか、「愛い奴、自分」って事である。
 
それでも、この当時の写真は貴重で、しかも定期列車で運用していたゲテモノ車両もフイルムに収めており、我がホームページのオタページでも“閲覧率!?”は上位に位置するみたいである。
 

手ブレ写真ですが
後は“ゲテモノ”のキハユニです
 
まぁ、幼き・・というか、何も考えていない小僧の撮影行だが、時代を経れは『色褪せてはいるが、心に輝く貴重な思い出』として残ってゆくモノなのである。 小僧の時に『思い立った何か・・』を真摯に実行したからこそ、思いも因らない注目を浴びたのだろう。 これらの色褪せた写真達も。
 

色褪せた我が思い出に乾杯!
 
 
    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『予讃本線』を御覧下さい。
 
 
 
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