2013-05-19 (Sun)✎
路線の思い出 第9回 信楽線・信楽駅 〔滋賀県〕
長閑な風景の中を行き交う
関西の別天地な路線だ
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
貴生川~信楽 14.8km 2085 / 554
移管年月日 転換処置 移管時運行本数
’87/ 7/13 信楽高原鉄道 9往復
信楽駅(しがらきえき)は、滋賀県甲賀市信楽町長野にある信楽高原鐵道信楽線の駅である。
対面式2面2線のホームを持つが、旅客の乗り降りは駅舎側のホームのみを使用している。
反対側の構内踏切でつながっているホームには、大量の狸の置物が置かれている。 狸の置物が置かれているホームは、車両の留置や夜間停泊に使われている。
貴生川方面に車庫がある。 当駅より先も線路が続いており、終端に引き上げ線がある。
信楽線唯一の有人駅であり、1991年の列車衝突事故以後では線内において信号機が唯一使用されている駅でもある。 2017年度の1日平均乗車人員は329人との事。
今回取り上げる信楽線の思い出は、信楽駅周辺での出来事である。 最初に訪れたのは、中学に入る前の春だったか。 「特急より普通が好き」、「人が入るから駅撮り嫌い」、「電車は架線が入るから撮る気がしない」、「三脚は据付が面倒だから使わない」、「時刻表は重いし高いから不要」、「汚い煙吐くからSL嫌い」と偏屈・変人を自負する筆者も、この当時は“右に倣え”的に東京発着の寝台特急を撮っていた。
そして、まだ撮った事のなかったヘッドマーク付の寝台特急【瀬戸】や【出雲】などを狙って、中1の小僧が京都駅での徹夜撮影を敢行した翌日の朝に何を思ったのかふらっと立ち寄ったのが、この信楽線であった。
もちろん、この当時はローカル線などの意識は全くなく、なぜ訪れたのかは幼き自身がした事だが今もって謎な事なのである。 もしかしたら・・であるが、当時夜の9時か10時前の天気予報で信楽線を背景にあったのがひっかかったのかも・・である。
幼き時に魅せられた素朴な情景を求めて
フラッっとやってきた路線
その天気予報は、信楽焼の狸の置物を背景に長閑な山里をゆく信楽線や、『1円電車』で名を馳せた明神(明延~神子畑の鉱山軌道)電車などレアな映像を魅せていて、番組をつなぐ間を繕うだけの天気予報だったが、欠かさず見ていた小僧時代の記憶を思い出した。
建替え前の信楽駅は
田舎の素朴な駅舎であった
さて、訪ねた信楽線と信楽駅はそれはもう30年も前の事になるので、古き良き時代の鉄道風景を醸し出した情景だった。 まぁ、小僧なので、『信楽焼の狸を背景に・・』などと凝った写真など撮れる訳もなく、駅より貴生川方向にちょっと歩いた位置で撮っていたようである。 それと、たぶん・・徹夜明けなので信楽駅のベンチで寝ていた事も想像できる。
次に訪れた時は、信楽高原鉄道に転換前の賑やかになってきた時の事だった。
この時はローカル線を追い求めている真っ最中で、明らかにローカルな雰囲気を仕留めたくて訪れたのである。
この時は雲井駅で降りて、この駅から信楽駅まで列車を追いながら線路に沿って歩いた記憶がある。
でも、雲井駅は撮って残すべきだった。 かなり雰囲気のある木造駅舎だったが、その当時は駅舎には興味がなく“スルーパス”してしまったのが惜しまれる。
さて、そのローカルな雰囲気の鉄道撮影だが、まずは田植えをする農家の方とのショットを狙う。
でも、イメージは湧くものの、いざそのシーンに出くわすとどうまとめていいか解らずに、何か今イチな情景になってしまったかな。
汗ばむ陽気の中、勅旨と信楽高原鉄道に転換されてから開業予定だった新駅の玉桂寺前を通る。
その時、信楽高原鉄道のレールバスが通過したので撮ってみたが、情感が湧かない車両だったなぁ・・って思いがある。
こういうハデな塗装は
「なんだかなぁ」と思っていた
だからであろうか・・、廃止ローカル線の二次線が片付いてからは、レールバスを撮る気が湧かず、ローカル鉄道から山へとシフトを変えてしまって、鉄道撮影から10数年間も離れてしまったのである。
雲井駅から約4km歩いて信楽駅に辿り着くのだが、建替えられた信楽駅を見て愕然となったのを覚えている。 この時は駅が建替えられた事を知らずに訪れたのだが、近代的な駅舎を見てイメージが合わず正直ガックリしたのを憶えている。 そして、何故か混雑に等しい人だかりがあった事にも嫌気がさして、急ぎ足で信楽駅を離れる。
なお、この人だかりは新駅舎の竣工記念か何か・・と思っていたが、実は私があるお騒がせ(という程の事でもないが・・)の一端を担ってしまったイベントで集まっていたようである。
それは、文が進むにつれて追々話そう。
さて、人だかりの信楽駅を離れて、歩いてきた最中に「良い情景だ」と思いチェックしていたマーガレットの咲く鉄橋の所まで戻る。 そこでマーガレットの花と一緒にショット。 これが信楽線のキメ写真となりました。
日本の鉄道もかつてはのどかであった
マーガレットのお花畑とローカル列車
暫くマーガレットの花と信楽線列車を撮っていたが、1往復も撮るとそれに飽きてきてくる。
もう鉄道撮影はお終いにして、咲き競うマーガレットの間をチョコチョコと羽ばたくモンシロチョウにお熱となった。
今日はお花畑で一日のんびりと
のつもりだったが
マクロレンズでのマクロ撮影に夢中になり、お花畑の中での長閑な1日を楽しんでいた矢先に、先程に予告した“お騒がせ”の一端を担う出来事が起こった。 咲き競うマーガレットの周りを羽ばたくモンシロチョウを追ってカメラを向けていた私の肩を、SLのナンバープレートを貼り付けた銀箱を持った明らかに鉄オタな姿の奴がノックする。 「退いて欲しいんだけど・・」との一言と共に。
肩を叩かれた私は「なぜ!?」とばかりにそいつに理由を尋ねると、「マイテがくるから退いてくれ」との事だ。 「マイテ???」と思った私は、その野郎に「あのぉ~、マイテって何ですか?」と尋ねる。
するとこの野郎は、多少ムっとした顔つきで後ろを指差す。 すると、先程まで何もなかったのに、三脚がズラ~っと私を挟んで線路に向かって立ち並んでいたのだ。
後ろを指差してズラ~っと並ぶ三脚部隊を示して、「コレで解っただろう?」とでも言いたげな面で立ち退く事を促す。 これを見せつけられて漸く私も、「あの信楽駅の人だかりは、イベント列車に乗車するべく集まった鉄連中達であったのだ」と解った。 そして、この三脚部隊は、このイベント列車を狙うべく配列された狙撃部隊だったのだ。
そうなると『多勢に無勢』どころか逆らうと身の危険さえあるので、即刻マーガレットのお花畑より離れる。 その『マイテ』であるが、廃車間際の旧型客車が廃車を惜しむ鉄イベントとして運行されていたようである。
まぁ、この時から撮影に出かける前の下調べやロケハンを全くしない“ナンチャッテ”王道の本流が、脈々と筆者には流れていたのが証明された訳である。 まぁ、離れた位置からこの『マイテ』を撮ったが、機関車に挟まれたプッシュプルと明らかに『イベント』していて、“こうまでして撮りたい”との情感は湧かなかったのであるが・・。
あまりにも『イベント列車』していて
並んでまで撮る気にはなれなかったよ
それ以来25年もの間、信楽線は未訪だな。 また、機会があれば、長閑な風景を楽しみにいきたいなぁ・・と思う今日この頃である。
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