風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出   第5回  名松線・比津駅,伊勢興津駅

『路線の思い出』    第5回  名松線・比津駅,伊勢興津駅 〔三重県〕
 

こう見るとキハ30って
なかなか精悍な面構えをしてますな
伊勢奥津にて
 
《路線データ》
   営業区間と営業キロ   輸送密度 / 営業係数(’83)       運行本数
 松阪~伊勢奥津 43.5km   949  /   821     松阪~伊勢奥津 下り7本、上り8本
                               松阪~家城  下り1本
 
比津駅(ひつえき)は、三重県津市美杉町八知にあるJR東海・名松線の駅である。 単式ホーム1面1線を有する駅で、線路の西側にホームが配置されている。 松阪駅管理の無人駅で、ホーム上に開放式の待合所がある。 長らく木造の待合所が残っていたが、2007年秋に建て替えられた。 2017年の1日平均乗車人員は5人との事。

駅の近くには小規模ながら比津集落がある。 また、三重県道666号を東に進んで比津峠を越えると、駅から45分ほどで多気の集落に入る。 ここは南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢国で大きな勢力を持った、国司・北畠氏の本拠地であった。 北畠居館跡(現北畠神社)・霧山城跡がその痕跡として残っている。


伊勢奥津駅(いせおきつえき)は三重県津市美杉町奥津にあるJR東海・名松線の駅で、同線の終着駅である。 ここから『名松線』との路線名称の如く名張まで延伸する計画であったが、未成に終わっている。

単式ホーム1面1線を有する駅で、構内南側・ホームに隣接して2005年2月に建設された駅舎がある。
駅舎は八幡地区住民センターと兼用になっている。 かつては島式ホーム1面2線と駅舎横(西側)片面ホーム1線を有し、3線が給水塔付近ポイントで1線になっていたが、新駅舎建設に伴い島式ホームの北側1線となって2線が撤去された。

20時台に当駅終着の列車があるが、当駅での車両の停泊は行われず、松阪駅まで回送運転している。
国鉄時代は滞泊運用が2本設定されていた。 2017年の1日平均乗車人員は30人との事。
松阪駅管理の無人駅。 構内には蒸気機関車時代の給水塔が残る。

名松線とは名張と松阪を結ぶ計画だった事から付けられた路線名称だが、同区間に参宮急行電鉄(後の近鉄大阪線・山田線)が先行して1930年に開通した為、名松線は1935年に松阪駅から当駅までが開通し、名張までの区間は建設されなかった。 駅前からは近鉄大阪線名張駅とを結ぶ三重交通バスが発着している。

2009年10月の台風18号による風水害で名松線全線が全面運休となった。 松阪駅~家城駅間は同月15日に復旧したものの、JR東海は同月29日に家城駅から当駅までの間については復旧が困難として、当分の間は代行バスを運行すると発表した。 その後は不通区間の廃止・バス転換も取り沙汰されたが、復旧工事の負担でJR東海と県や沿線自治体との折り合いが着き、奇跡的に復旧の運びとなった。

復旧工事が完了し、2016年3月26日に伊勢奥津駅を松阪駅行きの一番列車が出発し、運休から実に6年半ぶりの全線復旧となった。



名松線は、ワテにとっては『始めてのローカル線』だった。 最初に訪ねたのは、確か中学1年の正月だった。 当時の優先順位は『ローカル線』より『近鉄』で、伊勢神宮に初詣・・というより近鉄に乗りたいが為に、小遣いを叩いて伊勢神宮の内宮にでかけたのであった。
 
だが、肝心の初詣であるが、伊勢神宮は初詣の参拝者人でごった返しており、それでゲンナリ気分となってしまった。 気分としては、「初詣なんて二度と行かねえな」となっていたのである。
 
かなりゲンナリして、人の多い近鉄の撮影もヤル気が殺げて、「取り敢えず人のいなさそうな所」にいきたいな」と思うようになっていた。 そこでめぐりあったのが、この名松線であった。
 
30年以上も前のこの頃、まだローカル線ブームも序曲の頃だったので、正月にローカル線目当てにくる奴などは皆無で本当に空いていた。 そして、流れゆく車窓風景は、当時一眼レフのカメラを持ったばかり(もちろん、親のカメラである)のカメラ小僧駆け出しのガキの心を捉えたのである。
 
元々この初詣に繰り出したのも近鉄電車を撮るのが主目的だったので、途端に鉄道写真が撮りたくなってきたのである。 それも『列車だけ』のアングルではなく、周囲の景色と共に撮りたい・・と思うようになってきたようである。 即ち、これが私の『風景鉄道』(風景が主で鉄道は従の写真←ワテの造語である)の原点になったのだ・・と思う。
 

駅舎に興味を抱くキッカケとなった駅
伊勢興津駅
 
終点の伊勢興津に着いて駅舎を通ると、駅舎に全く興味はない中1のガキでも「ハッとする」ような面持ちの古き良き駅舎だった。 駅名が旧字体で貫禄があり、正月という事で『謹賀新年』という張り紙と日の丸が交差して掲げてあり、人だかりの伊勢内宮では全く感じる事ができなかった正月の雰囲気が盛大に演出されていたのだった。
 
もう、嬉しくなって、駅舎の写真を撮る。 たぶん、駅舎を撮った最初の駅がこの伊勢興津だと思う。
図らずも、『2つの初めて』を体験したのである。 こうして紐解くと、『物事を好きになる』というのは偶然の成せる業なのだとつくづく思う。
 
駅を出て周囲を見渡すと雰囲気のいい田舎町の景色が広がっており、この風景と列車を撮る撮影場所を探すべく線路沿いに歩いていく。 歩いていくと、小さな神社の前を横切る。 ここは「伊勢内宮で果たせなかった初詣をもう一度」という事で、この神社に入っていく。
 
山間の小集落である伊勢興津を見下ろす高台にあるこの神社へ登りつめると、本当の初詣がそこにあった。 宮司さんより正月の御祓いをさずかり、御屠蘇を御馳走になったのである。
なお、ここでは「未成年が酒は・・」ってのはナシね。 でも、少し嗜み過ぎて、撮影中気持ち良かったのを憶えている。
 

「目覚めた」といっても
そこは中1の・・
しかもホロ酔い気分で撮ったものですから
 
そして、次に訪れたのは、明確に『ローカル線』を撮影したい・・と思うようになった中3になる前の春である。 友人がカメラを買ったので、それの始動に付き合っての撮影行だったのだが、降りたのは手前の駅・比津だった。 なぜ比津を選んだかというと、駅の手前で川を渡る所があって、「そこで撮ろうか」という事になったからである。
 
そして比津で降りて、これまた素晴らしい『春風景』を体験したのであった。 そこは桜満開とかいうものではなかったが、長閑な暖かい春風景が無人駅をつつんでいたのである。
 

暖かい長閑な春の駅
このような情景に出会えて良かった
比津駅にて
 
恐らく・・であるが、こういう風景を見ずに鉄道を追い求めていたなら、たぶん今の自分の写真は無かったと思うし、写真自体も続けていたかどうか定かではないと思う。 列車のドアップや寝台列車が撮れる有名な撮影地で、皆と同じアングルで鉄道だけを追い求めていて「何かつまらないな」と感じ始めてきたのが、この撮影行へ赴く動機だったのだから。
 

でも・・まだまだ小僧
車両中心の写真も撮ってました
 
そして、先ほどに通った川へ降りて撮影に向かう。 この頃から・・である。 ロケハンとか全くしないで、『フと思った』とか『いいな・・と思った』所を撮影地とする、筆者の『行き当たりばったり』の撮影手法が確立されたのは・・。 真剣に撮り鉄をしてる者からすれば邪道も甚だしいだろうが、これはこれで楽しいのである。
 

ワテの撮る『風景鉄道』の原点
それは・・名松線から始まったのだ
 
そして、適当に撮影地を選んでいるので、鉄道だけに熱を上げる・・ってな事もない。
周囲の山河風景や、空を舞う鳶、そして捕餌をするべく水中に突っ込むカワセミなどを見つけてはカメラを向ける。 当然、そのようなモノを狙うレンズなど持ち合わせてはいないので、何が写っているか定かでないものがネガに刻まれるが、とても楽しいのである。
 

中坊のズームカッパー
手持ちにしてはなかなか
 

ひょっとすると
今より上手いかも
 

カワセミは当然失敗して
ただの川の写真に
でも愉しい
 
そうである・・。 ワテの写真の原点は、この名松線の撮影から始まっていたのである。
この事を経験せねば、恐らく線路際にでっかい三脚を立てている撮り鉄達と変わらん写真を撮っていただろうし、こんな『多くの人と同じような行為』の繰り返しでは写真に対しての愛着も湧かなかったと思う。
 
なぜなら、『多くの人と同じような行為』なら、たぶんワテは飽きてしまうだろうから・・。
まぁ、これは筆者の偏屈たる性格の所以だと思うが、この心根があるから人気のあるものやイベントには全く興味が湧かないのである。
 
その筆者の偏屈たる一例としては、『筆者は鉄道は好むがSLが嫌い』である。 もうそれは、「あんなのを撮るのはフイルムが勿体無い」と口にするほどに嫌っている変人である。 もちろん、一切撮った事はない。 なぜなら、「風景をかき消すあんな汚い煙を吐くモノなど撮りたくない」と直感的に思ってしまったから・・と、SLに集る撮り鉄の人だかりが嫌だからである。
 
そして、この頃から自分を育ててくれたフイルムカメラを未だに重宝しているのである。 自らが写真映像的に決定的に劣ると思うデジタルを使うくらいなら、たぶん写真撮影の趣味から手を引くだろう・・とも思う。
 

フイルムにはデジタルでは
表現不可能な味がある
この古ぼけた気動車のように
家城にて
 
こんな偏屈な考えを抱いているから、『人と少しでも違う事をしたい』と考えるのであり、それが今に続くワテの行動の原点なのである。 まぁ、『人と違う事をして自爆している』ってのが真実なのだけれど。
  
   ※ 詳細は、メインサイトより『魅惑の鉄道写真集』の『名松線』を御覧下さい。
 
 

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No Subject * by thongtindaichung.com
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Re: No Subject * by  風来梨
thongtindaichung.com さんへ

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何が書いてあるか判らないし、そんな配慮の無い投稿をいちいち和訳して読む気もありません。
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2020-08-19 * thongtindaichung.com [ 編集 ]

Re: No Subject

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2020-08-20 *  風来梨 [ 編集 ]